第17話 毒竜殺し
翌々日、若者は帰ってこなかった。
誰かがグラスを掲げた。次々に手が上がった。
哀れみと、嘲りをこめての献杯だった。
無茶しやがって、と口にした男は、本心から嘆いているようにも見えた。
無謀な若者の大言壮語なぞ、変わらぬ日常に埋もれていくものだ。
四日が経ち、誰もが彼の生死から興味を失ったころ、どこかで誰かの悲鳴が聞こえた。
住民はみな顔見知りばかりだ。余所者が来たらすぐ分かる。だからあの若者が見たことがない顔で、どこかで噂を聞きつけた馬鹿だと皆が察した。
そういった閉鎖的な町では事件など滅多に起こらないものだし、思わぬときに悲鳴があがれば聞きつけた全員が駆けつける。
悲鳴を上げたのは、町の宿屋を営む女性だった。彼女が腰を抜かして、尻を地面についたまま、町の入口の方を指さしている。
男たちはいったい何が起きたのかとそちらを見て戦慄した。
何度も目にした、あの賞金首として描かれたグロテスクな毒竜の頭が、入口から町を恨みがましく睨みつけている。
恐怖を無理やり飲み込んで、様子を確かめる。
何かがおかしい。
サイズだ。
洞窟にみっちり収まっていたとされる巨体とは似ても似つかぬ大きさで、その理由にはすぐに気がついた。
そこには頭部しかなかった。
紫にぬめった不気味な色の肌に、光を失った目玉、そして黄ばんだ牙の覗く口と、ヘビのように二つに別れた真っ赤な舌。
それが一切動くことなく、町の開かれた門の向こう側に鎮座ましましていた。
男たちはおそるおそる近づいた。
それはまさしく、あの手に負えなかった毒竜、大量の犠牲者を出してなお猛威を振るっていた災厄の元凶であった。
その死骸が、頭部だけが、地面に無造作に転がっている。誰かが引きずってきた跡が見えた。
町一番の斥候を自称する男が、今度は外に向かう足跡を急いで追った。
しばしの追跡のあと、倒れている若い男の姿を見つけた。
竜殺しに向かったはずの、死んだと思われていたはずの彼だった。
片手には短杖を握りしめ、力尽きたように前のめりに倒れ伏していた。
「魔術師だったのか、あんた」
ぴくり、と動いたのが分かった。斥候役の男は町へと駆け戻り、死にかけている彼を運ぶため、急いで男手を集めるのだった。
ゲイリオスは幸運だった。
その町の冒険者たちがわずかにでも強欲で、悪辣であれば、彼はその地に埋められていただろう。
竜殺しの名誉は横取りされていた可能性もあった。
彼らは諦めていた。そして長らく待っていた。この停滞した領地の、どうしようもない苦しみから解放してくれる誰かを。
誰もゲイリオスの勝利に賭けていなかった。全員が負けた。だから勝者を称えるしかなかった。
災厄の死竜討伐。
これはゲイリオスが二十代で成した偉業のひとつである。
ひとかどの冒険者たちが束で挑んで蹴散らされた死竜に、ひとりの若い魔術師が挑んで勝利した。
この話は王国全土を駆け巡った。
討伐依頼を前にして、こんなのも倒せないなんて貴族は本当は大したことないんじゃないか、そう舐めてかかっていた冒険者たちを、心の底から恐怖で震え上がらせたのがかの巨大な毒竜であった。
数多の冒険者を骸に変え、宮廷魔術師すら退けた、触れられざる化け物。
災厄の死竜は、それほどまでに恐れられていた。
腕自慢の冒険者たちが一度ならず討伐を夢見て、本気で倒すための準備をし、そして勝つことはおろか生きて帰ることすら現実的ではないと諦めたのだ。
三流の魔術師もどきは、実のところ、どこにでもいるものだ。
本物はそれとは比べものにならない。誰も倒せない化け物を、たったひとりで殺してみせた。
貴族とは、こうした魔術の強大な力を占有する存在なのだ。
それを知らしめたのが、冒険者ゲイリオスの竜殺しだったのだ。
しかし、対決であるとか、雌雄を決するといった方向はよろしくない。
当時の魔術師団長は、各地で騒動を引き起こしながら、そのたび称賛を浴びるゲイリオスを取り込む方が益があると判断した。
それからは、ことあるごとにゲイリオスを王宮に招くようになった。
各地の大貴族からも助言させ、宮廷魔術師団に加わるように硬軟自在に圧力と餌をばらまき続けた。
ついにゲイリオスは根負けした。
魔術の腕には自信があった。
正面から戦えば負けることもないと計算していた。
しかし、こうも搦め手の、しかも政治力を躊躇無く振りかざしてくる相手に対抗しきれなかったのだ。
ゲイリオスは伯爵家出身であるがゆえに、宮廷魔術師への任命が身に余る栄誉なことであると理解していた。
勧誘が強まるにつれ、推薦者の格がそれに比例して上がったことで、ついには断りきれなくなったのだ。
国王の名前を出される前に折れるしかなかった、とも言う。
このような経緯があり、齢四十を過ぎてからの、抜擢と呼ぶにはあまりにも遅い頃合いに、彼は宮廷魔術師になったのである。
ともかく、陛下より承った重責であるからと懸命に務めを果たした。
それから十年、彼は身を粉にして働いた。
不平不満は口にしても、仕事の手は抜かなかった。
ときには冒険者には手に負えない危険な魔物を討伐し、諸侯の小競り合いを仲裁したりもしたし、王族からの無茶振りに応えたり、その合間に古い魔術の研究するなどして、多忙を極めた。
五十歳になると、次の師団長にとゲイリオスを推す声が増えてきた。
面倒なことになった、と彼は嘆息した。
かつて自領の混乱時、領主の座を兄に任せたのと同じだ。
宮廷魔術師団長といった細やかなことにまで目を配らねばならない地位は、あきらかに向いていない。
その強い自覚があったのだ。
無欠などというふざけた二つ名を与えてくれた魔術師団長が、ついに引退を表明することを聞きつけて、彼は一計を案じた。
王族からの要請にかこつけて、闇属性の研究を大々的に始めたのである。
なし崩しに要職を押し付けられてはたまらない。その一心だった。
王家がかつて光属性の魔術を伝え、そして今や失ってしまったのと同じに、かつて存在したが意図的に断絶させられたらしき属性があった。
それこそが闇属性の魔術である。
王国内では禁術として仰々しく扱われているが、何のことはない。
闇魔術など国内の混乱と世情の変化によって使い手がいなくなった一属性に過ぎないことは、希少魔術に造詣の深い王家こそ誰よりも知悉している。
建国当時、初代王の輝かしい偉業を称え、その得意属性であった光を至上のものとした結果、それと反する闇の属性は自動的に廃れていった。
あるいは忖度なり配慮、風評被害、不運によって、当時は複数いたはずの使い手たちが去り、隠し、封じ、そのうちに痕跡すらも消え去ったのだろう。
王族の無茶振りのひとつが、光属性の復活であった。
現在の国王陛下のみならず、王家の悲願でもあったそれは、宮廷魔術師団に対して百年以上成果を求められている課題でもあった。
すなわち、それだけ長い期間をかけても芳しい結果は出ていないわけだ。
ゲイリオスの同僚たちは、それぞれ独自に調査したり、研究をしていた。
そのアプローチのひとつに、光と同じく使い手の絶えて久しい、悪名高き闇属性を参考にしようというものがあった。
ただ、闇属性の研究は、とにかくイメージが悪かった。
禁術扱いされ、闇魔術を使うと厳罰ではないにせよ多少の処罰がされる風潮があった。
ゲイリオスは闇魔術の研究を大っぴらに始め、それをあえて隠さなかった。
百五十年ほど前の内乱時に散逸した資料集めから、実験やら、調査やらを自分の名前を全面に押し出して始めてしまった。
少しでも誤魔化してくれれば皆が見て見ぬふりをできたのに、わざわざ大声で喧伝して回ったのである。
宮廷魔術師ともあろう者が! この王国に仕えるものでありながら、あるまじき行いを!
と、叱責を繰り返しても繰り返したので、ついには厳しい処分をせざるをえなくなったのである。
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