第21話 皿の縁など誰も見ないものだから
十分な魔力を持ちながら、それを自身では認識――運用できない。
いわば魔力における不具者である。
名前こそ病名のように記されているが、これは特殊な体質なのだという。
生まれつき目が見えないものがいるように、耳が聞こえないものがいるように、魔力を感じ取れないものがいるのだと。
過去、同じ症例を持っていた貴族がいたと記録にはあった。
不治の病とされていたが、病であれば治療の望みがある。
だが、実際には体質であるため、どうにもならなかったと記載されていた。
王国の数百年の歴史のなかでも資料に書かれている名前はわずか数名だ。
当時も魔力不具者を重要視しなかったのだろう。
いくつか試した対処法なり治療法は書いてあったが、無駄な努力だったと締めくくられていて、それ以降の記録は残っていない。
これを知ったティルはむしろ納得したようだった。
ごく少数の、魔術が使えなかった貴族の治療や対処にリソースを使うより、魔術が使える普通の貴族に家を継がせる方がよっぽど簡単なのである。
家督を継げる子供が一人しかいなければ必死になるだろうが、すぐに二人目三人目を作れば解決する問題ではある。
あくまでレアケース。
それも百年に一人いるかいないかの例外に注力しないのは当然だ、と。
そのおかげで、ティルは自身に湧いて出た大問題に悩まされているが、泣き喚いたところで解決方法が天から降ってくるわけもなし。
「先生。とりあえず、勉強を進めましょう」
「む」
「僕は魔力不全症である。これは否定できない事実です。なら、やれることをやるしかありません。ああ、先生には申し訳ないことですが」
「……吾輩に?」
「期待していただいていたようなので」
ゲイリオスは盛大な舌打ちをして、弟子を睨みつけた。
「気に食わん」
「申し訳ないです」
「吾輩より、お前のほうが冷静に考えている。それが何より腹立たしい」
「すみません」
「自分が悪くないのに軽々しく謝るな、馬鹿者」
ティルは微笑んだ。
諦めと、楽観との混じった不思議な笑みだった。
これが七歳の子供のする表情かと、ゲイリオスは眉間のシワをますます深めた。
それから一年はひたすらに試行錯誤の日々だった。
同様の症例や記録集めは並行して行ったが、そもそも魔力不全症がどのようなものであるかを把握しきれていない自身にすらゲイリオスは苛立った。
彼には王国中の魔術知識に親しんできた自負がある。
ときには廃墟や遺跡に忍び込んで盗んで来たりもした知識が、ここに来てまるで通用しない状況に我慢ならなかった面もあった。
「たとえば、僕が見たりんごの赤と、先生が見ているりんごの赤。同じ赤という言葉で指し示している色が、本当に同じかは……確かめられませんよね」
「なるほど、その通りではあるな」
「だから先生とか、他の貴族の感じられる魔力と、僕が考えている魔力とが、もしかしたら違うものを指している可能性も……」
「だが魔道具は使えただろう? 魔力という括りでは同じだ。そもそも一人ひとり魔力には差異があるし、それらは混ざり合わないことが知られている。違って当然のものではあるぞ」
「なら……」
ゲイリオスとティルは、日夜、数々の議論を交わした。
魔力について。感覚的なものについて。理屈について。歴史について。
魔道具や、魔術の系統、属性、他国での運用事例や、市井における魔術師の実態についても話は及んだ。
ゲイリオスが魔術についての無数の知見を知識として教えること、ティルが教わった概念であるとか理屈、実験結果や考証その他を学び、自分なりの理解から疑問をぶつけることで、毎日の授業は騒がしくも、楽しくもあった。
基礎の基礎から始めた講義も、高度な論考に行き着くこともあった。
魔力の運用あるいは魔術の行使、発動が叶わない。
その一点においてティルは落ちこぼれではあったが、座学に限ればゲイリオスも舌を巻くほどに優秀さの片鱗を見せた。
活発な議論により、ゲイリオスの知見は深まった。
感覚的に理解していた部分の言語化も進んだ。
惜しむらくは、本来の目的には役立たなかったことである。
実技においては基本四属性をそれぞれ徹底的に練習させた。
非効率的として廃れた修練の方法も、古い詠唱も、あるいは最新の技法にまで手を伸ばした。
とある貴族家から流出した秘奥や、隠匿された詠唱までも教授した。
自分では使えなかった希少属性の最上級魔術や、各家に差異のある守護魔術の知識を披露もしてみせた。
何かひとつでも足がかりになればよいと、わずかな望みに賭けたようなものだった。
ゲイリオスは、これが良い教え方ではないことは自覚していた。
高度な知識、裏道めいた特殊な手法を学ばせすぎれば、眼高手低の徒になりかねないと危惧もした。
しかし、なにひとつ奏功しなかった。
ティルは知識ばかり自分に追随するものの一切の実行が伴わない学術のみの存在になりつつあった。
ゲイリオスは辛抱強く観察と教授を続けた。
ティルが手を抜いているようには見えなかった。出来ないなりに、不可能を可能にする方法がないか模索しているのも分かった。
ティルの理解は正しく、ただ魔術の行使においては役立たなかった。
それだけのことだった。
ときにゲイリオスはティルの工夫を自ら試してみせた。
それがどんな魔術師にとっても価値ある技法であると認めた。
ただひとり、ティルにのみ恩恵がない工夫であった。
くじけないティルの必死さが、ゲイリオスには眩しく見えた。
この少年のことが憐れではあった。同情もしていた。
しかしこれほどの懸命さを発揮できる機会が自分の人生にあと何回あるだろうかと考えると、自分にはもはやその機会は訪れない気がした。
思い返すのは、かつて兄の代わりに自領の守護魔術を代行した日々、あるいは災厄と呼ばれる魔獣を討つため各地を巡り研鑽した時代だ。
目の前にある課題を何としても乗り越えようと努力する姿は、若さや義務感だけでは説明がつかない。
苦しいだろう。悔しいだろう。
しかし、ティルはどこか楽しそうでもあった。
まるで自分に与えられた試練に打ち勝とうとしてるかのようだった。
それは今のゲイリオスからは遠ざかった感情でもあった。
「これを試してみろ」
「……これは、いいんでしょうか」
「その危惧は正しい。正しいが、捕まったりはせん」
「ええと」
ティルが表情を凍らせたのは、その資料の内容を把握したからだろう。一目見て気付けるのなら十分だ、とゲイリオスは口元を歪めた。
希少属性の試行はすでに何度か行ったあとである。
先日は絶えて久しい光属性を持ち込んだ。
復活を望まれる属性であるが、大っぴらに語ることもできない。
数代前の時点で光の加護が失われたことは、公然の秘密、あるいは周知の事実ではあるが、王家の、さらには王国そのものにとって醜態でもあるからだ。
仕方のないことではある。
血が交われば、代を重ねれば、初代の属性の加護は少しずつ薄れ、失われてゆくことは王国貴族にとってはままあることだ。
王族であっても、その運命からは逃れられなかった。だから、現在の貴族たちは光の属性を失ったからといって、王家への叛意を持ったりはしない。
初代王からの系譜、王族として認めないということもない。
ただ、光の加護を受け継げなかった王家は、以前より求心力を失った。
それは間違いない。
王権――受け継がれてきたレガリアのひとつを欠いたようなものだからだ。
直ちに大きな影響はないかもしれないが、将来的には分からない。
ゲイリオスは、もしかしたらと薄い期待はした。
結果として、ティルには光属性の素養はなかった。
少しだけ安心した。
自分から試させておいてなんだが、男爵家の長男という立場で光属性魔術がもし使えてしまったら面倒なことになる。それが分かっていたからだ。
毒喰らわば皿まで。
次は禁忌とされる闇属性魔術に手を出すことになるだろう。
そして、これがゲイリオス最後の手札であった。
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