第10話 贅沢な名前
ティベリウスと、何度も呼びかけるのはなぜか。
もうすぐ、直接は名を呼べなくなるからだ。
かつては王のみに許された力。失われたはずの光の魔術。
ルキウスが大勢の前でそれを使いこなしてみせた。
隠すことはできない。
伏せようとしても、どこからか漏れるだろうことは明白だった。
なにより、謹慎という体で王都から遠ざけられた宮廷魔術師ゲイリオスが、その目で確認してしまった。
これを握りつぶすことは、立場からも、状況としても無理だった。
報告しなければならない義務がある。責務がある。そして必要でもあった。
彼に出来るのは時期をずらすことがせいぜいで、そのタイムラグを使って最悪の事態を回避せねばならない。
「本当に賢しいな、お前は」
「先生にそう褒められると困っちゃいますね」
「これっぽっちも褒めておらん」
「先生こそ、どうしてそんなに悲痛な顔を? 久しく絶えていた光魔術がついに復活したのです。それを当家に持ち込んだのは先生なのですから、もっと喜ばれるべきではありませんか」
「教え子の道を探すために手に入れたものが、その将来を閉ざす結果になった。これで笑えというのか? お前は、どうしてそう平然としていられる……?」
「僕なりに傷ついてますよ、これでも。ただ……」
「ただ?」
「いえ、なんでもありません」
これを知られたら、王家はルキウスをまず養子として欲しがるだろう。
問題はここにある。
長男は魔力不全症であり、後継者としての能力に欠如していた。
次期後継者になるルキウスは五歳で、貴族としてまだ登録されていない。
ここで貴族の登録制度にある穴が悪さをする。
この情報を耳にした上位貴族によって、身柄を強引に奪われる危険すらある。
なぜなら、現時点では、ルキウスはまだ貴族ではないから。
普段なら重要視される出自や血筋についても、この際目を瞑るだろう。
ルキウスは光属性が行使できた。
逆説的ではあるが、この事実こそが、初代王の系譜に連なる証明になってしまうからである。
領地持ちの貴族であれば、誰かしら先祖に他家の血も混ざる。
何代か遡れば、降嫁した姫や大公家ゆかりの人名も見つかるかもしれない。
ともかく、王家や大公家は必死になるはずだ。
自分たちの家に、血脈に、失われた光属性を取り戻す機会が生まれたのだから。
ただ、なりふり構わないとか手段を選ばないといっても、さすがに限度はある。
なるべくことを大きくせず、正当性が揺らがない範囲で、王家の、貴族の根幹が守られる方法によって、それを実現させようとするはずである。
もっとも強引で確実なのが、男爵家から奪って養子に取ってしまうこと。
次点で、婚約者をあてがい全力で取り込み、囲い込みに走ることか。
探せば他にも手段はあるかもしれない。
だからこそ、こんな馬鹿げた工作でも、男爵家の大人たちはやると決めた。
あと二年。
ティルが考えていたタイムリミットとしてのあと二年。
ルキウスが必要とする、安全のためのあと二年。
意味合いは違えど、二年後を待てない理由が生まれてしまった。
それはティルにもたやすく想像がついた。
いくら伝手があったとしても、光属性の術式を用意するのは難しい。
ゲイリオスが貴重な資料や詠唱、呪文についての知識を持ち出せたのは、失伝していた属性を復活させたい誰か、あるいは派閥があったからだ。
だからゲイリオスは光属性の魔術の復活について仔細を報告する義務を負っていると思われる。
少なくとも隠蔽はできまい。
元宮廷魔術師という立場上も、その性格からも、王宮に伝わるのは時間の問題だった。
ラグラン男爵家は貧乏で、政治的な立場も強くない。
魔獣の跋扈する魔の森との隣接地域であるがゆえに、王国はラグラン領は持て余していると言われる。
繁栄も活用もしづらいくせに、放任するのも危険な立地なのだ。
だからこそ年に数回、ティルの父ラグラン男爵は王宮へと招かれるし、そこで詳細な報告を求められる。
面倒な土地だからこそ、宮廷政治にいそしむ高位貴族は関わらないが、かといって捨て置かれもしない。
数や頻度は少ないだろうが、定期的に目と耳は向けられているはずだった。
行動するなら早ければ早いほど良く、それはまさに今日、今すぐである。
ルキウスを守らなければならない。どんな手段を用いてでも。
これが最優先事項である。
この認識は、ラグラン家の領主である父も、母も、あるいは暗躍しているであろう子爵も同じだったのだろう。
お披露目のあと、母がした提案に父は頷くしかなかった。
繰り返すが、今もっとも優先しなければならないのは、ルキウスをラグラン家から奪われないことである。
そのために、無能な長男の立場は――名前は使える。
「すまぬ」
父が繰り返すのを、ティルは肩をすくめながら眺めた。
これから、ルキウスは対外的にはティベリウス・ラグランを名乗るのだ。
ルキウスはまだ五歳だ。貴族として登録できるまであと二年かかる。
それゆえ他家に、特に王家から召し上げる形で強制的に奪われる危険がある。
一方、ティベリウスはすでに去年、貴族として名前を登録されている。
だから。
まだ五歳のルキウスに、八歳のティベリウスの名を使わせる。
これが母の提案だった。
これなら婚約者をあてがわれるか、婿入りを熱望されることはあっても、ラグラン領から引き離される可能性はほぼない。
誘拐されて他家の養子に勝手にされる、といったリスクも減る。
こう熱弁されて、父はゲイリオスに相談した。先生は苦々しい顔でそれを有効だと認めた。
と、こういう経緯であった。
うまくいくわけがない。稚拙な誤魔化しだ。大人たちは正気なのか?
それがこのクソみたいな作戦を聞かされたティルの第一印象だったが、父も、あろうことかゲイリオスもこれに賛同したらしい。
こんな虚偽、うちの領地で情報収集されたら一発で露見する。
ミステリ小説でたまにある叙述トリックでもあるまいし。年齢差がある兄弟の一人を隠して、もう一方を兄と誤認させようだなんて、誤魔化しきれるわけがない。
そもそも登録した名前の当人と弟を入れ替える時点で、王国の貴族制なり登録制度への重大な背信行為になりかねない。
万が一これが発覚すると、よりまずい事態に陥るのではないか。
そう考えたティルだったが、真面目な顔をして話す両者に確かめると、本当に実効性のある手段と見込んでいるらしい。
ティルは笑うしかなかった。
なるほど、届出制かつ登録制であるから、経歴ロンダリングしやすい穴があると考えていたのは間違いではなかった。
むしろ貴族家においては存分に活用しているテクニックとして、常識の部類に入る手法らしいのだ。
だからこそ大至急ルキウスの保護と隠蔽工作が必要であるのだと。
そのために貴族として登録済みのティベリウスの名前と立場を使うのがもっとも容易で素早くて都合が良い。
これこそが最善手であると、貴族社会の風習や慣例、そして危険性に詳しい関係者が雁首揃えて出した結論だった。
それが通用する社会というか文化であることにティルは頭を抱えた。
心の底から呆れたが、色々な感情を飲み込んで、なんとか笑ってみせた。
自分は選ばれなかったのみならず、自分自身の名前を――存在を奪われる運命にあるらしい。
罪悪感だか無念さだかを抱いている父も先生もそれを良しとしたわけだ。
父は語った。
なにも永遠に名を譲るわけではない。
二年で良い。
二年が過ぎれば、ルキウスは己の名前で貴族として登録できる。そのとき改めて事実を公表すれば良い。
だからそれまで、弟を守るために、名を貸し与えてはくれないか。
そうしてティルは二年間、名前を伏せるなり偽名を使うなりして別人となり、ラグラン家とは遠く離れた他領で暮らす。
一方で、この家で暮らす弟ルキウスを、父も母も家人たちも、口裏を合わせてティベリウス・ラグランとして扱う。
すべては家を、領地を守るためである。
弟の体を、将来を、ラグラン家の未来を守るためである。
ティルには、父の必死の求めを断る道理が見つからなかった。
せめてティルがわずかにでも魔術行使が可能であれば、魔力不全症なる厄介な体質なり病気でなければ、もっと他の可能性や手段を模索していただろう。
しかし、今のティルは落ちこぼれであり、お荷物である。
男爵家の禄を食む貴族として、ラグラン男爵の長子として、才能ある弟ルキウスの兄として。
あらゆる立場から、父の申し出を受け入れる以外の選択肢がなかった。
もっとわがままを言っても良い、と父はいった。
ティルは固辞した。言葉こそ父をおもんぱかるものだったが、どこか冷水に足をつけたような心持ちであった。
嫌です、と一言で断ることもできた。
思いつく限りの罵倒、罵詈雑言をぶつけてせめてもの溜飲を下げることも可能だった。
が、それでルキウスの、あるいは男爵家に降って湧いた面倒な問題が解決するわけもない。
最終的に誰かが、つまり自分が泥をかぶる以外の道はなかった。
もう一度父の悲痛そうな表情をゆっくりと眺めた。
なるほど、と思った。
不意にティルは全身から力を抜いた。
この八年間の、長いようで短い自分の人生の出来事が、ダイジェストのようにティルの頭をよぎる。
握り込んだ拳に力を込めたのはほんの一瞬で、それから、頭の奥の方に氷が差し込まれたように冷えていく感覚に身を任せていた。
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