第11話 代わりとして
「廊下でする話でもなかったですね」
「う、む」
じたばたしても鶏は跣足、もとい時間と労力の無駄である。
母が提案し、父はそれを最善と考えた。
それで終わりだ。
王国法や宮廷にも知見あるゲイリオスが腹案を出さなかったのであれば、これが一番有効であることも想像がつく。
ティルには彼らの決定を覆すだけの権力も、理屈も、熱意もなかった。
だからせいぜい父の申し訳なさそうな顔に合わせて、少しでも罪悪感を増やしてやろうと殊勝な態度をみせている。
こういう対応をしているから、先生から賢しいと言われるのだ。
俯いたままのティルは、かたわらのパテルを横目で盗み見た。
彼女は、顔色の悪い先生よりなお青白い顔で、無言をつらぬいていた。
立場上口を挟める状況になかったこともあるが、ティルへの心配でそれどころではないのかもしれなかった。
窓から差し込む光の角度や色、そしてまばゆさが変わってゆくのを、その影の移り変わりで気がついた。
また、どれくらいの時間が経ったのだろう。
断れないと伝えたのだから話を打ち切られてもおかしくなかった。
父も先生も、どうしてかこの場を離れたりもしないし、場所を移そうと提案もしない。
ティルが次に何を口にするかを、辛抱強く待っているようだった。
仕方ない。ゆっくりと顔を上げた。
「父上」
「う、うむ……なんだ」
そこでようやく、父が先程語った言葉が思い出された。
「パテルは連れて行っても?」
「む……そこのメイドか」
父はパテルがティル専属であったことは把握はしていたらしかった。
少し考えてから頷いた。
「構わん。お前は男爵領から遠ざけねばならんが、苦しい生活をさせたいわけでも、苦労させたいわけでもない。世話役は必要だな。他に要望があれば、今のうちに言いなさい。出立の日までに急ぎ用意させよう」
「ああ、生活費は出してもらえると」
「何を馬鹿なことを。着の身着のままで追い出すわけがなかろう? 二年は帰ってこられないにせよ、生活に不自由させる気はない。……いや、すまん。これは不安にさせた俺の落ち度か」
父がしかつめらしい顔をするのを前に、ティルは目を細めた。
「他領とは聞きましたが、具体的にはどこに?」
「もろもろの事情を勘案するに、王都のある中央とも、ラグラン領、エンディール領とも関係が薄い地が良かろうとのことでな。少々遠いが、デルタモア伯爵領で暮らしてもらうことになっている」
「デルタモア伯爵領、ですか」
聞き覚えのない場所である。少なくとも隣接地ではないし、王都周辺の中央と呼ばれる地域のどれとも異なる地名であった。
父はこほん、と咳払いし、無言で佇むゲイリオスに目を向けた。
ティルの魔術の師は、眉間のシワをますます深くした。
「吾輩の出身地だ」
「え、先生の……あ、もしかして、閣下とお呼びしたほうが?」
「デルタモア伯爵は兄だ。吾輩は閣下などと呼ばれる身分ではない」
「……なるほど」
ティルはそれ以上深く突っ込むのを辞めた。今の会話の雰囲気から、あまり語りたくないことだけは察せられたからである。
「ラグラン男爵」
「……はっ」
「貴様の妻のたくらみに、吾輩を、そして弟子を巻き込んだこと。吾輩は許しておらんからな。覚えておけ」
「申し訳ございません」
「だが、あの才ある子も、貴様にとって大事と分かっておる。光属性の復活という重大事においては、この方法であれば、騒動が最小限で済むであろうさ。話の帰結次第では最悪の場合、戦争が起きかねんからな」
王家絡みなのが厄介ごとの度合いを増しているのだろう。
もとを辿れば自分のため、と思うと、ティルはここで口を挟めない。
ゲイリオスは、父を男爵として呼んだ。
親しい友人や知人ではなく、爵位で呼んだからには意図がある。
つまりこれは、宮廷魔術師としての見解も含まれているのかもしれない。
「ティベリウス・ラグラン」
「はい」
ゲイリオスは、ティルの名を呼んだ。
月末に家を出てしまえば、当面のあいだ奪われる弟子の名を。
「これから二年、吾輩はお前の弟の指導をせねばならぬ。事情が事情だ。知る者が少ないに越したことはなく、吾輩以上に関わっている魔術師はおらぬ。だが、あやつが力をつけたとき、もっとも不利益を被るのはお前だ。だからこそ、お前の望みを聞かねばならんだろう」
「……はい」
「吾輩は、お前の弟に魔術を教える。これについて思うところはあるか?」
「ないといえば嘘になりますけど、ちゃんと指導していただければ」
ゲイリオスは無言で、にらみつけるように、ティルを見た。
ティルは肩をすくめた。
「僕にとっては可愛い弟ですから。それに」
「それに?」
「ルキウスは……天才だったんでしょう? なら、せめて自分の意思で道を選べるくらいの力は身につけてもらわないと」
「……そう、だな」
いつかの会話が思い出された。
天才とは、選ばれたものである。
ルキウスは選ばれた。ティルはそうではなかった。
「デルタモア伯爵には吾輩から事情を伝えておく。不肖の弟子の面倒を見てもらわねばならぬからな」
「なっ、それは……ゲイリオス様!」
「ラグラン男爵」
「は、はい」
「まさか貴様、他領に送っておきながら、詳しい事情を教えずに長男を預かってもらえるだなどと、そんな愉快なことを考えていたのか?」
「いえ、その」
言葉に詰まった父を睥睨し、それから先生は小さく舌打ちをした。
「阿呆が。貴様より妻の方が政治に向いているようだな。作られた流れに逆らうと面倒が増えるのも目に見えている。厄介なことよ」
不快感を隠そうともしない先生だったが、用意された盤面をひっくり返すつもりはないらしい。
それは誰のためなのか。
旧知の父のためであり、教え子であるティルのためだろう。
ティルは目を逸らし、聞かなかったことにした。
面罵された父は言い返すこともなく、わずかに肩を落とすばかりだった。
言いたいことを言い終えたのか、ゲイリオスは振り返りもせず去った。
残された父は気まずそうにティルを見たが、必要なものがあったら用意するから早めに伝えるように、と繰り返して、背を向けた。
ティルの隣に、パテルが残った。
「ティルさま」
「ああ、ごめん。勝手に連れて行くことにしちゃったけど。……どうしても嫌なら誰か別の使用人に声を掛けるよ」
「いえ、一緒に行きます。それよりも」
「なに?」
パテルはしばらくのあいだ、言葉を探していたようだった。
そのうち諦めて、ティルの正面に向き直った。
それから、ゆっくりとティルのことを包み込むように抱きしめた。
パテルが耳元でささやく。
「泣かないんですか?」
「ははっ。泣きたい気分ではあるけど」
「もう、誰も見てませんよ」
「パテルが見てるし」
「わたしは、いいんです」
「うん」
「ティルさまは、ティルさまは! 子供らしく、泣いていいのにっ……」
「うん」
ティルは泣かなかった。
パテルの表情は見えなかったが、涙声なのは分かった。
「どうして、あんな勝手な……旦那様も、ゲイリオス様も、奥様も……どうしティルさまを、こんな」
「ねえ、パテル」
「はい……」
鼻水をすすり、しゃくりあげながら、パテルが返事をする。
ティルは自分たちの姿が映り込んだ廊下の窓ガラスを見た。
パテルは優しく抱きしめているようで、逆に、すがりついて泣いているみたいな姿にも見えた。
「僕は選ばれなかったみたい。魔術にもそうだけど、母からも」
「はい……」
「だから今、ルシウスのことが、ちょっとだけにくい」
「あたりっ、まえですっ……」
「でもね、パテルがこうして僕のために泣いてくれたから、まあいいかなって」
「なん、でっ」
「さあ、なんでだろうね」
泣きじゃくるパテルが落ち着くのを待って、二人で部屋に戻った。
予告された月末は、数日後に来てしまう。
それからの日々は忙しかった。旅支度もそうだが、生活の場を変えるにあたって何を用意すべきか、どれだけの量を持っていくかの混乱もあった。
遠方で暮らすのだ。まだ幼い息子の世話役は複数必要だろうと父ラグラン男爵は考えたらしいが、パテル以外の使用人は誰もついて来たがらなかった。
当然ではある。状況的には追放処分としか見えない。
そんな先行き真っ暗なティルのため、家族のいるラグラン領を離れてまで働こうとするものはいなかった。
父は激怒した。
露見した使用人たちのティルに対する扱いにも、自分の命令に積極的に手を挙げない配下の熱量にも不満を抱いた。
だが、今更でもあった。
ティルからすれば、嫌々ついてこられても面倒が増えるだけなのは目に見えていた。
だから、パテル以外は同行不要と謝絶した。
月末までの短い日数のあいだ、ルキウスが部屋を訪ねてくることはなかった。
兄が家を出されることを、弟は知らないのかもしれない。
もし知っていたら、泣き喚いて全力で引き留めようとするだろう。ティルも、それくらいには弟に好かれている自負がある。
嘘を教えられているのか。あるいは行動を制限されているか。
なんにせよ、旅立ちの日まで、ルシウスと会う機会はなかった。
母も顔を出さなかった。
多少なりとも期待してしまったのは、未練かもしれない。
代わりに多忙な父が何度も訪ねてきた。これまでの過去の、あるいはこれからの日々の埋め合わせをするように。
ただ、そう頻繁に訪ねてこられても若干困る。
準備で忙しいのもあるし、何を話せば良いのか、話題にも困った。
父と子の心温まる会話に興じるには、いささか遅すぎたきらいはあった。
無難な世間話か、ティルに望みはないかと聞くばかりで、実のある会話には程遠かった。
今更ながら焦ったように距離を縮めようとする父の姿に、ティルはなんともいえない顔をして相槌を打っていたが、そのうち応対は雑になっていった。
ゲイリオスもまったく顔を出さなかった。
気まずさを感じないわけではないだろうが、そうしたことに長々と頓着する師でもあるまい。
本当に時間が取れないのだろう。
本業から離れたはずの先生がいま忙しくしている原因は、ルキウスであり、光魔術であり、母であり、ラグラン男爵家の混乱によるものである。
問題を縮小する工作のために、家庭教師という役割を大きく超えて手を貸してもらっている、と言い換えても良い。
あるいは普段は領内を巡回して家を空けていることの多い父の代わりとして、領地を巡ってくれているのかもしれない。
ともかく、先生のことだ。
最後に見送りくらいはしてくれるだろう。
パテルが文句を言っていたが、ティルは気にもかけなかった。
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