第15話 「シイナ」
私は彼に何かを残せたでしょうか、何かを托せたでしょうか……。
彼の心には、これからも私という存在は生き続けてくれるんでしょうか、
私があの時、もしあのままあの場所にいたら……
――アス、あなたはなんと返事をしましたか?
「今となってはもう知る由もないですね、だって私は……」
私は失敗した。
そう、彼を好きになってしまった。
彼にその気持ちを伝えてしまった。
返事も聞かず逃げてしまった。
そして今から私は死ぬ。
今日、あの化け物に私は殺される。
呼吸はまだかろうじてできた。
でもそれだけ、手足の感覚がない、意識ももうなくなりそうだ。
それでも私は、もしこれが私の最期なら……
「アス様……どうか、お幸せに……。」
彼の平穏な未来を願いながら死のう……。
遠くから声が聞こえる――
その声の主にはきっと会うことが出来ない。
最期はあって終わりたかった、最期に会わなくてよかった。
感情がごちゃごちゃだ、もう何も出来そうにない。
もともとそういう人間だった。
生まれてきた時から、いや違う。
――それは生まれる前からずっと変わらないことでしたね……。
***
『シイナ』という名はそもそも生まれ持ってもらったななんかじゃない。
私の生まれは王国、王都のスラム街、名もないその場所で生まれてすぐに母親に売られた。
抵抗する力もない私は、赤子ではあったが女という理由で高値で取引されることが決まった。
これもきっと”前世”での行いのせいだろう。
この世界に生まれる前、私は引き篭もりだった。
容姿が理由でいじめを受け、学校に行かなくなり、毎晩のように両親の喧嘩する声を二階から静かに聞くことが増えていった。
最初は私が不登校になった原因のこじつけ合いだったのが、いじめを受けていたと知り、何故私がこんなに醜い顔で生まれてきたのかというこじつけ合いになっていた。
毎晩鳴く母親の声と怒声を挙げる父親の声が聞こえた。
そんな人生が嫌になって、もういっそのこと、そう思いながら私の人生は終わりを迎えた。
そんな私だが、この世界に来て浮かれていた。
魔法で人々を笑顔にしたり、勇者になって『英雄』として名を遺したり、普通の暮らしを送るのもありだと思ったし、叶うことなら王子様のような人に出会って一生を共にしたいとも思った。
――けど現実は違った。
母に売られ、どこかの蛮族の恐ろしい趣味、嗜好に付き合わされそうにもなった。
四歳にもなると大人たちも私の顔がこの年にしては珍しく整っていることに気付き、襲われそうになった。
――そんな時だった。
襲われそうなところを『英雄』を名乗る人物が助けてくれた。
それから私は彼の家に引き取られ、『フェルムンド家』のメイドとして雇ってもらうことになった。
それからは大変だった。
私は来てすぐに家事全般を任され、ついでにとその家の息子の世話までさせられた。
これなら潔く身を差し出していた方が楽だったんじゃないかと思う日もあった。
けれど、その赤子の面倒を見始めて気づいたことがあった。
「私が抱えるとすぐに寝ちゃうんですね……。」
それにはかなり助かった。
普通、このくらいの年頃の子はわがままを言い、泣き喚き、何かの拍子に怒ったりする。
そんなものだと思っていたし、この世界でもその認識で違いはなかった。
王都に買い出しに行っていると何人もの母親らしき人物が子を宥めているのがわかる。
いつしか彼の寝顔が可愛く思えてくるようになった。
無防備な顔に指で触るとむず痒そうな顔をした。
普通の子供が喜ぶことはあまり喜ばなかった。
たまに日頃の感謝の礼か家事を手伝うようになってきた。
三年という月日はあっという間に経ち、彼は私に学問を教えてほしいと言ってきた。
私は最初、隙間時間で勉強を教えることになっていたが、アルベルド様に見つかり、家事の負担を減らしてもらった。
それからは彼に武術やちょっとした魔術も教えることになった。
魔術に関しては勉強の一環として教えていたが実践では武術しか教えなかった。
違う、武術しか教えることが出来なかっただけだ。
武術はメイドの心得としてアス様が生まれる前からアルベルド様に叩き込まれていたこともあり、簡単に教えることが出来た。
学問に関しても同じだ。
だが魔術だけは独学で勉強するしかなかった。
基礎的な魔力の放出方法から魔術にするまでの一連の流れをひたすらにやった。
全て彼のためだと思うと苦ではなかった。
それが何故なのか、自分の気持ちに気付き始めたのもその頃だろう。
だからこそ怖かった。
彼のことをどんどんと好きになる自分が、この気持ちが溢れそうになるのが、なにより彼と離れ離れになるのが怖かった。
それを悟られまいとしていた、でも気づかれてしまった。
彼は優しく私の心にノックをした。
それを私は開けてしまった。
心の扉を、想いの蓋を、彼は簡単にこじ開けてしまった。
***
死んで当然、何も残せなくたっていい、彼はきっと今も私を探している、その事実が嬉しくて、そして悲しかった。
当然、私を探すということはあの怪物と対峙をするということ。
彼はまだまだ未熟だ、勝てるわけがない。
だからこそ、自分を諦めて欲しかった。
「おい、連れてくぞ!」
「いんや~それにしてもこれは参りましたね~。まさか魔物、しかも上級とは~。」
「だ……れ……?」
意識が薄れる中、二人の男が自分を担いでどこかへ行こうとするのだけがわかった。
***
「それにしても人遣いが荒い方ですな~、ジェルファ殿も。そうあ思いませんかね~、ロズ殿~?」
調子よさげに黒髪の男が少女を抱えながら笑う。
「『剣王』様になんて口の利き方だ!お前、後で絶対にチクるからな……。」
灰色髪の男はその後の彼の弁明に耳を傾けず黒髪の男を急かした。
「急ぐぞ、リューズ!もう時間がない!」
「はいはい……。」
黒髪の男は静かに、不気味な笑みを浮かべて闇夜に消えていった。




