第11話 「もう君は居ない」
「シイナは、この国を去った……。」
それはアスの実の父、アルベルドからアスへの助言であった。
「シイナは何故そこまで……、それに交わした契約というのも何なんですか!」
アスは答えを欲した、まだ自身と四つしか歳の変わらない少女、彼女の立ち去ったその訳を……。
その訴えにシュルフは俯き、アルベルドは長い沈黙の後、申し訳なさげに頭を下げた。
「すまないアス。これはすべて俺が悪いんだ……、アスも、シイナだって悪くはない。」
それは謝罪だった。
それまで、一度として言葉にしてこなかった謝罪……アス自身もアルベルドの謝罪するところは初めて見た。
「シイナと俺の間で交わした約束、それは――」
なぜもっと早いうちに気付かなかったのだろう……。
彼女は従者、そして自分は彼女の主であるという事実、その真意に……彼女が今まで胸の内を明かしてこれなかった訳について――
***
シイナがまだメイドとしてフェルムンド家へ迎えられて少しも経たない時、アス・フェルムンドは命を授かった。
そしてアスが生まれて間もなく、シイナはアルベルドの部屋へと呼ばれる。
「失礼します、アルベルド様。ご用件は何でしょうか?」
緊張から動きの硬いシイナにアルベルドは容赦なく切り込んだ。
「シイナ、これから俺もシュルフも忙しくなる。アスが生まれるまでの間、休んでいた分後回しになっていた分の仕事でな。」
「……?それは承知しておりますが……。」
いきなり何を言われるかと思っていたシイナは現状説明を受けあまりピンと来ていない様子だった。
ただ、アルベルドの異様な雰囲気が引っかかる。
なぜそれほど深刻そうな顔をするのか、その理由は何かを言おうとするよりも先にアルベルドの口により説明されることとなった。
「アス、あいつはまだ生後間もない赤ん坊だ。子供のお前に頼むのも申し訳ないがあいつの面倒はシイナ、お前に任せた。」
その分メイドとしての仕事は減る、とのことだったが、それでもその仕事にシイナは重責を感じた。
『英雄』の一人息子、それも名家の次代当主候補、その幼少時代をまだ四歳の自分に任せるというのはそれだけの期待が詰まっているということだ。
その役目が本当に務まるのか不安になるシイナに追い打ちをかける様にアルベルドは続ける。
「そしてここからは契約の話だ。」
「契約……、」
「ああそう、契約だ。もしこの契約に背いた場合、お前にはこの国を出て行ってもらわなければならない。」
頷きながらさらに深刻そうに話を始めるアルベルドに、シイナは息を吞んだ。
「契約はただ一つ、アスに異性としての好意を寄せるな。もし自分の気持ちに気付いても抑えろ。」
「……え?」
アルベルドの言った契約、それはあまりシイナにはしっくりと来なかった。
もちろん言った意味はわかる。
その意図も多少はわかっているつもりだ。
だが、なぜ彼を、アスを好きになろう?
それこそあまり心配する必要はないと、そう思っていた。
ただ少し顔の整った全てを持って生まれてきたような赤子、それがシイナが最初にアスに抱いた第一印象だったのだから……。
***
本当に人生というのはわからないものだ、とシイナは思う。
アスと関わる内にただやらされているだけのお世話が、自ら望んでしようと思えるようになるとも、アスのことを本気で好きになるとも、ましてや人間にこんな感情を抱くようになるとも思ってはいなかった。
それだけシイナは過酷な人生を送ってきたと思っている。
あの日、飢えで死にそうになっている自身に声をかける影がなければきっと今頃……。
「私はあの家の人たちに救われてばかりですね、」
もう二度と出会うことの出来ないフェルムンド家の人間たちのことを思い笑みを溢す。
恐らくアルベルドはいずれこうなることを知っていたのだろう。
だから敢えて他国へ密入国する術を自身に教えたのだと思う。
「それにしても今夜はやけに静かですね……。」
いつもはもっと野生の生き物が何かしらいたはずの森、それなのに未だにその生き物に出会っていないことに違和感を覚えながらもシイナは森を駆けた。
アスに追いつかれることがないように――
***
シイナとアルベルドとの間で交わされた契約を聞き、アスは硬直した。
「我が国、セルパじゃ従者と主人とが恋愛感情を持ち、交際関係に至るのは大罪なんだ……。すまないアス、伝えるのが遅くなった。責めるなら俺を責めろ、お前等は悪くない。」
「やめて、あなた……。あなたも、誰も悪くないわ!」
シュルフの言う通り、この件に関しては誰も、何も悪くないのだ。
アルベルドは大罪でシイナとアスの二人が罰せられないよう、シイナを他国に逃がした。
シュルフはもしそうなってもいいように隣国の北国『クロリア』の通貨をシイナに秘かに渡していた。
だがアスは、アスだけは……
「僕は何も、何も出来ないで……。」
結局は全部自身にとって生きやすいように、自分のためにしてきた行動だったのだと思い知った。
「まだシイナは森の中だろうな、」
アルベルドはアスに向けそう呟いた。
「……え?」
「コホン、」と咳払いをした後、アルベルドはアスの瞳を見ながらわざとらしく呟く。
「いいか、アス。これから俺たちは久々の二人揃っての休日ってことで夫婦水入らずの時間を過ごす。その間俺らはリビングから一歩も出ないからもし何かあっても気づかないだろう。そう、例えばお前が家を逃げ出して悪さを働こうとしてもな、」
そうウィンクをしながら言ったアルベルドはシュルフの肩へ手をかけ「さあ行こうか、」と促した。
するとシュルフもそれに乗り、
「これはただの独り言だけど、アスはまだ子供なんだから好きなようにやりなさい。アスが責任を感じることなんて何一つないんだから。」
そう笑いかける様にアスの方を向いて言った。
「お父様……、お母様……、」
「良い子にしとくんだぞ~」
いつもの調子でそう言うアルベルドと温かい笑顔で旅立ちを見送るシュルフにアスは黙って一礼をして外へと飛び出した。
いなくなった少女を連れ帰るため、アスは駆け出したのだった。




