第1話 鈍色のティベリウス
第一部
第一章 マジシャンズセレクト
「ティルさま、どこですかー? ああ! またこんなところに! ティルさま、お行儀が悪いですよ! そんな床に座り込んで!」
「あはは……見つかっちゃった」
ティルが人の気配に振り返ると、上から覗き込んでくるパテルと目があった。
エプロンドレスっぽい格好なのは、彼女がティルの専属メイドだからだ。くりっとした綺麗な瞳で、じいっと見つめてくる。
メイドらしい格好をしているのとは無関係に、パテルは可愛い。
周囲からはそこまで整った容姿とは思われていないらしいのだが、その所作、その笑顔が、ティルにとっては可愛らしく感じられるのだ。
しかし、そんな可愛らしい女の子からじっと見つめられても、ティルはもう恥ずかしがったり、気後れしたりすることはない。
パテルとは七年の付き合いがあるし、彼女が世話役のメイドだからである。ほとんど家族同然に生活をともにしていれば、慣れないほうがおかしい。
ただ、バツの悪い顔はしておいた。
申し訳ないと思っていなくとも、申し訳なさそうな顔をしておくのが、叱ってくれるメイドへの正しい対応だろうから。
ティルは物陰からゆっくりと這い出した。
なるべく服が汚れないように気をつけていたのだが、
「そこを気にするなら、最初からこんな床に座らないでください!」
パテルが嘆くのも無理はない。この部屋には埃が多かったし、ティルは扉から覗くだけでは死角になる位置、やたらとサイズの大きな物書き机の奥、その床の上に書物を広げて読みふけっていたのである。
当然、掃除が隅々まで行き届いている場所ではなかったのだ。
でもこればかりは仕方ない。
こう言い訳したくなるのを、ティルはぐっと飲み込んだ。
ティルの背丈からすると、この部屋の椅子や机は高すぎた。手に持ったまま広げるには書物もやたらと重いのだ。
とはいえ、表紙や背表紙にごてごてと装飾の入った、一冊いくらするのか分からない高価な本ではある。
粗末に扱っていると思われるのも困るから、ハンカチを敷いた上に丁寧に置いて読んでいたのだ。
その姿勢が男爵家の長男としてみっともないのは事実だし、本を大事にするけど服はおざなりに扱っている、そう言われてしまえば返す言葉もないのだけれど。
「見つかっちゃった、じゃありませんよ! 今日は偉い魔術師の先生がいらっしゃる日なんですから、急いで出迎えの準備をしませんと」
「え? もうそんな時間!?」
ティルは慌てて時間を確かめようとするが、近くに時計は見当たらない。
時間を知らせる鐘の音も、朝食後からずっと読書に熱中していたティルの耳には届かなかったらしい。
腕時計でもあれば時間管理も楽なのにと思ったが、ティルの、というか男爵家の経済状況ではそんな高級品は手に入るはずもなかった。
小型で精巧な時計は大陸外で入手するしかない。それこそ国の重鎮か、名うての大商人くらいしか所持していないと聞いたことがある。
「ティルさまが本を読むのが好きなのは分かっておりますし、自分で勉強なさっているのも素晴らしいことですけれど、それはそれ、これはこれ。せっかく旦那さまが家庭教師をつけてくださったのですから!」
「……そうだね。父上の期待には応えないと」
「では、ティルさま。こちらへ」
ティルは読みふけっていた本を、よいしょ、と棚に戻した。
七歳のお祝いに欲しいものを珍しく父から聞かれて、この書斎に自由に出入りする権利をもらったのだ。
それ以来、ほぼ毎日この部屋にこもっていた。
本が好きであることも、知識を身につけたかったこともあるが、ここにはティルとそれを探しに来るパテルの他に、ほとんど誰も寄り付かないのが大きかった。
メイドのパテルは慣れた手つきで、ティルの手首を強く握った。
優しく手のひらを掴むだけでは、また振りほどいて逃げられると思っているのかもしれない。
「ティルさま?」
「分かってるって」
彼女はティルより年上だ。だから子供扱いされるのは当然なのだけど、こんなふうに幼子扱いされるのは苦手だった。
パテルには年の離れた弟がいると聞く。ただ手をつないだだけでは逃げられた経験があるのだろう。
「……いいえ、分かっておられません。ティルさまは、ラグラン男爵さまのご長男なのですから、それ相応の振る舞いをなされませ」
「みんなはそうは見てないみたいだけどね」
普段よりパテルの口調は丁寧で、どこか他人行儀に聞こえる。
いつもだったら、もっと気楽な言葉遣いなのである。今日に限って、パテルはティルの立ち居振る舞いについて細かく口を出している。
誰かに何か言われたのだろうか。ティルは少しだけ、目を伏せる。
暗くなった書斎から離れ、館の玄関へと向かう。
家庭教師の先生を出迎えに行く途中、廊下で使用人たちとすれ違った。
彼らの多くは、パテルとは違う目でティルを見る。
ティルも、ガラス窓に映り込んだ自身の姿を見つめる。
鈍色の髪。
これがもう少し明るい色なら、白や灰色と言い張ることも出来ただろう。でも実際には薄暗さが滲んでいて、どこか嵐の日の不穏さを思わせる色合いだった。
曇天の暗さを湛えたような髪の色。
父の輝くシルバーの頭髪と、母の黄鉄鉱みたいなピカピカのブロンドを受け継いだはずなのに、ティルの髪にはほとんど輝きが残っていない。
あるいは銀の要素がわずかにでも残っていれば、いぶし銀と見栄を張ることもできただろうけれど。
ラグラン男爵家長子、ティベリウス・ラグラン。
このあいだ七歳の誕生日を迎えたばかりの、どこにでもいそうな――つまりは、平民と見間違えられてもおかしくない容姿の子供である。
何年か前のことだ。
口さがない使用人の陰口を、幼いティルはたまたま耳にした。
ティベリウス様は、どうしてあんな髪色に生まれてきなさったのやら。
誰かが答えた。もしかして奥様が産んだのは旦那様のではなく……。待て待て、それ以上口にしちゃあならんぞ。
でもよう、あんな薄汚いドブネズミみたいな髪の……
会話は続いていたが、息を殺してその場を離れた。
母が浮気をして、その愛人の子供なのだと、ティルは疑われていたのだ。
もちろん使用人がそう考えることにもいくらかの根拠はあった。
王国において、貴族と呼ばれる階級の人間は、その大半が整った容姿を誇ることで知られている。
良血を集めたゆえか、婚姻と選別の結果であるのか、世間において王侯貴族として知られる人物のほとんどがすこぶる顔が良い。
もちろん全員が全員そうではないのだろうが、少なくとも平民が知る貴族とは美麗な容姿を持った存在である。
ティルの父であるラグラン男爵も、その妻にしてティルの母である男爵夫人も、明らかに使用人たちとは顔の造形が一つ二つ格が違うのだ。
彼や彼女の相貌の質の良さは、言うなれば主人公であるとかヒロイン、敵役のそれである。テレビドラマで言うところの主役を張りそうな俳優や女優のような、見るからに一般人とは異なる、いわゆる美麗な顔面なのである。
別に、ティルの顔が悪いわけでも、醜いわけでもない。ただ、父や母、ついでに弟の貴族らしい整った容貌と比較すると、ティルの顔は平凡よりである。
脇役として注目や抜擢されることはあっても、主役として全力で売り出しては貰えそうにない、そのくらいの地味な面立ちなのだ。
悲しいかな、ティルには自覚があった。貴族らしい威厳であるとか、天使のような可愛さであるとか、玲瓏たる美貌であるとか、そういった表現からはかけ離れたごく普通の少年の顔なのである。
パテルは折を見て可愛らしいと褒めてくれるが、相対的に見れば、やはり貴族らしい容姿をしているとは胸を張れない。
一応だが、ティルの顔は決して悪くないのだ。造形も整っている方だし、愛嬌がないわけでも、目つきがひどく悪いわけでも、笑顔が歪んでいるわけでもない。
ただ、両親のそれと比べてしまうと、あきらかに地味なのである。それぞれのパーツ単位で見れば父にも母にも似ているのだが、全体として華やかさがない。
その原因と思われるのが、彼の髪の色である。
両親は輝くような銀と金、弟もすばらしいプラチナのような銀の頭髪を受け継いでいるというのに、ただひとりティベリウスだけがドブネズミのようと言い表わされる気の滅入る髪色なため、よりいっそう見劣りするのかもしれない。
華やかさにかける容貌と、印象を悪くする暗い髪の色。
二つが揃うと、ティルの容姿はひどく浮くのだ。少なくとも、ラグラン家の本当の子どもではないのではないか、と疑われるくらいには。
年齢のせいだ、とティルは主張したかった。もう少し育てば両親と同じような方向性の容姿になる可能性があると。
しかし、美しい顔の弟を持っているせいで、これも難しい。弟ルキウスは生まれた瞬間、赤子の時点ですでに美形だった。幼い時分より怪訝そうに見られていたティルと違って、それより若いルキウスを疑う者はいなかった。
両親と並ぶとこれがまた絵になるのだ。ティルではそうはいかない。うっかり紛れ込んだ他所の子かな、と思われそうな浮きっぷりでいっそ悲劇的ですらある。
そして、不義の子と疑われた理由は、ティルと両親らとの容姿の差、貴族らしい雰囲気の違いだけではない。
ティベリウス・ラグランは幼い頃から、その異質さ、奇矯な振る舞いを隠せてはいなかった。
普通の子供とは明らかに違う部分が、そこかしこに見受けられた。
そこが使用人たちが気味悪がり、自分たちが仕える主人である男爵の子と思いたくなかった理由だろう。
「ティルさま。また怖い顔になってますよ」
「パテル。いつもすまないね」
「そういうところですよ、ティルさまが妙な目で見られる理由。うちの弟と一歳違いとはどうしても思えないんですよね。やっぱり年齢誤魔化してません?」
一瞬、返す言葉に詰まる。
ティルも自分でわかっている。
使う言葉も、ものの考え方も、ときどき目つきや浮かべる表情も、ぜんぜん七歳の子供らしくなかった。
いつだったか、ティルは、パテルに聞いたことがある。
パテル自身が生まれたときの光景を覚えているかと。
パテルは首を横に振った。それどころか、最初の記憶は二歳か三歳くらいの、それも両親にひどく叱られて大泣きしている場面だったとか。
ティルは鮮明に覚えている。
この世界に生まれでた瞬間の、両親やパテルの表情を認識していたのだと、そう主張している。
これを言うとパテルは「ティルさまは冗談がお得意で」と笑うのだが、ティルがその質問をしたのが三歳になった直後だった。
パテル以外の使用人にこの話をして、ぎょっとした顔をされたこともある。
「僕は普段、同年代の子供と会わないから比べようもないよ。知ってるでしょ? パテルがうちで働き出したのも、僕が生まれるより前だって聞いたし」
「ええ、ええ。ですから、そんなお顔をなさる必要はございませんよ。ティルさまは間違いなく旦那さまと奥様の子です。ティルさまのオムツを交換したのもわたしですからね」
「……そのわりに、母上から疎まれてる気がするけどね」
「そんなことは……」
きっぱり否定するかと思ったが、パテルは言葉を濁した。メイドの立場からすればそれ以上は何も言えないのだろう。
僕が悪かった、とティルは話を打ち切る。
ホッとした様子のパテルだったが、手を握る力が少し強くなった気がした。
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