第2話 予感
ティルが本当に愛人の子だったとしたら、父から疎まれるのが道理である。
実際のところ、そうした扱いは受けていない。
もちろん貴族の家に生まれたからには、平民の親子のように気安く言葉をかわす生活はしていないのだが、ティルの見る限り、父はティルにできるかぎりの教育を受けさせてやろう、みたいな気概は感じている。
「家庭教師の先生は誰かって聞いてる?」
「お名前までは……ただ、旦那様が中央に掛け合って、ご高名な方に来ていただいたとだけ」
「へえ」
代わりにというか、ティルは、母から距離を感じることが多かった。
母から直接的になにか言われたことはない。そもそも家族間での会話自体が少ない。
父はいつも多忙だし、弟はまだ四歳で、会話というより一方的にしゃべってくることが多い。そして母とは顔を合わせる機会そのものが稀だった。
視線や仕草、ちょっとしたことがあるたび、母は弟のことばかり気にかけていると察せられた。
ティルの価値観では、家族揃って食事をするとき以外ほとんど母の顔を見ることもない生活は、あまり健全な状態とは思えなかった。
これが一般的な貴族の親子関係であり、養育方法であるのなら、そういうものだとして受け入れるしかないのだけれど、どうやら弟への態度は違うらしい。
気のせいであればよかった。
けれど、長男であるティルと、次男ルキウスには大きな違いがあった。
そう、髪の色である。
ドブネズミみたいと揶揄されたこともある、ティルの頭髪の色。
両親どちらとも似ても似つかない、輝きを奪われた鈍色が、金銀にきらめく華やかな髪の家族のなかで、たったひとり異彩を放っている。
一方、三歳下の弟の髪色は艶のあるシルバーである。父から譲り受けた透き通る銀色の髪は見事なまでにまばゆい。
昼間、館の窓ガラスから差し込む陽の光を受けた彼の髪は、まるで祝福されているかのように光に包まれて見える。
ちなみに、ルキウスの髪質はさらさらで、その面立ちは母に似て美形である。こちらは血の繋がりを疑いようもない。
「ティルさま?」
「ごめんごめん。いま行くよ」
「……ご体調、よくないのですか?」
「そんなことはないよ。ただ、ちょっと不安なだけ」
「ああ、初めての魔術のお勉強ですものね。でも、ティルさまはあんなに早く本をお読みになるんですから、すぐに使えるようになるのでは?」
「見るのとやるのとが違うように、知識と実際は別だと思うよ。だいたい、僕はそんなに器用な方じゃないし」
「はあ、そんなものですか」
翻って僕はどうか、とティルは自身を顧みる。
ティルが父から受け継いだのは、ごわごわの髪質と凡庸な顔立ち、そして貴族と名乗るには最低限の魔力だけだった。
あるいは、誕生時に計測された魔力の量がもっと多かったなら、なにか変わっただろうか。
「魔術、うまく使えるといいんだけど」
「きっと大丈夫ですよ」
「根拠のない慰めはいいよ。あまり期待できないのは、自分でも分かってるし」
「いえいえ、なんとかなりますよ。だってティルさまですから」
ティルは、なんとなく生まれた瞬間の記憶を振り返ってしまった。
思えば、ただの一度も母から喜びの声は聞かれなかった気がする。
母から嫌われているのかもしれない。だが理由がわからなかった。
そしてティルには、嫌悪より、もっとふさわしい表現が頭の中に浮かんでいる。
無関心。
母のそれはもしかしたら憎悪ですらないのかもしれない。
愛の反対は無関心とはよくいったものだ。ティルとて、弟が生まれるまではそういう性質のひとなのだろうと思っていた。
なぜなら、母のその態度は、ティルだけに向けたものではないからだ。父であるラグラン男爵に対しても似たようなものだった。
嫌悪とまではいかないが、冷淡さは感じる。夫に対してもそうなのだから、すべての人間に対して興味がないのだろうと、そう考えるようにしていた。
母に対して挨拶をすれば、そっけなくではあるが、挨拶を返してくれるくらいには対応してくれたけれど、甘えさせてくれたことはなかった。
そうだ。ティルとしても、そんな壁のある母に対し、少しでも距離を縮めようと努力はしたのだ。
舌っ足らずながら仲良くなるため言葉をかわす努力も、贈り物をして関心を引こうとした幼い日もあった。
だが、それが良くなかったのだろう。もとから他人行儀な母の態度は、よりいっそう透明になった。
貴族の妻として。あるいは貴族の長男の母として。
最低限の対応しか見たことがない。
ティベリウス・ラグランは、母の、それ以外の顔を知らない。
ティルはいつしか諦めた。母が望むように距離を保つようになった。
何かを期待するのをやめた。
それ以来、メイドのパテルが母代わりだった。
乳母のような、姉のような、そんな距離感である。
生まれたときからずっと一緒に過ごしてきたのも、親しみを感じているのも、メイドのパテルだ。
わがままを言える相手も、この館の中ではパテルだけだった。
「ルキウスくらいとはいわずとも、その半分くらい魔力があればな」
「ティルさま。無いものねだりはよくありません」
「でもさ」
「ティルさま自身のお言葉ですよ? 無いものは仕方ないんだから、手持ちのものでなんとかできないか工夫してみろ、って」
「ずいぶん前の話を持ち出すね」
パテルは何度もティルを褒めるのだけど、むずがゆい。ちょっとした思いつきを話しただけだからだ。
ティルの脳裏にはたまに知っているはずのない言葉がよぎることがある。
それはもしかしたら、最初から頭の片隅にあった知識かもしれない。
書斎に入る許可をもらうより前だから、書籍由来ではないことだけは確かだ。
以前パテルが喜んだのは、ありあわせの道具や棒を組み合わせて作った洗濯用品だったのだけれど、それが役に立ったのならすごく嬉しい。
「あれで毎日の洗濯の手間が半分くらいに減ったって、メイド長がことあるごとに喜んでましたから。もし一度や二度失敗しても、なんとかできますって。わたし、生まれてこの方ティルさまほど頭のいい子供見たこと無いですし」
「パテルさ。胸張って言えるほど、見たことのある子供いないでしょ」
「えへへ」
「僕と弟、あとは近くの悪ガキくらいじゃない?」
「ティルさまはもっと自信を持った方が良いと思うんですよ。わたしにも偉そうにしないのはティルさまのいいところですし、優しいところも好きですけど、そんなだから使用人に舐められるんです。ティルさまはいずれ男爵になるんですから、ビシっと一発かましたほうが」
「パテル」
「……すみません。でしゃばりました」
使用人におもねっているわけではない。媚びているわけでもない。
ただ、雇用関係というか、主従関係があったとしても、険悪である必要はまったくないと思っているだけだ。
ティルが将来、父の跡を継いだとき、彼らからの評価が悪くていいことはない。
もちろん愛されるより恐れられる方が安全という言葉もあるのだけれど、あれはどちらかしか選べないのならば、という話だった。
「ティルさま?」
「なんでもない」
パテルはティルの微細な表情の変化によく気がつく。
けれど、心が読めるわけじゃない。考えが理解できるわけでもない。
ティルは、こういうところが子供らしくないと言われる原因だと、自分でも分かっている。
ただ、ずっと考え続けてしまうのは、かくあるべきと思うのは、そういう性分なのだと思うしかない。
もっと気楽に、もっとほがらかに、毎日を過ごせるのならそれに越したことはない。
「なんでもないってことはないでしょう。そんな目をされて」
「ごめん。言い方を間違えた。……自分でも理由がわからないから、どうしようもないんだ」
ティルは生まれてから、物心ついてから、ずっと不安が消えないでいる。
男爵家の長男に生まれたから、それなりに恵まれた立場であるはずだ。
なのに、いつか良くないことが起こるような気がして、不穏さに急き立てられるように毎日を生きている。
書斎にこもってひたすら本を読み耽るのも、今のうちに少しでも広範な知識を集めておかないといけないような気がしたからだ。
安穏とした暮らしが続くなんて、とてもじゃないが信じられない。
この根拠のない不安は、どこからくるものなんだろうか。
ティルはもがいている。焦燥感に苛まれながら、なんでもない顔をしようとする。
直感。直観。第六感。
あるいは、これも知り得ぬはずの知識からの警告だろうか。
「大丈夫ですよ、ティルさま」
掴まれていた手首が解放され、温かさが離れてゆく。
ティルがその指先の行方を目で追うと、パテルは、今度は体を抱きしめてきた。
やわらかくて、あたたかい。
というか、窒息しそうで、なんとか声を絞り出す。
「パテル。苦しいんだけど……その、胸で」
「ついにティルさまも、そういうことに興味が出てきました?」
「……違うし」
「ふふっ。久々に子供っぽいティルさまを見た気がします」
話し方とか考え方が子供っぽくなくても、ティルはまだ七歳である。だからパテルは気にしないのだろうけど、ティルは気にする。
姉のように慕うメイドの、まあまあ立派な胸にうずもれて、そのままじっと甘えられるわけもない。
ただ、スキンシップは偉大だった。
わけのわからない不安が、ちょっとだけ薄れた気がする。
「僕、弟がうらやましいのかも」
廊下の窓ガラスに映り込んだ自分の顔を見て、ティルは呟く。
「ルキウスさまももう四歳ですし、さすがに授乳は卒業したかと」
「パテル」
「あ……ごめんなさい、ティルさま」
「いや、そこで謝られると、僕がまだおっぱいが恋しい男だ、みたいに聞こえるからやめてもらいたいんだけど」
「ええ、ですからごめんなさい」
「……パテル?」
「えっ? あ、ティルさまは一回も授乳されなかったから、わたしが哺乳瓶でミルクを飲ませていた……って話じゃないんですか」
「違うよ! そういう話じゃないよ! 母上の態度とか、生まれ持った魔力とか、館で暮らす使用人たちの態度とか、そういうことを言ってるんだよ!」
弟のルキウスは、生まれた瞬間から皆に祝福されていた。
いつも厳しい顔でいる父も、誕生を聞いて駆けつけた執事や使用人たちも、パテル以外のメイドたちも一人残らず喜んでいたのだ。
「仕方ないのでは? だって、ティルさま……」
「なんだよ」
少し言い淀んだあと、パテルが顔を覗き込んできた。
「ちっちゃいころ、あんまり笑顔を見せなかったじゃないですか。初見の相手に話しかけるでも、笑いかけるでもなく、無言のまま観察を始めるし……」
「う」
やれやれと肩をすくめたパテルに、ティルはうめいた。
「そりゃ、わたしも思いましたよ。うわっ、なんて不気味な子供だ、って」
「さすがに言い過ぎじゃないか」
「赤ん坊のくせにこっちを見透かしてくるような目をしてるんですもの。仕事じゃなかったら逃げてましたよ」
「歯に衣着せない言い方にもほどがある」
「今でこそティルさまの専属みたいになってますけど、当時のわたしって押し付けられたようなものですからね? メイド見習いの子供に、赤ん坊の、それも男爵家の長男の面倒見させるとか、なに考えてるんだかわかりませんもの」
「はいはい。パテルには感謝してるよ」
「もっと感謝を具体的にしてもいいんですよ? 言葉とか、贈り物とか!」
ティルはため息をついた。
この反応にパテルが口を尖らせたが、ティルにも反論はあった。
「パテルさ、うちに勤めて長いし、けっこう良いお給金もらってるよね?」
「えへへ」
「僕、自由に使えるお金がない……というか、お小遣いもらったことないんだけど」
「えっ、一度も!? ……あー……ああ、そういえば、たしかに、自分でお金を使うタイミングとか皆無ですものね」
「で、贈り物がなんだって?」
「ご無理を申しました。申し訳ございませんでした」
パテルが平にご容赦を~、とすがりつくようにティルの腕を取る。
男爵家の長男という立場は、平民からすれば偉く見えるのかもしれないが、案外不自由だったり、制限が多かったりもする。
特にここラグラン領は王国でも僻地に位置しており、さまざまな要因から商売には不向きで、しかもこれといった特産物に恵まれていないから貧乏なのだ。
まがりなりにも貴族であるから、ティルは現状食うには困っていない。
しかし、決して裕福な生活を送ってもいない。
さらにいえば、娯楽の種類もないし、食事もあんまり美味しくない。
それを改良する機会もない。ティルにしてみれば、余計な口を出すリスクとリターンが見合っていないからである。
あるいは母との関係がもう少しまともであれば、もっと色々な知識を試す機会もあったのだろうが、いまのティルにはパテル以外の窓口がない。
使用人は不気味がってか用事がなければ近づいてこず、父は日中は広い領地内を駆け回っているか、王宮に呼ばれて一ヶ月ほど帰ってこないかで、顔を合わせる機会が滅多にない。
不幸中の幸いは、弟ルキウスからは懐かれていることくらいか。
しかし、最近は顔を合わせる機会も減った気もする。
母の指示か、あるいは母の意向を汲み取った世話役が、兄と不用意に接触させないようルキウスを誘導しているのかもしれない。
「でもまあ、感謝は本当にしてるよ。ありがとう、パテル」
「うーん」
「なにさ」
「いえ、あの不気味だった赤ん坊が、七年でまあまあ知的な、いい感じの男の子にまで育ったなと。たしかに奥様やルキウスさまのような分かりやすい美形ではないですけれど、このままいくと将来女を泣かせる男になる予感がします」
「嫌な未来を予想しないでよ。あと、パテルは僕のことを見慣れてるから」
ティルは自分が不気味に思われていたのは分かっていたが、いざ言葉にされると若干切ない気持ちになった。
弟はたしかに天使のような赤子だった。
いつも不機嫌そうな母が、とびきりの笑顔をその幼子に向けていたのだから。
そのとき三歳だったティルは、そんな愛情あふれる母の横顔を、見たことのない優しげな微笑みを、黙って眺めていた。
それしかできなかった。
ティルは覚えている。あの母の顔も。そのとき抱いた苦しさも。
そのときはパテルに抱きかかえられながら。口を結んだまま、じっと。
「ティルさま」
「今度はなに?」
「落ち着きました?」
「……そうだね。ありがとう」
多少なりとも気は晴れた、かもしれない。
実際のところティル自身、最近とみに感じる形のない不穏さの正体には、少しばかり見当がついているのだ。
面白いと感じたら、ここからちょっと下にある【☆☆☆☆☆】を押して、
【★★★★★】にしていただけると嬉しいです。
あと、ブックマークにも追加していただけると作者はもっと喜びます。




