第9話 「武術、魔術、そしてその先へ」
目覚めの瞬間、一番に目に入ったのは心配そうに見つめる母でも、何か名案を思い付いたかのような父の姿でもなく、ただひたすらに安堵に包まれた表情をしたシイナであった。
彼女の手はぎゅっとアスの手を握っており、どれだけ彼女が不安に駆られ、必死にアスの目覚めの瞬間を待ち望んでいたのかが窺える。
「アス様……。」
「「アス――!」」
その場にいた皆が、自身の目覚めの時をどれだけ待っていたのか、普段体たらくで休みの日はいつもだらけている父のアルベルドが、いつも子育てをシイナに任せっきりにしていた母シュルフが、そして何より、いつの頃からか毎日付きっ切りで身の回りの世話をシュルフに代わって行ってくれていたシイナが、皆が一先ずの安堵のため息をこぼす。
「アス、覚えているか?」
「大丈夫だった?痛いところとかは?」
両親の呼びかけにゆっくりと起き上がる。
「大丈夫です。特に痛いところもありませんし、なにより今は少々、お腹が空いているようでして……。」
重い空気を受け止め、その上で敢えての軽口を叩き、その場の空気を和ませる。
そして何も言えずにいるメイドのシイナを見て、
「久々にお母様の料理が食べたくなってきました。お父様もお母様のお手伝いをしてきてほしいのですが……」
気を利かせたアスの発言、その意図を汲み取ったシュルフが「えー……」と嫌がるアルベルドを連れ、その部屋から立ち去っていく。
二人きりになった部屋、気まずい空気が流れる中でアスはそっと口を開いた。
「別にあれは僕がよそ見をしていただけの話なので、シイナが悪く思うことは一つもありませんよ……?何よりシイナはそれが僕のためになるとわかってしてくれたことです。僕はシイナを責めませんしもし仮にお父様やお母様がシイナを責めることがあれば、絶対に納得してくれるまで弁明しますので安心してください。」
アスの配慮ある発言、配慮ある行動、それらすべての意図を汲み取っていたシイナは、それでも自身の行いを責めるように首を横に振った。
「いえ、これらはすべて、私の招いたことです。私自身、それは反省しています。」
「な、なにを反省することがあるんですか!シイナは僕のことを思って……」
アスのそれは推察だった。思い込みとも思える推察で、ただ彼女のことを過大に評価していたのだ。
「私は、ただ舞い上がっていただけなんです。アス様にあの日言われた言葉に、私はまだまだ子供なんです!何もかも一人でやってのけているわけではなくて、ただ人との出会いに恵まれて今も生きているだけの……。」
俯く顔と寂しそうな声に、アスはどことなく彼女のことを放っておけなくなった。
「……えっ?」
目覚めたばかりのいうことを聞かない体が、そっと彼女の全身を優しく包み込む。
その感覚に驚きと共に安心感から口元が緩み少女の口から声が出た。
「すみません、シイナのことを分かったような口を利いて。僕は何も、シイナのことを知らなかったんですね……。」
包み込む優しい熱が、まだ自分より小さい手が、そっと体を包み込んで、そして感情が溢れ出そうになる。
「アス様はっ、アス様は悪くありません……。私がもっと……っ、もっとちゃんとできていたら……もっとメイドらしくあれていたなら……こんなことにはっ……。」
抱きしめられた体を遠ざけようと力を込めた。
だが、その状態から抜け出せないでいる。アスよりも力が強いはずの彼女だが、何故か抜け出せないのだ。
「どうっ、してっ……。」
今まで耐えてきたものが、堪えてきたものが、何もかも全部が溢れ出しそうになった時、アスがシイナの耳元で呟いた。
「シイナだって家族なんです。だから僕はシイナを知りたい。」
声が重なる、あの日、自分が、シイナという人間が初めて認められたと思った日の声と――
シイナが僕のことを一番理解してくれていると思ったからです。なんせシイナは僕がまだ言葉を喋るのすらままならない時からずっと一緒に暮らしてきた家族なんですから。
「……です。」
掠れた小さな声で、その気持ちが、思いが溢れ出ないよう、ずっとシイナは一人で堪えてきた。
「……きなんです。」
あの日、初めて家族と言われ、自分が一人じゃないとそう気づかせてくれた人。
水色の髪に整った容姿、『英雄』の息子として生まれ育ち、その成長をだれよりも間近で見てきたからこそ、そんなアスのことが――
「好きなんです!私を認めて、私を選んでくれた……。何より私のことを『家族』と、そう言ってくれた……。そんなアス様のことが……っ、」
心の奥に秘めていた大きな大きな思いが、形となって、言葉となって、溢れ出してしまった。
「シイナ……。」
驚いたような、嬉しいような、そんな表情のアスをそっと見つめて、シイナはその場から立ち去ってしまった。
その部屋に取り残されたアスは先刻まで痛みのあった横腹を見つめる。
そこに先ほどまでの痛みはなく、残ったのは拳の跡ときっと彼女がかけてくれたのであろう慣れない治癒魔術の跡であった。




