第27話 走れゲイリオス
表面上は変わらぬ態度のティベリウスの失望が、ひしひしと伝わってくる。彼は態度には出していない。声にも出さない。
しかし、分かるのだ。
彼は大人のように振る舞う。父にもそうした応答を崩さなかったし、それが師であった自分にも正しく適用されただけのことだった。
弟ルキウスの身柄を守る。
同時に、兄ティベリウスの命も守る一手であった。
そう説明することもできた。
ゲイリオスは少なくとも、自分を説得するためにその論理に頼った。
それは一応の事実ではあった。
この地を離れること。弟に名を使わせること。
これにより、結果的にではあるが、ティベリウスの誘拐や暗殺といった短絡的な愚行、混沌とした状況からの望まぬ未来につながる危険性を減らすことになる。
魔術が使えない以上、ティルは自分で身を守ることができない。
盤面から姿も名前も切り離してしまえば、誰かの駒になることはない。
指し手がいるなら策謀の考慮から外すだろう。
そう説明することは充分可能だった。
嘘ではない。嘘ではないだけだ。
誰にとっても光属性の、つまりは弟ルキウスの価値が高くなりすぎた。
ルキウスのために。
それが一番の理由であることに違いはない。
そして、そんなことは賢しらなティベリウスなら分かることだ。
建前を言えばそのまま受け入れてくれただろう。
ゲイリオスにはそれが出来なかった。だから正直に伝えた。彼が拒絶することがないことを分かっていたからだ。
結果が同じなら、せめて誠実に事情を語ったほうがマシである。
そうした感情が、ティルのためであったのか、それとも自分の罪悪感を減らすためであったのか、ゲイリオスにはもう分からない。
「廊下でする話でもなかったですね」
「……うむ」
そして話は終わった。ティルは自分のメイドを連れていく許可を得た。
彼にとって彼女だけが信頼できる味方なのだろう。
ティルより少しばかり年上の、メイド服姿の可愛らしい少女。
それからゲイリオスはティルの療養地として、兄のいるデルタモア伯爵領を用意していることを伝えた。
当初予定の候補地にはなかったが、無理やりねじ込んだ形である。
二年間の隔離生活だ。せめて不便のない生活を送らせたかった。
そのために使える限りの伝手と貸しを吐き出して、伯爵領に生活環境を用意したのだ。
「貴様の妻のたくらみに、吾輩を、そして弟子を巻き込んだこと。吾輩は許しておらんからな。覚えておけ」
ゲイリオスは男爵に警告した。
すでに表明していたこと、伝えてあったことの繰り返しだが、ティルの前で再び言及する必要を感じてのことだった。
賢い弟子は何かを察したようだが、それを口に出すことはなかった。
最後に、とゲイリオスは教え子の名を呼んだ。
「ティベリウス・ラグラン」
「はい」
要望を尋ねれば、弟への指導をちゃんてやってほしいと返ってきた。
自分の感情より弟の心配がまさったわけではないだろう。
貴族として、あるいは兄としての正しい回答をしてみせた、ということである。
最後まで小賢しいが、その振る舞いが、かえって快く感じることもある。
弟子から師匠への返事であると同時に、この場には父の目がある。
この状況下で本音で語るほど子供ではなかった。それだけのことだった。
話を終えると、ゲイリオスは足早にその場を立ち去った。
父子を残したのは、自分がいるとしにくい話もあるだろうとの判断だった。
すぐに男爵の足音が聞こえてきて、貴様、と怒鳴りつけたくなるのをこらえることに苦労した。
すがるような目で見てきたラグラン男爵に、怒るよりも呆れた。
彼には後悔しないように考えろとだけ伝えた。
どうすれば、とうろたえる姿を尻目にゲイリオスはそのまま館を抜け出した。
このあともやるべきことが山積している。時間を無駄にできない。
裏口から外に出ると、彼は朱く染まりつつある空をにらみつけた。
ゆるやかに流れていった雲。沈んでゆく太陽。こんなにも穏やかな夕空に、むしろティルとの別れが近いことを意識させられる。
ひどく焦れている自分に気づいたが、どうすることもできない。いつの間にか握りしめていた拳をそっと開いてから、彼はまた一歩を踏み出した。
あっという間に日数が経った。
ティルが出発予定日は明日である。
しかし、前日の朝の現時点で、ゲイリオスが頼んだ品物はまだ届いていなかった。
夜明け前にはティルが出立すると聞いていた。
間に合わない可能性が高い。
どうするべきかと迷ったが、出来ることはするべきだと判断した。
ゲイリオスが彼女に用意してもらうよう頼んだのは、自分の手持ちの素材で短杖を作ってもらうことだった。
こればかりはラグラン領内では都合できない。
王都の信頼できる職人のいる工房に細かな要望込みで注文をしたのだ。
特注品で、しかも大急ぎで作ってもらうために金に糸目はつけなかった。
それでも明日に間に合うかどうかは怪しい。
短杖自体は期限内に完成するはずだが、それが届くまでの日数が足らない。
仕事を頼んだ彼女のスケジュールさえ空いていれば、多少の時間は短縮できるはずだった。
しかし、本業で手一杯であれば、いくらゲイリオスの頼み事でも優先順位は下がる。
ここラグラン領から王都まではそれなりに遠い。もし遅い荷馬車で安全な道を輸送していたなら、絶対に間に合わないくらいには。
危険なルートを一直線に突き抜けられれば話は違ってくるのだが、運送を業として行っている商人や冒険者はそんな手段は取るまい。
ゲイリオスは待つことを諦めた。
いっそ自分から取りに行った方が早いと見切りつけたからである。
入れ違いにならないようラグラン家の使用人に伝言を残し、彼は無数の魔術を駆使して王都までの道のりを高速で移動した。
見落としがないよう、なるべく一般的なルート、整備された街道の様子を確かめつつ、可能な限りショートカットして走り続けた。
いかにも魔術師然とした男がすさまじい勢いで走り抜けていくのだ。
目撃者はさぞかし驚いたことだろう。
腰を抜かした老人もいたかもしれない。
ゲイリオスは走り続けた。
領地と領地のあいだにある魔獣がひしめく危険地帯も突き抜けた。
攻撃魔術で無数のモンスターを蹴散らしながら、彼は王都を目指した。
半日が過ぎた。
焼け焦げたモンスターの死骸を、夕日の赤光が降り注ぐなか、さすがに疲労を感じて彼は近くの岩を背に座り込んだ。
帰りのこともある。そろそろ引き返さないと見送りにも間に合わない。
出立の日に短杖を手渡すのは諦めて、伯爵領での生活が落ち着いた頃に届けてもらうべきか。
弱気になった彼の顔に、そっと影が落ちた。
何かが夕日を遮っていた。
不機嫌そうに顔を上げた彼を、彼女は呆れた顔で空から見下ろしていた。
「なにしてるんですかあ?」
ゲイリオスは、目の前に降り立った元同僚に舌打ちを隠さなかった。
「貴様が遅いから、吾輩が手ずから受け取りに足を運んだのだ」
「いやいや……それだけのために、わざわざ? こんな場所まで?」
「悪いか」
「いえ、その、……悪いっていうかあ……弟子にしたあの子に、筆頭は本気で入れ込んでるんですねえ、って」
「ふん。好きに解釈しろ」
彼女は懐から、絹に包まれた傷一つ無い新品の短杖を取り出した。
「ご要望の品はこちらになりまぁす」
「ああ、助かった」
「……もっとこう、情熱的な感謝の言葉とかないんです?」
「いいから早く渡せ」
「ほら、そんなんだから《無欠》は常識だけが欠けているって陰口をいっぱい言われるんですよう」
「言われていたのは、人望じゃなかったのか? それも以前、貴様に聞かされた覚えがあるが」
「あははー」
受け渡しが済んだ。珍しく、ゲイリオスの手つきが慎重だったことに、彼女は小さく笑った。
それから彼女は一転、表情を切り替えた。
「筆頭」
「もう違うがな」
「……真面目な話です。あの長男を気にかけるのは分かりますが、肩入れしすぎないことをおすすめします。この一件、最初からなんだかきな臭いですし」
「だろうな」
彼女が、本当に心配そうに口を開く。
「あんな田舎の、偶然が重なって発生したような案件のくせに、すごぉく嫌な感じが続いてるんですよねえ……もし可能であれば、光属性適正者の子への教育とか、現役の誰かに引き継いで筆頭は逃げちゃったほうがよくないです?」
「助言はありがたく聞いておく。しかし、吾輩にも責任があるのでな」
「……らしくないですねえ。感傷ですか?」
「そうだ」
「あら素直。おっと、団長から伝言です。『望むなら謹慎を解く』だそうで」
「いらん。……待て、どっちからだ?」
「ご想像にお任せしますよお」
ゲイリオスは勇退したはずの前団長の顔と、このあいだ着任した現団長の声とが思い浮かび、どちらでも同じかと嘆息した。
「じゃっ、たしかに伝えましたからね。わたしはこれで」
「お前も忙しいだろうに、手間をかけたな《浮雲》。感謝する」
「……えへへ。筆頭にしては珍しい。こりゃ明日は雨ですかねえ」
「明日は弟子の門出だ。不吉なことを言うな」
「あっと、それは失礼しましたあ……筆頭のことだから、弟子が男爵家から追放される日みたいな、もっと皮肉っぽい表現されるかと思ってましたけどねえ」
「あんな場所にとどまるよりは、脱出したほうがマシだろう。本人の考えや感情はどうあれな」
目をぱちぱちさせて、《浮雲》と呼ばれた女魔術師は、くすくすと笑った。
それは確かに新しい世界への旅立ちとすべきかもしれませんねえ、と。
「ではでは、わたしはこれにて失礼」
彼女は呪文を唱えると、ふわりと宙に浮いた。
《浮雲》の二つ名を持つ彼女は、宮廷魔術師の長い歴史のなかでも稀有な、空を飛べる魔術師として知られている。
それほど早くない速度だが、元同僚が王都の方角へと飛行していく。
彼女の背中を見送ったあと、ゲイリオスは来た道を再び駆け戻るのだった。
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