EX 今日は土用の丑の日。
連想クイズをしよう。とても簡単なものだ。
問.7月と言えば何を思い浮かべる?
ふっ……。こんなの答えが明確すぎてクイズですらないな。
そう、答えは満場一致で土曜の丑の日、『鰻』だ。これ以外の解答を挙げる人間はいない。全世界で統計を取ったところ、全ての人間がそう答えたという結果も出ている。それ程までに鰻は美味なのだ。
今日こそが土曜の丑の日。いよいよ本番当日。――俺は今日鰻を食う。
去年はわざわざ鮮魚市場まで出向き、国産の特大サイズのものを購入して昼と夜で鰻を堪能したな。……美味かったなぁ。料理酒をまぶしてから温めると身が柔らかくなってより美味しくなるんだよな。鰻を皿に乗せた時に思い出して泣く泣くスーパーに走ったな。
今年もそうすると思っていたんだが、前に料理長の平田さんに、「おい文空。お前今年の丑の日はどうすんだ?」って聞かれたので、今年も鮮魚市場で~と返したところ、「だったら今年はウチで食え。『本物』をな」って言われたので、有難くあやかることにした。
聞いた話によると、アイドル科食堂では毎年土用の丑の日はわざわざ鰻職人を雇って鰻を振る舞っているという拘りっぷり。
これは期待で胸が膨らむというもの。宴は晩の刻。俺はこの時に備え朝食も昼食も最小限に済ませている。普通であれば、どうせなら何も食すべきではない、となるだろう。しかし、この最小限の食事には理由がある。それは無論、より多く食す為他あるまい。
まず朝は栄養価の高い食事を。身体のコンディションを高める為だ。なので卵黄納豆を食べた。昼は単純に胃に何も入れない時間を作らない為。胃に何も入れてない時間が長いと胃が縮まってしまい、収容量が落ちてしまう。なので適当に野菜を摘まんだ。更に昼寝もした。
そんな準備もあってか、コンディションは完璧に近い。今の俺は最高に腹を空かした鰻に飢えた獣と化している。もうめっちゃ腹減ってる。平静を装ってはいるが、俺の内に潜む食欲の化身は暴走状態となり、食い物を求め体内で暴れまわっている。落ち着け……。これから最高に美味いモン食わせてやるから。
「うなぎー! うっなぎー!」
隣の黄谷も鰻が楽しみで仕方ないようだ。呑気にはしゃげて羨ましいぜ。こっちは衝動を抑えるのに必死だというのに。
そして、いよいよ食堂の扉の前に立つ。ここからでも香る。……香ばしい蒲焼の香りが。まずい、今の俺からしたらそれはもはや凶器であり、狂気の訪れ。ダイレクトに俺の胃袋を刺激してくる。ぐっ、落ち着け。もう少しだから……。
「ふぉーうなぎー!!」
俺が内なる怪物と格闘しているのを他所に、黄谷が扉を開ける。
うおっ! なんて強力な炭火蒲焼臭。容赦の無い追撃に自我が遠のいていくのを感じた。早く……鰻を口にしなくては。食欲の化身に俺自身が食われてしまう。
キッチンの方では元凶である職人さんがその場で焼いているのが確認できた。
「その場で焼いてるんだな。毎回そうなのか?」
「毎回かどうかは知りませんが、去年もそうでしたね。職人さんも……同じですね」
「へぇ~。拘りを感じるな」
「木村さんは鰻にうるさいですからね。ただ数日は食堂から匂いが取れないんですよね~」
そりゃ、室内で蒲焼なんて焼いたらな……。
そんな小話をしながら、俺達は吸い寄せられるよう鰻を焼いている元へ。
先に並んでたのは3人だけ。ピーク時間よりも少し早く来たかいがあったというもの。しかし、極力関わりたくない人間が。……だが鰻。背に腹は変えられない。1秒でも食さなければ俺が俺ではなくなってしまう。仕方がない。黄谷を上手いこと壁にしてやり過ごそう。
「あ、文空ちんじゃ~ん! 文空ちんもうなぎたべきたんだ~!」
「ええ、まぁ……」
駄目だった。
「うなぎだもんね~! 私もこの日をず~と待ちこがれてたんだ~! あ~もうお腹ペコペコ~。今日はこの時の為にな~んも食べてないからさ~」
どうやら鰻のことで頭がいっぱいなようで、あのことは頭にないようだ。よかった。
「……お菓子食べてたじゃん」
「おやつは別腹だもん!」
「はっ……鰻なんてそんな美味しいかねぇ」
普通、職人さんの前でそんなこと言うかねぇ。
「私のタレい~ぱっいいれてね~!」
「はいよ」
「ねぇねぇ、タレもいいけど、白焼きもおすすめだよ~! 塩とわさびを付けて食べると美味しいの!」
「え~また~、鰻はタレっしょ~」
「一口でいいから食べてみてよ~。絶対に美味しいから!」
「タレだけでお腹いっぱいにしたいんだけどなぁ~。……でもそこまで言うなら、食べてみよっかな」
「やった! それじゃあ白焼き1枚お願いしまーす!」
白焼きか……。食べたことないが、穴子みたいな感じだろうか。俺もタレでいきたい派だが、そっちも気になるな。だが、1匹からしか頼めない都合上、シェアする相手がいないとタレじゃない鰻で腹を膨らませるリスクが伴うので、年に1度のビッグイベントで冒険に出る勇気が必要となる。
「文空君……。私達も白焼き食べませんか?」
どうやら黄谷も唆られてしまったようだ。
「別に構わないぞ。俺も食べてみたいしな」
「わーい、それじゃあ頼みましょう!」
「抹茶塩で食べるとさっぱりして美味しいよー!」
「わ~、美味しそう! 試してみまーす!」
こんなやり取り前にもしてたな……。
そして、先輩達が鰻を受け取ったのでいよいよ俺達の番へ。
「うな重1杯と白焼き1枚もお願いするひょも~!」
「はいよ! ちょっと待ってな」
おお、鰻を焼いているとこを生で見るのは初めてだな。最初はタレを付けずに焼き、ある程度火が通ったら蒲焼のタレが入った壺に浸して再び焼く。光景こそテレビで見るようなのまんまだが、リアルでしか味わえない立ち込める香りがもう犯罪級に空腹を抉ってくる。煙が室内に充満しないのはちゃんとダクトを設置して対策をしているからなんだな。それでも抑えきれはしないようだが。
ちなみにオーダーを受けてから焼いてるのではなく、トレーに既に焼いたものがあるので、それを職人さんの女房であろう人がお重にご飯をよそい、丁寧に鰻を盛り付ける形式となっている。……すげぇ、なんかもう身の艶からしていい鰻だということが伝わってくる。どれ程のグレードの鰻なのだろうか。流創アイドルに食わすなら結構いいものなのだろうが。想像と違ったのは鰻のサイズだろうか。高級なのはデカいというイメージがあったが、サイズは至って普通か。高くてもそうとは限らないのか。まぁ、今はそんなことどうでもいい。早く、早く食べたい……。
「はい、どうぞ~!」
「わ~い、ありがとうございますひょも~!」
黄谷も相当空腹だったのか、鰻を貰うなり早歩きで去っていく。……いつもは同伴者が受け取るのを待っているんだがな。まぁ、鰻なら仕方がない。
「兄ちゃんは?」
「2杯で!」
今日はガッツリ食べさせてもらうぜ!
「はいよ! ちょっと待ってな」
「お願いします!」
それから間もなくして、
「はい、2杯ね~どうぞ~」
「ありがとうございます!」
心からの感謝を述べ、2つのうな重とお吸い物が乗ったトレーを受け取ると、その重さに驚愕する。なんだこれ!? 軽く5tはあるだろうか。だが、今の俺であるなら容易に持ち上げられる。食欲が限界へと達し、肉体能力が極限にまで跳ね上がっているからだ。しかも、最強のオーラを放っている。今の俺は無敵だ。
だが、この状態はカロリーの消耗が激しい。早く鰻を口に入れねば……黄谷はどこだ? あ、結構近くにいた。俺は音速で席に着くと、ゆっくりと両手を重ねる。
――この世の全ての食材に感謝を込めて、
「いただきます」
作法は必ずこなす。どんなに自我を見失おうが、食への感謝を絶対に怠ったりはしない。それが食する者の義務だから。
早速箸を入れる――おおっ! 柔らかすぎてご飯に到達するまでに一切の抵抗を感じなかった。これだけの厚みがありながらなんて上質な身なんだ。
口内の限界を考慮した最大限の一口大を箸で持上げ、頬張る。――うおっ!? 口に含んだ瞬間に真っ先に駆け抜けたのは蒲焼のタレ……ではなく、鰻の香りだった。蒲焼のタレの濃さに勝る旨味が真っ先に俺を出迎えてくれた。その刹那、気付かされる。自分は捕食者ではない。挑戦者だったということを。香りだけでこのインパクト。味覚よりも先に本能が感じ取る。絶大な美味を。俺はこの味の洗礼を乗り越えることができるのだろうか。
改めて気を引き締め、咀嚼を開始する。……うあぁ……なんだよこれ……。柔らかいだろうと思っていたが、違う。とろける。という表現が正しい。なんて濃厚なんだ。口内にへばり付く程の粘度。炭火で焼いた香ばしさも相まって、まるで芳醇なチーズを食べているようだ。そして、その濃厚さに負けない甘じょっぱい蒲焼のタレが味を究極へ到達させている。美味しい……うめぇっ!! 飲み込んだ後も絶えない圧倒的存在感が、空腹で擦り減っていた心までもを満たしてくれる。俺ここに入学して本当によかった。ありがとう流創学園! それと木村さんも。そして何より、この鰻へ最大限の感謝を!!
ガツガツ食べるつもりでいたが、この幸福を味わわないの勿体ない。なので、じっくり味わいながら上品に。それでいて一口は大きく豪快にいこう。
――こうして贅沢な時間は過ぎ、一杯目のうな重を食べ終える。
……ふぅ、空腹も満たされ理性が戻ってきた。なんだよ最強のオーラって。
「うんま、うんまぁ……!」
黄谷も大変美味に感じているようで幼児退行してしまっている……いや、いつものことか。というかまだ半分残ってるのかよ。俺より先に食べ始めてるのに遅いな。いや、俺が早いのだろうか。味わって食べてたつもりだが。
さて、体感まだ腹三分目程度。まだ宴は始まったばかり。二杯目をいただくとしよう。と、二杯目に手を伸ばそうとした時。
「らいなちゃん、私の隣空いてますよ?」
当然のように俺の隣に座る柴崎を見て、黄谷の箸が止まる。
「……別にどこ座ろうが勝手でしょ」
「むぅ……」
最早恒例となったこのやりとり。変な誤解を生みかねないから止めた方がいいと思うんだが。まぁ、静かだし俺はどうでもいいんだが。……それよりもだ。
「柴崎、その袋はなんだ?」
「素麺」
「まさか……今から食べるのか?」
「……? そうだけど……」
「鰻だぞ!? な、なんで素麺なんて食べるんだよ?」
「鰻嫌いだから」
「ふぁっ!? 鰻って、鰻のことだよな?」
「……焼き魚は臭くて嫌い。いつも鰻は妹にあげて、タレご飯で食べてた」
鰻を焼き魚扱いするな。というか妹おったんかワレ。とか色々ツッこみたいが、ここは抑えねばならない。一度心を落ち着け、優しく語り掛ける。
「……柴崎。これは家で食うような鰻とは別格だ。臭みなんてない。絶対に食べておいた方がいい」
真っすぐな視線を送り誠心誠意伝える。食の伝道者として、この鰻を食べない存在を見逃すことはできない。
「…………。文空がそこまで言うなら、分かった」
「よし、じゃあこれを」
俺の2杯目を差し出す。名残惜しいが、また貰ってくればいいだけだ。どうせ3杯は食べる予定だしな。
「ふーん……去年私が言った時は食べなかったのに」
黙るんだ黄谷。気が変わったりしたらどうする。
柴崎はうな重の蓋を開け、箸を入れると、
「……柔らかい。じゃあ、いただきます。…………っ! ふわふわしてて美味しい! 臭みもない」
「だろっ! 鰻が美味しくない訳ないんだよ!」
やはりこの世に鰻が嫌いな奴なんていないんだ。
「これなら食べられる。……でも、こんなに食べれないから、半分食べて」
「おう分かった。半分とは言わず、好きなだけ食べてくれていいからな」
「分かった」
はむはむと鰻を食べ出す柴崎を確認し、ようやく俺も鰻イーティングを再開できる。
……さて、そうなるとどうするか。3.5杯も食べれるだろうか。かといって2.5杯は足りなそうだし……ってそういえば白焼きもあったな。こっちも食べてみるか。
「黄谷、白焼き先に貰っていいか?」
「はいどうぞ」
なんでちょっと怒り気味なんだよ。
白焼きにはご飯が付かず、皿に乗っけての提供となる。白焼き用に別途用意された箸を使い、切り分けて小皿へ。先輩が言うには、塩とわさびを付けて食べると美味と言ってたな。という訳で、塩を振りわさびを付けて、食す。…………おぉ! 鰻の香りをより感じられるな。本当に臭みの無い良い鰻だということが分かる。油があっさりとしているから塩とわさびのシンプルな味付けと相性も抜群だ。これは鰻の旨味をより際立たせる食べ方と言える。
白焼きもいいなぁ……。正直タレのが好みだし、さっぱり食べるのは勿体なさを感じてしまうが、それ故に贅沢品。謎の充足感で満たされる。なんかコーラ飲みたくなってきた。
「文空君、ごめんなさい。私これでおなかいっぱいなんで……それ食べてもらっていいですか?」
相変わらずの小食だな。
「別に構わないが、白焼きも美味いぞ。いいのか?」
「はい、後でお持ち帰りで貰って食べようと思います」
「ん、お持ち帰りもできるのか?」
「ええ。一人一杯までですけど」
「うおおお、まじか!」
やったーうれしい!
という訳で、持ち帰りが出来るならと2.5杯+白焼きで済ませることにした。
――そして、鰻を堪能した俺は、デザートのプリンの2つ目に差し掛かろうとしたところで。
「……ねぇ、そういえば妹のことで相談があるんだけど」
「…………」
「……ねぇ、文空」
「え、俺?」
「うん。夏休みにここに来るって」
「また来るんですか? わーい!」
どうやら去年も来たようだ。
「……。それでね、角ノ兎先輩に会いたいんだって」
「ふーん」
まぁ、あの人テレビでも人気だからな。
「だから、来る日に会えないか聞いてほしいの」
「なんで俺なん?」
「最近仲いいでしょ」
「何をどう見たらそう見えるんだ」
分かってて言ってるなコイツ。
「お願い……」
「自分で聞けばいいだろ」
「ヤダ」
即答かよ。
「……まぁ、話す機会があったら聞いとくよ」
「やった。じゃあお願い」
嬉しそうにするな。どんだけ嫌だったんだよ。
まぁ正直、俺も気が進まないが、どうせいつかは接触するだろうからな。仕方がない。まったく……どうしてあの時、あんなことを言ってしまったのか。お陰で面倒なことになってしまった。なりゆきや好奇心からだったとはいえ、我ながら恨むぞ、俺の馬鹿野郎が。
「さて、じゃあ俺は帰るわ」
お持ち帰りのうな重も貰ったしな。
「はい。お疲れ様でした」
「ああ。ゆっくりしてきてな」
「はい。文空君もお休みを満喫してくださいね!」
「……お、おぉ……」
「じゃあね、文空……また来週ね」
おい、馬鹿。そのことは――。
「えっ!? 私のいないとこでどっか行くんですか!」
「っ……」
「あれだよ……取材だよ。取材」
これなら嘘は言ってないな。
「なにか隠してますね……まぁ大体想像は付きますが」
ふぅ、勝手に補完してくれたようで良かった。デートだとでも思っているのだろう。――その想像を絶するものだなんて、思いもよらないだろうな。……後で打ち明ける時が既に怖い。
「じゃ、じゃあな~」
俺は逃げるように、そそくさと食堂を後にする。そして、溜息を漏らす。
はぁ……憂鬱だ。もう俺の夏休みに安息はない。待っているのは波乱の夏休み。
じゃあな、俺の夏休み。




