夜を駆ける狐と龍
冷たい夜風が吹き荒れる街の中で、凪はゆっくりと肩を回した。
弾け飛んだ朽神の残骸が、黒い霧となって消えていく。
地面に倒れていた村上が叫ぶ。
「凪の姉貴!!」
その声に、凪は振り返る。
「む?」
「う〜ん……おぉ! にぃにぃの友達…なのだ?」
泉も息を呑みながら顔を上げた。
「凪さん……!?」
凪は胸を張り、小さな体で得意げに笑う。
「覚えてるかわからないですけど、智也の親友村上です!姉貴!」
「なんでこんな状況でそのテンション…バカなんだから…」
「ふんふん、姉貴……へへ、悪くないのだ……!姉貴と呼ぶのだ!」
「はい!」
まんざらでもなさそうに頬を緩めるその姿に、村上と泉は思わず苦笑した。
だが次の瞬間。
泉の表情が強張る。
「……凪さん」
震える指が、凪の背後を指した。
暗闇の奥。
黒い影が、ゆらりと揺れる。
一体。二体。
いや――数え切れない。
濁った瞳を光らせながら、朽神たちが静かに立っていた。
「シアワセ……」
「ニクイ……」
「コワセ……」
低く掠れた声が、夜の空気を這う。
泉の肩が震える。
だが凪は、一歩前へ出た。
白銀の髪が夜風に揺れる。
「大丈夫なのじゃ」
「凪に、全部任せるのだ!」
朽神たちの首が、一斉に持ち上がる。
獲物を見つけた獣のように。
無数の瞳が、凪たちを捉えた。
そして――黒い群れが、一気にこちらへ駆け出した。
地面を砕くような勢いで迫る異形。
だが――凪は静かだった。
凪はゆっくりと地面へ手をついた。
まるで獲物を狩る虎のように、低く構える。
橙色の瞳が細められた。
「……今、楽にしてやるのだ」
その声は、先ほどまでの無邪気な口調とは違う。
次の瞬間。
「――神典白牙・迅爪」
凪の姿が消えた。
気づいた時には、凪はすでに朽神の群れの中心にいた。
白い軌跡だけが夜に残る。無駄のない動き。
まるで、本物の虎のように飛び込み、蹴り裂き、駆け抜ける。
朽神たちは反応することすらできない。
次々と身体を崩し、黒い霧となって消えていく。
その小さな身体からは想像できないほど圧倒的な速度。
村上は呆然と呟いた。
「……沙月、何が起こってる……見えるか……?」
泉は放心したまま、小さく首を振る。
「……見え、ない……」
それほどまでに速かった。
そして。
最後の朽神が霧となって消えた瞬間。
凪は軽やかに地面へ降り立った。
「終わりなのだ!」
ぱっぱっと両手を払う。
まるで、本当に掃除でも終えたかのような気軽さだった。
村上は目を輝かせる。
「姉貴……すげぇ……」
泉も、思わず見惚れていた。
「……かっこいい……」
その言葉に、凪はふふんっと胸を張る。
「当然なのだ!」
そう言ってから、凪は二人の前へ歩いてくる。
そして、その場にしゃがみ込んだ。
小さな手が、村上と泉の頭へそっと置かれる。
「よく鈴を鳴らしたのだ、偉いのだ」
真剣な声だった。
村上は一瞬固まり、次の瞬間には顔を真っ赤にする。
「惚れました姉貴……」
「……」
泉はぽかんとしている。
凪は満足そうに頷くと、そのまま立ち上がった。
そして二人に背を向ける。
「早く、にぃにぃの家に向かうのだ」
「にぃにぃの家までの朽神は、もう殲滅したのだ。でも、警戒して急ぐのだ」
凪は夜空を見上げる。
「にぃにぃの家には澪ちゃんがいる」
「澪ちゃんなら、二人の家族もきっと助けてくれると思うのだ」
村上は慌てて声を上げた。
「姉貴は、来ないんですか?」
凪はゆっくりと、遠くを指差した。
街の向こう。
赤黒い光が揺れている。
「……何かが、凪を強く呼んでるのだ」
その表情から笑みが消える。
「あれは……凪が片付けなければいけないのだ」
「この状況を収めるためにも、行かなければいけないのだ……」
そして。
凪は振り向いた。
にこっと、いつものように笑う。
「澪ちゃんたちを、頼んだのだ♪」
泉は不安そうに言った。
「凪さん……帰って……きますよね?」
凪は答えなかった。
ただ静かに前を向く。
その横顔には、強い決意が宿っていた。
「……行ってくるのだ」
次の瞬間。
凪の身体が夜空へ跳び、遥か遠くへ消えていく。
村上はその背中を見上げながら、小さく呟いた。
「……必ず戻ってくるよ」
泉は胸元で鈴を握りしめる。
「うん……」
住宅街のあちこちで、悲鳴が響いていた。
逃げ惑う人々。
砕けた電柱。
燃え始めた車。
その中を、黒い朽神たちが徘徊している。
「こっちじゃ!」
こはくの声が飛ぶ。
智也は即座に振り向いた。
背後から飛びかかってきた朽神。
「なんか…遅い…?」
智也は身体を捻り、そのまま拳を叩き込む。
朽神の身体が崩れ、黒い霧となって消えていった。
智也は軽く息を吐く。以前なら、見えなかった。避けられなかった。
けれど、今までの澪白との特訓、夜白との一戦を通じて、今では朽神の動きすら鈍く感じる。
「……これなら、いける!」
智也は前を見る。
その先では、こはくが複数の朽神を翻弄していた。
飛び込んできた朽神をかわし、その勢いのまま回し蹴りを叩き込む。
「智也! 左後ろじゃ!」
「うん!」
智也は振り返りもせず、後方へ拳を振るう。
飛び込んできた朽神が吹き飛び、壁へ叩きつけられる。
こはくが目を細めた。
「お、やるようになったのじゃ!」
「こはくのサポートのおかげだよ!」
二人は背中合わせになる。
息が合っていた。
言葉がなくても、どこに敵がいるのか分かる。
全ての感覚を、お互いが自然に埋めていく。
まるで最初から、ずっと一緒に戦ってきたかのように。
「前、三体!」
「任せるのじゃ!」
こはくが地面を蹴る。
白い軌跡が夜を裂いた。
智也も同時に前へ飛び出す。
朽神たちは数で押し潰そうと迫ってくる。
だが、二人は止まらない。
守るように。支えるように。
互いの死角を埋めながら、次々と朽神を殲滅していく。
逃げていた住民たちは、その光景を呆然と見つめていた。
まるで。狐と龍が夜を駆けているようだった。
智也はこはくへ声を飛ばす。
「こはく!このまま行こう!」
こはくは嬉しそうに笑う。
「もちろんじゃ!」
白と青の光が、夜の街を掛けていく。
絶望に抗う希望そのもののように。
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