第32話 四つの理由
すべてが一瞬の出来事であった。
直後、馬車ごと暴走した馬に衝突されて、すさまじい音があたりに響きわたる。
車輪や部品や荷物が盛大に飛び散るなか、コンプリスは横に転がった。
受け身には成功したようで、ダメージはなさそうだ。
態勢を先に整えた暗殺者が、慌てて身を起こしたコンプリスに向けて攻撃魔術を繰り出した。
「《火矢》」
客室付きの馬車は原型を留めていて、その巨大な箱型の物体が吹き飛ばされた勢いで転がる。
乾いた地面が巻き上げられて、砂埃や土煙で視界も良くない。また距離の分だけ魔術師の方が有利だろう。
砕けた馬車の一部と飛来する火矢の魔術をコンプリスがわずかな動きで回避し、反撃に出ようとする。
それよりも素早く再詠唱された火炎魔術が、ティルを狙った。
「《砲火》」
パテルに抱きとめられたかたちで馬車から脱出したのだが、彼女はコンプリスのように荒事に慣れているわけではない。
小さく苦痛の声を漏らした。
強引に馬車を飛び出たせいもあり、足をくじいたらしい。
ティルも、そんな献身的なメイドを見捨てて逃げ出せない。
パテルを引っ張り、ちょうど目の前に転がっていた馬車の陰に身を潜めていたのだ。
その動きを暗殺者は見逃していなかったようだ。
暗殺者の狙いがティルの死であるならば、コンプリスを倒す必要はない。
隙を見てティルに致命傷を追わせれば済む話だった。
敵を倒すことを優先するか、領主の長男を守る使命を遵守するか。
コンプリスは前者を選んだ。
結果的には正しい判断だったのだろう。
速度重視で使われた攻撃魔術は威力はさほどでもなく、馬車の残骸を盾にしたことで直撃も避けられた。
もちろん無傷ではない。
ティルは飛んできた木片によりかすり傷を、パテルは驚いた拍子に動いてくじいた足をさらに痛めたが、その程度で助かった。
奇襲の優位性がなくなった。コンプリスは射線を意識して、回り込むようにして暗殺者へと近づいてゆく。
ティルを人質に取れない状況とれば、実力勝負になる。
最初のうちは一進一退の攻防が続いていたが、相手にはこれ以上の隠し玉はなさそうだった。
上級貴族並に魔力量が多いとか、上級魔術を連発してくるなら話は別だが、あくまで魔術を使える暗殺者にすぎなかったらしい。
騎士は剣一本と身のこなしで攻め立てる。
暗殺者はナイフと攻撃魔術を駆使して立ち位置をコントロールしようとした。
結果的に、確度と距離の奪い合いになった。
コンプリスとティルの位置が重なるタイミングさえ用意できれば、そこに大威力の攻撃魔術を放てばよい。
たとえば、先ほど使われた《砲火》のような、狙った地点で爆炎を引き起こす呪文でも十分だし、それ以上の威力がある魔術を隠し持っていないとも限らない。
逆に《火矢》では牽制にしかならず、魔力の浪費になりうる。
無尽蔵の魔力があれば連発してくるだろうが、それもない。
逆算すると、中級以上の魔術は使えてあと一発か二発で、その機を窺っていることになる。
暗殺者の勝ち筋はわかりやすいが、騎士がそれを許す動きをしなかった。
相手が正しい意味での魔術師であったならば、結果は違った。
こうなった以上、邪魔さえ入らなければ負けはない。
この場面での邪魔とは、たとえばパテルや御者サルコルがパニックに陥って、変な動きでコンプリスの集中を妨げたり、あるいは敵を利する行動をすることだ。
そういえば、とティルは周囲を見回した。
あの吸血コウモリめいた、黒い御者用コートの姿が見えない。
恐怖からどこかで縮こまっているだけならよいのだが、と不安になりつつ居場所を探す。
いた。
怒りと恐怖と困惑と憎悪が全部入り混じったような歯を食いしばった顔で、コンプリスにも暗殺者にも見咎められない位置の木陰から、戦いの趨勢が決まるのを待っているようだった。
それはそうだろう。
自分の大事な商売道具の馬車を破壊されたのだ。それはそれとして戦闘中の現場に近づくほど剛毅でもない。
これからどうしよう、みたいな迷いも表情から覗いた。ただ、余計なことはしなさそうなので一安心である。
ティルの見立て通りに、騎士コンプリスは暗殺者を的確に追い詰めていった。
やがて対抗手段を失い、ついに暗殺者は倒れた。
行商人の格好をした男の首に剣を添えた状態で、コンプリスは声を低くして問いかけた。
「誰からの依頼だ? なぜこの馬車を……いや、あの子を狙った。我々の居場所や移動ルートをどうやって調べた? 死にたくなければ、早く答えろ」
圧倒的に不利な状況でも、暗殺者は無言だった。ここまでも、詠唱と呪文以外の音声を一切発していない。
ティルにも分かったくらいだ。
コンプリスならもっと不審に思ったはずだ。
この状況では黙っている理由があまりない。
嘘を言うこともできるのだから。
「私が殺さないとでも思っているのか? それとも援軍のあてがあるのか? ……ここから逆転できる方法があるとでも?」
暗殺者は表情を変えなかったし、何も答えなかった。
あるいは小銭で雇われた自称魔術師の冒険者という線もありえたが、それなら命乞いくらいするだろう。
誰に雇われたのか。どうやって調べたのか。
なぜティルが狙われたのか。
「素直に話すようなら命だけは、と思ったが、仕方ない。できれば背景を知っておきたかったが……こうなると、この地の領主に渡すのも危険か。悪いが、貴様には死んでもらう」
壊れた馬車の物陰から状況を窺っていたティルは、騎士コンプリスの判断を妥当なものと思った。
先生からの教えにもあった。
魔術師相手には、口が動く限りはどんな窮地からでも油断してはならないと。
魔術師と敵対した場合、決して容赦してはならないと。
殺される瞬間、恐怖を目に浮かべるでもなく、命乞いをするでもなく。
商人風のいでたちをした暗殺者は、今から自分を殺そうとする騎士ではなく、遠くからおそるおそる状況を見守っているティルへと目を向け、叫んだ。
いや、叫ぼうとした。
「お前は! 死の運命に――」
カッと目を見開いた男の首が転がった。
苦い顔をして、コンプリスは剣を振ると、刀身の血を払った。つい反射的にやってしまったらしかった。
それまで無言を貫いていた暗殺者だ。
繰り言であっても最後まで言わせれば、背景が多少は見えていたかもしれなかった、と考えたらしい。
仕方のないことだ。相手は魔術師で、詠唱や呪文の可能性があった。護衛の立場からすれば当然の行動だろう。
ひとつだけ確かなのは、あの暗殺者はティルを狙っていたことだ。
最後に発した言葉の意味はよく分からなかった。
殺す予定の相手、死んでほしい相手に告げる言葉としてはさほど違和感はない。
ないのだが、少し引っかかった。
お前は死の運命に、これに続く言葉は限られている。
死の運命にある。死の運命に魅入られている。死の運命に抗えない。
こんなところだろう。
普段聞くような言葉ではないが、暗殺の前後だから納得はできる。
ただ、ティルは首を傾げた。
雇われの暗殺者が吐く捨て台詞か?
利害によって差し向けられた暗殺者なのに、旗色が悪くても撤退も命乞いもせず、ティベリウス・ラグランの死を予告するために最期の時間を使った。
なんだか気持ち悪い感触があった。
それがなんなのかは分からない。疑問と不気味さだけが残っている。
あるいは、地面に落ちたあともじっとこちらを見つめている、あの凄まじい形相の生首のせいかもしれない。
生まれてこの方、他人の死を見たことも死体と接したこともなかったティルは、ひどく現実味のないその物体を、遠くからぼんやりと眺めていた。
危機は去った。
剣を鞘に戻したコンプリスは、すぐさま首を撥ねた死体の胴体側を調べた。
身元や依頼主が分かるようなものを持ち込んでいるとも思えないが、何もしないわけにもいかないのだろう。
探ったふところから財布やナイフ、水袋などを見つけ、見分している。
ティルの様子を確かめたり負傷の具合を聞くよりも、真っ先にあの暗殺者が何か隠し持っていないかに興味が向くあたり、あまり護衛向きの人材ではなかったのかもしれない。
ティルが動かずにいたせいか、真横でしゃがんでいたパテルが、足の痛みを我慢しながら立ち上がって、すぐに後ろからぎゅっと抱きしめてくる。
ティル様、怖かったですよね、と耳元でささやくパテルの手は震えていた。
目の前で見た命のやり取りが、よほど恐ろしかったのだろう。
そういう意味ではティルは落ち着いていた。
怖くはあったが、彼はパテルのように怯えてはいなかった。
懐に隠し持っている短杖のおかげかもしれない。
師の教えを感じられるし、この奇妙な感触も含めて、なんとなく心強い。
戦闘終了と、危険がないことが分かったおかげか、隠れて様子を窺っていた御者サルコルが姿を現し、ドタドタと大げさに足音を立てながら駆け寄っていく。
騎士コンプリスの近くまでいくと、二言三言しゃべったあと、足元に転がっている死体を睨みつけた。
怒りがおさまらぬ、といった様子で、思いっきりその脇腹を蹴りつける。
まさしく死体蹴りだが、気持ちはわからなくもない。
彼だって怖い目、死ぬような目にあったし、御者にとっては何よりも大事な馬車を壊されたのだ。
その原因である暗殺者が死んだとしても、怒りは収まるまい。
御者の振る舞いを見たパテルは目を丸くして、若干軽蔑した目をしているが、ティルはむしろ同情の方が強かった。
生者相手には被害額を回収する手段がありうるが、死人相手にはどうやっても賠償させられない。
彼にも生活があるのだ。
被った被害を考えると、やりきれないだろう。
コンプリスも最初は止めなかったが、さすがにやりすぎだとサルコルを制止した。
「だってよう旦那! この野郎のせいで、おれの馬車は!」
「気持ちは分かるが、落ち着け」
「ああっ! おれの大事な馬車……めちゃくちゃになっちまって……」
サルコルはわずかに原型を留めているだけの馬車を見た。
コンプリスもゆっくりとそちらに目を向けた。
ひしゃげた金属製のフレームや、砕け、飛び散った部品、外れてどこかに転がっていった車輪に、いつの間にか死んでいた馬と、一週間近くをともにした仲間が失われた気分になって、ティルもひどく無念を感じた。
「おれぁ……これから、どうすればいいんだよう」
怒りから一転、今度はひどく哀れみを誘う響きの声色で、御者サルコルが絶望したように嗚咽を漏らした。
くたびれた顔の中年男が人目も憚らず、顔を真っ赤にして、おいおいと声を上げて泣き叫んでいる。
これにはコンプリスも辟易した顔をした。
旅はいったん中断せざるを得ず、護衛を任じられた彼にとっても困る状況になった。
今後の旅路の足をどう用立てるか、それを考えねばならない。
どこかの町に立ち寄って違う馬車を用意するべきか、あるいは歩き旅に切り替えて先を急ぐか。
ティルとパテルの方をちらりと横目で窺った。
馬車でもあと一週間はかかる。
デルタモア伯爵領まで女子供を引き連れて歩き旅は無謀だと彼が考えたのが、目が合ったティルにも伝わってきた。
「若様! 賊は始末しましたが、これか」
若き騎士は、相談の内容を最後まで言えなかった。
彼の真後ろで大げさに泣きわめいていたはずのサルコルが、突如として飛びかかりコンプリスの首に短剣を突き立てたからである。
一瞬だった。
騎士は反応したが、遅かった。
咄嗟に距離を取りナイフの刺さった部分に手を伸ばしたが、抜くことを躊躇する。
位置がまずい。間違いなく致命傷だ。
慌てて引き抜けば、その分だけ死は早まると思われた。
「ひひっ、まったく。おれも運が良かったぜ。どうしたもんかとずっと思ってたんだけどよう、まさか別口が来てくれるとはな。おかげでおれへの警戒を忘れてくれたんだから、どこのどいつか知らねえがありがてえこった!」
泣きはらした顔のまま、サルコルがにんまりと笑った。
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