第8話 「過去を生きる世界」
――何も最初から強くなりたかったわけでも、賢くなりたかったわけでもない。
興味本位……というにはどこか違う気もする。
ただ、やらねばならない、磨かなければならないとそう思ったのは、きっと何かしらの理由があるのだと思った。
***
「ふふ、アスってば本当に強い子に育ったわね……。」
「ああ、まるで俺らの子供とは思えないくらいに頑張ってるな……。」
シイナによる武術の指導、それを三階の窓越しに茶菓子を片手に、どこか微笑ましく、けれども寂しそうな目でその様子を眺めていた。
「家族なのに、どこか遠くに行ってしまいそうね。」
「子供もいつかは巣立つもんさ。それまであいつに俺ら親がやれることって言ったらあいつのやりたいこと、成し遂げたいことを精一杯の力で応援してサポートする。それくらいだろう。」
ごつごつとした手が艶のある赤毛の髪に触れる。
そのままたくましい男の肩に頭を預けるようにして弱音をその男にぶつける。
「私ってば、アスに対して親らしいことの一つや二つ……いいえ、もっとたくさんのことをしなくちゃならないのに、何も残せていない気がするの、」
そう言い俯いた女性の頭をそっと撫でながら、男は本音を話す。
「それは俺も一緒さ、全部シイナとシュルフ、君に任せっきりになっていた。仕事を言い訳に向き合ってこなかった結果がこれさ。」
そう自身の青髪に触れながら、男は苦笑いをしてシュルフを慰めた。
「ありがとう、あなた。私たちも、そろそろ変わらなきゃね。」
微笑むシュルフを見つめ凛々しい顔がやや火照ったような男は、
「ああ、そうだな。」
そう返し、ぎゅっと愛しい妻を鍛え上げられた肉体で包むのだった。
***
「あの二人、何を話しているのでしょうか?」
「アス様、今は私との稽古中ですよっ!」
両親のラブラブな様子を見つめるアスの脇腹に、容赦のない拳が叩き込まれた。
「うぐぅ、」
「もう、よそ見ばかりしているからそうなるんです!」
本当に容赦のない追撃の言葉とともにアスの意識も薄れていく……
「アス様!?」
驚く少女の声を前に、意識は完全に途絶えた。
***
目を開くと、そこは数年ぶりの虚空だった。
誰も居ない、なにもない、最初はそう思っていた虚空。
だが、そこには確かに人がいた。スイと名乗る紺髪の青年が――
――くそっ!いいか、アス!お前にもう一度会いに行く!その時まで必ず俺を覚えてろ!
今でも覚えている、赤子の自身に最後はそう言いながら消えていった青年をのことを。
「おーい、いるんだろ?出て来いよ」
返事はない。あるのは静寂と虚空、ただそれだけだった。
返事のない虚しい世界に呆れ、アスはその場に座り込んだ。
「しかし、この世界に来ると何か不思議な感じがします……」
それはまるで自分が自分でないかのような、体と心が分離するような、そんな感覚だった。
「何もない世界……ジグルドの逸話に似てますね。」
ジグルドの逸話、それは古来から言い伝わるおとぎ話のような話である。
内容は大昔に実在したと言われている世界を救った英雄の一人、ジグルド。彼が魔王と呼ばれるロキを倒す間際、死に際で入った世界の話だ。
逸話などそこまで信用していなかったアスだが、その世界の話だけは今いる虚空と名付けている世界と類似している点がいくつもある。
一つ目に何もない空白の世界ということ、二つ目に謎の声が語り掛けていたということ、そして三つ目――
「ジグルドはこの世界で何者かを見た、か……」
それが何者だったのか、何故その者はジグルドの前に現れたのか、いまだ不明な点は多く、この逸話は世界中の学者が研究を重ねているといううわさを聞いたこともあった。
「なにはともあれ、ジグルドはその後、この世界から抜け出した後、世界を救った英雄として末代まで語り継がれた、とかでしたっけ?」
なにもかもわからないがただ一つ確かなことがある。
「この世界に入ったことのある者はジグルド以外にあと三人、どの方も『英雄』の称号を手にした『転生者』との話ですが……」
アスは転生などしていない。もし仮に転生していたのだとしても、前世の記憶を持たざる者がこの世界に入ったなど、どの書籍を調べても出てこなかった。
つまりアスは――
「僕は異端児のようなもの、この世界の……シイナの言葉を使うならバグのようなものでしょうか……?」
アス・フェルムンドは世界のバグ、つまりは数千年のこの世界の歴史を歪みかねない危険分子なのではとそう推察した。
それからもいろいろと考えていくうちに、意識は徐々に、徐々に、元居た世界へと返そうと薄まっていって……




