第24話 雲と歯の浮くままに
眩い日差しが窓から差し込んできて、ゲイリオスは目覚めた。どうやら就寝前にカーテンを閉め忘れたらしい。
浮かない顔のまま、ため息交じりに部屋を見回す。
先日の会合のあと、いくつかの紙片は焼却処分し、重要な資料の大半は知人にまとめて渡してしまった。
室内に残っているのは基礎的な教本くらいなものだ。
男爵家次男ルキウスの光属性発覚からの一連の流れもあり、多忙な彼女に頼むのは気が引けたが、今日までゲイリオスは身動きが取れない。
仕方なかった。
彼には今すぐやるべきこと、考えるべきこと、調べたり伝えなければいけないことが複数あったが、手が足りない。
その多くもついでとばかりに押し付けた。
彼女の恨みがましい顔は久しぶりに見た。だが、最終的には引き受けてくれた。
貸しは作っておくものだ。無駄になることも多いが、ときに未来の自分の助けになってくれることもある。
彼女がほとんど休みも無く王都とこのラグラン領を往復する羽目になった責任の一部は確かにゲイリオスにもある。
しかし、宮廷魔術師とはそうした苦労の多い職であるとして、ゲイリオスは悪びれなかった。
大物貴族同士が争わないよう調停役を任されることもあるのだから、普段の仕事の延長線上にあると主張したのだ。
彼女は諦めたようにうなだれた。長年、同僚としてゲイリオスと一緒に働いてきた同じ部署の人間である。
彼の人となりや、その気難しさを知っている。
反論に使える材料は当然持っていたが、現状ゲイリオス相手に抗ったり争っても何の利益も手に入らないことは明白だった。
面倒ごとを飲み込んだ彼女は、せめて一矢報いようと去り際に呟いた。
「《無欠》もやり口が前団長に似てきましたね……」
ゲイリオスは無言で杖を取り出した。
一緒に仕事をしたことがある人間ならば、彼が滅多なことでは杖を使わないことを知っている。
そして、仲間相手に攻撃魔術を撃ち込むことをためらう性格でないことも。
彼女は、すみませんでした、と言いつつ目は笑っていた。
彼女は、彼から魔術をぶち込まれないと思っているのではない。
攻撃されても無傷でしのげる自信があるからで、それはゲイリオスも認めるところである。
本気で殺しにかかれば別だろうが、魔術の応酬など訓練の一種でしかない。
実力主義の宮廷魔術師同士では、じゃれ合いみたいなものだった。
普段通りの態度に、ゲイリオスは眉間にシワを寄せるだけだった。
別に怒ってはいない、もうひとつ頼み事が増えただけだ。
と、彼は杖をちらつかせながら、いつになく丁寧に詳細を語った。
彼女は目を丸くして、なるほどなるほど……へええ、と頷いた。
それが会合のすぐあとの出来事だった。
それから何日も経過しての今日である。
元同僚相手に最後に頼んだものは、多少なりとも時間がかかる想定である。
あと一週間ほどしかないことを考えると、なるべく急いで欲しいところだ。
さて、と気分を入れ替えて、彼は手早く身支度を終わらせた。
今日この日に、ラグラン男爵家次男ルキウスの、光属性魔術のお披露目会が行われる予定になっている。
本格的な魔術の行使はまだだったが、すでに適性の有無は確認済みだ。
ルキウスは光魔術を使える。
そういう意味では、失われた光属性の復活はすでになったと言っても良い。
場所は屋敷の敷地近くにある鍛錬場。
男爵家に仕える騎士たちが使っている区画である。
そこに家臣や村長などの地位を持った領民、館で働く使用人たち、その家族などを招いて、次男ルキウスの初めての魔術を披露するのだ。
茶番だ。
だが、魔術が使えない長男の存在があるから、これは必要なことだと男爵が説き伏せられた。
この件については、ゲイリオスが口を挟める立場にはない。
助言こそ出来るが、これはあくまで領主の後継者問題であり、すなわち男爵の専権事項であるからだ。
政治的決断は、家の人間が主導で決める必要があった。
ゲイリオスは謹慎中とはいえ宮廷魔術師である。
あの日、状況を見極めに来た同僚も残っていたが、やはり男爵家の客人として招かれているゲイリオスが前面に出ないわけにはいかなかった。
彼はラグラン男爵家の子息の家庭教師を勤めている。それが長男か、次男かなどは誰も気にしていないのだろう。
そもそもこの場に集まった領民たちのどれくらいが、いま目の前にしている子供が次男と認識しているのかすら疑わしい。
輝く髪のルキウスは、こちらが男爵様の御子息です、と紹介された。
聞き及んでいた策謀の一手に、ゲイリオスは渋面を隠さなかった。
使用人にはすでに根回しが済んでいるらしく、知らぬはティル本人とそのメイドだけ。
いや、そこにいるルキウス自身も知らされていないのだろう。
仔細を知っていれば、手が付けられないほどに泣き叫ぶか暴れるか、あるいは兄のもとへ一路駆け出すかもしれない。
ゲイリオスは、次男ルキウスとは何度か会話して分かったことがある。
年齢に似つかわしくない長男とは違い、ただの子供としか思えなかった。
愚鈍ではない。年相応に幼いだけで、決して馬鹿ではない。
そんな幼い子供である次男が、光属性という巨大な才能を持ってしまった。
不幸とまでは言わないが、不運であるとは思った。
ラグラン男爵領という小さな器に収めるには、あまりにも不釣り合いな才能が出現してしまった。
次男ルキウスはすごいことをした、と褒められて喜ぶだけだった。
男爵は動揺していたし、混乱もしていた。
そして何かを期待していた。
男爵夫人は何を考えているのか不明瞭だったが、少なくとも、自分たちの未来が輝かしいものであると疑ってはいなかった。
おそらくは、とゲイリオスは思案した。
状況を正しく理解したならば、あの賢しらなティベリウスだけが、この先に待つ過酷な運命に備えようとするのではないか。
その苦難が誰に降りかかるのかは、ゲイリオスには分からない。
おぼろげに想像はできるが、それを真剣に苦悩したりはできない。
しょせん他人事であるからだ。
身の丈に合わない力を得たものが、どんな結末を迎えるのか。
あるいは次男ルキウスには相応の器があるかもしれないが、少なくとも今はただの子供にすぎない。
次男ルキウスの身柄、いや、光属性の適性を持った人間を奪い合うために、かつての大乱の再来すらありえる。
それを防ぐためには時間がいる。
血で血を洗うような戦争ではなく、交渉で順列を決めるような、誰の血も流さず彼を奪い合うための準備がいる。
その足りない時間を稼ぐための手段が、あのくだらない仕掛けだ。
貴族として登録されているティベリウス・ラグランの名前を、このルキウスに使わせて守りとする。
それと同時に、必要な二年の時間を稼ぐ。
子供にとって二年は短い。あの子にとって二年は長い。
誰にとっても貴重な時間を、ただ浪費することで衝突を減らす。
あの賢い弟子が聞いたら呆れるだろうか。
あるいは、笑うだろうか。それくらいにはくだらぬ企みだ。
しかし、そのくだらないやり口こそが、この一件においては使える。
稚拙な企みであるからこそ、この上なく有効に働いてしまう。
皮肉なものだ。
聞けば誰もが幼稚と断じる手法のくせに、その露骨な誤魔化しそのものが異なる意味を持つことになるのだから。
光属性の適性を持つ幼子。
その価値が高すぎるがゆえに、それを引き入れる意味を持つ高位貴族たち、あるいは王家は、二年の休戦協定を結んだ。
こういうときに限って異様に話が早いのも、ゲイリオスにとっては腹ただしいことだった。
いつから話がついていたのか、手が伸びていたのかは分からないが、あまりにも段取りが良すぎるとは感じた。
今やっていることは単なる結果だ。手順としてのセレモニーでしかない。
すでに約束された内容の再確認に過ぎないのだ。
ゲイリオスは王都の空気が苦手だった。
引退した宮廷魔術師団長の同類があちこちに根を張っていて、気が休まる暇がなかった。
それと似た気配を感じた。
華やかな王都から遠く離れたこのラグラン領に、薄ら寒い策謀の臭いが漂っている。
男爵夫人やエンディール子爵家の人間が、次男ルキウスが光属性に適性を持っていることを、少なくともその可能性があることを、もっと早くから知っていなければこうも素早く動けないのではないか。
そうした疑念も抱いたが、今更言っても詮無きことと飲み込んだ。
すでにゲイリオスの頭越しに趨勢は決まっていたのだ。
謹慎処分を食らった宮廷魔術師に彼らの結託を覆す政治力はなく、これに異を唱えた場合より厳しい立場にさらされるのは誰かと考えれば、否やはなかった。
若い頃のゲイリオスなら、こんな茶番に関わっていられるかと椅子を蹴倒し皮肉のひとつも吐き捨てて男爵領をあとにしただろう。
だが、宮廷魔術師として禄を食んだ経験と、魔術の才に恵まれなかった憐れな弟子への同情に似た何かが、彼の短慮を押し留めた。
教え子の未来がさらに狭ばることを望まなかった、といえば聞こえは良いが、それほど綺麗な理由ではない。
いっときとはいえ、彼の師を名乗ったものとしての意地である。
自分がかつて先達に感じていたたぐいの侮蔑を、あるいは憤怒を、ティベリウスから向けられたくはなかった。
こんなものは感傷に過ぎないとゲイリオスは自覚していた。
自覚しているからこそ、普段ならしない我慢を選んだとも言える。
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