第23話 明暗
ゲイリオスはこれまでの人生において、昼間の明るさこそが世界の真の姿であると思っていた。
外に出て陽光に照らされ、部屋の中ではランプの光を頼る。
自然でも、人工であっても、視界を保つための光こそが人間の生活の中心にあると信じていた。
しかし、言われてみればその通りだと思った。
思ってしまった。
太陽がなければ、ランプがなければ、照明器具がなければ。
そして火のような人間の社会や文明の結晶が存在しなければ、すべては闇に埋もれてしまう。
当たり前のことだ。当たり前過ぎて、これまでたった一度でも意識したことがなかった。
星無き夜の、あの不安さ、不穏さ、心細さ、そして恐ろしさ。
魔術という光がなくば、ゲイリオスの人生も常に深い闇に包まれていた。
それを突然、思い起こさせられた。
ゲイリオスはティルを見た。
目をパチパチと瞬いて、自分が何か妙なことを言ってしまったんじゃないかと少し不安がっている少年の顔を見つめた。
「先生、あの、聞いてます?」
「きいている」
「……だから、さっき見せてもらった内容って、本当に闇をそのまま操作したり発生させている感じはなくて、本当にこの呼称は正しいのかなって」
散逸した資料、あるいは焼き払われた闇魔術の記録。
そこには直接的な効果、使い方を記したものはほとんど残っていなかった。
ただ使われた被害者の証言、あるいは危険視した権力者の、それをこの世から抹消しようとした理由については、わずかながら見え隠れしていた。
たとえば火属性の魔術は、火を生み出す、使う、操るからこそ、火属性魔術として呼称される。
しかし闇魔術は、それとは異なる意図で名付けられたように感じられた。その場に闇を生み出したり、直接的に闇を操っている風には思われない。
幻影を作り上げる。自分の姿を見えないように誤魔化す。あるいは暗闇のなかでもものが見えるようにする。
これらが資料から読み取れる闇魔術の効果である。
確かに権力者からすると邪魔だろう。
この手の魔術は使い方次第で内乱再びの懸念も強くなるし、根絶できるならするに越したことはないという判断も理解できた。
潜入だとか要人暗殺、スパイをするのに便利と思われる効果が勢揃いだ。
直接的な破壊力には乏しそうだが、間接的な利用方法――悪用の仕方は、ゲイリオスにもいくらでも思いついた。
ただ、闇魔術の存在を、その痕跡を、徹底的に消そうとする動機にはならないとも考えていた。
どこかに強力な反逆者が残っていたとする。
そいつは迂遠な手段を用いて誰かを操るより、敵対している重要な人間を直接殺したほうが手っ取り早いはずだ。
闇魔術を用いて間接的に工作をされるより、火魔術を極めた者に全員焼き殺されるほうがよっぽど身近な脅威ではないか。
にもかかわらず、闇属性のみを弾圧し抑圧し王国内から消え去るように仕向けた理由はなんだったのか。
「だからこれ、本当は影魔術って呼称の方が正しいのでは?」
弟子の発した疑問が耳朶を打った。ゲイリオスは一瞬だけ固まった。
不意に脳裏をよぎった思いつきに声を上げそうになり、全力で飲み込む。
「……そうだな。まったく、その通りだ」
「先生?」
「どうして、お前にいっさいの魔術が使えぬのか。吾輩は今、ただひたすらに惜しいと思っている」
当たり前の話を事実として受け止めることの難しさを、この年齢になってゲイリオスは理解した気がした。
それもまた錯覚かもしれない。
とにかくこの弟子には、長年の宮仕えで錆びついたはずの感情を動かされることが多い。
なんにせよ、ゲイリオスが奥の手として持ち出した闇魔術は不発だった。
最初から望み薄ではあったが、これで本当に万策尽きたわけである。
しかし、ティルは諦めてはいなかった。
ゲイリオスは弟子の不屈さに呆れつつも、しばらくは付き合うと決めた。
まだ時間はある。それだけが二人の希望だった。
悪い知らせは、そうしたときにこそ訪れるものだ。
ティルの講義の翌日、ゲイリオスはラグラン男爵から秘密裏に呼び出された。
場所は領内、とある寒村の外れにある集会所だった。
普段、貴族に連なる人間が訪れることなど想定していない建物であったが、すぐに都合がついたのがそこだけだったらしい。
村長に話をつけ、今日一日は誰も近寄らないことになっている。
要請があり、館から離れた場所で会合することになったのだ。ティルやその専属メイドにも気取られないことを求められた。
こうした暗躍めいた呼びかけが、自分にとって良い知らせであった試しなど人生で一度もなかった。
おそらく、これからもそうだろう。
ゲイリオスは不満を隠さず、人前だろうが構わず男爵を怒鳴りつけるつもりで待ち合わせ場所に踏み込んだ。
そこにいたのはラグラン男爵、すなわちティルの父親だけではなかった。
珍しくエリザベート男爵夫人の姿もある。
彼女は微笑を浮かべている。残り二人は、逆に、深刻そうな顔をしていた。
ノックもせず扉を開いた大魔術師を前に、彼らは困惑を隠さなかった。
「この吾輩をこんなところに呼びつけ……貴様ッ!」
「あっ、《無欠》……違った、筆頭。お久しぶりです」
男爵とその夫人はさておき、残り二人に知った顔が混ざっていた。
もうひとりに見覚えはない。
ラグラン家の屋敷内にはいなかったはずだ。ただ、男爵よりも夫人の方と関係が深そうなのは、その立ち位置や距離感で見て取れた。
「なぜお前がここにいる」
「こっちの台詞ですよう。あれから大変だったんですよお?」
「吾輩は無期限の謹慎だからな。筆頭と呼ぶな」
「じゃあ《無欠》でいいですかあ?」
「焼かれたいのか」
「うっ、怒らないでくださいよう。それより筆頭もひとが悪いなあ。あんな成果があるなら謹慎なんかさっさと解けますし、早く連絡くれればよかったのに」
「何の話だ」
「えっ、あれ? 光属性の資料というか、うちの研究結果取り寄せましたよね?」
「それは、したが」
二か月ほど前に知人を通じて送ってもらった。ティルに試させるためだ。
かつて使われていた光属性魔術の詠唱や呪文、そして、その特異性についての資料である。
宮廷魔術師団にいたころ目を通したことはあったが、参考にするため複製を複数制作したことがあった。
彼女が口にしたのは、その資料請求についてである。
謹慎中であるので正規ルートではなく、複製の複製をこっそりと流してもらったから褒められたことではない。
だから、その抗議なり処罰に来たのかと身構えた。
宮廷魔術師団の元同僚は話が噛み合っていないと気づきつつも、ゲイリオスの功績であると言いたげに、彼がまだ知らなかったことを褒め称えた。
「で、とうとう光属性の使い手が見つかったんですよね」
「……なに?」
「あれぇ? 筆頭が見つけたって聞いた、ん、ですけど……違うんですか?」
「吾輩は何も聞いておらぬ」
「でも、ラグラン男爵家のお子さんに光属性の特徴がある、って」
「……ティベリウスは吾輩の弟子だが、そんな気配は一切なかったぞ」
「あれぇ?」
「それについては、わたくしから」
男爵夫人がにこやかに語りだした。
ゲイリオスは一年近く館で世話になっていたが、屋敷の内外で彼女と顔を合わせた覚えがほとんどない。
基本的な挨拶はしたが、お互いに不可侵を決め込んだかのように、移動や食事その他で顔を合わせる機会もなかった。
彼女はティベリウスの母親である。
しかし、その関心は長男ではなく、次男ルキウスにばかり向けられている。
それくらいは知っていたが、逆に言えば、それ以外のことをほぼ知らない。
互いに無関心であった。そう考えていたのは、ゲイリオスだけだったようだ。
「光属性が発現したのは、ルキウスの方ですわ」
「……事実か?」
初耳である。
ゲイリオスは、ラグラン男爵に低い声で問いかけた。
彼は頷いた。
その様子から、彼が知ったのもごく最近だろう。
もしかしたらゲイリオスにこの場に来るよう求めたのは、そのタイミングだったのかもしれない。
「だが、どうやって調べた」
「ゲイリオス様には感謝しておりますのよ。当家に、そんな貴重な研究内容を伝えてくださったことに。だからこそこんなにも早くルキウスの才能が日の目を見ることになりましたから」
「……男爵」
「ゲイリオス様、うちのものが本当に申し訳なく……」
余人に伝えるには危険だったり、あるいは問題がある内容も多い。
ティルの素養を確かめるために使った資料は、与えられた部屋のなか、鍵のかかる棚や、人目につかない場所にしまっておいたはずだった。
しかし、男爵家には信じがたいほどの不届き者がいたらしい。
あるいは人払いを命じていたはずの講義中に、誰かが盗み聞きしていたか。
どちらにせよ、男爵そして男爵家の不始末であり、不義理である。
この不愉快な男爵夫人を二度と笑えないようにしてしまおうかと若干本気で考えているゲイリオスに、その不穏な空気を感じ取ったらしい他三人が勘気を鎮めるよう必死に願い出た。
「ま、まあ筆頭、キッカケは望ましいことではなかったかもしれませんが、出した成果を考えればお釣りがくるほどです。ここはどうか穏便に……」
「もし、吾輩がティベリウスを弟子としていなければ」
「……はぁ」
「全員、今すぐ魔の森に吊るしているところだ」
その言葉に本気を感じ取ったのだろう。薄笑いを浮かべていた男爵夫人すら、冷や汗をかきながら夫に目配せをしている。
男爵も目の前の人物が能力的にはそれが可能であることを知っているから、どうか怒りを抑えてほしいと懇願する。
元同僚の女魔術師はひとり無関係です、といった顔で目をそらしていた。
ゲイリオスの怒りの矛先にはなりたくないらしかった。
重苦しい空気のなか、彼女は雰囲気を変えようと、二度ほど手を叩いた。
「はい、それより建設的な話をしましょう。事実なんですね?」
「え、ええ。資料にあるような、光属性特有の特徴がありましたわ」
「では、まだ実際には光属性魔術を使ったわけではない、と」
「こういったことには手順というものがありますでしょう。だからまず詳しい方の助言をいただきたく思いまして」
「……なるほどなるほど。それは理解しました。ではお聞きしますが」
彼女は微笑んだ。
「どうして、ここにいらっしゃる筆頭に相談されなかったのですか? ラグラン領に逗留されているのですから、順番的というか、礼儀としても、それがもっとも確実で正しい手順と思いますが」
「ごもっともな疑問ですわ。ですが、こちらのゲイリオス様は、長男のティベリウスに少々……いえ、だいぶ同情的でいらっしゃいますから。もし次男のルキウスが光属性に適性があると知られたら……王都の方々が知るより先に、ゲイリオス様が何かを決断してしまったら、と思うと不安でしたの」
「……ふうん。筆頭が、個人的な気分とか理由で、判断を間違えると、そう疑われたわけですか」
「失礼なのは承知しております。そこはお詫び申し上げます。ですが、魔術が使えないような不出来な長男に入れ込んでいることは周知の通り。それなのにルキウスに光属性の才能があると知られてしまったら、万が一がございますでしょう? これは母親として過保護と思われるかもしれませんけれど……ねえ」
「ご事情は理解いたしました。なるほどなるほど、たしかに筆頭はお顔がしかつめらしくてたいへん気難しく、それでいて謹慎処分を受けるほどに遵法意識に欠ける高位魔術師であると思えば、不安になるのも分からなくもありません」
ここでは、ゲイリオスは言い返さなかった。
自分の評判もおおむね事実であると認識していた。
弟子のために次男を暗殺するような真似はしないが、その心配があったから頭越しに王都へと一報を入れた、と言われてしまえば飲み込むしか無い。
「よいでしょう。そういう意図であったと主張されるのであれば、こちらとしてもひとつの意見としてうかがっておきます」
彼女はあくまでにこやかに男爵夫人に頷いた。
その目の奥が一切笑っていないことにこの場の全員が気づいていただろうが、それを口に出す愚か者はいなかった。
ゲイリオスが咳払いひとつして、凍りついた空気を和らげる羽目になった。
「ご挨拶が遅れました。私は……」
と、これまで名乗りもしなかった男が、口を挟んできた。
ゲイリオスは名前を覚える価値を感じなかったが、やはり夫人の身内らしかった。
男爵夫人の実家であるエンディール子爵家からの協力者らしく、長々とした説明があったが、つまりはこの状況を画策したのは、エリザベートと子爵家の思惑あってのことと理解した。
ラグラン男爵家単体では、この厄介な状況を乗り切る力はない。
それはゲイリオスの見立てとも一致する。
だが、正面から協力を求めるならまだしも、状況を作ってから自分を巻き込んだやり口は不愉快極まりない。
それからこの場で、ラグラン男爵家次男ルキウスについて実務的な話し合いが持たれた。
本当に光属性であるのか。
それが確かめられたあとは、どういったかたちで公表するのか、あるいはいかようにして伏せるのか。
今後の予定であるとか、長男ティベリウスの処遇をどうするのか。
家督について。
領地について。
光属性復活がもたらすさまざまな影響について。
その多くが、決して良いことばかりではなかった。
すべてを隠す選択もありえたはずだが、男爵夫人から実家を通じて王都へと伝えられた内容のせいで、最初から失われていた。
ラグラン家にかつてない栄誉がもたらされるだろう。
しかし、光が輝けば輝くほど、その影はなお深くなるのも事実である。
茶番につきあわされたゲイリオスは憤懣遣る方無かったが、しかしすべてをひっくり返してしまえるほど非常識にもなれなかった。
ただ、ティルに対しては申し訳なさが勝った。
どうあがいても負担は彼に集中する。そして、現状それがもっとも賢い選択になってしまうから、彼は拒絶しないと分かっている。
彼はそれを飲み込むだろう。
蒙昧な子どもとして癇癪を起こすこともなく、自分以外の全員にとって、これが最良の道であると認めてしまうだろう。
父に、母に、弟に、領民に、そして師匠に対して、物わかりの良い大人の顔を見せるに違いなかった。
善意や懸命な努力の先に悪い未来が待っていることもある。
最悪を避けようと試みて、結果的に違う種類の最悪に進んでしまうこともある。
あるいは、自分が光属性の資料を持ち出さなければ。
もっと穏当な調査や練習でお茶を濁しておけば。
また違う結果があったのではないか。
少なくとも、こんな早急に事態が悪化することは避け得たのではないか。
ゲイリオスがそう思ってしまうのは、仕方のないことだった。
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