第20話 魔力不全症
「先生、昨日お話いただいた魔力の感覚についてなんですが……」
「またそれか。どうしてだ? なぜ分からん?」
「そう言われましても」
「吾輩には、お前がどうしてそんな初歩で躓くのかが分からん。魔術についての考え方も、知識も、お前はすでに正しく理解している。にもかかわらず、どうしてそうなる? なぜだ……?」
まず座学。それから練習と実践である。
ゲイリオスは、ティベリウス――ティルに対して、基本的なことから教えた。
多くの貴族が魔術学校で初めて教わるような初学者向けの授業である。
そんな一歩目はさっさと飛ばし、早いところ魔術行使の実践的な訓練へと移りたかったのだが、ティルの年齢を考慮してだいぶ抑えた方であった。
魔術は技術である。
これは決してゲイリオス個人の主張というわけではなく、魔術を扱うもの全般にとって常識的な認識であった。
もっとも、技術のみと表現するのは多少の語弊が生まれるだろう。ひとによっては知識であるとか、理屈、理論と評する者もいる。
弛まぬ修練によって魔力の扱いが向上する一方で、数多の知識を組み合わせることで呪文や詠唱、効果などを効率化したり、拡大、洗練していくことが可能だからである。
理論派と感覚派、どちらも存在する。
ただ、どちらにしても技術という側面があることは否定できない。
かつてゲイリオスは《無欠》の二つ名を授けられた。
それは腕に自身のある現職の宮廷魔術師たちからも、彼が魔術において最高峰の実力と知識とを併せ持っていると認められたためだ。
そのゲイリオスは、魔術は技術であると臆面もなく語る。
たとえばそれは、細工職人が指先の感覚だけで目に見えないほどのズレを修正してしまうような、歴戦の騎士が音もなく背後から振るわれた致命の一撃を咄嗟に回避するような、天文学者たちが過去の記録から未来の日食の日を予見するような、そうした特殊で、一見すると属人的にしか思えない技能に似ている。
だが、それらは長い研鑽の果てであれば、誰もがいつか辿り着けるかもしれないものである。
もちろん彼に多少なりとも才能があったことは否定しない。有象無象では及ばないくらいには、最初から魔術を上手に扱えた方だろう。
それでもゲイリオスにとって、自分の魔術は、果てしない修練と工夫により高められた技術なのだ。
基本四属性と呼ばれる地水火風をひたすら極めようと修練し、恐るべき魔獣や怪物を打倒してきたことで、ついに獲得した努力の成果なのである。
ゲイリオスは魔術は技術と語る。
そして技術の有無や高低は、その対象について、どれだけ理解しているかに左右される。
細工職人がわずかな凹凸に気づけるのも、それを滑らかにできるのも、素材であったり、自分が使う道具であったり、場合によっては空気中の湿度や日によって違う温度がその対象にどう影響するかを理解しているから、精密な作業ができる。
騎士が突然背後から襲われても躱せるのは、敵が自分を殺すためにどうやって動くかを理解しているからだ。
学者が過去の記録を学び、未来を予見できるのは、一定の法則性を理解したことで次に活かせたからである。
理解さえできれば、誰でもそこまでは辿り着ける。
ゲイリオスはそう信じていた。
先日弟子としたティベリウスは、これまで見てきたどんな子供よりも理解力に恵まれていた。だから、もしかしたら自分に匹敵する、あるいは自分を超える魔術師になれるかもしれない。
そう期待して、だが基礎をおろそかにするのもどうかと考えて、本当に初歩的なところから始めたのである。
会話して分かったティルの知性、知能の程度であれば、魔術学園の二年目で学ぶ内容までは飛ばしても良かった。
ゲイリオスは自分の経験を踏まえて、彼にしては珍しいほど言葉を尽くして、丁寧に授業していたのである。
しかし、ティルは初歩でつまづいた。
魔術の発動、魔術の行使、そのスタートラインよりさらに手前の、魔力を運用するということが、どうしてか理解できないようだった。
これはゲイリオスにとってあまりに不可解なことだった。
魔術師、もとい、貴族として生まれた者にとって、魔力が感じ取れないなどありえないからである。
もちろん魔術について学んだことのない幼少時には、それをまだ意識していないことはありうる。
視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚の五感のように、人間はそれを意図的に使っているとは思いにくいものだ。
ものを食べたら味覚や嗅覚が、何かを掴んだり掴まれれば触覚が、誰かに話しかけられたり耳をすませば聴覚が働いているのを意識するが、何も起こっていない場面では、それらの働きや存在は忘れるものだ。
魔力も同じだ。魔力を使おうとする。魔術を発動させようと試みる。
そのとき初めて、肉体に宿る魔力が強く意識される。
一度でも自身のからだを巡る魔力を認識してしまえば、その存在について確信が持てるようになる。
学園においては、魔力は燃料であると教えられる。
魔術により火を生成するにあたって、油や炭ではなく、魔力という目に見えない燃料が用いられる。
魔術師にとって魔力とは、いわば着火剤であり、その現象を維持するための燃料であり、発動した魔術をコントロールしたり意志を伝える経路である。
そう。
魔力は術者の意識の拡張でもある。
古い魔術師には、純粋な魔力を見えざる手と呼ぶものもいたという。
魔力の運用の巧拙には個人差がある。だが、それも訓練や理解度によって縮んだり覆る差でしかない。
石を投げて的に当てるようなもので、百発百中のものもいれば、何度投げても綺麗に中心を狙えないものもいる。
個人が保有する魔力量とは、この例に合わせれば、石を投げるときに使う腕力のようなものだ。
だから魔力持ちの平民には魔術行使が難しい。
投石を例に挙げはしたものの、実際の魔術はそれよりは複雑で、もっと理論的だからである。
腕力が足りないのに投げ方を教わっても、上手くできるかは別問題だし、投げ方すら教わらないままでは、的に当てられるようになるまでが大変だ。
貴族であれば、その魔術の行使の仕方さえ教われば――最低限の腕力を持っているのだから、投石くらいはたやすい。
的に当たるかはさておき、石を投げる動きくらいは再現できようものだ。
魔術を発動できないなんてことは、ありえない。
ありえないはずだった。
ティルに魔力はある。
それは分かっている。
館にある照明の魔道具のスイッチを入れている場面にも遭遇したし、生誕時にされた検査の結果も確かめた。
何かがおかしい。
ゲイリオスは館にあったものとは別に、魔力計を二つ取り寄せた。謹慎中とはいえ宮廷魔術師である。それくらいの伝手は保っていた。
そもそも魔力計力装置は希少な品だ。
貴族の家であれば、どこにでもあるものでもない。
ラグラン男爵家にあったものはひどく古びていたものだから、何らかの故障を疑ったのだ。
結果として、ティルが魔力を保有していることは間違いなかった。
誕生時には百程度と聞いていたが、七歳になった現在は五百を超えている。
むしろ魔力の総量には恵まれているくらいであった。
計測し直した数値については当人にはあえて伝えなかった。
魔術が使えるようになれば改めて教えると、計測の場に居合わせた男爵と取り決めたのだ。
このとき、ティルの弟ルキウスの魔力量についても知った。
赤子の時点で三千を超えていたという。
であるならば、現在の総量はいかばかりか。
魔力量の低さゆえに苦労したラグラン男爵の子とは思えぬほど魔力に恵まれた子どもたちであったが、ティルが魔術が使えない以上は、それを言祝ぐこともためらわれる困った状況ではあった。
ゲイリオスは悩んだ。
資料を集め、過去の記録を調べ、わずかに引っかかった知識の片隅から、ついにそれらしい言葉にたどり着いた。
魔力不全症。
それがティベリウス・ラグランの身に起こった不幸の名前であった。
先が気になったり、面白かったなら、この下にある【☆☆☆☆☆】を押して、
【★★★★★】にしていただけると嬉しいです。
あと、ブックマーク追加もしていただけると作者はさらに喜びます。




