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ティル・アン・テイル せっかく生まれ変わったんだから今度こそ人生を謳歌したい!  作者: 三澤いづみ
第一部 第一章 マジシャンズセレクト

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第3話 お勉強は大事



 男爵位。

 父の持っている爵位は、何事もなければ、ティルが受け継ぐことになる。

 一般的な貴族は長子相続を基本とすると思ったものの、この王国ではどういった制度になっているのか疑問だったから、書斎であれこれ調べた。

 ここラグランは王国でも端にある領地で、ラグラン男爵家はこの領土を収める領主の立場にある。


 最近、ティルは聞き流せない面倒な噂を耳にした。

 父が思い悩んでいる場面を使用人の誰かが見たらしい。しかもその内容が、ルキウスに爵位を継がせたほうが良いのではないかと苦悩しているとの話だった。

 誰が言い出したのかも、いつから流れている噂なのかも分からないが、ある日パテルの口からからそれを聞かされて、ティルは唖然とした。


 大問題である。

 ラグラン男爵の、あるいは領主が後継者の選定について悩んでいるなど、使用人が軽々しく口にしていいはずがない。


 しかも、ティルにまで伝わってしまうくらい、その噂がまことしやかに使用人たちのあいだで広まっていることも危険な兆候だった。


 そもそもおかしな話だ。

 父が悩んでいる姿を見せるのなら、ごく身近な、信頼厚い部下の誰かだろう。

 そんな人間が、家中の使用人や、口の軽い他人に話すのは考えにくい。


 パテルに伝わるということは、ティルに伝わることでもある。

 そこまで拡散しているのなら、館内のみならず、領地全体にこの話が広まっている可能性すらあった。

 悪意か、何らかの意図があるのは明白だった。


 そのうえで、誰が仕掛けたのか、ティルは薄々気がついていた。


 十中八九、母だろう。

 より正確には、子爵家の令嬢であった母を、若くして領主となった父に強引にあてがったエンディール子爵――つまりティルにとっては母方の祖父にあたる人物――の意向もあると考えている。


 あの母が、男爵家当主たる父に対して結婚後も愛情を持てなかったのは、たぶん不本意なまま成立した政略結婚だったからなのだ。

 そんな不満ばかりの母が、ルキウスという愛し子に注ぐ愛情たるや。


 いやいやながら妻とされた夫よりも、義務として産んだティルよりも、次男であるルキウスを優先する男爵夫人。

 そのために後継者争いに介入することは、十分にありえた。


 実家の力を借りるのは意外……とも言い切れない。

 母の実家は、すぐ隣にあるエンディール子爵領なのだから、連絡を取るのは難しくない。

 おおかたこの館にも密偵だか間諜だかが複数入り込んでいるのだろう。

 使用人の半分が実はエンディール子爵の息のかかった人間になっていてもまったく不思議ではなかったし、それを掣肘しうる手段もティルにはなかった。


 ともあれ、ラグラン男爵家にとってルキウスの誕生は、それほどに状況を一変させるきっかけになったのだ。


 だいぶ話がそれてしまった。

 ここで、これから出迎える予定の魔術師――家庭教師の話に戻ろう。

 父は、ティルに魔術を教えてくれる教師を招聘してくれたのだ。


 王国貴族は、基本的に、全員が魔力を有している。

 だが、魔力を有している人間がすべて貴族かといえば、そんなことはない。


 たとえば国内外の平民にも、魔力を持った人間は――多寡や大小はさておき――探せばそれなりにいる。

 歴史を紐解けば簡単な話だ。

 高い魔力を持ち、それを戦闘で行使できる人間と登用し、それぞれに爵位と領土を与えたことが、この国の貴族制の始まりだからである。


 爵位を受け継いできた現在の貴族は、そうした強大な魔術師の子孫であるから、当然のように誰もが魔力を持っている。

 このため、魔力を持っていることは貴族として当然だが、魔力を持っていることイコール貴族にはならないのだ。


 魔力と魔術との関係で、よく引き合いに出される言葉がある。


 魔力とは火が燃えるための燃料である。

 そして、魔術とは火を起こす技術である。


 ティルはその一連のフレーズを書斎で初めて目にしたとき、不安を覚えた。

 あまりにも端的な表現であり、分かりやすい考え方なのに、どうして平民は魔術を便利に使っていないのか。

 これが正しいのなら、平民にも魔力持ちがいるはずなのに、使わない、広まらない理由があるとは到底思えなかった。


 疑問はすぐに解消した。

 書物の後半にその理由も記されていたからだ。


 魔力を持っていても、その絶対量には差がある。


 現代貴族の祖、かつて戦場で暴れまわり、他国から領土を奪ったものたち。

 爵位を与えられるほど活躍した魔術師の魔力量をおよそ一万と見積もったとき、平民ながら魔力を有して生まれた者の魔力量は五や十である。

 もちろん例外はあるのだが、ほとんどの場合、わずかな魔力を持っているだけに過ぎない。


 たとえば、火魔術が使えるようになり、一日に二回だけ薪に火をつける。

 あるいは水魔術を習って、日に三回ほど手元のグラスいっぱいに水を満たす。


 高い学費を支払っておいて、できることがその程度かもしれない。


 平民として生まれながら魔力を持っていることは、たしかに稀有な才能である。

 なかには、ほぼ貴族ばかりの魔術学院に通わせてもらったり、在野の術師に頼み込んだりして、有用な魔術を教えてもらうものもいるだろう。

 ただ、そんな伝手があったり、大金をかけるような酔狂ができるのはごく少数の成功者の一族、一握りの高名な冒険者、大商人の子どもくらいだ。

 しかも、それだけの財産があるのなら、火起こしも、水を注ぐのも、暑い日に風で涼しくさせることだって、他人にやらせれば済む。


 わざわざ苦労して魔術を自ら学ぶ必要すらない。

 雇った使用人なり、配下の人間なりに同等の作業を命じればよいのだ。


 平民は馬鹿ではないし、そこまで暇じゃない。

 それが金を生み出すなり、労力を減らすのに役立つなら、相応の蓄えや時間を費やすこともあるだろう。

 しかし、少ない魔力でできることはたかが知れている。対価、あるいは代償に見合っていないのだ。

 だから、魔術を使いこなせる平民はほとんどいない。使うタイミングも、学ぶ機会もないためである。

 まれに生まれも育ちも平民ながら、魔力持ちと発覚した冒険者がひとつふたつの魔術を身につけることもあるのだが、やはり例外的なことらしい。


 一方の貴族にも、魔力量の大小がある。

 当然だ。


 戦場で恐れられたかつての魔術師たち、貴族として権力と暴力の象徴となった偉大な初代ならばともかく、現在の貴族は所詮その子孫に過ぎない。


 便宜上、当時の魔術師の魔力量をざっくり一万くらいと設定した。

 この基準に合わせた場合、現在の貴族の大半は、それこそ数百から数千の数値のどこかに収まるだろう。


 代を重ねるごとに血は交わるが、代が重なるごとに血は薄れる。

 貴族には魔力がある。

 貴族の、というよりは魔術師の子孫であれば、その血筋、血脈に魔力を保有しているのが当然だからである。


 だが、あるだけだ。

 その大小までは問われない。


 貴族は貴族と婚姻関係を結ぶのがならわしである。

 魔力を持たないものは貴族ではないからだ。

 魔力を持たない平民と子をなして、その血脈が維持してきた魔力を薄めたくないからである。


 貴族は魔力を尊ぶ。

 特に、領地に封じられた領主とその一族は。

 何より重要なことは、とティルは最近読みふけっていた書物の内容を細かく思い起こしているうちに、パテルの呼びかけに気がついた。


「ティルさま? 考えごとをしながら歩くのはお控えくださいと……」

「あ、ごめん。えっと、なんだっけ」

「もう玄関に着きましたからね」

「あ」


 控えていた使用人がティルのために扉を開けてくれた。外の様子をうかがうが家庭教師の姿はない。

 時間にはまだ余裕があったらしい。


 この正面扉は正式なお客様を迎え入れるとき、あるいは父や母の出入りの際に開かれることになっている。

 実に豪奢で、重々しいが、細やかな意匠のほどこされた鉄扉である。

 ティル自身がひとりで出入りしたことはなく、これからもないだろう。


 普段、ティルが庭に出たり近隣の散歩に出るときには、裏にある小さな扉を使っている。

 その出入り口が、実質的には使用人用の扉であることは否定しない。


 貴族家の嫡男としては軽んじられている、という考え方もあるが、こちらの正面扉は見ての通りに開閉が面倒なのだ。

 七歳のティルひとりでは、押し開ける途中で力尽きそうな重量感がある。


 と、開け放たれた扉の向こう側に、見慣れない姿が見えた。


 二人連れである。

 ひとりは見覚えがある。父が出した案内役だろう。


 もうひとりの男が本命だ。

 細身で小柄ながら眼光鋭く、妙に存在感がある。そのまとった威厳というかオーラのようなものは、魔術師然とした格好のせいだけではなかった。


 暗色のローブを羽織っていて、それは天鵞絨めいた不思議な質感である。

 彼らの向こう側に見える青空の爽やかさと、彼の威容とに、どこかちぐはぐさを感じるのは、浮かべた表情の険しさのせいもあるだろう。


 こんなにいい天気なのに、清々しい空気に満ちた屋敷の前の空間なのに、どんよりとした重苦しさが人間の形になって歩いている。

 そんな重鎮めいた雰囲気があった。


 年齢は正しくは分からないが、どう見ても父より若くはない。

 顰めっ面を長らく続けてきたことがうかがわれる、ひそめた眉間に苦労の跡が刻まれた顔。

 頭部はぼさぼさの白髪であり、瞳には炯々とした輝きがある。最初から白かったのか年老いて白くなった髪なのか、いまいち判断がつかない。


 分かることはひとつ。彼は間違いなく、ただ者ではない。

 穏やかな陽光のなか、ゆっくりと歩いているだけなのに、目を引くような、あるいは目を背けたくなるような、すさまじい存在感のある人物だった。 


 うっかりヤバすぎる成果を出してしまったせいで学会を追われた五十歳くらいのマッドサイエンティストみたい、とティルの脳裏にはそんな形容が一瞬よぎった。

 人相は悪いが、たいへん美形である。

 わかりやすくいうと、両親のような貴族っぽい相貌の持ち主であった。

 まだ声も聞いていないが、きっと渋くて良い声に違いない。 


 ロングスタッフのような目立つ杖を握っているわけではない。おそらく、短杖を腰に差しているのだろう。

 中年か壮年といった風体、容貌なのだが、動きはゆっくりなのに鈍重さを感じられない。

 ティルにはひどく不思議な感じがした。立ち居振る舞いも表情も、まるで貴族らしくないのに、どこまでも貴族のような風貌の持ち主であったからである。


 ティルはこの場で挨拶と自己紹介をすることになっている。

 馬車で来るかと思ったが、徒歩なのは意外だった。偉い魔術師と聞いたし、父が迎えの馬車を出すのを渋ったとは考えにくい。


 ただ、ひとつだけ疑わしい要素はあった。

 ティルの悪しざまに言われる髪の色にも引けを取らない、顔色の悪さである。彼の頬はこけていて、目の下には隈があり、死相があると言われてもおかしくない。


 それほどに顔色の悪い男だったのだ。

 歩く姿、動きそのものには病人らしい苦しさは見受けられず、強烈な意思を感じる眼光の輝きがあったから、おそらく健康上に特段の問題はないのだろう。


 しかし、どう見ても傷病者の顔色である。血の気の引いた青白い顔である。

 今にも倒れそうなほど体調が悪いのを我慢しているとしか思えない血色だった。

 彼が背筋をしっかり伸ばし、二本の足ですたすた歩いている姿を見なければ、とりあえず椅子なり寝台なりを全力で薦めるところであった。


 ティルは考えた。なぜ馬車を使わなかったのかと、案内役に強く問いただしたほうがよいのだろうか。

 父から申し付けられていたのは先生に失礼がないようとのことだったが、現状を顧みるにすでに危険であった。


 これから、この方が、本当に住み込みで僕の家庭教師をするのか?


 怪訝に思いつつ、ティルは表情を顔に出さなかった。

 ちらりと横を見ると、パテルもどうしたらいいのかわからないようで、困惑した表情を隠そうともしない。

 近くまで来たところで、目が合った。


「む」


 彼の第一声は、そんな、気難しさがひしひしと伝わってくるものであった。




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