第19話 蛙か、鳶か、それ以外
手紙にはこうあった。
『上の息子はもうすぐ七歳になる。
武力しかない自分と違って、ひどく頭が良いらしい。ゲイリオス様を思わせる飛び抜けた知性の持ち主に思える。どうすれば長男の才能を伸ばせるか。
私には、そのやり方がわからなくて困っている。
そのうえ、母親は頼りにならないし、学のない自分に教えられるのは森の魔物の殺し方くらいで、それを実践で教えるにはまだ幼すぎる。ついては、誰か良い家庭教師を紹介してもらえるとありがたい』
それからしばらくの時間が経っていた。
七歳。
貴族として登録するため届出を済ませた頃合いだろうか。
七歳になったら、ひとりの貴族として認められる。
建国時からある意味のわからないしきたりのひとつであり、生誕時に登録した方が管理しやすいのは間違いない。
成人扱いはまた別なのがややこしい。
少し考える頭があるなら誰でも頷くだろう。
だが、一見すると不合理に見えるような古くからの決まり事には、往々にして複雑な事情があるものだ。
宮廷魔術師として各地の資料に目を通した経験から、ゲイリオスはかつてそうせざるを得なかった理由に想像がついていた。
儀式。呪い。慣例。風習。思いつくだけで色々あるものだ。
無駄と手間が多いが、現行の制度を変えることで生じる不利益もある。
以前ゲイリオスは宮廷魔術師として助言をできる立場にあったが、当時もあえて制度に手を入れようとは思わなかった。
自分と同じものを見つけた同僚たちも、きっと似た理由から触れなかったのだろう。
くだんの子供が無事に七歳の誕生日を迎えたのであれば、憂いは少ない。
そうしてゲイリオスは、ラグラン男爵家長子、ティベリウス・ラグランに会いに行くことにした。
この時点のゲイリオスは、まだ家庭教師をするとは決めていなかった。
ティベリウスが男爵の言ったような子供でなければ、つまり男爵の評価がただの親バカと思えば、親子に訓示のひとつも垂れて宛のない旅に出る気でいたのだ。
そして彼は、ラグラン男爵家の鬼子、ティベリウスを知った。
領内での評判を調べるため、訪問日には幅をもたせた。
馬車を使わず、子爵領側から徒歩でラグラン領へと入った彼は、いくつかの村や町で聞き込みをした。
ティベリウスが領民から驚くほど知られていないことに驚き、ひたすら呆れた。
神童と評されたティベリウス・ラグランに対してはわずかに、その父親、よく知る相手であるラグラン男爵に対しては極めて強く、怒りすら覚えた。
知ってはいたのだ。
ラグラン男爵は貴族としては不格好にすぎると。
早くに父を亡くし、貴族としての教育がままらなかった事情もあるにせよ、後継者と見込んだ長男を幼い頃から連れ回して顔を売らずしてどうするのか。
次代の領主として認識させずしてどうするのか。
分かっていた。分かってはいたのだ。
彼はそういった貴族としての行動、社交、評判といったものに無頓着で、ここはそれが許されてしまった土地であり、事情だった。
王都から、そして宮廷政治から警戒されないのも、ラグラン男爵が政治的才能というものに大きく欠けているがゆえに、脅威たり得ないのが理由だった。
ゲイリオスも後継者としての教育など受けなかった身である。
幼き頃はゲイリオス・デルタモアとして、身代も大きな伯爵家の次男という立場が幸いしたところはあるにせよ、政治であるとか、貴族社会の面倒さとか、後継問題なり領主としての振る舞いといったものを分かったうえで投げ捨てたのだ。
しかし、当時から身軽だったゲイリオスと違い、ラグラン男爵は今まさに貴族であり男爵であり領主なのだ。
現状への無理解もはなはだしく、呆れるより他なかったのである。
ティベリウスの評判はひどく薄い。
領主の息子、長男がそんな名前であること。
そしてときに奇矯な振る舞いを見せること。
領民たちが知っているのは、その程度の噂にすら満たない情報だけだ。
男爵が手紙に書き連ねていたような、年齢に不相応なほどの賢さを思わせるエピソードの数々の一切が伝わっていない。
どこの貴族家でもやっている、若様はこれがすごい、と喧伝する噂もない。
小さくてもいいから村や町に出向いて顔を覚えさせたり、小規模でいいから魔物退治に同行させたり、堀や壁を作らせたり、何らかの振る舞いをしたりといった、領民に好印象を与えたり、功績を挙げさせようとした形跡が皆無であった。
ゲイリオスは頭を抱えた。
普通の貴族家ではやっていることを、この男爵家ではおろそかにしている。
仕方ない部分はあるのだ。
先代の突然の死が災いし、そうした領民の慰撫の手法や、心の配り方を教えてくれる者はほぼ残らなかった。
領主としての面目、守護魔術が断絶しなかっただけで奇跡とは言われていたが、本当にそれだけ死守して他は散逸したのかもしれない。
くだんの長男が本当に神童であるならば、いたらぬ父の不備を埋めるくらいの働きは見せてもらわねば困る。
すぐにゲイリオスは我に返った。
ついでに勝手な期待と失望をした自分を恥じた。
わずか七歳の子に、いったいどれだけ高望みしているのか。
自分が同じ年齢のころ何が出来たか。
ただ家中の本を読み漁っているだけの、そして知った魔術なる力の可能性に胸を躍らせるだけの子供であった。
どれほど才覚ある子供であっても、その才能を花開かせる環境がなくば手落ちである。
ひととおり見聞きして納得したゲイリオスは、ラグラン男爵家そのものへの不安と不満を飲み込んで、男爵家の屋敷へと足を運んだ。
直前に来訪の知らせを届けたせいもあって、男爵の帰還とは予定が合わなかった。
ついでに、迎えに来た若い使用人は焦りと不審とを目の奥に潜ませていたが、それを口に出すほど愚かではなかった。
そして。
謹慎中の宮廷魔術師ゲイリオスの目は、屋敷の玄関前で出迎えの準備をしている地味な少年の落ち着いた態度と、不安げなメイド姿の若い娘を捉えた。
目が合った。
言葉より先に、少年の目には疑問と心配の色とが覗いていた。
なるほど。ゲイリオスは少年の評価をひとつ上げた。
あえて無言で待ってみせれば、彼はすぐに察して口を開いた。
「僕――いえ、私は、ティベリウス・ラグランと申します。お客様のお名前を伺ってもよろしいでしょうか」
「吾輩はゲイリオスだ。ラグラン男爵より、長男の家庭教師を頼まれた」
「……このたびは、未熟な私のため、この僻地よりの招請に応じていただき深く感謝いたします」
「ふむ」
目線ひとつで家名を名乗るのを待っているのが伝わってくる。
なるほど、なるほど。
ゲイリオスは口元が歪むのを抑えるのに苦労した。
「ふざけた小僧だ。言葉も、表情も、何もかもが賢しい」
少年――ティベリウス・ラグランは、すみませんと言いたげな小賢しい表情と、いかにも真剣さを作っています、みたいな顔をしてみせた。
ゲイリオスは笑った。
父親と比べて、貴族社会で上手にやっていけそうな器用さだった。
表情ひとつで自分が格下だから手加減してくださいと伝えてきたあたり、このまま宮廷に放り込んでも上手にやり過ごせそうな振る舞いである。
ただ、ゲイリオスが当初想定していたものとは違った。
この子供はたしかに頭が良い。知性がある。
しかし、それは天才のような並外れた存在ではなくて、大人びた物事への俯瞰、あるいは客観性の獲得によるものだ。
才能ひとつで、存在ひとつで、既存の世界を変えてしまう化け物のそれではなかった。
ゲイリオスは興が乗って、ついつい長々と、ティベリウス相手に自分が考える天才像を語ってしまった。
ゲイリオスにとって、まともに会話が通じる七歳の子供というのは稀有な存在ではある。
同僚と話すような心持ちで、普段は思っていても語りはしない価値観について長広舌を振るってしまった。
事実、ティベリウスは優秀な子供だった。
世の中の子供という存在がこれくらい語彙と理解力に富んでいれば苦痛は減るに違いない。
ゲイリオスは一瞬夢想し、ありえぬことだと首を横に振った。
物わかりが良い。良すぎる。子供らしくない。
往々にして、こうした異常に大人びた子供というのは、家庭環境に難を抱えているものである。
付き従うメイドの娘とのやり取りから、姉弟のような関係性を築いていることも分かった。
貴族としての自分と、個人としての自分とを区別している。
しっかりとした教育を受けているのならともかく、あの父親、この環境で暮らす七歳の子供としては不気味である。
なるほど、これは奇矯に見えるだろう。
自分の価値観において理解できぬものを、ひとは遠ざける。理解できない理由が相手にあるか、自分にあるか、それを考えようともせず。
そこではじめて、ゲイリオスは気がついた。
髪の色が、暗い灰色である。
銀から輝きを奪い取ったような褪せた色合い。
鈍色のティベリウス。
一瞬のうちに様々な可能性が脳裏をよぎり、ちらと彼を見た。
自分が思いつくようなことはこの子も検討しただろう。
不憫である。不遇である。
だが、そのわりには目の奥の輝きは髪色と違い曇っておらず、どこか楽しげですらある。
自分の境遇を呪っている子供は誰しもが、どこか恨みがましい、飢えた瞳をしているものだ。
しかしティベリウス・ラグランの目の光は明るい。
未来への希望に満ちている。
この日、ゲイリオスはティベリウス・ラグランを弟子にすると決めた。
翌日、大慌てで帰ってきた男爵からはゲイリオスが家庭教師になってくれたことに対して大量の感謝があったが、ゲイリオスはため息で返し、彼の領主としての手際の悪さへの叱責から始めるのだった。
そして。
魔術について学びだした男爵家長男ティベリウス・ラグランの、誰も予想できなかった重大な問題が明らかになるのは、それから間もなくのことであった。
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