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ティル・アン・テイル せっかく生まれ変わったんだから今度こそ人生を謳歌したい!  作者: 三澤いづみ
第一部 第一章 マジシャンズセレクト

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第13話 また逢う日まで



 いつになく慌てた様子の先生が、珍しく小走りで駆け寄ってきた。

 良かった。見送りに顔を出してくれないのかと心配だった。

 そんなティルの安堵を知ってか知らずか、先生がキャビンの枠に手を掛ける。


 御者台で、今まさに手綱をひこうとしていたサルコルが、面倒くさそうにその手を降ろした。

 ゲイリオスの大声に馬たちが驚いたか、いなないている。

 落ち着かない二頭を御者が宥める様子を尻目に、魔術師が小さく息を吐く。


「先生、もしかしたら来てくれないのかと思って、ちょっと不安でした」

「フン。吾輩にも情はある」

「知ってます」


 短いやり取りと、少しだけの沈黙。

 いろいろなことを喋りたかったが、そんな時間はなさそうだった。

 ゲイリオスが、何かを渡そうと手を伸ばした。


「餞別だ。持っていけ」

「これは……」

「お前のために作らせた杖だ」

「でも、僕は」


 魔術を使えない。

 これを口に出すより早くその手に握らされたのは、不思議な質感の短杖だった。


 木のような、金属のような、鉱石のような。

 おそらく貴重で、特別で、決して安価なものでないことだけは確かだった。


「いいから持っていけ。吾輩からの詫びでもある。いつか何かの役に立つ日がくるかもしれん」


 ティルは手の中の杖を見つめた。

 先生が使っているのと似た材質、長さの杖だった。


 これまで魔術の発動を試みてきたとき、さまざまな種類の発動体を試した。

 ロングスタッフであったり、指揮棒めいた細い棒。

 指輪型のものも、ナイフのような形状の道具も使ったことがある。


 杖の有無、道具の有無で結果は変わらなかった。


 魔術行使において杖は必須ではない。

 中級以上の魔術を使う場合には杖などの発動体を用いることが多いが、使用魔力の軽減や威力向上のためであり、あくまで補助でしかない。


 すべては当人の能力があってこそのものである。

 ゲイリオスも普段は杖を使っていないし、弟子であるティルにも杖に頼るなと教えていた。


 しかし、ゲイリオスは自分の短杖を肌身離さず持ち歩いていた。

 ティルは疑問に思い、常在戦場の心構えなのかと尋ねたことがある。


 先生はそんな高尚な理由ではない、と鼻で笑った。

 若い頃のゲイリオスが師から贈られたものだったそうだ。


 何かの折に、昔の話を聞きたがったティルに根負けし、彼は教訓話として語ってくれたことがあった。


 かつてのゲイリオスは自らを天才だと思い上がっていた。

 普段から強力な杖に頼る師を内心では見下し、せっかくもらった杖をあえて使わないことで自分の力を誇示するような、実に鼻持ちならない男だった。


 彼には実力があった。

 同年代を相手にした決闘で負けたことがなかったくらいには。


 彼は当時、凶悪な魔物の討伐任務を請け負っていた。

 西へ東へと出向いては、ダンジョンの奥に居座った怪物や、街道近くに住み着いてしまったアンデッドを退治して回っていたのだ。


 それは彼の名声を高めた。

 ますます調子に乗った彼だったが、ある日、異常な強さの魔獣と遭遇する。


 特異の攻撃魔術がほぼ通用しない化け物と戦い死にかけたものの、乾坤一擲の反撃が功を奏し、かろうじて逃げ延びることができた。

 その紙一重の生死を分けたのが、師にもらった杖の力だったのだ。


 その一件もあり、ゲイリオスは杖に頼ってはならないと口にしつつ、杖を手放すのも愚かだと反省した。

 あの日、杖を持たずに戦いに赴いていたなら、逃げることもできずに死んでいたと自覚している。

 軽蔑していた師の贈り物のおかげで、命を拾ったのだ。


 後日、彼は師に頭を下げた。それから感謝を伝えた。

 師は笑って許してくれた。


 自分がどう思われようと弟子は弟子。

 その行く末を案じておるよ、と。 


 ティルは、かつて話してもらったゲイリオスの過去の失敗談を忘れていない。

 渡された杖を握りしめ、それから先生の顔を見つめた。

 いつも通りの顔色の悪さと、不満そうな目つき。


「ありがとうございますっ!」


 しかし、その瞳にわずかに滲んだ心配と気遣い、それから期待に、ティルは心からの笑顔でお礼を口にした。

 先生は淡々と告げ、キャビンにかけていた手を離した。


「学ぶことを忘れるな、ティベリウスよ」

「ゲイリオス先生……どうか、お元気で」


 では、出発しますぜ。

 じれったそうにしていた御者サルコルの声が前方から聞こえ、待ちくたびれた馬たちがゆっくりと歩き出す。


「っと、危ないですよ、若様」


 無理やりキャビンから身を乗り出そうとしたティルの上半身を、コンプリスが素早く押さえつけた。

 気づけばパテルも下半身に飛びついてきて、動きを制止していたらしい。


「あ……」


 馬車は動き出してしまった。


 最後に両親にも別れを告げようと思っていたが、間が悪いことである。

 ただ、八歳児の腕力や体格では、安全のために引き止められるのは当然だ。

 護衛であるコンプリスからすれば、冷や汗ものだったかもしれない。


 闇の中、馬車が少しずつ速度を上げていく。

 最初はともかく、この速さで走る馬車から放り出されたら、小さなティルなどひとたまりもないだろう。


 シートベルトもないのだから、事故を起こしたら悲惨なことになる。

 それが分かったから、文句を言わず大人しく座席に座り直した。


 馬車のキャビンから、真っ暗な空を覗く。

 ゆっくりと、だが確実に、どこからか日が昇りつつある。


 夜明けならではの不思議な色合いが、さっきまで黒一色だった夜をどんどん塗り替えてゆく。

 闇が薄くなって紺に溶け、鈍色に見えた雲に明るい赤が映り込んでゆく。


 暁のまばゆさが、はるか空の向こう側で広がっていった。


 馬車はどんどん進んでゆく。

 早朝の澄み切った空気と、どこか慌ただしい気配とを置き去りに、彼らの乗った馬車はラグラン男爵領を駆け抜ける。


 ときおり車輪が石を跳ね飛ばし、小刻みな振動が眠気を誘う。

 ティルはかたく握りしめていた杖を、ようやく懐にしまった。


 体重を感じて横を見ると、もたれかかってきたパテルは寝息を立てていた。

 荷造りや準備をこの月末に間に合わせるために、パテルもずいぶんと頑張ってくれたのだ。

 徹夜の日もあった。


 若様、とささやくような声で呼びかけられた。

 前に座ったコンプリスが毛布を用意してくれたらしい。さっき咄嗟に動いたことといい、なかなか気が利く男である。


 ありがとうと受け取って、起こさないようにそっとかける。

 パテルもお疲れさま、と口の中でつぶやく。


 こうしてティベリウス・ラグランは生家より去ることになった。


 生まれてから八年。

 長いようで、短い日々だった。


 ティベリウス・ラグランとして当たり前に生きているだけで、あっという間に過ぎ去った時間だ。


 これから、たった二年の我慢だ、とティルは自分に言い聞かせた。

 二年後には帰ってこられるのだからと。


 やはり疲れがあったのか、それとも緊張が続いたせいか、ティルはメイドと同じく寝入ってしまった。





 年相応のティルの寝顔を、騎士コンプリスは正面からじっと眺める。


 ラグラン男爵家に似つかわしくない、その哀れな髪の鈍色。

 男爵の、そして領主の後継者として不適格な、魔力不全症患者である事実。

 八歳とは思えぬ大人びた物言いと、それ以上に気味悪いほどの物わかりの良さ。


 なるほど。

 噂には聞いていたが、これは評価に困る。


 閣下が才を惜しむのも、男爵夫人が遠ざけなければと焦ったのも、先ほどまでの振る舞いや言葉ひとつひとつから、嫌というほど理解が出来た。

 不幸なことだ。あの家にさえ生まれなければ、もっと伸びやかに過ごし、もっと多くの道が拓けていたであろうに……


 出そうになったため息を飲み込んで、コンプリスはそっと目をそらした。


 余計なことを考えないため、彼は頭の中でスケジュールを再確認した。

 帰還できるまでおよそ一ヶ月以上かかると計算している。

 デルタモア伯爵領までの道のりは二週間とされているが、これは何事もなければ、の話である。

 早まることも遅くなることもありうるが、どちらにせよ同じだ。


 だが、多少の寄り道をしても良いと思った。

 それくらいは、きっと許される。


 コンプリスは騎士である。もとより憐憫や同情できる立場でもない。

 必要なことは、与えられた主命を正しく成功させること。これに尽きる。


 彼は己の手のひらにじっと目を落とした。

 何年ものあいだ剣を握り、鍛錬したことを示す皮の厚みや傷跡は、薄手の手袋の中に隠されている。 




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