第10話 「痕跡は消え、胸の痛みは残る。」
治癒魔術は基本、最高位の代物でもない限り、治癒による痕跡や傷跡といったものを消すことは不可能に近い。
ただ、ほかの魔術と比べ特出している点は多々ある。
一つ目に挙げられるのは、初級から中級までの治癒魔術であれば基礎的な魔力量さえあれば誰でも簡単に扱える点だ。
一般的な戦士が使う治癒魔術はこれに当てはまる。
ただ、初級、中級クラスであれば戦いの間の痛み止めにしかならない。
その点、今回アスにかけられた治癒魔術は相当なものだと言えよう。
跡は残っているものの痛みは完全に消え、動いても痛みが生じない。
基本、初級治癒魔術は単なる痛み止めに過ぎない。ただ対象の痛覚をシャットアウトするだけのため、多くの者はその術を受けた後、それまでに受けたダメージを一気に負うこととなる。
中級は一時期的に人の自然治癒効果を早めるだけで、治癒魔術と呼ぶにはどちらも少し性能面では弱い気がしないでもないがそもそも、魔力で傷を癒すなんてこと、治癒魔術の最高位の使い手である『彗星』以外に約数名、手で数えるほどでしかいない。
だが彼女は使った。
普通だと覚えるまでに人生の半分を費やしないとならないとされている上級を、いつの間にか覚えて、そして彼女は使ったのだ。
――行かなきゃ……
シイナに会いに、礼を言いに、そして先ほどの返事もしなくてはならない。
彼女は間違いなく言ったのだ。
――好きなんです!私を認めて、私を選んでくれた……。何より私のことを『家族』と、そう言ってくれた……。そんなアス様のことが……っ、
それは告白だった。
まだまだ幼稚なアスに、ずっと成長する姿を見てきた彼女にとっての最大限の言葉での、愛の告白……。
寝室のベッドから立ち上がり、一歩、また一歩と前へ踏み出す。
彼女との昨日までの鍛錬の日々を思い出しながら前へ進む。
「シイナ……、僕は、僕は、……。」
気づいた時には息が切れていた。それでも必死に彼女を探す。
伝えたいことがあった。伝えなければならないことがあった。
「はぁ、はぁ、」
母と父の元、シイナがいるはずのその場所へと、必死に駆けた。
「シイナ……、僕は、僕はシイナを、!」
言葉を詰まらせながら、あの告白に返事をしようとした時、彼女がその場所にいないことに気付いた。
「どうしたんだ、アス?そんなに慌てて、」
呑気にシュルフの料理を見ていたアルベルド、彼がアスのその慌てた様子に気付き声をかける。
「シイナは、シイナはどこに……?」
「お前と一緒じゃなかったのか?シイナならこっちには来てないぞ~。」
その瞬間、嫌な予感がした。
あの時、あの瞬間、シイナはずっと心のどこかで決めていたのだろう。
溢れそうな想いをもし仮に封じ込めることができなかったら、溢れてしまった暁には――
「おいアス!?」
その瞬間、アスは一目散に駆けた。
どこに彼女がいるのかなんて見当もつかない。
けどもし仮に、アスのその推測が正しければ――
「シイナっ!」
そこはシイナの部屋……いや、部屋だった場所という方が適切な場所だった。
辺りは一面もぬけの殻、あるのは寂しい光景にただ一枚の紙だった。
「手紙……?」
その紙にはびっしりとした量の文字、そして首飾りが包まれていた。
――拝啓、フェルムンド邸の皆様
そう子供ながら達筆で書かれた手紙の出だしには書かれていた。
そこから先は読むのが怖くて、嫌で、手が震えるのを感じる。
それでも、彼女が書いた手紙を破り捨てることができず、くしゃくしゃにしてポケットにしまい込んでしまった。
「シイナ!どこに行ったんですか!返事を、返事をしてください!」
返答はない、ただ一つ言えることは、彼女はもう、この屋敷を抜け出したということだけだ。
「お父様、お母様、少し外へ出かけてきます!」
そう言い残し、外へ去ろうとするアスをアルベルドの低い「待て、」そう呼び止める声が静止させた。
「な、なぜです?少ししたら戻ってきます、必ずです!」
焦る気持ちと苛立ちが、アスの心をどんどんと侵食していく。
「シイナが出て行ったんだろう?」
アスはその一言に驚愕と共に何故、という気持ちが大きくなっていく。
それはアスの核心を突く一言だった。
そしてそれを言い放ったのが察しの悪い男、アルベルドだったのも疑問がある。
「どうしてお父様がそれを……?」
「お前の顔見てりゃ分かる、どこか慌ててる顔だ。それにこのタイミングときたらそりゃもう察しの悪い俺でも何となく察しが付く……。」
「……?」
謎に合点した様子のアルベルド、彼は何を言いたいのか、
「お父様は何を言ってらっしゃるんですか……?」
震える声でアスは問う。
「これはお前には関係のない話だ。」
そう冷たく言い放ったアルベルドに背を向け、今度はさっきからずっと無言を貫いてきたシュルフに目線をやる。
「アス、これは契約なの……あなたのためのね。だから私の口からは何も話せない。ごめんなさい。」
「契約……?」
知らぬ間に誓われていた契約、恐らくはシイナとアルベルド、その二人の間で交わされたものだろう。
「教えてくださいよ……、シイナは、シイナはどこに行ったんですかっ!」
それでもまだ無言を貫くアルベルドの胸ぐらを掴み、叫んだ。
「さっさと教えろくそ親父っ!」
「アス!?ちょっと……お願い、落ち着いて……?」
アルベルドを床に押し付け、怒り狂うアスを宥めるような声でシュルフが割って入ろうとする。
しかし、先ほどまで沈黙を貫いていたアルベルドがそっとシュルフの方に手を向けた。
「いいんだシュルフ、こいつの気持ちもわかるさ。」
その目はどこか冷酷で、それでいてただ笑っていないような笑顔だった。
「シイナはどこか、とお前は聞いたな?」
「はい、」
冷静さを取り戻したアスはアルベルドの胸ぐらを掴んでいた手を放し、話し合いに応じる。
***
アスは駆けた。
草むらを抜け、足を滑らそうとも、何度も立ち上がり、必死に駆けた。
草むらを抜けた先、広がる森をも駆けて駆けて、駆け巡った。
シイナがいると、そう信じ、その森の中央まで駆けた先、見つけたのは彼女がよくつけていた無残な白い花の髪飾りの姿だけだった……。




