第19話 中間通過の通知は、祝福になりきれない
通知は、だいたいこちらの都合の悪い時間に来る。
別に本当に“悪い時間”を選んでいるわけではない。webコンテストの運営が、私の会議予定や月末進行や客先対応の合間を見計らって結果を出しているはずもない。そんなことは分かっている。
それでも、なぜかいつもそう感じる。
その日、通知が来たのは午後一時十二分だった。
営業管理課の昼休みは、きっちり何分から何分までと決まっているわけではない。各自が電話や来客の隙を見ながら、適当にずらして食べる。私はその日、少し遅めに共有スペースの端でコンビニのおにぎりを食べていた。鮭と昆布を一つずつ。紙パックの緑茶。昼としては味気ないが、味気ない昼食は会社員としてはべつに珍しいものではない。
午前中はそこそこ詰まっていた。
榎本は営業部の見込み表に顔をしかめ、三浦は客先の言い回しに振り回され、本城は会議用の一覧を静かに揃えながら、たぶんフロアの誰より早く「今日のどこが荒れるか」を把握していた。私はその中で、数字を少しだけ現実へ戻し、文面の角を一つだけ削り、部長の無駄に長い確認を何とか短く終わらせた。
そういう午前だった。
だから、昼休みくらいはスマホを見ずにいてもよかったのかもしれない。
だが私は結局、紙パックのストローを噛みながら、私物のスマホを取り出してしまった。
通知バッジが一つついていた。
投稿サイトのアプリだ。
その時点で、胸の奥が少しだけざわついた。
覚えていたからだ。
今日が、中間結果の発表日であることを。
私は今の商業シリーズとは別に、別名義に近い形でwebコンテストへ作品を出していた。完全に別名義というほど切り離してはいない。だが、少なくとも今の読者や編集がぱっと見てすぐ結びつけるような出し方ではない。会社にはもちろん秘密で、家でもそこまで細かくは話していない。
理由はいくつかある。
一つは、商業作家である自分と、webコンテストでまだ何者でもないように扱われる自分を、少しだけ切り離しておきたかったこと。
一つは、受賞できなかった時に、失敗をあまり広い範囲へ持ち出したくなかったこと。
そしてもう一つは、自分でも情けないが、“まだ新人のように挑戦している”感じをどこか人目から隠しておきたかったことだ。
四十七歳の現役ラノベ作家が、商業を続けながら、別の場所でまた賞を取りに行く。
その姿は格好いいのか、往生際が悪いのか、自分でも時々判断に迷う。
私は通知を開いた。
『一次選考・中間選考通過のお知らせ』
文字を見た瞬間、私はすぐには何も感じられなかった。
通過した。
また、そこまでは行った。
画面には、作品名と簡単な定型文が並んでいる。
多数の応募作の中から選ばれました、という類の、きれいに整った運営の文章。誰にでも同じように届くはずのそれが、いまの私には妙に無機質に見えた。
中間選考通過。
それ自体は、悪いことではない。
むしろ立派だと言っていいはずだ。応募総数にもよるが、少なくとも「何も残らなかった」わけではない。読まれ、引っかかり、途中までは届いたということだ。
若い頃の私なら、もっと素直に喜んだだろう。
一次通過の通知一つで、夜のコンビニへ缶ビールを買いに行ったこともある。
誰にも言えないからこそ、一人で少しだけ大げさに喜んだ。
そういう時期が確かにあった。
いまは違う。
私は通知画面を見つめながら、胸の中に湧いてくる感情を、しばらく言葉にできなかった。
うれしい。
たしかに、うれしい。
でも、そのうれしさのすぐ横に、もう別の感情が立っている。
またここまでかもしれない、という予感だ。
私はこれまでにも何度か、同じ場所までは行ってきた。
中間。
あるいは最終候補一歩手前。
編集部がもう少し迷った形跡のありそうなところ。
そこまでは届く。
だが、最後に残れない。
“駄目”ではない。
“届いていないわけではない”。
でも、受賞でもない。
その微妙な位置の悔しさを、私はもう何度か知ってしまっている。
「係長」
声をかけられて、私は反射的にスマホを伏せた。
本城だった。
マグカップを片手に、いつもの静かな顔をしている。
「ここ、空いてますか」
「ああ、どうぞ」
私は何でもない顔でそう答えたつもりだった。
だが、本城は椅子へ座りながら、ほんの少しだけ首を傾げた。
「何かありました?」
「……いや」
そう言いかけて、私は少しだけ迷った。
会社では作家であることを隠している。
その延長で、webコンテストのことも当然言えない。
だが今の顔は、たぶん何かあった人間の顔をしているのだろう。
「通知が来ただけだよ」
私は結局、いちばん曖昧な返しを選んだ。
本城はそれ以上は踏み込まなかった。
ただ「そうですか」とだけ言って、紙パックのミルクティーへストローを刺した。その距離感に、私は少しだけ救われる。
人は時々、何も聞かれないことに救われる。
私はスマホを机の上へ伏せたまま、おにぎりを一口かじった。鮭の塩気が妙に強く感じる。緑茶を飲んでも、喉の奥のざらつきは消えない。
中間通過。
うれしいはずなのに、祝福になりきらない。
私は紙パックの角を指で押しながら、心の中でその言葉を繰り返していた。
◇
午後の会議室は、相変わらず空調が強かった。
営業部の課長が売上見込みの話をし、部長が来月の動き方を確認し、榎本が一つずつ現実的な線へ数字を戻していく。私はその横で資料をめくりながら、ついさっき見た通知の画面がまだ目の裏に残っているのを感じていた。
中間通過。
会議中に何度か、その言葉が頭をよぎる。
嬉しいのか。
悔しいのか。
あるいは、そのどちらでもなく、単に“またか”なのか。
たぶん全部だ。
人は若い頃、結果をもっと単純な二色で塗れると思っている。
合格か不合格か。
成功か失敗か。
喜ぶべきことか、落ち込むべきことか。
でも現実には、その中間にある曖昧な結果がいちばん扱いに困る。
中間通過は、才能の否定ではない。
だが、勝ったとも言えない。
「おめでとう」と言えば、どこか大げさだ。
「惜しかったね」と言う段階でもない。
「すごいじゃないですか」と言われると、素直に頷ききれない。
「でも賞じゃないんで」と返すと、今度は自分がひどくひねくれて見える。
だからたぶん、私はこの通知を誰にも言わない。
高梨にも。
真由美にも。
結衣にも。
もちろん会社の誰にも。
祝ってもらうには半端すぎる。
悔しがってもらうにも説明が長い。
こういう曖昧な成果は、一人で抱えるしかない。
「佐伯くん、どう思う?」
部長に声をかけられて、私は慌てて現実へ戻った。
会議資料の数字。
営業の見込み。
来月の先方動向。
私は喉を軽く鳴らして、言葉を選ぶ。
「現時点では強気に寄せすぎないほうがいいと思います。いまの返答だと、先方の最終判断まではまだ一段あります」
「ふむ」
部長が頷く。
会議はそのまま進む。
私は少しだけ自分に呆れた。
中間通過の通知を見た直後でも、こうして普通に係長として答えられてしまう。器用なのか、鈍いのか、自分でもよく分からない。
でも、たぶんそれが会社員としての私であり、同時に作家としての私なのだろう。
喜びきれない通知を胸の中へしまったまま、次の会議の現実へ返事をする。
そうやって何年も二重に生きてきた。
◇
午後五時を過ぎた頃、ようやく一人になれたタイミングで、私は喫煙室跡のベンチへ腰を下ろした。
いまはもう禁煙になって久しい。灰皿は撤去され、代わりに小さな観葉植物が置かれている。誰の趣味なのか分からないが、こういう場所に緑があると会社は少しだけ人間らしい顔をする。
私は私物のスマホを開き、もう一度だけ通知画面を見た。
文面は変わらない。
もちろん変わるはずがない。
『一次選考・中間選考通過のお知らせ』
私はその下に小さく表示された作品タイトルを見つめた。
悪くない作品だと思っている。
少なくとも、自分なりに今の生活や歳の重なり方を使って書いた。若い頃なら書けなかった会話もあった。会社と創作の狭間で削れた感覚を、少しでも物語へ変えようとしたつもりだった。
だから、中間まで届いたこと自体は嬉しい。
嬉しいのだ。
だが、そこで止まる自分も、また何となく想像できてしまう。
その想像が、うれしさを少し削る。
過去の経験というのはこういう時、優しさより先に諦めを運んでくる。
私はアプリを閉じ、代わりに受賞作品一覧のページを開きかけて、やめた。
見れば比べる。
比べれば削られる。
今はまだ、その段階ではない。
それでも気になってしまうのが創作者というものだろう。自分のどこが届き、どこが届かないのかを知りたがる。知ったところで明日すぐに変えられるわけでもないのに、それでも見てしまう。
私は結局、一覧までは開かずにスマホを閉じた。
風が少しだけある。
観葉植物の葉が、わずかに揺れた。
おめでとうと言われるほどではない。
でも、何でもなかったわけでもない。
その半端さが、ひどく身に覚えのある場所に感じられる。
まるで今の自分そのものみたいだ。
売れている。
でも専業にはなれない。
書けている。
でも次が決まらない。
評価される。
でも賞は取れない。
全部が「ゼロではない」のに、「届いた」とも言い切れない。
その中途半端さに、昔の私はずっと苛立っていた。
いまも、苛立たないわけではない。
ただ、最近はその場所が少しだけ“自分の生きている場所”として輪郭を持ち始めている気がする。
◇
夜、書斎に入ってから、私は原稿ファイルではなくメモ帳を開いた。
今日はどうしても、先にこの感情へ言葉をつけておきたかった。
カーソルを置き、少し考える。
それから、ゆっくり打った。
『中間までは行ける。そこから先に行けない理由は何だ。』
そこで一度、手を止める。
自分を責めたいわけではない。
ただ、そこを曖昧なままにしたくなかった。
“中間まで行ける”ということは、何もないわけではない。
題材も、会話も、構成も、何かしら届く要素があるということだ。
でも“そこから先に行けない”ということは、決定的に何かが足りないのか、あるいはどこかで無難に整いすぎているのかもしれない。
私は続けて打った。
『悪くない、では足りないのか。』
『上手い、では届かないのか。』
『生活を壊さない熱量で書いたものは、最後の一押しにならないのか。』
書いてから、少しだけ笑ってしまった。
最後の一文は、かなり自分の急所を突いている。
生活を壊さない熱量。
それはたぶん、四十七歳の私が無意識に選んでいる強さの上限だ。
会社を回し、家に帰り、原稿を書く。
その中で扱える温度には、どうしても限界がある。燃えすぎれば翌日の仕事に響くし、生活に近すぎる痛みは、夜中の机で簡単には掘り返せない。
だから私は、どこかで“ここまでなら安全”という熱量に作品を収めようとしているのかもしれない。
だが、賞を取る作品や、新シリーズとして強く立ち上がる企画は、たいていその“安全”の外側に少しだけ足を出している。
私はそのことを、最近ようやく認め始めている。
中間通過は、否定ではない。
でも、祝福にもなりきれない。
その曖昧な結果が、今夜はむしろ、自分の弱点を静かに照らしているようだった。
私は椅子にもたれ、デスクライトの下で目を閉じた。
疲れている。
でも、眠いだけではない。
どこかでまだ考えている。
なぜ最後の一押しにならないのか。
自分の作品は、どこで“いい話”で止まり、“受賞するほどの何か”になりきれないのか。
その問いは、痛い。
でも、今日の通知が来たからこそ、ちゃんと正面から持てている問いでもある。
私はもう一度、メモ帳へ向き直った。
『おめでとうと言われるほどではない。』
『でも、何もなかったふりをするには惜しい。』
その二行を見ながら、私は少しだけ肩の力を抜いた。
たぶん今日は、それで十分だ。
結論まで出す必要はない。
ただ、この半端な嬉しさと半端な悔しさを、何でもなかったことにしないでおくことのほうが大事だ。
私はメモ帳を閉じ、原稿ファイルを開いた。
今夜すぐに答えが書けるとは思わない。
でも、こういう曖昧な結果を抱えたまま、それでも次の一行を探す人間の感じなら、今の私には少しだけ書ける気がした。
カーソルが点滅している。
白い画面は相変わらず無表情だ。
それでも私は、キーボードへ手を置いた。
中間通過の通知は、祝福になりきれない。
でも、だからこそ次の問いになる。
そういう夜もあるのだと、いまの私はようやく知り始めていた。




