第15話 伯爵家次男ゲイリオス・デルタモア
領主は貴族であり、そして一定以上の能力を持つ魔術師でなければならない。
魔術が十全に使えるもののみが、領主としての資格を持つ。
王国が定める規則であり、貴族としての制度であり、領地持ちにとって面倒だが当然の前提である。
領主は魔術師でなければならない。
それには理由がある。
預けられた領地を守るため、特別な守護魔術を使えなければならないのだ。
領主は、その領土に縛られる。
デルタモア伯爵が、デルタモア伯爵領からたびたび離れられないように。
ラグラン男爵が、ラグラン男爵領を長く空けることができないように。
領主は守護魔術を発動し、領民を魔物から守る義務がある。
頻度は領地の場所や土地の特性にもよるが、短ければ数日に一度、長くとも一ヶ月に一度は守護魔術を発動させる必要がある。
それを怠れば、領地の何処かに魔物が出現する。
先代のデルタモア伯爵は亡くなった。では誰が守護魔術を発動するのか。
兄にはまだ無理なことは分かっている。
生まれたばかりの三男にはなお不可能だ。
しかし、次男のゲイリオス・デルタモアにはできることだった。
兄や家臣たちには隠していたが、彼には飛び抜けた才能があった。
魔術は同年代の誰より上手く使いこなせた。
学園の授業でやる内容はとうに知っている知識ばかりだった。
こっそり中級魔術の練習もしていた。
以前、書庫の奥に隠されていた禁書に目を通したこともあった。
領主のみに伝えられるはずの守護魔術の使い方も、すでに知っていた。
だから、どうしたいのかを兄に尋ねることにした。
兄に必要なのは時間だけだった。時間をかければ、兄はいずれ守護魔術くらいは使えるようになる。
ゲイリオスの見立てでは、せめて一年か二年の猶予があれば、兄は領主の仕事を十全にこなせるはずだった。
兄はゲイリオスの申し出を聞いて、天を仰いだ。
「お前は……父上そっくりだな」
「どういう意味です?」
むっとして、ゲイリオスは嘆息する兄に聞き返した。
「自分の正しさを確信しているから、他者の気持ちに頓着しない」
「む」
父が、思い詰めた愛人に大金を渡したときの姿が目に浮かぶようだった。
きっと優しい言葉も投げかけず、事細かな説明もしないで、お前のためだと押し付けるように渡したのだろう。
なるほど、父と近しかった兄が言うのなら、そうなのかもしれない。
そして、兄が父のことをそのように見ていたことを初めて知った。
喜んで良いのか、それとも反論するべきかも分からなかったが。
ゲイリオスは、兄の顔をじっと見た。
悲しみと憎悪と困惑と、それから諦めの混じったひどい表情だった。
彼はこれまで、兄のこんな顔を見たことがなかった。
そもそも喧嘩するほど深く長く会話をした覚えもなかったが。
家でも学園でも、彼と兄とはそれほど親しく話したことはない。
貴族の家に生まれた兄弟など、そんなものだろうと互いに思っていたからだ。
「俺はさ、お前が継いでもいいと思ってるんだ」
「いや、それは」
「気を遣ってるんだろ? それとも同情か?」
どうなのだろう、とゲイリオスは自分に問いかけた。
しばらく考えてから、ゆっくりと息を吐いた。
「先に聞かせてください。兄上は、父の跡を継ぎたいのですか?」
「……そうだな。たぶん、そうなんだろう」
「たぶんとは」
「俺はさ、それ以外の将来について考えたことがなかった。そのときまで、もっと時間があると思ってたからな。真面目に考えたことが……悩んだことがない。父にも皆にもそう望まれたから、自然と領主になるんだと思いこんでいた」
でも、と兄は首を横に振った。
「いまの俺には実力が足りない。能力が不足している。資格がないんだ。領民のことを考えたなら……早く守護魔術をかけなおさなきゃいけない。なら、お前が領主になったほうが皆のためになる。領主には、領地を守る義務があるんだ」
「力があるものがなるべきだと?」
「王家に頼んで、一時的な代理を頼む手はある。でも、一年でも二年でも、他家の者に大事な領地を任せてしまうのは……」
「領主としての能力の適格性を疑われることには変わりない、と」
「だったらお前が領主になってくれたほうがまだマシだ」
これは果たして本心だろうか。
ゲイリオスは兄の顔色をうかがったが、怒りと悲痛さとが入り混じった表情のせいかどこまで本気で言っているのか分からなかった。
少し考え、ゲイリオスは肩をすくめた。
他人より弟がなったほうがマシ。その言い方に本音がにじみ出ている。
「つまり、兄上は、自分こそが領主になるのがもっとも良いと」
「俺はそんなふうには」
「言ってます」
「……そう、かもな。お前が言うのなら、そうなんだろう」
「どういう意味ですか」
「知ってたんだよ。俺よりお前のほうが領主としての適性がある。頭もいいし、魔力だって俺よりずっと多い。そのくせ魔術の腕前は下級生でも随一なんだろ? 俺がお前より優れているところは……せいぜいこの顔くらいか」
ゲイリオスは兄の諧謔を笑い飛ばさなかった。
「ははっ。せめて笑ってくれよ」
「事実なので」
「まあいい。だからさ、お前が判断した方がたぶん正しい。なあゲイリオス。俺は領主になりたい。父の跡を継ぎたいと、そう思っている。でも、お前がなるべきじゃないか? 一年どころか半年ですら、領主不在のままじゃデルタモアは悲惨なことになる。その空白期間を埋めるには、お前が領主に」
「兄上」
「なんだよ」
ゲイリオスは自分に魔術の才がある自覚はあった。
だが、同時に、領内をまとめる能力には欠けていると知っていた。
「私では領主は務まらないでしょう」
「そんなことは……」
「兄上は、私の判断に並々ならぬ信を置いているのでは?」
「くっ」
言い返すと兄は吹き出すのをこらえた。続けて、そのとおりだと頷いた。
「兄上が領主になってください」
「だが、俺には」
「私の見たところ、兄上が守護魔術が使えるようになるまで、およそ二年くらいと考えています」
「待てゲイリオス。お前まさか、使えるのか?」
彼は眉を動かし、言葉にせず肯定した。
「難易度から逆算すると、現時点の兄上では難しいでしょう。しかし二年もあれば届くはずです」
「やはり、お前がなるべきじゃないのか」
「言ったでしょう。私は魔術が多少使えるだけで、領主には向いていない」
「だが、守護魔術の習得が二年後では、俺が領主になっても手遅れになる。魔物の発生や侵攻を防ぐ手立てが……」
「仕方ありません。当面は私がやりましょう」
兄は険しい顔のまま、絶句していた。
「まさか、できるのか? 領主でもないのに」
「おそらくは。代理を立てるのが不可能ではない以上、抜け道はあるはずです。どうにもならなかったら、そのときこそ王宮に泣きつきましょうか」
「すまん。苦労をかける」
そうして兄は、デルタモアの爵位と領主の座を受け継いだ。
厄介だったのは、この騒動と後始末の必要性が持ち上がったのが、二人ともが魔術学院在学中での出来事であったことだ。
当代デルタモア伯爵となった兄はそのまま卒業まで学んだ。
魔術学院卒業程度の能力があれば、守護魔術の発動は可能とされている。
ゲイリオスの見立てでは二年後になると考えていたが、兄は必死の努力によって一年で卒業を果たした。
一方のゲイリオスは休学届けを出し、一年間デルタモア領にこもった。
月に一度、伯爵位を継承した兄が領地に帰って来るタイミングに合わせて、守護魔術の発動を代行する必要があったからである。
兄弟揃って同日に戻る手もあったが、大事な守護魔術を、弟とはいえ領主以外の人間に行わせている事実は厳重に隠さねばならないものだった。
これについては家臣団にもほぼ秘匿した。
露見しないようごく一部の人間、家宰や騎士団長にのみ伝えるにとどめた。
そうして兄が学園を卒業し、守護魔術を取得するのを待って、入れ替わるかたちでゲイリオスは復学することとなった。
休学したことにより同年代に大きな遅れを取ったゲイリオスは、翌年、魔術学園を中退した。
兄がそうしたように、試験を突破すれば、実力を認められれば、卒業を早めることはできる。
だが、彼はそもそも、あと何年も通う意味を感じなかったのだ。
学園で身につける技術も知識も、彼にとってはすでに既知のものしかなかった。
しかし学園の未卒業は、貴族としての適格性の欠如と取られかねない。最初から入学しないならまだしも、中退や退学は問題が起こった結果であることが多い。
魔術学園には貴族学校としての側面もあったからである。
友人知人、教師らは全員引き止めた。それでも彼は中退を選択した。
領主どころか、貴族にも向いていない自覚がますます強くなったからであった。
彼はその後、冒険者へと身をやつした。
魔術の研鑽のため市井の魔術師に師事してみたり、西へ東へと出向いては凶悪な魔物退治にいそしみ、ときには失伝した魔術の復活を試みたりもした。
魔道具を求めて迷宮探索に挑んだり、あるいは隣国の暗躍による大事件の解決などに関わったりしながら、王国各地に逸話と足跡を残してゆく二十年だった。
四十歳を超えた頃、宮廷魔術師として推薦された。
宮仕えなど自分にはとてもじゃないが務まらないと固辞するも逃げ切れず、似つかわしくない二つ名まで押し付けられる羽目に陥った。
彼の最終学歴は魔術学園中退である。
この経歴で宮廷魔術師に選出されるなど、まさに前代未聞であったのだ。
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