第3話 「大罪」
その日、王国は悲しみの声に包まれた。
事情も何も知らない民衆の悲しみ、憎しみ、不安、怒りが一人の青年へと向けられた。
だが青年だけは知っている、彼の苦悩を。
青年しか知らない、その日の真実を……
***
置いて行かれた――それが自身の胸に抱えられた青年を見て最初に思ったことだった。
青年の名はスイ。友を持ち、愛を知り、愛に狂わされ、そしてすべてを失った、そんな情けない男だった。
何も持たざる者が、何も持ってはいけなかった者が、手に入れてしまった、知ってしまった。
「なんでだよ……」
憎い……
「なんで……どうして……」
憎い、憎い憎い……憎い……
――なにが?
「どうすればよかったんだよ、あの時、あの瞬間、あの場で俺はっ!」
後悔、その言葉だけがスイの頭を埋め尽くした。
もしあの時に戻れさえすれば、もしあと一歩、一秒早く駆け付けれていれば、もしあの時‘‘あんなこと‘‘を言わなければ……
「いや、だからこそ……俺が英雄だったなら……」
――もうっ、いい加減にしてっ!
散華した英雄の亡骸を見ながら、自信だけがなくなり、精神が削られていく感覚を味わっていた青年はいつの頃か少女に言われた言葉を思い出した。
先刻も言われた突き放すような怒った声。だが、どこか悲しげだった声が何度も頭を巡る。
「じゃあ教えてくれよ……あの時、あの瞬間、あの場にいたのが『英雄』だったならっ!そんくらいの力持った奴だったなら君は……」
――私はあなただからいいと思ったの、あなたじゃなきゃダメだって、そう思ったからあなたを選んだのよ……
「そっか……だから……」
ずっと忘れていた、頭の奥底に封印したはずの記憶がふと蘇った。
それは、セシリアとも最初で最後の喧嘩で起こった出来事だった――。
***
それは猛暑の続いた夏の夕暮れ時のことだった。
「ごめん、セシリア。俺のせいで怪我させちゃって……」
隣にいる手首を包帯で巻き付けた少女はそんな少年の焦る様子を見て「ふっ、」と微笑んだ。
「真面目な話だぞ!?」
心配して損したと言わんばかりの表情で少年は少女に文句をこぼした。ただそんな状況すら面白く思えてきて少女は再び笑った。
「ふふっ、ごめんなさい、ちょっとスイの真剣そうな表情が面白くって、」
まったく悪びれる様子のない謝罪に少年、スイはほっと胸を撫で下ろした。
「けどよかったよ、セシリアが無事で……本当によかった……」
「あれあれ?スイ君ってばそんなに私のこと心配して、そんなに私のこと好き?」
急な質問に顔を赤くなる。だが、いつもしてやられている仕返しだ。
スイは彼女の紫紺の瞳を見つめながら答えた。
「好きだよ、できることなら一生君の隣にいたいくらい大好きだ。」
――一瞬世界が止まって見えた。それほどまでに静まり返った空間で二人、ただ気まずそうに、でも嬉しそうな表情のセシリアをスイはそっと抱きしめた。
「セシリアちゃーん、どうしたのかな?。下向いちゃって……」
そうしていつものお返しと言わんばかりの表情で彼女の顔に手をやり、そしてそっとこちらを向くように顔を上げさせた。
「――っ!」
少女は泣いていた。嬉しくて、今までの想いが報われたような気がして、泣きながら笑っていた。
「スイのバカ……バカ、バカ……。どうしてそんな簡単に言っちゃうのよ。」
その問いに込められた意味を察し、スイはもう一度、はっきりと告げた。
「好きだから、この言葉に嘘はないよ。」
「私なんかでいいの……?」
スイは思わず目を見開いた。
いつでも自信家で、自身のことはいつもからかってばかり、そんな彼女のことだ、こんな時でさえ自分のことを茶化すだろうと、そう思っていた。
なのに――
「ありがとう、スイ。私もスイのこと大好きよ!」
それはまるで告白の様で――否、告白だった。頬を赤らめた少女は今、間違いなくスイに告白したのだ。
顔が熱い。体温が上がるのを感じる。
「ありがとうセシリア、俺が必ず君を守る、守ってみせる――!」
彼女の手を取り誓った。どんなことがあろうとも、たとえ持たざる者だったとしても、必ず守り通すと、そう決めた……。
決めたのに、誓ったのに、それなのに――
――それが俺の一つ目の大罪だ。
***
――悲劇というやつはいつも突然訪れる。
それを初めて知ったのは一体いつのことだっただろうか。親友を殺めた時?大切な人を失ったとき?自分を育ててくれた育ての親が冤罪で惨殺されたとき?おそらくだがどれも違う。
本当にそれを自覚し始めたのは多分、この世に生まれ落ちた時だろう……。
今でも鮮明に思い出す。
俺を生んだ両親、そいつらが生まれたばかりでまだ何も分からなかった俺を外れ街の路地裏に捨てたあの日のことを――
あの日もし、そのまま力尽きていれば君は多分『英雄』の隣にいたことだろう。
隣で、今もまだ可愛らしく素敵な笑顔を見せてくれていたことだろう。たとえその世界には俺が存在していなかったとしても……
***
セシリアとの暮らしは順風満帆だったと思う。少なくとも俺はそう思っていた。
セシリアと喧嘩したのはそんな生活を送っていた最中の俺の些細な一言だった。
「俺が英雄にでもなれてたらセシリアの事、ちゃんと守ってやれたのにな……。」
ぽつんと呟いた何気ない一言がセシリアの紫紺の瞳を揺れ動かした。
「もうっ、いい加減にしてっ!」
それは彼女からは聞いたことのない叫び声だった。
何が彼女を怒らせてしまったのか、なぜ彼女が泣いてしまったのか分からなかった。
「私はあなただからいいと思ったの、あなたじゃなきゃダメだって、そう思ったからあなたを選んだのよ……。」
彼女の訴え、それは思った以上に響くものだった。
――俺は逃げていたんだ、彼女が、セシリアがどこか遠く、別の男のもとに行ってしまうのではないかと、その現実を受け入れるのが嫌で、離れてほしくなかったからこそ、試すようなことを言ってしまったんだと……
――それが俺の犯した二つ目の大罪。
***
俺は五つの大罪を犯した。内三つは彼女を傷つけ、一つは、この胸に抱いた冷たい親友を傷つけた。
そしてもう一つ、俺の最大の大罪、それは――
「きゃぁぁぁ!!!」
突如として聞こえてきた叫び声が青年へと向けられた。
スイがその声の方を向くと、そこには年頃の若いメイドが震えながら怯えた目でこちらを見ていた。
「これで全部終わりか……、もうすぐそっちに逝くよ、アス、セシリア……。」
夜の星を見上げながら青年は親友と恋人にそう笑いかけた。
――自分自身が一番よくわかってる、大罪人の自分が二人と同じ場所へ行けないことなんて。
それでも青年は笑ってみせた。
なんせ彼らはスイのことを何よりも大切にしてきたのだから。
がっしりとした大柄な男たちがこちらへ向かってくる。恐らくフェルムンド邸の警備兵だろう。
そいつらはスイの胸に抱えられた青年を見て驚愕と悲しみの表情を浮かべた。
「ああ、これでとうとう……」
号泣する男達に取り押さえられ、スイは牢屋へと連れられて行った。
***
意識を失って何時間が経過しただろう、目を覚ますとそこは知らない場所だった。
日差しが眩しく、辺りには数えきれないほどの人がこちらを見ている。
――一体どういう……
状況を吞み込むより先に何か硬いものがスイの頭に当たった。
何かと思って見てみる。すると今度は突如として視界が悪くなってきた。手は縛られておりそれを拭うことはできない。
するとまた、今度はもっと大きな衝撃が来た。鈍い音とともに頭に強い衝撃が走る。
ぽとんと地面に落ちたそれを見てスイはようやく理解する。
「ちょっと早すぎはしないか、」
それは紛れもなく石だった。それも大量の、次から次へと浴びせられる。
そう、これこそが『英雄』を殺したことによる罰だ。『英雄殺し』、それはセルパ王国においては極刑に値する行為であった。
国の平和の象徴であり国家の最強戦力、民衆にとっても心の支えとなっていたのだ。それを殺したという行為は激しく民衆の怒りを買った。
「お前なんか死んじまえ!!」
「この人でなしが!!」
「さっさと首落としちまえ!」
「消えやがれ!」
「醜い面しやがって!!」
「気持ち悪いんだよ!」
多方から寄せられる罵声、その言葉はナイフのように鋭く、いとも簡単に人を死に追いやれる程だった。
憎い、『英雄』が……。『英雄』さえいなければ、こうはならなかった。
『英雄』なんて聞こえはいいがそれはただ、民衆が作り上げた理想に過ぎない。
民衆は知らない、英雄も一人の人間だったことを。
民衆は知らない、魔人騒動で亡くなった命があることを。
民衆は知らない、彼女を、英雄を、世界を。
――スイも本当は知らない、この世界も、本当の『英雄』も、彼女が自身に好意を寄せた訳も、最後にアスが自ら望んで殺された理由も。
ただ、スイは知っている。この世界が間違っていると知っている。
憎い、憎い憎い憎い憎い憎い憎い……
『英雄』が、何も知らないあいつらが、世界が、そして自分自身が……
憎い――
「なんでっ……」
その一太刀が振り下ろされる直前、スイには幻影が見えていた。
そしてその幻影に問いかける前にスイは首を絶たれた。
――スイ、次は君の番だ...…
うっすらとだが聞こえてくる幻影の声、その声に反応するより先にスイの意識は永遠の深く沈んでいった。




