第22話 暗がりに灯火を
王都で謹慎処分を受けた際に、ゲイリオスは闇属性魔術についての研究内容のほとんどを容赦なく没収された。
そうなる未来は予期していたが、彼はタブーに触れることを隠さなかったし、部屋にあった資料もすべて差し出したのだ。
残った同僚たちが光属性魔術を復活させるにあたって何かの足しになれば良い、そうした思惑もあったからだ。
ゲイリオスは確信犯だったが、闇属性の研究は依然としてタブー扱いであり、表立ってはやりにくい。
そのまま引き継いだり、その先へ進めることは難しいかもしれない。
しかし、すでに行った調査や実験資料は今後の参考とできる。宮廷魔術師団内で上手く利用してくれればそれでよかった。
そんなゲイリオスであったが、より政治的に危険な資料を、各地にある隠れ家に分散させていた。
謹慎どころか馘首になる覚悟でやらかしたゲイリオスも、これはさすがに表に出せないと地下に封印していた危険物であった。
折を見て処分するつもりだったが、歴史の闇に葬る前に、ティルがこれを使えないことを確かめておく必要があった。
教え子のためが半分。
もう半分は、魔力不全症の人間が闇魔術の素養を持つ、といった厄介な性質がないことを確認しておきたかったからである。
幸いなことに、といっていいのか分からないが、ティルはそれまで試したすべての属性と同じように、闇属性魔術の行使も叶わなかった。
ひとまず安堵しつつ、失望も感じた。
身勝手なものだと、ゲイリオスは自嘲を禁じ得なかった。
魔術において、属性の素養の有無は重要である。
たとえば同僚であった宮廷魔術師の《炎獄》が顕著な例だが、彼は火属性に特化した家系出身で、その習得魔術も得意魔術も火属性に偏っている。
しかし地水火風のうち他三種がまったく使えない、というわけではない。
火属性は最上級まで容易く使いこなす彼だったが、他三属性は中級までしか実用レベルで身につけていない。
これは他三属性の上級魔術を詠唱、発動できないことを意味しない。ただ、その効率が極端に悪くなるらしい。
ゲイリオスが気に入っていない《無欠》の二つ名にはいくつか由来があるが、うちひとつは、彼が四属性をすべて高レベルで使えることにある。
実際、ゲイリオスには不得意な属性魔術がない。あえていえば、地水火風すべてが得意属性なのだ。
さらには光や闇を除いた希少属性、特殊な属性にも――たとえば雷や氷、他にもいくつか、使える魔術があった。
強い適性がない限り、希少属性の魔術は使えないのが一般的である。
血の濃さを誇る大貴族は特にそうだが、初代が得意とした系統へと得意属性が偏る傾向がある。
先に例に出した《炎獄》は火属性のスペシャリストである。しかし、宮廷魔術師のなかには二属性、三属性までを高度に極めた人間も所属している。
そして特殊な希少属性の家系に生まれた者は、その属性に特化する代わりに、基本四属性を苦手とすることが多い。
ただ、これも時代なのか、世代を重ねるごとにその特異性は少しずつ失われてきたと言われている。
希少属性の雷を受け継いできた血脈は何代か前に風属性の名家に取り込まれた、みたいなことである。
両方使えるものも、風のみに素養を見せるものも、あるいはどちらも得手ではないものも子孫に現れだした。
なおその家の現当主は雷属性の使い手であるが、風も上級まで使いこなすことで知られている。
他の三属性についてはお察しだが。
ここまで説明すれば、ゲイリオスが何を危惧したか分かるだろう。
自分のような例外もいる。
また、他の属性が不得手であればこそ、何か特化した属性があるのではないか。
それがティルの場合、闇魔術だったのではないか。
これを不安視したのだ。
だが、そもそも希少属性の使い手は基本四属性が苦手な傾向があるだけで、絶対に使えないわけでもない。
それこそ『灯火』は、火属性が苦手でも使えるくらいだ。
水属性に特化した魔術師でも、希少属性の氷しか使えない一族でも、火の初級魔術、その発動すらできないなんてことは滅多にない。
ともあれ、こうしてゲイリオスは思いつく限りの手札すべてを切った。
分かったことはこれまでの結論と同じだ。
彼には魔術の行使――属性の得手不得手であるとか、難化の問題ではなく、もっと根幹にある、魔術の発動そのものが不可能なのだ、と。
であるならば、もはやゲイリオスには何もしてやれることがない。
ティルに魔術を使わせようと求めることは、翼を持たぬ鳥に空を飛べと促すことに等しい。
残酷を通り越して、単なる愚行だ。努力や心境、可能性の問題ですらない。
奇跡を起こせと言って、本当に奇跡が起こるなら誰も苦労しないのだ。
諦めさせねばならない。
学んだ先にあるのが絶壁の崖の淵であり、教え子がその先に向かって踏み込もうとしたならば、力付くでも止めねばならない。
それが慈悲というものである。
ゲイリオスはかつて邪悪な毒竜に挑んだ日のことを思い出した。
わけもなく自分には出来ると信じた悪竜退治。
町で酒を飲みくだを巻いていた冒険者たちが口々に制止し、笑い、本気で心配してくれて、そして最後には好きにしろと叫ばれた記憶。
あのときの自分は勝ち目があると信じて挑んだ。
だが、この教え子には、その道の先には、明るい未来のないことが分かった。
不安がりつつも闇属性魔術の資料に目を通し、詠唱したり、いろいろと試しては失敗して、じゃあ次はどうしましょうか、と自分を見上げるティルの眼差しに、ゲイリオスは目を合わせられなかった。
「先生?」
「む。次はどうするべきか、か」
「……あの、無属性魔術とかって無いんですか?」
「無属性、だと」
「ええ、……ああ、その顔だと、なさそうですね」
「……ふむ」
ゲイリオスは眉をひそめた。どういった発想から出てきたのか、いまいち理解が及ばなかったからである。
「以前の講義でも話したが、我々の使う魔術の属性は」
「その効果によって属性に分類しているだけ、ですよね」
「うむ。『灯火』は小さな火を発現させるから、火属性として扱う。魔力という燃料を用い、詠唱と呪文によって望む結果を顕現させる。火属性の魔術を使っているのではなく、魔術によって火という結果が生じるからこれは火属性魔術に分類されている、と吾輩は考えておる」
「以前読んだ本の分類とはちょっと違いますけど」
「考え方の違いだ。貴族学校の教科書の内容も、否定はしておらん」
「じゃあ、属性で分ける必要もないのでは」
「吾輩の感覚としてはそうだ。しかし得手不得手は間違いなくある。火魔術が得意なものの多くが水属性や風属性が上手く扱えぬ。逆もまた然り。どちらも同レベルで使いこなすものもいるが、そうでない方が傾向として多い。その差に従って分類してゆくと、やはり属性と呼ぶべき傾向がある」
「傾向」
「とはいえ、これは吾輩が四属性を使えるからこその考え方だ」
言い切ってから、ゲイリオスは思案する。
この教え子が意味のわからないことを言い出すのはままあることで、そのたび学術的な発見につながる可能性は感じている。
「しかし、顕現した現象がそれこそ無であるなど、ありえるのか」
「数字の0みたいなものでしょう。知っての通り、0は『無い』という概念を数字として代替したものです。ゼロが扱えないと私たちは単純な計算もままならない。いま何も無いことと、無いことが発生したこと、そして何も起こらなかったことは、見た目上は同じかもしれないけれど、主観的には違うはずです」
ティルは小声で何かをぼやいた。きょすうも、と聞こえた気がするが、ゲイリオスは聞き返さなかった。
この話の行く先が見えていなかったからである。
突飛なことを言い出すのはティルの常であったが、いつにもましてどこか興奮しているように見えた。
「同様に、魔力もたしかに存在します。目には見えませんし、私には感じ取れないものですが、先生は自分のそれが分かるし使える。魔道具で数値として測ることもできる。そして私にもあるらしい」
「それは、そうだが」
「見えないこと、感じ取れないことは、無いこととイコールではない」
「つまり?」
「魔力は、魔術としてその力を表出したとき、必ず何か別の形態を取る……とは限らないのかもしれません。魔力そのものを扱う魔術があってもいい」
さらに考える。
無属性。無の、属性。何かを引き起こすのではなく、何かを消す属性。
あるいは、何も無い状態を引き起こす力。
ゲイリオスの脳裏にはひとつの閃きがあった。それは領主たちに受け継がれた守護魔術の持つ力、あるいは効果に似ていた。
「ありうる、な」
「ですよね」
「それが自分の得意属性ではないか、と考えたのか?」
「いえ、そういうんじゃないですけど、その」
ティルは一瞬、言葉を躊躇った。一年近く授業をしていればゲイリオスにもその逡巡の気配が伝わろうものだ。
ただ、ゲイリオスの思いつきである守護魔術を使わせる、というのは問題発覚から早い時期に試した内容ではある。
一般的な魔術が不得手であろうとも、領地への守護魔術さえ万全ならば領主の後継としての面目は立つからである。
結果は惨憺たるものだったが、今になって違う角度から光を当てる必要があるかも知れない。
「今更何を言い淀む必要がある?」
「こないだは光、今日は闇属性について考えてて、光属性の魔術は光を生み出す、闇属性は闇を生み出す……ってことになっているじゃないですか」
「資料にはそうあるな。実際に使われたところを見たことがないから、真実その通りの効果であるかは疑わしいが」
「光魔術は分かるんです。そこに光を生み出す。火や雷を生み出した結果、光が生じるのではなく、純粋な光そのものを顕現させる。そうした魔術であれば、多少は理解が出来ます。でも、闇魔術については意味がわからなくて」
「言葉通りではないのか?」
「だって、闇は常にそこにあるじゃないですか」
ゲイリオスは一瞬、弟子の言葉の意味が理解できなかった。
怪訝そうな顔をした師匠に、ティルは部屋の片隅にある陰を指し示した。光が当たっていない部分には、暗い闇が凝っているように存在していた。
「光がなかったら、世界は全部、闇が埋め尽くしているんです」
「……どういう意味だ?」
「そのままです。火を焚いたり、ランプを点けたり、太陽が輝いていたり、星や月がその光を跳ね返しているから、世界には光が満ちている。でも、それがない場所や時間はすべてが闇に覆われている。たとえば夜のように、本来はこの世界は闇に満たされているんです。だから闇はわざわざ生み出す必要なんかなくて、光を遮ればすべては闇の中にあるのと一緒で……」
ようやく理解が追いついてきた途端、ゲイリオスは目眩を覚えた。
無属性の話、分類の話、そして闇についての話。
話題が飛んだと感じたが、ティルのなかではひとつながりの話であった。
その内容は、言われてみればそのとおりだが、いざ理解をするとひどく足元が不安になるような、いわば世界の成り立ちについて覚悟もなく聞かされた気分にさせられるものだった。
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