第6話 「Start」
「アス~パパでちゅよ~」
「アルベルト様、その辺にしといてください。これからアス様はお昼寝の時間なので。」
あれからというもの、父――アルベルドは僕のことを溺愛するようになった。
そして、それに待ったをかけるメイドのシイナというのがいつものパターンと化している。
「はいはい分かったよ、つれないな~シイナは。」
「もう、分かったならそこをどいてください!アス様はまだ生まれて間もないんですからしっかりと寝かせてあげないと!」
そう父を叱る彼女、見た目で言えばまだ幼女に近い少女なのにしっかりしているとも思えた。
それと同時に、彼女を見るたび、何故か胸の奥がざわつくのはきっと気のせいだろうと気にも留めずにいた。
「ふう、アス様少々失礼します。」
そうして彼女に抱かれ、心地よい感触が体全体を覆い、やがてすぐに眠気が来た。
***
「あれ、ここは一体……」
そこは夢で何度も訪れてきた不思議な空間だった。
辺り一面白で覆われた虚空とでもいうべき場所、そこに訪れるたび、謎の声がアスに訴えかけてくる。
――思い出せ!思い出せ!思い出せ!思い出せ!
その声はまるで自分の中にぽかんと空いた穴に訴えかけてくるような、何かを留めているような、そんな声だった……
――お前の真の名を、そして目的を!
それは訴えかけるような声から徐々に変化し、
――忘れないでくれ……
祈るような、願うような声で最後は掠れて消えていって……
***
「随分と長い間寝ていましたね。おはようございます、アス様。」
「あぇ?」
ふかふかとしたベッド、横には寝ぐせのついた長い緑髪を直そうとするシイナの姿があった。
彼女は無防備な格好でこちらに手をやると、そのまま抱きかかえて、食卓まで連れて行ってくれた。
「少しお待ちください、すぐに朝食の準備をしますから。」
そういうと奥の方へ駆けていきすぐに戻ってきて哺乳瓶をアスの口へと入れた。
勢いよくその哺乳瓶を口にする姿を目に彼女は頬杖をついて笑顔を見せた。
「昨晩は私に抱き着いて離れてくれなかったから大変だったんですよ、」
そんな彼女のどこか儚げな瞳に既視感を感じ、ただそれすらも、今はどうでもよかった。
ただ今は、今だけは、この瞬間を、この幸せを、絶対に手放したくないと、そう思った。
***
――お前には無理だ、アス・フェルムンド。
誰かの声が聞こえる。
――お前は何も持たざるものなのだから、
違う、そう否定したくてもできない自分がいる。
――本当はもう思い出したはずだ。
「なにも……何も覚えてなんか……」
――あのメイドの事もか?
「――っ!」
――お前は『英雄』じゃない、英雄でもない。
呼吸が思うようにできない。それは図星を突かれたからか、それとも――
お前は――
「僕はアスだ!名家フェルムンド家の長男にして、『英雄』アルベルド・フェルムンドと『彗星』シュルフ・フェルムンドの息子っ!アス・フェルムンドだっ!!」
その声を否定したくて、幸福な時を壊したくなくて、つい、そう口走ってしまった。
虚空の空間、そこにはいつも自分ひとり、誰も居ない。そんな空間を居心地良く感じて、たまに聞こえる謎の声が不快で、何かを思い出させようとしているみたいで、それはまるで、昔の■■を見ているかのようで……
「そろそろ思い出しなよ、そうでなきゃお前は‘‘また‘‘後悔をすることになるぞ。」
ふと、背後に気配を感じた。
「――?」
振り向くと、そこには見覚えのない人影ぽつんと一つ、ただそれを見るだけで、嫌悪が、憎悪が、広がって形になっていくような感覚を覚える。
「あなたは一体……」
そこに立っていたのは酷く顔のやつれた紺髪の青年だった。
彼が何者なのか、一体なぜ今になって現れたのか、何も分からない中で嫌悪と憎悪の間に少しの懐かしさがあった。
「俺の名前はスイ、『大罪人』だ……」
そう悲しげに自身の名を名乗った青年からは、どこか申し訳なさのようなものを感じた。
「大罪人って、なんでそんな人がずっと僕の夢の中に……そもそもこの空間は一体……っ!」
分からない、分からないことが多すぎる。だがきっと、それを分かってしまえば、知ってしまえば、何もかも消えてしまうような、全てを失ってしまうような、そんな気がした。
「いいか、俺は――」
スイと、そう名乗った青年が何かを言いかけた時、虚空に一つの大きなヒビが入った。
それはどんどんと大きくなっていき、そして彼と自身の間を引き裂いた。
「一体どうなって……」
「くそっ!いいか、アス!お前にもう一度会いに行く!その時まで必ず俺を覚えてろ!」
困惑するアスに彼はただそう言って、虚空ごと消えていった。
***
「――すさま」
声が聞こえた。優しい声が、
「アス様っ!」
「うぁ?」
「もう、アス様は本当にアルベルド様に似られていますね。食べた後すぐ寝る癖が親子共々じゃないですか!」
文句を言いながらも目覚めたアスに対しにっこりと微笑む緑髪の少女がそこにはいた。




