第十六話:海の素晴らしい食材
お昼前、辺境の町フロンティアの空は明るく澄み渡っていた。
私は『食堂 しゃーろっと』の厨房で、清潔な白いエプロンの紐を背中でしっかりと結び直した。
昨日のお昼の営業が終わった後、夕方から夜の静かな時間を使って、私は新しい和食の試作に取り掛かっていた。それが、ふっくらと炊き上がった白いご飯を手で握って作る新しい携帯食、おにぎりだった。
大きな土鍋の重い蓋を開けた時、真っ白な湯気がふわりと立ち上り、お米の一粒一粒が真珠のように立ち上がっているのを見ただけで、私はすばらしいものが出来上がる予感で胸がいっぱいになった。
手をきれいなお水で少しだけ濡らし、市場で買ってきた粗塩を手のひらにまぶす。このお塩の量がとても重要だ。多すぎればしょっぱくて食べにくくなり、少なければお米の甘みが引き立たず、味がぼやけてしまう。
私は温かいご飯を両手で優しく取り、その真ん中に、お昼の営業で大人気だった生姜焼きのお肉を小さく切って入れた。生姜の爽やかな香りと、お醤油の焦げた匂いが、温かいご飯に少しずつ移っていくのが分かった。
ご飯とご飯の間に適度な空気を持たせるように、ふんわりと、けれども崩れないように三角形の形に整えていく。ここで力を入れて強く握りすぎると、お米が潰れて硬い塊になってしまうのだ。
そうして出来上がったおにぎりは、お箸やフォークがなくても手で持って手軽に食べられる。お米の優しい甘みとお塩のしょっぱさ、そしてお肉の強い旨味が口の中で見事に合わさり、とても素晴らしい出来栄えだった。
味見をしたハクも大喜びだった。大きなお口を開けておにぎりをパクリと飲み込み、大きな尻尾をものすごい速さで左右に振りながら、もっとちょうだいと私の膝を前足でバンバンと叩いていた。
おにぎりの試作は大成功だ。冒険者の人たちがダンジョンへ行く時のお弁当としても、きっと大いに役立つはずだ。
けれども、私の中ではまだ何かが足りないという思いがくすぶっていた。
美味しいおにぎりだけれど、もっともっと美味しくすることができる。前世の記憶にある最高のおにぎりには、必ずあれがあった。
白いご飯の外側に巻かれている、黒くて薄いもの。
磯の良い香りがして、噛むとパリッとした小気味良い音がする、あの海苔だ。海苔が巻かれていることで、手にお米がくっつかないという利点もあるし、何よりも海苔の風味が、お米の甘みを何倍にも引き立ててくれるのだ。
そして、汁物にも新しい具材が欲しかった。今はお肉の骨から取った出汁と、市場で買った葉っぱのお野菜や甘い根菜を使ってお味噌汁を作っている。それはそれでとても美味しいのだけれど、和食の献立をさらに充実させるためには、海の風味を取り入れたい。
お味噌汁の具材として定番である、つるんとした食感のワカメ。あれがお味噌汁に入れば、お鍋の中から立ち上る匂いはもっと深く、もっと豊かなものになるはずだ。
海苔もワカメも、どちらも海の植物、海藻から作られる。
この内陸にある辺境の町で海のものを手に入れるのは難しいかもしれないと、最初は思っていた。キースさんに頼んで遠くの海まで探しに行ってもらうしかないかとも考えた。
しかし、私はこれまでに市場へ何度も足を運んで食材を探す中で、ある一つの店舗の存在をしっかりと覚えていた。
フロンティアの活気ある市場の奥の方に、海の魚を取り扱う魚屋があったのだ。
今日のお昼前の目標は、その魚屋へ行くことだ。和食の献立をさらに広げるための海の幸を手に入れるために。
「コテツちゃん、ハク。市場へお買い物に行くわよ」
私が明るい声で呼びかけると、厨房の隅で待機していたコテツちゃんが、大きな両手で自分の胸をドンと叩いて力強く頷いた。
「わんっ! わふぅ!」
土間で横になっていたハクも、私の声を聞いて勢いよく立ち上がった。お買い物に行けば美味しい匂いがたくさんあると分かっているのだろう。大きなお鼻をヒクヒクとさせながら、入り口の引き戸の前に立って外へ出たがっている。
私は重い引き戸を開け、外の通りへと出た。
お日様の温かさが肌に伝わり、町の人たちがせわしなく歩き回っている。
お店の前に立ててある、私とコテツちゃんで作った手作りの看板を確認する。『食堂 しゃーろっと』という文字と、端っこに描いたハクの顔とお鍋の絵が、とてもよく見えた。
「さあ、出発よ」
私は大きな買い物袋を持ち、ハクとコテツちゃんと一緒に市場の方角へ向かって歩き出した。
食堂から市場までの大通りは、とても賑やかだった。
荷馬車が行き交い、様々な品物を運ぶ商人たちの大きな声が響き渡っている。
「おう、お嬢ちゃん! お出かけか!」
道の向こうから、大きな剣を背負った冒険者の男性が手を振って声をかけてきた。昨日のお店に来てくれた、ガンツさんの仲間の冒険者だ。
「おはようございます。これから市場へ新しい食材を買いに行くんです」
私が笑顔で返事をすると、冒険者の男性はお腹をさすりながら大声で笑った。
「そうか! あの生姜焼き定食ってやつ、最高だったぜ! あの黒いタレと白い粒の相性がたまらなくて、夢に出そうだった。今日の昼も仲間を連れて食いに行くから、たっぷり用意しておいてくれよな!」
「はい、もちろんです! お待ちしていますね」
私は深くお辞儀をした。
歩みを進めるたびに、「今日もいい匂いさせてるかい?」「新しいお店、大繁盛だね」と、町の人たちから次々と声をかけられる。
私がこのフロンティアの町にやってきて、古い建物を買い取って食堂を開いてから、まだそれほど長い時間は経っていない。それなのに、私のお店のことはすっかり町中に広まっているようだった。
私たちが作る和食が、それだけこの世界の人たちにとって美味しくて魅力的なものだということだ。お米やお味噌、お醤油の力は本当にすごい。
「わんっ!」
ハクが突然、横道に向かって短い声を出し、私の服の裾を口で軽く引っ張った。
そちらを見ると、お肉の串焼きを売っている屋台があった。お肉の脂が火に落ちて、煙と一緒にとても良い匂いが周囲に充満している。
ハクはお口から少しだけよだれを垂らしながら、屋台の方へ行こうと私を誘っているのだ。
「ダメよ、ハク。今日は買い食いをしている暇はないの。お目当てのものがあるんだから、まっすぐ行くわよ」
私がきっぱりと言うと、ハクは「くぅん」と少し残念そうな声を出した。それでも、私に怒られることはしたくないのか、おとなしく私の横に戻ってきて歩き続けた。本当に賢くていい子だ。
コテツちゃんは私たちの後ろを、一定の歩幅で静かについてきている。彼の体は土と岩でできているので、歩くたびにズシン、ズシンという重たい音がするが、町の人たちはもうすっかり彼の姿に慣れているようで、誰も怖がったりしなかった。
やがて、私たちは目的の市場に到着した。
ここはいつ来ても活気にあふれている。野菜売りの声、お肉を切り分ける音、お客さんと値段の交渉をする大きな声が重なり合い、耳が痛くなるほどの賑やかさだ。
私は以前に確認しておいた記憶を頼りに、市場の奥の方へと迷わず進んでいった。
野菜やお肉を扱うお店が少なくなり、代わりに少し冷たい空気を感じる一角が見えてきた。
そこには、大きな木箱がいくつも並べられた店舗があった。
「へい、いらっしゃい! 新鮮な魚が揃ってるよ!」
ねじり鉢巻をした、威勢の良い魚屋の店主が大きな声で呼び込みをしていた。
私はその店先まで歩み寄り、並べられている魚たちをじっと観察した。
大きな木箱の中には、銀色に光る魚や、赤い色をした魚など、多種多様な海の魚がぎっしりと並べられていた。
木箱の端の方には、青白く光る小さな石がいくつも置かれている。その石からは白い冷気のようなものが立ち上っており、木箱の周辺だけがひんやりと涼しくなっていた。
「おじさん、この冷たい石はなんですか?」
私が指を差して尋ねると、店主は得意げに鼻を鳴らした。
「お嬢ちゃん、こいつは氷魔法の力が込められた特別な魔石さ。これを木箱に入れておけば、ずっと冷たい空気を出し続けてくれる。遠くの港町から馬車で何日もかけて魚を運んでくるんだが、この魔石のおかげで、海から上がったばかりみたいな鮮度を保ったまま、ここまで運んでこれるってわけだ」
「なるほど、素晴らしいですね」
私は感心して頷いた。
この世界では魔法が生活の中に取り入れられている。こうして特別な道具を使うことで、内陸の辺境の町でも海の幸を食べることができるのだ。
私は並んだ魚の顔や体を一つ一つ見ていった。
前世の記憶にある魚と完全に同じ形をしているわけではないけれど、似たような特徴を持つものがたくさんある。
銀色に光る少し細長い魚。あれは青魚の仲間だろうか。火でじっくりと焼いて、大根に似た野菜をすりおろしたものを添えて、お醤油を少しだけ垂らして食べたら絶対に美味しいはずだ。
赤い色をした大きくて丸っこい魚。あれは白身魚かもしれない。お鍋にたっぷりのお水とお醤油、おろした生姜、そして甘い果物の汁を入れて、甘辛く煮付けたらどうだろうか。
魚の脂と甘辛いタレが合わさり、ふっくらとした白い身に味がしっかりと染み込んでいく。それをほかほかの白いご飯の上に乗せて、タレも一緒にかけて口の中へ放り込む。
想像しただけで、お腹の底から強い欲求が湧いてくるのが分かった。
お肉の生姜焼きも素晴らしいけれど、お魚の和食にはお肉にはない特別な魅力があるのだ。
「どれがいいか迷ってしまいますね。煮付けにするなら、どのお魚がおすすめですか?」
私が尋ねると、店主は大きな赤い魚を片手で持ち上げて見せてくれた。
「煮付けっていう料理の作り方はよく分からないが、この赤い魚は身が柔らかくて脂が乗ってるから、火を通すと最高にうまいぜ。塩を振って焼くだけでもご馳走だ」
「わかりました。それじゃあ、その赤いお魚をたくさんください。それから、あの細長い銀色のお魚も」
私が指定すると、店主は喜んで大きな袋に魚を詰め始めた。
「わんっ!」
私の足元では、ハクが魚の匂いに反応して短く声を上げていた。彼は生魚をそのまま食べることはしないけれど、私がこれをどうやって美味しい料理にするのか、とても興味があるようだ。大きなお鼻を木箱の方へ向けて一生懸命に匂いを嗅いでいる。
店主が魚を袋に詰めている間、私は店先の様子をさらに詳しく観察していた。
ふと、私の視線が木箱の下の方で止まった。
木箱の中にある魚の下に、クッションの代わりとして敷かれている黒っぽい草のようなものがあったのだ。
それだけではない。魚を運んできたと思われる太い網の端っこにも、その黒い草がいくつも絡まっていた。
店主は魚を取り出す際、その網に絡まった黒い草を少し面倒くさそうに乱暴に引きちぎり、足元に置いてあるゴミ箱のような木の樽へポイポイと投げ捨てていた。
私はその黒い草から目を離せなくなった。
平べったくて、少しぬるぬるとしていそうな見た目。黒色の中に、ほんの少しだけ深緑色があるような色合い。
私は一歩前に出て、店主が網から引きちぎったばかりのその黒い草を、そっと手に取ってみた。
鼻を近づけて匂いを嗅いでみる。
ツンとくるような、強い磯の香り。
お日様の匂いと海の匂いが一つになったような、私にとってはどうしようもなく懐かしい匂いがした。
間違いない。
これは、海苔とワカメの元になる海藻だ。
私がずっと探し求めていた、和食の献立を広げるための最後の欠片だ。
「おじさん、これは……」
私の声は、嬉しさのあまり少しだけ大きくなっていた。
「ん? ああ、その黒い草か。そいつはただの海のゴミだよ」
店主は袋の口を縛りながら、笑って答えた。
「魚を海から網で引き揚げる時に、どうしても一緒にくっついてきやがるんだ。魚の下に敷いてクッション代わりに使うこともあるが、基本的には食べられない。邪魔だから全部その樽に捨てているんだよ」
店主の言葉を聞いて、私は大きな衝撃を受けた。
この素晴らしい食材を、ただのゴミとして捨てているなんて。
この世界の人たちは、これがどれほど美味しいものに変わるかを知らないのだ。
私にとっては宝の山だ。
これを天日で干して水分を飛ばし、かまどの火で軽く炙れば、あのパリッとした極上の海苔が出来上がる。
細かく切って温かいお味噌汁の中に入れれば、つるんとした食感と海の風味が広がるワカメのお味噌汁になる。
おにぎりがおにぎりらしく、お食事の満足度がものすごく高まる魔法の食材なのだ。
私は両手でその黒い海藻を大切に持ちながら、店主に向かって真っ直ぐに言った。
「おじさん、お願いがあります。この黒い草、樽に捨ててある分も全部、私に譲ってもらえませんか?」
私が真剣な顔で頼むと、店主は驚いたように顔を上げた。
「えっ? こいつを持っていくのかい? だから、これは食べられないゴミなんだぜ。煮ても焼いても、大して美味いもんじゃない。お嬢ちゃん、魚と一緒にこんなものを持ち帰っても、何の役にも立たないよ」
「いいんです。私には、これが必要なんです。お魚をたくさん買うので、どうか一緒にお願いします」
私が一歩も引かずに頼み込むと、店主はやれやれというように頭を掻いた。
「まあ、お嬢ちゃんがそこまで言うなら、別に構わないが。捨てる手間が省けてこっちとしては助かるくらいだからな。お金なんかいらないよ、全部持っていきな」
「本当ですか! ありがとうございます!」
私は思わず大きな声でお礼を言った。
お腹の底から、とてつもない喜びが湧き上がってくる。
店主は足元の木の樽に入っていた大量の海藻を、別の大きな麻袋にバサバサと移し替えてくれた。木箱のクッションとして敷かれていた分も、網に絡まっていた分も、すべて集めて袋に入れてくれたのだ。
「ほら、お嬢ちゃん。魚の入った袋と、海のゴミがたっぷり入った袋だ。かなり重いから、気をつけて持ち帰るんだぜ」
店主が二つの大きな袋を差し出してくれた。
私はお金を支払い、魚の代金を受け取ってもらった。
「コテツちゃん、出番よ」
私が声をかけると、私の後ろに立っていたコテツちゃんが一歩前に出た。
彼は大きな両手を伸ばし、重いお魚の袋と、海藻がたっぷり入った麻袋を軽々と持ち上げた。大人が両手で抱えてもふらつくような重さの袋を、彼はまるで空気の入った袋を持っているかのように片手ずつ提げて見せた。
「おう、いくらでも持ってきな!」
店主は、そういってコテツちゃんに向かって、手を振った。
「おじさん、今日は本当にありがとうございました。またお魚を買いに来ますね!」
私は店主に手を振り、魚屋を後にした。
「わんっ! わんっ!」
ハクが私の足元で、早く帰ろうと元気よく吠えて前へ前へと進んでいく。彼も私がこれほど喜んでいるのを見て、今日の夕食がとんでもなく美味しいものになると確信したのだろう。
帰り道。私の頭の中は、これから厨房で作る料理のことでいっぱいだった。
そして、この大量の海藻を美味しい食材にするための手順を、一つ一つ整理していく。
食堂に戻ると、私は早速エプロンを締め直して、水受けの鉢の前に立った。
コテツちゃんに頼んで、海藻の入った麻袋の中身をすべて鉢の中に開けてもらう。
ものすごい量の黒い海藻が、鉢の中に山のように積み上がった。
「よし、まずはこれをきれいに洗う作業からね」
私は井戸から汲んできたきれいなお水を鉢にたっぷりと注ぎ、両手で海藻を優しく揉み込むようにして洗っていく。
ジャブジャブ、シャワシャワ。
お水の中で海藻同士がこすれ合う、気持ちの良い音が厨房に響く。
海藻の表面には、細かい砂や小さな貝殻、そして海の汚れがたくさんついている。これをしっかりと落とさないと、食べた時に口の中でジャリッとした嫌な音が鳴ってしまうのだ。
お水がすぐに白く濁ってきたので、一度捨てて、また新しいお水を入れる。
何度も何度もこの作業を繰り返し、お水の底に砂が落ちなくなるまで丁寧に洗い続けた。手から伝わる少しぬるぬるした感触が、本物の海の植物であることを教えてくれる。
きれいになった海藻を、今度は二つの種類に仕分けしていく。
平べったくて広い形をしたものは海苔の材料に、少し縮れていて厚みがあるものはワカメとしてお味噌汁の具材に使うのだ。
「ワカメの方は、このまま壺に入れて涼しい地下室へ持っていきましょう。海苔の材料は、これから細かく刻むわよ」
私は平べったい海藻を大きな器に集め、包丁を使って細かく刻んでいった。
トントン、トントンと軽快な音が続く。
細かく刻んだ海藻を、別のお水の中に入れてかき混ぜ、どろどろの液体のような状態にする。
そして、建物の裏手にある空き地へ行き、コテツちゃんにお願いして持ってきてもらった四角い木の板をいくつか並べた。
「この板の上に、海藻を薄く広げていくの」
私は木杓子を使い、どろどろになった海藻を木の板の上に流し込み、四角い形になるように均等に広げていった。
厚い部分と薄い部分ができないように、とても慎重に作業を進める。ここで厚さが違うと、後で火で炙る時にうまくできなくなってしまうのだ。
何枚もの木の板に海藻を広げ終え、お日様の光が一番よく当たる風通しの良い場所に並べて置いた。
ここからは、お日様と風の力を借りる時間だ。
海藻の水分がしっかりと飛んで、木の板に張り付いたような状態になるまで数日間乾かす必要がある。
「これで、海苔の準備はできたわ。あとはお日様にお任せね」
私は並んだ木の板を見つめながら、大きく息を吐き出した。
数日後、これが乾いて薄い紙のようになったら、かまどの火で炙るのだ。そうすれば、私がずっと食べたかったパリッとした海苔が完成する。
それまでは、今日買ってきた赤いお魚の煮付けや、銀色のお魚の塩焼きで、お昼の定食を出しながら待つことにしよう。
和食の可能性が、この海藻のおかげでさらに大きく広がった。
数日後に完成する海苔巻きおにぎりとワカメのお味噌汁のことを想像すると、私は楽しみで楽しみで、胸がいっぱいになっていた。




