第14話 《無欠》と呼ばれた男
第一部
第二章 針の先
その顔色が悪い男の名は、ゲイリオス・デルタモアといった。
あるいは《無欠》の二つ名で呼ばれることもある。
無欠のゲイリオス。
いかにも偉大で、凄まじそうな呼び名だ。
凡百より知識がある自負はある。魔物討伐においての功績も山ほどある。
だが、ゲイリオス本人はこの呼ばれ方を嫌っていた。
この無欠のような仰々しい二つ名を、宮廷魔術師は全員が持っている。
これは新たに宮廷魔術師として任命される場合、魔術師長より二つ名を授かる、というのが長年繰り返されてきた慣例であったためである。
これには宮廷魔術師が任せられる仕事の性質に関係がある。
宮廷魔術師は王家直轄の近衛騎士と同じく王国における武威の象徴であり、且つ王族のために知恵を授ける助言役、ブレーン的な役割も担う。
場合によっては王命により、貴族家への使者あるいは処断役として振る舞うこともなくはない。
であるがゆえに、宮廷魔術師には爵位の上下、格といったものがそのまま適用されなくなるのだ。
すでに爵位を持っている場合も、それを放棄するのでもなく、永久に除籍されるのでもなく、いったん棚上げにする。
そのうえで宮廷魔術師という役職を、そして地位を与えられる。
ゲイリオスの場合は紆余曲折の結果、二つ上の兄がデルタモア家を継ぐことになった。
デルタモア家は代々伯爵位を受け継ぐ一族だが、その支配する領地の中にはかつて男爵領や子爵領であった地域も含まれている。
これにより、かつてのゲイリオスはデルタモア伯爵家家臣、アンルード子爵を名乗っていた時期もあったのだ。
宮廷魔術師になったことで、ゲイリオスは子爵位を封印した。一方、爵位なしのデルタモアはたまに家名として使っている。
これは、現時点でラグラン男爵を継いでいないし、今後も継げなくなった教え子のティルが、ティベリウス・ラグランと名乗れるのと同じである。
宮廷魔術師ゲイリオス・デルタモア。
あるいは無欠のゲイリオス。
現在、彼を呼び表すために使われるのは主にこの二つだった。
話を戻す。
二つ名は、そうした爵位を全面に押し出すことで宮廷魔術師たちのあいだに上下関係が出来ることを嫌ったものであり、同時に、たとえば本来は男爵や子爵に過ぎない出自の宮廷魔術師が、公爵や伯爵相手にへりくだらなくても良い、という許可の代わりにもなっている。
だから宮廷魔術師同士では、炎獄とか、凍て風といった二つ名で呼び合うことがままある。
二つ名に強固な命名規則はない。あえていえば、得意属性や得意な魔術、戦法であるとか特徴を踏まえたものになる。
たとえば《炎獄》はその名の通り、火属性魔術のスペシャリストに与えられた二つ名である。
と同時に、最上級魔術『火炎地獄』の優れた使い手であることを示してもいる。
さらに話を戻すが、若きゲイリオスが宮廷魔術師に任じられたとき、無欠の二つ名を与えられた。
そして、この《無欠》の二つ名を心の底から嫌っていたのである。
無欠のゲイリオス。
彼はデルタモア伯爵家に生まれた。幼いころから周囲の人間によって、いずれ当主となる兄の補佐役となることを言い聞かせられて育った。
兄に遅れること二年後、彼が魔術学園に入学した当時は、その通りの未来が待っていると信じていた。
父であるデルタモア伯爵には息子が三人いた。
正妻の息子であり嫡男である兄と、そして妾の子であり次男であるゲイリオス、そして十年近く年の離れた三男である。
長男と次男とのあいだでは、後継者争いは起こらなかった。
父は兄を当主とするため早くから熱心に教育したのに対し、ゲイリオスは決して対抗馬にならないようあえて放置したからである。
兄には優秀な家庭教師がついたが、ゲイリオスはほぼ独学だった。母やその侍女から教わったこと以外は、伯爵家の書庫から持ち出した本から学んだ。
兄弟に優劣をつける。序列に差をつける。それは当然のことだった。
ラグラン男爵家など比較にならないほど巨大な家臣団も、このときばかりは一丸となって兄を次代の伯爵と推した。
一方ゲイリオスは捨て置かれた。家中の誰から見ても彼は内気な読書家であり、伯爵家を背負っていける人物とは見えなかったからである。
状況が変わったのは、高齢になった父が領内で見かけた平民の娘に入れあげて、ついには手を出したことである。
しかも伯爵の身分を隠して逢瀬を重ね、若い女を正面から口説いて男女の仲になったというのだから、実に旺盛なことである。
決して褒められたことではないが、やってしまったことは仕方ない。
その娘は幸運にも妊娠し、デルタモア伯爵家に三人目の子供が生まれた。
彼女が、年上の恋人が自領の領主であると知ったのは妊娠後のことである。
だが、最初から相手が妻子ある身とは聞いていたのだ。
だから彼女も、伯爵に自分だけを愛してほしいとか、結婚してほしいなどとは口にしなかった。
火遊びで済ますには、伯爵も、若い愛人となった娘も、真剣だった。
もちろん、ここから壮絶な跡目争いにはならないし、するわけがない。
やらかした父本人もようやく目が覚めたのか、三男を家には入れなかった。
愛人にした娘ともども生活に困らないよう領内に住む場所を手配をしつつ、本家から遠ざけようとしたのだ。
しかし、愛人とされた娘の怒りは凄まじかった。
つい先日まで熱心に愛を囁いてくれていたのに。
愛する伯爵の望んだままに息子を産んだ途端、態度が一変したように見えたのだろう。
父から三男の扱いについて説明された彼女は、とても殊勝な態度で、いっさい不満な顔を見せなかったらしい。
三男の扱いにもあなたが望むままにいたします、と頷いたそうだ。
父は謝罪と感謝を伝え、彼女に大金を渡した。
後継者争いを避けるためとはいえ、深く愛した女を遠ざけることに忸怩たる思いがあったのだろうか。
不自由な暮らしをさせたくはない。そんな考えだったのだろうか。
翌月、愛人の家に訪ねていった父は、そのまま二度と帰らなかった。
駆けつけた執事が家を調べると、彼女も死んでいた。
赤ん坊の泣き声だけが、二人の折り重なった死体のそばに響いていた。
調査の結果、伯爵の死因はワインに仕込まれた毒であった。
彼女も同じグラスを煽って死んだらしかった。
悲しい心中事件として話題になったのは、しばらく後のことだ。
当時は詳しい死因や状況は伏せられ、周囲には急死したとだけ連絡があった。
そのときゲイリオスと兄は王都にある魔術学園の寮に入っていた。
訃報を聞いて、慌ててデルタモア伯爵領へと帰る羽目になったのだ。
帰郷した兄弟は事件のあらましを聞かされて絶句した。
突然の父の死、それも死因は毒殺である。さらに悪いことに心中らしい。
事態を把握した家臣たちの混乱ぷりも、残された三男をどう対処したものかも、どうしてこんなことになったのかの意味不明さも、何もかもが混沌としていて最悪の時期だった。
結局のところ、説明が足りていなかったのだろう。
父はその愛人の娘を本家から遠ざけはしたが面倒を見る気はあったし、三男の将来についても考えていた。
ただ、相手は平民であり、若い娘であったことが災いした。
貴族の常識と、平民の思考のすれ違いに気づけなかった。
あの哀れな娘は突然渡された大金を手切れ金と勘違いしたのか、あるいは口止め料とでも思ってしまったのか。
とにかく、父とその愛人が最悪の形で死に、残された正妻と兄、妾とその息子ゲイリオスは伯爵領の混乱へ対処を迫られることになった。
問題は、次期伯爵として決まっていた兄も、次男であるゲイリオスも、魔術学園に通っている最中であったことにある。
もちろん後継者である兄は先代が急逝した以上、デルタモア伯爵を受け継ぐ権利と義務があった。
一方で、貴族としての教育を考えた場合、魔術学園の卒業は必須だ。
領主としての適格性のチェックもある。
木っ端貴族ならともかく、領主の地位を受け継ぐためには条件がある。
領主は十全に魔術が使えなければならないのである。
兄は魔術師として才能が足りていない方であった。
時間さえかければ能力は追いつくだろう。
努力もしている。
しかし、そのままでは領主として認められるだけの力は持ち得ていなかった。
魔術学園を卒業できるくらいの能力があれば、それでよい。
ただ、期限が迫っていた。必要なだけの時間が足らなかった。
もちろん伯爵位については、兄の卒業を待って継承すればよい。本来ならばそれが許される事情であった。
心中による横死など近年では稀な貴族の醜聞ではあったが、あくまで先代が笑い者になるだけの話だ。
後継者が上手くやれば、そのうち忘れられる程度の失敗でしかない。
事態は悪化する。
岩が坂道を転がり落ちるように、速度を上げて。
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