第30話 逃避
かつてよりゲイリオスは尊大であり、傲慢に見られることもあるが、わざわざ他人の恨みを買って回るほど暇でもなかった。
たとえば冒険者時代に誰も成功できずに賞金が馬鹿みたいに跳ね上がった厄介な討伐クエストを請け負ったことがある。
このとき、地元の冒険者たちがそのクエストのために一ヶ月以上の計画と準備をしていて、それをゲイリオスが先回りして巨大魔獣を打倒したことがあった。
彼らが魔獣のねぐらを見つけていたことも、その攻略のために武器や人数を集めていたことも、そのためにすでに多額の資金を使っていたことも知っていたが、一切の遠慮なく、こっそり一人で魔獣に戦いを挑みに向かったのだ。
魔獣退治のためにかなりの時間と金銭をかけていた彼らは、あてにしていた賞金を得られず、結果として、何人かは少なくない額の借金を抱えてしまった。
死んだ顔、恨めしそうな顔、真っ白な顔で、愚痴どころではなく絶望を語る中年冒険者たちのうめき声を聞かされるも、ゲイリオスは鼻で笑った。
来月、子供が生まれるんだが、こんな借金返せねえよ。
ああ、やべえよ、やべえよ、帰ったらかみさんにぶっ殺される。
失敗したら死ぬし、成功したら一攫千金の予定だったんだぞ! これじゃ生きてても先行きが……
酒場の奥のテーブルで突っ伏している連中は、どれも暗澹たる有様であった。
ゲイリオスは言った。
「早いものが地の討伐クエストだぞ。先を越される方が悪い」
「うるせえ! 余所者が来て一日で魔獣に挑みに行くなんて思うわけねえだろ!」
「そうだそうだ!」
「だいたい、ねぐらを見つけるまでに俺達がどれだけかかったと……いや、どうやってねぐらの場所を見つけた?」
「それなりの額の情報量を払ったぞ」
「てめえ!」
「だ、だって、ソロのやつが本当に行くなんて思わねえだろ! 明後日には決行する予定だったんだからよう!」
「小銭稼ぎのために、よくも……」
「それを言うなら本当の予定日は昨日だったじゃねえか! 明後日になったのはお前の都合で!」
「仕方ねえだろ、嫁さんがいきなり体調崩しちまったんだから」
ゲイリオスは彼らの無様な言い争いを眺め、肩をすくめた。
自分に先を越された彼らが悪いと思いつつも、同業者に破滅してほしいわけではなかった。
だから手にした魔獣討伐の賞金を使って、彼らに別の仕事を頼んだ。
あるいは魔獣用に各地からコツコツ集めていた道具や情報を買い上げたりしてやった。
警戒や矜持もあっただろうが、それよりも財布の軽さが切実だったのだろう。
同情であるとか、憐憫が理由ではなく、当時のゲイリオスにとって金銭よりももっと別のものが重要だった。
それは他の地方の大型魔獣、特殊なモンスターの情報や、各地に散り散りになったマイナーな魔術、技術の蒐集であった。
そしてまた、他人から必要以上に恨みを買わないよう注意深く行動した。
避けられない衝突は仕方ないが、それ以外では関係を深めたりも、あるいは一方的に利益を搾取するような状況にもならないよう最新の注意を払った。
ゲイリオスは尊大なだけで、他人の感情にひどく疎いわけでも、それを過小に評価したりもしていなかった。
個人として動くことの危険は身に染みていたから、わざわざリスクを増やすことの愚かさを知っていたのだ。
宮廷魔術師として働いていた時期の行動と結末を除いては、命や、それ以上のものを狙われる理由に、まるで思い至らなかったのである。
こうした経緯や過去を詳しく説明するわけではないが、ゲイリオスは自分が理由でティベリウスが狙われた可能性は低いとそれとなく伝えた。
男爵も本気でゲイリオスに原因や責任があると思っていたわけもなく、言葉が過ぎたと頭を下げた。
ここでこちらも悪かった、と返さないのがゲイリオスだ。
だから面倒くさいとか尊大とか情を解さない思われるのだが、ラグラン男爵家の事情、あるいは光属性発覚を起点とした企みの可能性が高いのは事実で、彼の人となりを知る男爵も、気分を害するほどではなかった。
「もし仮に、ティベリウスが家を出された事情や、吾輩ですら詳しく知らぬ旅程を把握できた者ならば、殺す意味も価値もないと知っていたはずだ」
「そう、でしょうな」
「逆に、たとえばティベリウス・ラグランという八歳の子供が吾輩の教え子であることだけを知っていたとしよう。馬車に揺られて伯爵領を目指している最中の個人をどうやって特定し、しかも同行者ごと消す必要があった? 報告書にあったような大規模破壊魔術の使い手を用意できるなら、もっと違う手段も取れただろう」
男爵は黙り込んだ。ゲイリオスは想定を口にしながらも、どれもしっくりきていなかった。
「いったい何が起こった? 誰がどのように殺した? なるほど、報告書にあったように近くに三人の死体が残っていたこと。そして魔術による破壊痕があり、ティベリウスは死体すら残らなかったことが事実だとしよう。だが、そこで本当に何が起こったのかは、この文章では、この調査内容からでは、何も分からぬ」
「……ですが」
「男爵」
「……ええ」
「手紙を書いてくれぬか。かの子爵宛てに」
「それは」
「吾輩がこの目で確かめる。使われた魔術がいかなるものであったか、本当に生存の可能性はないのかも含めて調べたいのだ。無論、手紙にあった三名の遺体の引き取りも任せよ。馴染みの御者も、期待していた騎士も失った。今は状況が状況だ。人手が足らんだろう? 吾輩がその手間を請け負ってやる。だから頼む。男爵。吾輩に行かせてくれ」
「……ゲイリオス様は、止めても、行かれるのでしょうな」
「なりません! そんな些事で、ルキウスの授業を遅らせては」
「……夫人」
「ルキウス――いえ、ティベリウスの教育はどうするのです」
あえて呼び直したのは、この屋敷の中にいるティベリウスの名前。
つまり、茶番は続くということだ。
死んだ兄の名前を隠れ蓑に、弟の安全を図る策略は継続する意思表示である。
「なあ男爵。誰にも動機がないと思っていたが、これは動機になりうるか」
ゲイリオスは、口を挟んできた男爵夫人を睨めつけた。
男爵はそっと目を伏せた。自分の妻の無礼を咎めることもできずに。
「ルキウスが、兄に名を返さなくて良くなる。これに価値を見いだせるか」
「……エリザベート」
「なんです。ゲイリオス様は、ティベリオスの教師の立場なのですから!」
「そっちじゃない。さっき、些事といったか。我が領の騎士と、メイドと御者……自分が産んだ息子の死を悼むことも、その遺体を引き取りに行ってもらうことも、詳しい情報を調べてもらうことも、どれも大事なことだ。そうじゃないのか」
「表現を誤ったことはお詫びしますわ。ですが」
「くどい! この件に関しては私が決める。お前はもう下がりなさい。ルキウスの授業の予定については追って知らせる」
いつも妻に気を遣っているのか、あるいは立場的に文句を言えない男爵だったが、さすがに部下と親しくしていた御者を同時に失ったことで、普段とは違う語気の強さだった。
鼻白んだ男爵夫人はわずかに怒気を眼尻に、すぐに平静な表情を取り繕い、失礼いたしましたと頭を下げて、執務室から出ていった。
「ゲイリオス様。妻の非礼をお詫びします。以前の振る舞いも重ねてお詫びを……」
「ようやくか」
「たいへん申し訳なく」
「よい。強く言えない理由には察しがついているからな。それより手紙は頼めるか。無くとも現地には向かうが、あったほうが問題は少なかろう」
「なるべく早く我が領民が帰ってこられるよう、お願いします」
「荷物と三名の引き取りは任せよ。何か分かればそれでよし。たとえ何も分からずとも、自分の目で確かめたいのだ……」
語っている話題はまさに自分の息子のことであるのに、男爵の関心も男爵夫人の態度もどこか他人事のように感じられて、ゲイリオスは、ティベリウスの生まれ育った環境がいびつであったことを、あらためて意識させられた。
とはいえ本人の死体もない。実質的な追放から間を置いてすらいない。
男爵からすれば長男の死に現実味がないのかもしれない。あるいは悲嘆に暮れて良いものか整理がつかないのも分からなくもない。
男爵が目の前で大げさに泣き出しでもしたなら、一発ぶん殴ってやろうと頭の片隅で考えていたゲイリオスからすると、若干の肩透かしではあった。
男爵はもちろん衝撃を受けているし、嘆き悲しんでもいるのだろう。
だが、血を分けた息子に向ける巨大な感情ではなく、時々会う親戚の子供が亡くなったくらいにしか事態を受け止めきれていないように感じた。
そもそもルキウスの光属性への適性発覚から異常なほど多忙であったこと、ティベリウスを男爵家から遠ざけたことも含めると、もう感情も思考も現実に追いついていなかったきらいはある。
そこまで考えて、ゲイリオスは小さく息を吐きだした。
現実を直視したくないのは吾輩も同じか、と。
ティベリウスが本当に死んだと思いたくないのだ。
だから、自分を納得させるために、現地の様子を確かめる必要があった。
死体がないのに、その死を確度が高いものとして語るからには、相応の状況証拠なり物的証拠があるのだろう。
それは報告書には記載されていない。書けないほどに、気を使うほどに、凄惨な状態だったのかもしれない。
そもそも他三人の遺体が炭化していると記載されていたのだ。誰が見ても生存は不可能な状況と推察された。
「ところで、ゲイリオス様」
「なんだ」
「ルキウスにはどう伝えるべきでしょう」
ゲイリオスは、怒ることなく、静かに答えを返した。
「……男爵。父親は貴様だ。自分で考えろ」
「そう、ですな」
「どうしても癇癪を起こすようであれば、吾輩が調査していることも伝えるがいい。次男は幼いが、愚かではない。多少の辛抱ならできるだろう」
助言を残して執務室を出ると、ゲイリオスは手早く旅支度を整えた。
そして急いで書いたらしい男爵の手紙を携え、屋敷をあとにするのだった。
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