第35話 一つの結末
ティルの問いかけに、襲いかかってきた弓使いは黙り込んでいる。
質問の意図をつかみかねているのか、先程のやり取りで最大限に警戒されてしまったのか、とにかく情報を抜かれまいとしているようだ。
意図は分からずとも、質問そのものは単純明快である。
弓使いの返答は殺意のこもった矢ではなく、戸惑いを隠しきれない声だった。
「どういう意味だ?」
「そもそも、あなたたちは誰を殺そうとしているんでしょうか」
「うん?」
聞き返されたのは、あたしを馬鹿にしているのか、といったニュアンスが込められているらしい。
ティルとしても人違いで殺されてはたまったものではない、と言い返した。
「あたしを引っ掛けようとしていないか?」
「いえ、そんなつもりはないですが」
「信じられない」
「でも、最初に襲ってきた行商人のフリしたひとも、問答無用でしたし」
「……む」
悠長な会話だ。こんなことをしているあいだにも、瀕死のパテルは刻一刻と死に近づいている。
だが、とぼけた会話にしないと、一方的な狩りが再開されるだけだろう。
こうしてティルのペースに持ち込んでいるうちは、途中で矢を射掛けられるリスクは少ないとみた。
相手が年若い女性であったのは不幸中の幸いだった。最初の襲撃者ほど殺意に徹しきれていない。
話して良いものか、話すべきかを迷っているのが、沈黙から伝わってくる。
「いいだろう。話してやる。納得したら、素直に死んでくれるか?」
「聞いてから考えますけど、納得したらそれもやぶさかではありません」
「よし」
ティルは素直に死ぬつもりなどなく、たぶん納得もしないのだが、ここで反論しても時間の無駄である。
一応の言質を取れたことに満足したのか、弓使いは自分が聞かされた予言について口を開いた。
「ティベリウス・ラグラン。それがお前の名前で間違いないな?」
「……ええ」
違います、と嘘をつくこともできたが、事態は改善しないだろう。
最初の襲撃者のためらいのなさからして、どこかで裏を取ってから襲撃地点を選んだはずだ。
子爵領に入ってからか、あるいはその前から調査、追跡されていたと考えられる。
ただ、宿帳に記した名前も、道中での互いの呼び名にも気をつけていた。
余人がいない場面でティル様とメイドが口にしたこともあったが、それが聞こえる距離に隠れ潜んでいたのなら、騎士コンプリスが気づいただろう。
「ん? ああ、それはお前たちと一緒にいたあの裏切り者……御者をやっていたコウモリ男が夜中に宿を抜け出して、怪しげな連中と話している姿を見た。コウモリ男が宿に戻ったあと、去ろうとする連中を捕まえて情報を搾り取った」
ティルの疑問に気づいたらしく、すぐに答えも教えてくれた。
互いに姿も影も見えない位置関係であるのに、声や間の取り方ひとつでも伝わるものだ。
気をつけよう、とティルは嘆息した。
それにしても、御者サルコルは本当に面倒なことをしてくれた。
おそらくはエンディール子爵家の間諜と推定されるが、確証はない。いま話に出てきたサルコルの仲間は、弓使いたちによってすでに始末されているだろう。
状況から考えるに、サルコルは本当の雇い主に状況の報告をしていた。
隙あらばティルの殺害も狙っていたが、護衛もいるため無理をするつもりはなかった。
しかし殺害対象のティルを追っていた弓使いたちがおかしな動きをしたサルコルと、その連絡役に目をつけた。
馬車旅をするそれらしい集団でしかなかったティルたちが、ティベリウス・ラグランとその一行であることが、ほんの数日前に確認された。
だから今日、この場所での襲撃が発生したわけだ。
巡り巡ってサルコルの死を導いたのは、彼自身の行いであった。その事実がアホらしくて、ティルは少しだけ溜飲を下げる。
「それで、予言とは?」
「あたしが聞いたのは、『大いなる災いの兆しあり。これを防がんと欲すれば、ラグラン男爵家に生まれしティベリウスなる男子に死を与えよ』って予言だ」
「……へえ」
「大いなる災いは防がなければならない。前回同じような予言があったときは王国中が荒れに荒れた。数百人以上の死者も出て、内乱一歩手前というか、反逆者の家系が根絶やしにされたそうだ。百年以上前の話だ」
聞いた、と彼女はいった。予言の魔術があるのか、あるいは、魔術以外の何らかの超常の力によるものか。
どちらにしても、その予言のシステムは百年単位で維持され、運用され、しかも実績付きときた。おそらく闇属性がタブー扱いされる原因になった、とゲイリオスが語っていた王国内の騒乱の話だった。
語られた内容と、必死さの理由は理解できた。彼女の一族、あるいは属する組織にとって予言は絶対なのだ。
前回の災いで数百人単位の死が記録として残ったなら、ティルを殺して災禍を防ごうとするのは正しい。
最大多数の最大幸福。あるいはトロッコ問題という見方をしても良い。
トロッコ問題なら、数の多寡、あるいはその場にいる自分がレバーを引くかどうかが議題になる。
現状に照らし合わせると、ティルを殺せば他多数が死なずに済む、となる。
為政者であれば一択の問題だし、予言を信じる人間ならば必死にもなるだろう。
ティルとしては勝手にされた予言で自分の運命を、あるいは命を天秤にかけられてたまったもんじゃない、が本音であった。
「それで……僕が死ぬことで、どうして災厄が防げるんです?」
「さあ」
「無責任ですね」
「安心していい。これまで、誰かの死によって災厄を防げると予言されたとき、それは間違いなく正しかった」
予防とはそういうものだ。防ぐべくして行動したから防げたと、その予防を行ったものは胸を張る。
いつか火事が起こるからと、火種もない場所に水をかけて、火事を防いでやったと恩着せがましく語られている。
そういう気分になる。
「自分たちは、まだ起こってもいなかった災禍を、他人の命を生贄にすることで防いであげた……と、そう主張したいわけですか」
「事実だ」
「もしかしたら、そのひとが死ななくても、放っておいても、最初から災いは起こらなかったかもしれないのに?」
「あたしたちの一族を愚弄するか」
交渉決裂はなるべく先送りにしたかったのだが、妥協のしようがない。相手が欲しているのはティルの命で、ティルはこんな理由で死にたくはなかった。
「たとえばその災いが、あなたが死ぬことで防げると予言されていたのなら、あなたは素直に死を選びました?」
「もちろん」
即答だった。
ティルは、言葉ではなんとでも言える、と反論しかけて、やめた。
本当に死を選びそうな、もう手遅れの空気感が漂っていたからである。
「納得しなかったみたいだな。じゃあ」
死んで、と彼女が矢をつがえたまま回り込んで来そうだったから、ティルは反撃用に取っておいた言葉を投げ返した。
「ちなみに。死ぬべきティベリウスとは、どっちの?」
彼女の語った予言を聞いた瞬間、疑問が生じたのだ。
そもそも予言なんて曖昧なものに対して信を置くというか、無謬性、信頼性が担保されているのか、という根本的な疑いもあるのだが、さておき。
――大いなる災いの兆しあり。
これを防がんと欲すれば、ラグラン男爵家に生まれし
ティベリウスなる男子に死を与えよ――
という文言自体も、ティルには疑念の対象だった。
まず誰がした予言で、どのような仕組みであるかがわからない以上、これは出所不明の怪文書に過ぎない。
大いなる災いが誰にとっての、どの程度の、どんなものなのか、それが具体的に示されていないのも腹立たしい。
たとえば予言者にとっての災いなら、自分の家が燃えるであるとか、自分の所属する組織、団体、一族が大勢死ぬ、といったものかもしれない。
死人は出ずに、全財産を失う、であっても災いといえるだろう。
その場合、見ず知らずの他人の一族に降りかかる災いを防ぐために、なんでティルが死なねばならんのだ、という話である。
知ったことではないのだ。
そもそも予言の言葉を受け取るプロセスすら把握していない。
頭の中に浮かぶのか。
それとも神のような何かから天啓や預言の形で、このままの文面で伝わるのか。
あるいは曖昧なイメージを予言者が脳内でそれっぽく自分の理解しやすい言葉に変換しているのか。
「どっちとは?」
「僕かもう一人か。予言の対象は、どっちのティベリウスなのか」
解釈を間違っている可能性。伝達を失敗している可能性。受け取った言葉を他人に教える際にあえて嘘を混ぜる可能性。
疑おうと思えばいくらでも疑える。
本当はそんな予言がなくても、自分に不都合な存在を一族なり組織の力で消すために、予言という体裁で虚偽を語ることだって可能だろう。
たとえば予言者が物語の悪役みたいなエロ親父で、部下の少女相手に、災厄を防ぐためには自分、すなわち予言者に抱かれなければならない、みたいな卑劣な偽予言を語ることだってたやすいのだ。
さすがに無理か。あからさまな虚言は出来ないよう、なんらかの対抗手段はあるかもしれない。
しかし予言の文言を知ることが予言者のみの特権であれば、語る言葉に嘘を混ぜ込むことも、あるいは嘘ではないが別方向に誘導することもできる。
予言そのものへの疑義は他にもある。が、話が逸れた。
いま大事なのは、彼女が聞かされた予言がすべて正しかった場合ですら、間違いが発生しうるという事実である。
「……は? ティベリウスがふたりいる?」
「やっぱり知らなかったんだ。だとしたら僕を殺しても無駄かもね。もし予言が正しかったとしても、殺すべき対象を間違っていたら最悪の事態になる。ティベリウス殺しは災厄を防ぐための崇高なる使命か、さもなくば人違いで無辜の子供を殺しただけの……冷酷な殺人鬼の所業になるか」
饒舌に語りだしたティルの言葉に、彼女は耳をふさげない。
「なにを、いって」
この状況を想定していたのか、あるいは単なる偶然か。
見知らぬ誰かの深謀遠慮か、完全な予想外の闖入者であったのか。
ティルの置かれた状況も含めて、何もかもがややこしい。
とにかく、今この瞬間、ティベリウス・ラグランは二人いるのだ。
ここにいる、己の名を弟に貸し与えた名無しのティベリウス・ラグランと。
兄の名を預かり、生家ではティベリウスと呼ばれているルキウス。
ラグラン男爵家に生まれし、ティベリウスなる男子。
はたして問題の予言は、兄弟のどちらについて語っているのか。
「というか、そもそも今の僕はティベリウス・ラグランじゃないのか。いや、ティベリウス・ラグランではあるけど、予言の対象かどうかは議論の余地があるな」
「え……は……?」
「名無しの子供を殺して予言された災厄は防げるのか。うーん、興味深い」
「おまっ、おまえ、なにを!?」
細かいことは語らなかった。ただ、現時点でティベリウス・ラグランの名を持つ少年が二人いる。
それさえ伝われば良かったし、一拍遅れて理解されたようだ。
今後、弟の安全が脅かされる危険性も鑑みるに、おそらくまだ知らなかったであろう彼女にこれを教えるかどうかは逡巡した。
結局ルキウスも狙われる。これは当然の帰結だった。
これから二年間、弟は対外的にはティベリウスと名乗るし、そう呼ばれることになるからだ。
であれば、この予言者の一味はまた動き出すことになるだろう。
そして、いずれ生じる弟の危機に対して、ティルは一切の介入ができない。そのときには死んでいるからである。
政治的な危険回避のために無力な兄の名を貸し与えたら、逆に、予言なんて怪しげで身勝手な理由で別種の危機が生じるとは、まったく皮肉なことだ。
ティルはくすくすと笑った。
笑っている場合ではないことは重々承知だが、それでもこみ上げてくる笑いをこらえきれなかったのだ。
もちろん、状況は改善していないことなんか分かりきっている。
むしろ悪化した。
しかし、ティルにはこれくらいしかやりようがない。相手の混乱に付け込んで何らかの起死回生の一手を見出すしかなかった。
だが、それも限界らしかった。
あるいは薬が効きすぎてしまったというべきか。
「もういい! 二人いるのなら両方とも殺せば良いだけだ! これ以上お前の話を聞いていたら頭がおかしくなる! これ以上あたしを惑わすな! お前なんか最初からさっさと殺しておくべきだった!」
これまで弓使いはティルの前に姿を晒すことを徹底的に避けてきた。
そんな彼女が、足音を殺さず、どんどん迫ってくるのが分かる。地を蹴り、落ち葉を避けずに踏みしめて、一気呵成に突っ込んでくる。
自分への対抗手段を持っていないことを見切られたのだ。出方を窺う消極的な姿勢は終わったのだ。
事実、物理的に攻撃されれば、ティルには手のうちようがなかった。
怪しげな物言いと警戒を煽ることで舌戦に持ち込んではみたものの、反撃、あるいは逆襲できるだけの要素は見つからなかった。
援軍なしの籠城みたいなものだ。
勝ち目もないのに粘っていた。
「死ね、ティベリウス!」
あからさまな足音に、ティルは反射的に逆側へと退避しようと試みた。
舌戦なら圧倒できても、殺し合いなら相手に分がある。
敵は狩人で、ティルは狩られる運命にある獲物にすぎない。
咄嗟に逃げた方角には、黒ずくめの弓使いが待ち構えていた。
怒りに身を任せた風の声を発しつつも、行動は冷静だったようだ。
ようやく姿を見ることができた相手の得物は、持ち運べるクロスボウか、巨大な長弓か、それとも隠し持てるサイズの短弓か。
それすら分かっていなかったが、実際に目にできたのは、ナイフ片手に一瞬で距離を詰めてくる人影だけだった。
心臓を一突き。
美しい軌跡を描いて、彼女の手に握られた刃がギラリと輝く。
刃物が己の肉体に突き刺さる感触は、痛みより先に恐怖が、苦しさよりも先に怒りが生じるものだった。
「子供を殺すのは気分がいいものではないな……。悪く思うな。お前の死が、大勢の命を救うのだから」
ティルは彼女の目を見た。
彼女は、目を逸らさなかった。
それからティルは目線を下げ、胸に突き刺さったナイフを見ようとした。
深くまで押し込まれたナイフの柄しか見えない。最期に文句のひとつも言ってやろうとするが、思うように喋れなかった。
足は動くが、逃げ切れる気もしなかった。飛び出そうとした勢いのまま、無意識にあとずさるだけだった。
死が迫っている。あんまりにも綺麗に心臓を刺し貫かれたせいか、血はあんまり出ていない。
ナイフを抜いたら吹き出しそうで、柄に手を伸ばす気もしない。
自分の終わりを実感しながらも、ティルはなんだか落ち着いていた。
パテルとお揃いだ、と思った。
そういえば、パテルはどうなったのだろう。
自分はもう助からないけれど。
この弓使いが、ティルを殺したことに満足して、お付きのメイドの命までは取らないでやろう、と考えるはずもないと分かっているけれど。
自分のせいで。
巻き込んでしまった。
せめて、どうか、苦しまずに。
考えがまとまらない。世界が暗く見える。なんで。こんなところで、どうして殺されなきゃならなかった。
やがて心臓が停止する。他者の死を見慣れているのだろう。ティルの死を確信した黒ずくめの弓使いが、そっと近づいてくるのが、なんとなく感じ取れる。
「てぃる、さま……」
幻聴だろうか。
とっくに意識を失って、あるいはすでに死んでしまったとばかり思っていたパテルの声が聞こえた。
いや、気絶していただけで。瀕死なだけで。
彼女はかろうじてまだ生きながらえていたのだ。
それももう終わりだ。
ティルの完全な死亡を確かめようとしていた弓使いが振り返った。
声の発声地点を見下ろした。
やめろ。なんで。
お前が殺そうとしているのは、殺さないといけないのは、殺す必要があるのは、ティベリウス・ラグランただひとりじゃなかったのか。
もはやティルは死んでいる。
失いつつある意識の白くぼやけていく。なのに思考だけが靄のように自分の死体の内側に残っている。
急に気づいた。
パテルは最期まで、命尽き果てるその瞬間まで、ティルを守ろうとした。
弓使いはそれに反応した。
そして死にかけのメイドを、放っておけばそのうち死ぬ憐れなパテルを、自らの手で容赦なく殺すのだ。
そんなことは許されない。
赦すものか。
「たけきほのおよ」
ティルは忘我のままに、自分に背を向けた弓使いへと杖を向けた。
いつ手にしたのかも分からない。覚えていない。
ただ、ひどく自然に、杖を振るった。
「われのさししめしたるものを」
声は出ていない。別に、それでも構わない。詠唱は、自分にさえ聞こえればそれで十分だから。
「みな、もやせ」
背後の異常に気づいたのだろう。今まさに、パテルにとどめを刺そうともう一本の短剣を振りかぶっていた弓使いが、凄まじい反応速度で振り返った。
その顔には驚愕が、それ以上の恐怖が見て取れた。
死体が動いていた。
魔術の言葉を唱えていた。
そして、死体が、自分を冥府へと引きずり込もうとしている。
それを認識してしまったがゆえの硬直であり、反応であり、絶望だった。
もう遅かった。
ティルは呪文を唱えた。つい先程、発動しなかったはずの魔術を。
魔力不全症により、彼には決して行使できなかったはずの魔術を。
二度目の死の感触。
心臓を穿たれたこと。
大切な人間を失ったこと。
もはや何が原因だったのかは分からない。
しかし。
彼の魂からの怒りが。長らく封じられていた凄まじい力が。
無力を強いる軛から、ついに解き放たれたのだ。
「《砲火》」
逃げようとした黒ずくめの襲撃者は、一瞬で巨大な火柱に包まれた。その光景を目に焼き付けながらも、ティルの意識は溶けるように失われていった。
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