第八話:頼もしすぎる相棒たち
高い木々が頭上を覆い隠し、昼間だというのに薄暗い森の奥深く。
私たちは、昨日まで歩いていた開けた街道から外れ、道なき道を進んでいた。
足元には落ち葉が分厚く積もり、踏み出すたびにカサカサという乾いた音が鳴る。周囲からは、獣の鳴き声や、大きな虫の羽音が絶え間なく聞こえてきて、野生の力強さのようなものを肌で感じていた。
私が目指しているのは、冒険者ギルドのガンツさんから教えられた高難易度の迷宮だ。
その名も、深き森のダンジョン。
冒険者ギルドの中でも、長年誰も最後までたどり着いたことがないと言われる、極めて危険な場所である。
それは、昨日ギルドの受付でこの踏破依頼を受けようとしたとき、周りにいたたくさんのベテラン冒険者たちから本気で止められるほどの難易度だった。たしかに、私のような冒険者として登録したての初心者が、いきなり近づいていい場所ではないのだろう。普通に考えれば、経験を積んでから挑むのが常識だ。
でも、私にはどうしても、誰からも文句を言われない確固たる実績と、莫大な資金が必要なのだ。
すべては、私の思い描く理想の食堂を完成させるため。あの塩味の唐揚げ風を食べた時に感じた、どうしようもない物足りなさ。それを埋めてくれるのは、ふっくらとした真っ白なご飯と、豊かな香りのするお味噌やお醤油だけだ。その未知の食材を専門家に探し出してもらうために、私は絶対に気難しい仕入れ屋のキースさんを納得させなければならない。
そのためなら、どんな難関ダンジョンだって踏破してみせる。お米とお醤油がない生活など、私には考えられないのだ。
それに、今の私には頼もしい仲間たちがいる。
「ハク、匂いはどう? こっちの道で合っているかしら」
私が声をかけると、先頭を歩いていたハクが立ち止まり、大きなお鼻を空に向けてヒクヒクと動かした。
「わんっ!」
ハクは元気よく短く吠え、迷いのない足取りでさらに森の奥へと進んでいく。
深い森の中での道案内は、彼に任せていた。犬の嗅覚は人間の何倍も優れていると言うけれど、ハクの鼻は私の期待を大きく超えている。私が全く気づかないような遠くの魔物の匂いや、安全な道の匂いまで正確に嗅ぎ分け、一番確実な道を選んでくれているのだ。
その後ろを、私とコテツがついていく。
コテツは私の歩幅に合わせてゆっくりと歩きながら、太い腕で私たちの行く手を阻む邪魔な木の枝をへし折り、歩きやすい道を作ってくれていた。
しばらく進むと、木々の向こうに突然、巨大な岩山が現れた。
岩山の根元には、ぽっかりと大きな穴が開いている。大人十人が横に並んで歩けそうなほどの広さがあり、穴の奥からは独特の冷たい空気が絶え間なく流れ出してきている。
「ここが、深き森のダンジョンの入り口ね」
私は足を止め、大きく息を吸い込んだ。
中から風に乗って運ばれてくるのは、カビの匂いと、少し湿った土の匂い、そして言葉ではうまく説明しにくい、ヒリヒリとした重たい空気だ。これが魔物の巣食う迷宮の空気なのだろう。
「コテツちゃん、ハク。ここから先は今まで以上に気をつけてね。何が出てきてもおかしくない場所だから」
私の言葉に、コテツは静かに頷き、私を真っ先に守れるように少し前へ出た。
ハクも普段の無邪気な様子から少しだけ真剣な表情になり、低く唸り声を上げてから洞窟の中へ足を踏み入れた。
私も覚悟を決めて、ダンジョンの中へ進む。
中に入ると、外の太陽の光はすぐに届かなくなり、薄暗くなった。しかし、壁のところどころに青白く発光する石が埋まっていて、明かりがなくても周囲が見える。これがこのダンジョンの特徴なのだろう。
地面はゴツゴツとした岩でできており、水滴が落ちて足を滑らせそうな場所もある。
「キィィィィィィッ!」
私たちが奥へ進み始めた直後、突然、耳を打つような高い音が洞窟内に大きく聞こえた。
私は思わず両手で耳を強く塞ぎ、顔をしかめた。頭の奥がガンガンと痛むような、とても不快で鋭い音だ。
「な、なに? この音」
私が上を見上げると、青白い石の光に照らされた洞窟の天井に、いくつもの黒い塊がぶら下がっているのが見えた。
それは、人間の背丈ほどもある、巨大なコウモリだった。
コウモリといえば、小さな生き物を想像するけれど、目の前にいるのはまったく違う。羽を広げれば、大人が両手を広げたよりもずっと大きい。
以前読んだ本に書いてあった魔物の特徴と一致する。巨大な蝙蝠は、洞窟エリアに生息し、暗闇から音もなく襲いかかり、冒険者の感覚を狂わせる強力な超音波を発する危険な生き物だと。
この頭が割れそうになる高い音が、その超音波というものらしい。
「キィィィィィッ!」
再び、頭痛を引き起こす高い音が聞こえる。
巨大な蝙蝠たちが天井から次々と離れ、私たちに向かって襲いかかってきた。鋭い爪と牙が、青白い光の中でギラリと光る。
私が土魔法で防御の壁を作ろうと身構えたが、その必要はなかった。
「わふっ!」
ハクが短く吠え、地面を力強く蹴った。
白い身体が、信じられないほどの速さで宙を舞う。
ハクは空中で体をひねりながら、一番手前に迫ってきていた巨大な蝙蝠に向かって前足を叩きつけた。
ドスッ!
鈍い音とともに、巨大な蝙蝠が壁に激突し、ピクピクと動かなくなった。
ハクはそのまま壁を蹴ってさらに高く跳躍し、空中で次々と蝙蝠を叩き落としていく。彼の動きはあまりにも速く、巨大な蝙蝠たちも全く反応できていない。
超音波の不快な音など、ハクには全く効いていないようだった。
コテツも負けてはいなかった。
彼は近くの地面に落ちていた手頃な大きさの岩を拾い上げると、太い腕を大きく振りかぶって、天井近くを飛んでいる巨大な蝙蝠に向けて勢いよく投げつけた。
ドゴォォォン!
岩は凄まじい速さで真っ直ぐに飛んでいき、蝙蝠を天井の岩盤ごと粉砕した。
パラパラと小石が落ちてくる中、コテツは次々と岩を拾っては投げ、空を飛ぶ蝙蝠たちを的確に撃ち落としていく。彼の投擲は見事だ。
数分のうちに、数十匹はいた巨大な蝙蝠の群れは、すべて地面に転がることになった。
不快な音もすっかり鳴り止み、洞窟に静寂が戻る。
私は耳から手を離し、大きく息を吐き出した。
「二人とも、ありがとう。あの音が続いたら、頭がどうにかなっちゃうところだったわ」
私が声をかけると、ハクは「わんっ!」と元気に吠えて私の足元に戻ってきた。尻尾をパタパタと振って、撫でてとアピールしてくる。コテツも静かに頷き、手をパパンと払って埃を落とす動作をした。
長年誰も攻略できない難関のダンジョンだと聞いていたけれど、この二人の力にかかれば、最初の魔物の群れも全く問題にはならないようだ。
「さあ、先へ進みましょう。お米とお豆のために、立ち止まっている暇はないわ」
私たちは倒れた巨大な蝙蝠たちを越えて、さらに洞窟の奥へと歩を進めた。
◇
ダンジョンの中は、階層を深く進むにつれて少しずつ様子が変わっていった。
入り口付近の岩肌がむき出しになった洞窟のような構造から、気がつけば、床や壁が石で綺麗に平らに整えられた、窓のない石造りの通路のように見える状態へと変わってきたのだ。
道幅も広くなり、まるでお城か大きなお屋敷の中を歩いているような感覚になる。
そして何より違うのは、通路を照らす明かりだ。低層階では壁に埋め込まれた青白く発光する石が光源だったけれど、この深層階では、永遠に燃え尽きない魔法的なトーチが壁にあちこちに掲げられ、周囲を明るく照らしている。火の粉が落ちることもなく、ただ静かに燃え続けるその炎は、ここがダンジョンであることを示しているように感じた。
「なんだか、迷路みたいね」
私は左右に分かれる通路を見ながらつぶやいた。
ハクが鼻をヒクヒクさせ、迷うことなく右の通路を選んで進んでいく。彼には、どちらへ行けばいいのか、匂いではっきりとわかっているようだ。
しばらく進むと、通路の先がとても大きな部屋になっていた。
部屋の中もトーチによって明るく照らされている。
私たちは警戒しながらその大部屋へ足を踏み入れた。
ガコン!
私たちが部屋の中央まで進んだ瞬間、背後でとても大きな音が鳴った。
驚いて振り返ると、私たちが通ってきた入り口の通路が、天井から降りてきた分厚い石の壁によってすっかり塞がれていた。
さらに、部屋の奥にあった進行方向の通路も、同じように上から降りてきた石の壁で塞がれてしまう。
「閉じ込められちゃった……?」
私が慌てて周囲を見回した時、部屋の壁際に並んでいた石の柱に変化が起きた。
柱の飾りだと思っていたものが、ゴゴゴ……と低い音を立てて動き始めたのだ。
それは、コウモリのような羽と、鋭い角を持った悪魔の姿をした石の彫像だった。
一つや二つではない。部屋の壁際をぐるりと囲むように、何十体もの彫像が並んでいて、そのすべてが一斉に動き出し、こちらへ顔を向けた。
「ガーゴイルね」
私は、その姿かたちから魔物の名前を推測した。
ガーゴイルは、壁や柱に擬態している石の魔物だ。侵入者を感知すると動き出し、剣や魔法を弾く硬い体と鋭い爪で襲いかかってくるという。
これほど大量のガーゴイルが一度に現れたら、普通の冒険者のパーティーなら逃げ場を失って、なすすべもなく全滅してしまうだろう。まさに、魔物が大量発生する部屋という凶悪なギミックだ。
「キシャァァァッ!」
ガーゴイルたちが耳障りな声を上げ、一斉に私たちに向かって飛びかかってきた。
石の体なのに、その動きはとても速く、鋭い爪が私たちを引き裂こうと迫る。
「コテツちゃん、お願い!」
私が指示を出すと、コテツは大きく一歩前に踏み出した。
そして、襲いかかってきた一番先頭のガーゴイルに向かって、右の拳を真っ直ぐに突き出した。
バキィィィィン!!
すさまじい破砕音が大部屋に大きく聞こえた。
剣や魔法を弾くというガーゴイルの自慢の硬い体は、コテツの拳を前にしては全くの無力だった。
殴られたガーゴイルは、まるで脆い泥だんごのように粉々に砕け散り、石の欠片となって床にバラバラと落ちた。
コテツの攻撃は止まらない。
彼は両腕を風車のように振り回し、群がってくるガーゴイルを次々と物理的な力で殴り飛ばしていく。
右の拳で一体の胴体を粉砕し、左の腕を横に振って三体をまとめて壁に叩きつける。
太い足で蹴り飛ばされたガーゴイルは、ボールのように飛んでいき、奥にいた他のガーゴイルとぶつかって一緒に砕け散った。
石と石がぶつかり合う凄まじい音が絶え間なく聞こえてくる。
「わおんっ!」
ハクも楽しそうに声を上げ、砕け散る石の欠片を軽快に避けながら、残ったガーゴイルに飛びかかっている。
ハクの前足が当たっただけで、ガーゴイルの体には大きなひびが入り、そのまま崩れ落ちていく。ハクにとっては、ただの動くおもちゃにすぎないようだ。
「……コテツちゃんの方が、ずっと硬いわね」
私は安全な部屋の中央に立ったまま、のんきな感想をつぶやいた。
私の読んだ本では恐ろしい魔物として紹介されていたガーゴイルだけれど、土と岩でできていて私の魔力で強化されているコテツから見れば、ただの脆い石の塊でしかない。
コテツの圧倒的なパワーの前には、魔物の数の多さも、体の硬さも、何の意味も持たなかった。
あっという間に、部屋の中にいた何十体ものガーゴイルは、すべてただの石の欠片へと変わってしまった。
最後のガーゴイルが砕け散ると同時に、ガコンという音とともに、入り口と出口を塞いでいた石の壁がゆっくりと上に上がっていった。
どうやら、部屋の中にいる魔物をすべて倒せば、扉が開く仕組みになっていたようだ。
「コテツちゃん、ハク、お疲れ様。二人とも怪我はない?」
私が近づくと、コテツは自分の体をパンパンと叩いて、全く問題ないとアピールしてくれた。ハクも「わんっ」と吠えて尻尾を振っている。
「本当に頼りになるわ。さあ、どんどん進みましょう」
私たちは再び開かれた通路を抜け、迷宮のさらに奥へと足を踏み入れた。
◇
しかし、ガーゴイルの大部屋を抜けた先で、私たちは少し厄介なギミックに捕まってしまった。
「あれ? ここ、さっきも通った場所じゃないかしら」
私は通路の壁を見つめて首を傾げた。
人工的に整えられた石の通路が複雑に交差しているエリアだ。
先ほど、目印のつもりで壁の隅に持っていたナイフで小さな傷をつけておいたのだが、今私たちの目の前にある壁には、まったく同じ傷がついていた。
右へ曲がっても、左へ曲がっても、真っ直ぐ進んでも、しばらく歩くとまたこの傷のある場所へ戻ってきてしまうのだ。
「入った者を惑わせ、永久に同じところを回らせる迷路……なるほど」
私は腕を組んで考え込んだ。
どうやら、普通に道を歩いているだけでは、決して先へは進めない仕組みになっているようだ。道がこっそり移動しているのかはわからない。
「どうしようかしら。このままじゃ、いつまで経ってもお米とお豆のところにたどり着けないわ。永遠にこの通路を歩き続けるなんて嫌よ」
私が困っていると、ハクが鼻を床に近づけて、クンクンと熱心に匂いを嗅ぎながら歩き始めた。
彼は迷路の角まで行くと、そこから壁に沿ってゆっくりと進み、ある場所でピタリと立ち止まった。
「わふっ」
ハクは壁の一部を前足でカリカリと引っ掻き、私を振り返った。
「そこの壁が、どうかしたの?」
私が近づいて壁を触ってみるが、他の場所と何も変わらない冷たい石の感触だ。
しかし、ハクは確信を持ったように、その壁に向かって力強く「わんっ!」と吠えた。
「もしかして、そこから違う匂いがするの?」
ハクが大きく頷いた。
見た目はただの壁だけれど、ハクの優れた嗅覚は、その向こう側から流れてくるかすかな違う空気の匂いを捉えていたのだ。
これが、この迷路の隠し通路だ。
「なるほど、よく見つけたわね、ハク。偉いわ」
私がハクの頭を撫でて褒めると、ハクは嬉しそうに鼻を鳴らした。
隠し通路があることはわかった。でも、どうやってここを開けるのだろう。
壁に何か押す仕掛けがあるのかと思って手で探ってみたが、取っ手のようなものも見当たらないし、押しても引いてもビクともしない。
「うーん、もっと強く押し込むのかしら。それとも何か開くための仕掛けが……」
私が悩んでいる横で、コテツがスッと前へ出た。
彼はハクが引っ掻いた壁の前に立つと、太い腕をゆっくりと後ろに引いた。
「え? コテツちゃん?」
ドゴォォォォン!!
コテツの右ストレートが、壁の中央にまともに突き刺さった。
凄まじい轟音とともに、頑丈な石の壁が爆発したように砕け散る。
大量の石の欠片と土煙が舞い上がり、ぽっかりと大きな穴が開いた。
穴の向こうには、これまで通ってきた迷路とは違う、真っ直ぐに続く新しい通路が見えていた。
「…………」
私は、コテツが無理やり開けた大穴を見て、声が出なかった。
仕掛けを解くのではなく、壁ごと壊して道を作る。
なんて強引で、なんて素晴らしい解決方法なのだろう。
「さすがコテツちゃん。これならどんな迷路でも関係ないわね」
私が笑いながら言うと、コテツは自分の拳をポンと叩いて胸を張った。
ハクも「わんっ」と吠えて、一番に穴の向こうへ飛び込んでいく。
私たち一行は、あっさりと無限ループの迷路を脱出し、さらにダンジョンの奥へと進んでいった。
◇
迷路の隠し通路を抜けた先は、通路の幅がさらに広くなっていた。
天井も高く、大人が三人肩車をしても届かないくらいだ。
ドスン、ドスン。
前方から、重々しい足音が近づいてくる。
現れたのは、見上げるほど巨大な人型の魔物だった。
肌は赤黒く、顔には太い牙が突き出している。手には、丸太のように太い棍棒を握りしめていた。
「オーガ……」
オークやゴブリンの遥か上位にあたる見上げるほど巨大な鬼だ。
あらゆるものを粉砕する棍棒を振り回す、恐ろしい魔物だ。
「グルルルルォォォ!」
オーガは私たちを見つけると、太い声で咆哮を上げ、丸太の棍棒を振りかぶって突進してきた。
その巨体が迫ってくる迫力は、かなりのものだ。
しかし、コテツは一歩も引かなかった。
彼は足を前後に開いてしっかりと踏ん張り、両腕を前に出してオーガの攻撃を待ち構える。
ドガァァァン!!
オーガが力任せに振り下ろした丸太の棍棒を、コテツは両腕で真正面から受け止めた。
凄まじい衝撃で床の石が砕け、コテツの足が少しだけ後ろに下がった。
「グォォォ!?」
オーガが驚いたように大きく目を開いた。
自分の全力の一撃が、自分よりも少し背の低い土のゴーレムに真っ向から止められたのだから。
コテツは棍棒を受け止めたまま、太い腕にグッと力を込めた。
バキバキバキッ!
コテツの握力で、丸太の棍棒にひびが入り、そのままへし折れてしまった。
武器を失い、バランスを崩したオーガの懐に、コテツが一歩踏み込む。
そして、下から上へかち上げるような強烈なアッパーカットを、オーガの顎に叩き込んだ。
ドスッ!
鈍い音とともに、オーガの巨体が宙に浮いた。
そのまま天井近くまで跳ね上げられ、背中から床に激突する。
ズシン!
オーガはピクピクと小刻みに動いた後に静かになった。
圧倒的な力比べで、コテツが見事に勝利したのだ。
「すごいわ、コテツちゃん! あんなに大きな鬼を力で負かしちゃうなんて」
私が手を叩いて喜ぶと、コテツはゆっくりとこちらを振り向き、小さくガッツポーズをした。
倒れたオーガの体からは、役に立ちそうな素材が取れるかもしれない。でも、私は少しだけオーガに近づいて、鼻をつまんだ。
「うーん……やっぱり、お肉としては臭そうね。ここだと調理も難しいし、これは食べないでおきましょう」
本にも、肉は硬く独特の匂いがあるため食用にはされないと書いてあった。
私が食べない判断を下すと、隣で期待していたハクが「くぅん」と悲しそうな声を出し、耳を下げた。
「ごめんね、ハク。でも、きっともう少し進めば、お米やお豆に繋がる何かが待っているはずよ」
私が慰めると、ハクはすぐに機嫌を直して、また先頭を歩き始めた。
◇
オーガを倒した後、空気の感じがさらに変わった。
冷たく、ずっしりと重い圧迫感のある空気が通路の奥から流れ出してきている。
ただの魔物とは違う。圧倒的な力を持った、この迷宮を支配する者の気配だ。
「コテツちゃん、ハク。気をつけて。この先に、きっとこのダンジョンの主がいるわ」
私が注意を促すと、コテツは無言で大きく頷き、両手を強く握りしめた。
ハクも低く唸り声を上げ、全身の毛を逆立てている。
私たちは、慎重な足取りでさらに奥へと進んだ。
やがて、目の前に広大な空間を隔てる巨大な石の扉が現れた。
見上げるほど高く、巨大な石の扉で固く閉ざされている。
この扉の向こう側に、長年誰も倒すことのできなかった、凶悪な迷宮の主が待ち受けているのだ。
扉の前に立つと、その重圧感に少しだけ足がすくみそうになる。
普通の冒険者なら、ここで引き返す選択をするのかもしれない。
でも、私にはここで立ち止まる理由はない。
莫大な依頼料を稼いで、ギルドでの実績を手に入れる。
そして、気難しい仕入れ屋を動かして、お米とお醤油の材料となるお豆を手に入れるのだ。
ふっくらと炊き上がった真っ白なご飯。
豊かな香りのするお味噌とお醤油。
それを手に入れて、自分の食堂を完成させるために。
「開けるわよ」
私はコテツに合図を送った。
コテツが大きな両手を巨大な石の扉にかけ、力強く押し込む。
重い石が擦れる轟音が鳴り響き、扉がゆっくりと開いていく。




