平穏が崩れる音
シミオン兄上から、厳重に包装された荷物が届いた。中身は身分証と戸籍取得のための書類で、名前はジェフリー、出身は隣国の某所となっていた。もちろん偽造であり犯罪だ。わかっているけど、これがなければジョセフをヘザーの薬草園まで移動させることができない。旅行ならともかく定住しようというのだから、身分の証明は必要だ。
シミオン兄上は仕事で商船を扱っている。船乗りは冒険者と同じくらい、訳ありが多い。身元を偽装する者は珍しくなく、戸籍は買えるものだという。だから僕も今回兄上を頼った。あまり危険なことはして欲しくないけれど、そもそも魔法士の仕事は大抵が危険なものだ。危険の種類が違うのはこの際、目をつぶっておく。
「そういえば私、拠点を変えようと思ってたの」
ハリエットがそんなことを言い出した。
「目的の街まで行く途中にヘザーがいる村の近くを通るから、護衛してあげるわよ。格安でね」
「お金取るわけ?」
「あら、ウォーレン。あんたが払うのよ」
「無理言わないでよ。相場がいくらなのか知らないけど……」
ベテラン冒険者のハリエットを雇うほどの金銭的な余裕は僕にはない。魔法士団の団員と言っても、魔物討伐部隊ではなく、街の巡回が仕事。それほど高給取りというわけでもないのだ。
「格安って言ったでしょう。そうね、銀貨五枚で引き受けてあげる」
「え」
流石にそれは安すぎるのではないだろうか。今夜の宿代と食事の代金を払えばなくなりそうな額である。
「甘えておきなさい。あんたは私の弟なんだから」
「……ありがとう」
「何かあったら、まずはエルマーを頼るのよ。ミアを私の所に寄越してくれたら、どうにかするから」
「わかったよ、姉さん」
マーカス隊の隊員たちが少しずつ金を出し合って、ジョセフ改めジェフリーの旅支度を整えた。似合わない丸眼鏡はそのままで、最低限の着替えや日用品を持たせ、ハリエットに託す。
「じゃあ、またね。元気で」
「姉さんも」
簡単な挨拶を交わして見送り、振り向くと、数人の隊員が寄ってきた。
「あの美人、お前の姉さんって本当に?」
「ハリエットさんって、結婚してるのか?」
「恋人とかいるのかな」
こういう反応は前にも何度かあった。ハリエットは目立つ美人だから。
「ハリエットは金級の冒険者だ。自分よりも弱い男は好みじゃないって言ってたぞ」
「まじか」
「あの顔で冒険者……」
「金級って。強えな、お前の姉さん」
ざわめく隊員たちにとどめを刺しておく。
「確か恋人はいる。同じパーティの剣士とずっと付き合ってるんじゃなかったかな」
「えぇー、なんだよ」
「期待させんな」
ぶうぶうと文句を言う隊員たちを無視して、僕はマーカス隊長と向き合った。
「とりあえず、どうにかなりましたね」
「ああ。お前のおかげだ」
「ハリエットが一緒にいますし、無事に着いてくれるでしょう」
「エルマー殿にも礼をしなければな」
「あの兄なら、菓子が何よりですよ。それか古い魔法書があれば」
ミアのための魔石の欠片を持って行けば、それも喜ぶだろう。
「それにしても。ハズラム家の力はすごいな。貴族ってのはこういうもんか」
「違いますよ、隊長」
ディアンが口を挟んでくる。
「ハズラムがすごいのは確かですが、それだけじゃない。全部、ウォーレンだからです」
「ああ。それはもちろん」
マーカス隊長が隊員たちを見回して、言った。
「お前ら。仕事しろ、仕事」
***
訳ありの魔導具職人が去ったあと、マーカス隊の執務室はなんだか少し寂しいような、物足りないような、おかしな空気に包まれていた。
その部屋の中にじっとしているのが居心地悪くて、僕は書類を届けることを口実に抜け出した。足元にはステラがついて来ていた。
「あ、ウォーレン。ちょうど良かった」
廊下で声を掛けてきたのは、レベッカ班長だった。
「どうしました?」
「うん……実はね」
レベッカ班長が声を落とし、ささやくように言う。距離が近い。良い匂いがする。けれど、それどころではなかった。
「最近、あなたたち何かしてたでしょう」
「何か、ですか?」
「マーカスが目くらましを使っていたわよね?」
まずい。隊の外にジョセフのことを知られるわけには。
「さあ、僕には何のことか」
「ウォーレン」
責める口調で呼ばれて、ごまかそうとした。
「隊長のことですから、また妖精に呪われていたのかもしれませんね。猫耳を隠したかったとか?」
レベッカ班長がため息をついた。
「あなたがそう言うのなら、それでもいいわ。でもね、監査部が動き始めてる」
「……え」
「元々、マーカスがあまり良く思われていないのよ。マーカス隊の粗探しをしてるの」
「それは」
聞いたことのない話じゃない。魔法士団の隊長という職にあって、あまり魔法を使いたがらないマーカス隊長を、上層部が良く思っていないというのは。
「そもそも、マーカスが今の仕事をする前のこと、あなた知ってる?」
「いえ……なんとなくしか」
マーカス隊長は以前、魔物退治の実働部隊にいた。街の警邏の仕事は、事実上左遷された結果だという噂だ。
「その噂、だいたい合ってるのよ。それでね、未だにマーカスを目の敵にしている連中がいるの」
「そんな」
「近いうちに監査部が動くわ。何か隠すなら急ぎなさい」
ジョセフが出立するのがあと数日遅ければ、大変なことになっていたのだろう。でも、本人がいなくなったからといって、安心はできそうにない。
「ご忠告、ありがとうございます。レベッカ班長」
「気にしないで。私は何もしていない、何も知らない。いいわね?」
「はい」




