第12話 「再会」
アスは駆けた。
自身の愚かさに打ちのめされ、何もできなかったことを悔い、失ったものを取り戻すべく、必死に駆けた。
「アス様、」
耳元で自身の名を呼ぶ声が聞こえる。
彼女の声が、想いが、そして言葉が体を動かす原動力へと変わるのがわかる。
ずっと側にいると思っていた大切な人、いつも面倒を見てくれた優しい人、アスに初めて愛を伝えた愛しい人、
彼女がいない人生を、これからの日々を、アスは受け入れたくなかった。
自分の言葉が、行動が招いた結果だというのであれば、彼女を連れ戻すのは自分でなくてはならない。
生まれて初めて、アスは責任というものを感じた。
感じて初めて、自らの手で責任を取りたいと決意した。
「シイナっ……、待っていてください……。」
必ず連れ戻すと、絶対にまたあの他愛のない生活を送ろうと、二度と一人にはしないと、そう自身の中で誓いを立て、アスはセルパとクロリアとをつなぐ森へと入っていった。
***
――一時間も前の事、シイナは一人、森へとたどり着いていた。
「アス様はまだ家でしょうか?追ってこなければいいのですが……。」
それはアスの性格をよく知るシイナだからこそ浮かぶ心配であった。
彼は必ずシイナの身の危険などを心配して追ってきてしまう。
「アス様には悪いことをしました……。私が未熟だったがために結局こうなるとは。」
恐らく彼はシイナを責めないだろう。
それどころか原因を作ってしまったのは自分の責任だと自分のせいにしかねない。
それを防ぐために、アスがこれからもしっかりと成長していけるように、シイナはアスに手紙を残した。
だがシイナもわかっていた。
「アス様は手紙なんて読まず、私に直接会いに来るでしょうね……。」
それは長年、一緒に過ごしてきたからこそ導き出した確信だ。
彼は必ずこの場へ訪れる。
たとえ『英雄』と『彗星』に反抗してでも、いつも利口だった自身を捨ててでもそうすると、そう確信していた。
だからこそ急がねばならない。
彼がここへ来るその前に、クロリアへと行かねば恐らくシイナはアスに言われるままフォルト家へ戻ってしまうだろう。それだけは必ず避けねばならない。
もし自身が戻ってしまえばその後どうなるかなんてことはわかっている。
フォルト家はもう一度、シイナを歓迎しよう、だが国がそれを認めない。
フォルト家が国を敵に回すことになるその前に、そうシイナは自身に言い聞かせ、森を駆けた。
***
「シイナ!シイナ!いませんか!?シイナ!」
シイナがフォルト家を出て、少なくとも二時間は経過した。
もう彼女がクロリアに着いていたとしてもおかしくはない頃だろう。
それでも諦めるなんて選択はアスの中にはなかった。
部屋がまっさらだったと言うことは、彼女がそれだけ多くの荷物を持ち運びながら森へ来たに違いないとわずかな希望に縋りついて、アスはただひたすらに森を駆け巡った。
***
「アスは大丈夫かしら……」
息子の身を案じるのには理由があった。
「大丈夫さ、あいつはシイナからかなりの武術を叩きこまれてる。そこらの猛獣には引けを取らない。」
「そうだといいのだけど……。」
アスの行った森には一つの大きな問題があった。
それは故郷の境であるが故にどちらの国の人間も立ち入ることができず、日常的に猛獣と呼ばれる獰猛な野生生物の住処となっていたことだ。
シイナをそこから密入国させるのもリスクはあった。
だが彼女は一年もせず武術と魔術の基礎を理解し、さらには上級治癒魔術を会得したのだ。
それはまさにセンスの域、それ故、アルベルド自身がシイナにアスへ武術と魔術を直接指導することを許可した。
その弟子でもあるアスなら大丈夫だろうということで止めなかったアルベルドだが、一つ懸念があった。
だがそれを今のシュルフに話すのは不安を煽るだけだと考え、何も言わなかった。
「心配かい?」
「ええ、だってアスは……あの子はまだ四歳で……それにシイナのことだって……、私、母親失格だわ……!」
悲痛な声にアルベルドはそっと彼女の肩に手をやり優しく抱きしめた。
「大丈夫、少なくとも君はあの瞬間、アスを見届けた時は親として最善の行動ができていたよ。」
それは慰めではなかった。
アルベルドはあの瞬間、自責の念を感じていた息子になんと言葉をかければ良いかわからず黙り込んでしまった。
そこに声をかけたのは他でもない、彼女なのだ。
誰よりなによりも早くシュルフは母親として間違いのない言葉をかけた。
むしろ親として何もできていないのは自分の方だと、そう思いながらも、何も言わずアルベルドはただシュルフを抱きしめて離さなかった。
彼女を不安にさせないように、必死に、必死に……
***
きっとこれは自分自身への報いなのだろうとシイナは思う。
いるだけで幸せであった空間に更なる望みを望み、想いはすべて包み隠そうとしたがそれにも失敗し、彼が来るとわかっていながら疲れたことを言い訳にして森の中央の草原で休憩を挟んでいた愚かな自分への報い……
その瞬間、シイナの身は”それ”に吹き飛ばされた。
「あ……、」
意識が途切れる寸前、シイナは自身の髪飾りが外れてしまったのを感じた。
それはずっと大切にしてきた髪飾り、八の歳になる頃アスが秘かに送ってくれた唯一の誕生日プレゼントであった。
意識が薄れていく……
――シイナ、せっかくのきれいな髪、何も付けないなんて勿体ないですよ。
意識が薄れていく……
――シイナ、少し早いかもですが僕からのささやかなお祝いです。趣味じゃなかったら付けなくとも構いませんので!
意識が薄れていく……
――僕はシイナに出会えて、この家に生まれてきてよかったと、本当にそう思っていますよ。
意識が薄れる中、最期の最期にまた望んでしまった。
「アス様……どうか、お幸せに……。」
――シイナが僕のことを一番理解してくれていると思ったからです。なんせシイナは僕がまだ言葉を喋るのすらままならない時からずっと一緒に暮らしてきた家族なんですから。
アスの一言一言が恋しくて、愛おしくて堪らない。
遠くから聞こえる自身を呼ぶ声、願わくば最期を見届けてほしいと思いながらも、彼の身の無事を祈り、シイナの意識はそこで消えた。
***
アスはその静けさに違和感を感じた。
森の中、生き物の一匹も見当たらない不自然さから周囲を警戒する。
もしこの森に何かが生息していたとしてもどうにかできる自信はあった。
それはこれまでシイナから教わってきた武術があったからと言えよう。
警戒は怠らないようにしながらアスは森の中を駆けた。
彼女の名を叫びながら必死に駆けて、駆け抜いた先に森の中央に位置するひらけた草原に辿り着いた。
もう走り回ってかれこれ三時間、その周辺を見渡した時、一つの物が目に入った。
「は……?」
腑抜けた声に次第に荒くなる息遣い。
見間違えであればよかった。
見間違えるわけがなかった。
それは、そこにあったのは、シイナの誕生日前に送ったはずの白い花の髪飾りだったのだから……。
「嘘だ……、」
アスはその事実を拒絶した。
「嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ……、」
そんな訳がないと全力で否定した。
それでも状況証拠がそろっている以上、そうとしか考えられなかった。
「シイナ……?出てきてくださいよ……、悪ふざけですか?笑えないですよ……、」
悪ふざけなどではないことをアスは理解していた。
それでも、それが嫌で、その事実を拒み、何もかも全てを拒絶した。
泥と赤い色の液体で汚れたその髪飾りを手に取り、アスは首を横に振る。
「そうだ、こんなに赤くなかった、こんな汚れてなかったし、シイナが持っているのとは別物だ!そうに決まってる……。第一シイナはもっと丁寧に扱ってくれてたじゃないか!そうだ、そうだ、シイナのな訳がない。きっと誰かが落としたんだ、後で落とし主に届けてあげないと!」
頭ではわかっていた。
それが落とし物でないことも、そして誰のものかということも。
だがそれを脳が拒む。
「シイナのものな訳ない。シイナ、シイナ……シイナ!どこにいるんですか!」
虚しい声は森の静寂に消えていく。
「嫌だ……。」
その時、頭の中が真っ白になるのを感じた。
まるであの虚空の世界のように真っ白で、それでいて様々な感情が巡っている。
「嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ、嫌だ!」
アスはその時初めて感じた、失うことへの恐怖と虚無感を。
――久々だな。
頭の中に声が響く。
なにかが自身に語り掛けてくるのを感じた。
その声はどこか懐かしく、聞き覚えのある声だった。
――忘れちまったのか?アス……。
その声の主の正体、それが昨日のことのように蘇る。
――言ったろ?もう一度会いに行くと……
それは四年ぶりの『大罪人』との再会だった。




