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卒業

 一日を終え、ベッドに寝転がってぼんやりと過ごす。

 手には写真。

 この写真は中学二年の時、写真屋さんに撮ってもらったものだ。

 私と由起彦が商店街の前で並んで立っている。変にすまし顔なのが笑えてくる。

 二人が写っている写真は他にもいっぱいあるが、これが一番のお気に入りだ。

 やっぱり写真屋さんが撮っただけあって、一番写りがいい。

 それになんだか、結婚の記念写真みたいに見えるのだ。

 結婚なぁ。遠い未来だ。

 でもちょっとだけその未来に近付いた。

 今日、由起彦が私のことを好きだって言ってくれた。私は由起彦が好きだって気付いた。

 もう、ただの幼馴染みじゃない。二人は少しずつ前へ進んでいくのだ。

 そうしているうちに眠気がやってきた。

 おやすみ、由起彦。




「ほう、ついに!」


 朝のジョギング。

 一緒に走っている咲乃さんに昨日のことを報告しておく。

 この人も一応私たちのことを気にかけてくれているのだし。


「まぁ、そういうわけなんですよ。なんか、今でも信じられませんけどね」

「で、どっちから好きって言ったの?」

「ああ、それ言わないといけませんか。由起彦ですよ。先に由起彦が言ってくれたんです」

「クソッ! 負けたっ!」

「ああ、まだ賭けてたんですか、私たちのこと」


 お店の常連さんたちを中心に、どっちから告白するか賭けていたのだそうだ。まったくもって余計なお世話である。


「水野君、最後で男らしいとこ見せたんだね」

「どうですかねぇ。結局ヘタレてお付き合いはなしですからねぇ」

「えっ! 好きだって言ったんだよね?」

「そうですよ」

「でもお付き合いしないの?」

「そうなんですよ」

「はあ?」


 声が裏返ってしまっている。まぁ、私だって首を傾げたくなるんだけど、向こうはそのつもりがないのだ。


「じゃあ、キスは? 口と口の奴」

「キス? いやいや、キスなんてしませんよ。キス? いやー、キスなんてねぇ」


 そんなの恥ずかしくって。


「いやいやいやいやいや、お付き合いもしない、キスもしないって、なんなの君ら?」

「何って言われても」

「はあ? あのヘタレの響さんですらお付き合いなんだよ?」

「あの人たちは大人じゃないですか」

「今日び中学生でもお付き合いくらいするよ。ていうか、もう高校生じゃない」

「咲乃さんはいつなんですか? 初めてのお付き合い」

「……高校三年」

「全然人のこと言えないじゃないですか。いいんです、私たちは私たちのペースで進んでいくんです」

「まぁ、向こうはそうは思ってないかもねぇ」


 訳知り顔で首を振る咲乃さん。


「どういうことです?」

「一度はヘタレたかもしれないけど、それで済ますつもりはないと思うよ。きっとチャンスをうかがってるに違いない」


 深くうなずく。


「まぁ、それは私も望むところですよ」

「キスだけで済めばいいけどなぁ……」

「え? なんですそれ?」

「イマドキの子はススんでるからなぁ……」

「いやいやいや、由起彦に限って」

「我慢しすぎて暴発だよ。二人、体力差がありすぎるから、何してきても抵抗できないよねぇ……」

「いやいやいやいや、何してくるんですか」

「朝っぱらから言えないことだよねぇ……」


 にやにやと笑っている。

 クソッ、またこの人の意地悪か。


「まぁ、私は由起彦を信頼していますから」

「男子中学生の煩悩を甘くみないことだよ」


 最後までにやにや笑いだった。




 そんなまさか、由起彦に限って。ていうか、あれはいつもの意地悪なのだ。気にしたら負けだ。

 それから二週間が経った。

 県立高校の試験も終えて、明日は卒業式。

 その数日後が県立高校の合格発表だが今はそれはいい。

 とにかく今日までのこの二週間。信じられないくらい今まで通りだった。

 学校では普通に話をしたりしなかったり。

 夕方になると『野乃屋』にやってきてお遣いの和菓子を買っていく。その時も今まで通りの世間話だけ。

 あれ? なんか悲しくなってくるぞ?

 うーん、もしかして一生このままなんてことないだろうな。

 まぁいいや、卒業式だ。




 私は学校に対してあんまり思い入れがないと言える。

 私の関心は常に『野乃屋』なのだから当然だ。

 勉強も特に好きってわけじゃないし、部活もやっていない。

 友達と楽しく過ごすのだけが楽しみで、学校へ通っているようなものだった。

 まぁ、それでも今日、卒業式という日に校舎を見上げると、それなりに感慨なんてものが湧いてくる。

 築年数がそこそこ経ち、ひび割れた壁を晒したコンクリート建築。常日頃しょぼいなぁ、と思っていたそんな姿も、今まで私たちを温かく包み込んでくれていた、そんな気がしてくる。

 教室のざわめきはいつもより大きく、どことなく湿っぽかった。

 狭い教室だ。元気盛りを何十人も閉じ込めておくには狭すぎる檻だ。そんなことを考えたりもしていた。

 でもまぁ、ここにもいろいろと思い出はあるのかな。今日でさよならって、ちょっと切ないかもしれない。

 恵は教室に入ってきて早々半泣きだった。


「おはよう、メグ。泣くにはまだ早過ぎるわよ?」

「だって……。昨日もね、部活の後輩がプレゼントくれたの。可愛い髪留め。今してるの」


 確かに初めて見るやつだ。


「よかったね。私、後輩とかいないからうらやましいよ」

「ありがとう」


 そうして可愛い顔をくしゃくしゃにした。


「あーもー、そんなんじゃ卒業式終わる頃には干からびるよ?」


 優しく髪の毛を撫でてやる。


「それはそうと……」


 恵が視線をやった先を見ると、由起彦が目を逸らした。


「何かあったの? 二人」

「何もないよ。悲しいくらい何もないよ」

「でもじっと見てたよ」


 うーん、時々ああやって口では何も言わずに変な態度取るんだよな、あいつ。


「卒業式だし、何かしてくるかもしれないね」

「何かって何?」


 咲乃さんの言葉が思い出されて戦慄する。


「さぁ? 今度こそお付き合いとか?」

「どうだろうねぇ。私は半分以上諦めてるけどねぇ」

「せめてキスとか」

「うーん」

「嫌なの?」

「え? いやー」


 嫌なわけがなかった。でもなぁ。




 体育館で式典。

 前の方に座る恵はずっとハンカチを目に当てていた。

 あれだけ感動しやすい性格が、ちょっとうらやましくなる。

 私は『野乃屋』以外のことは割とドライなところがあると思っている。

 こういう感動のしどころも冷静にやりすごすことができるのだ。

 当然友達のことは大好きだし、いつも友情を感じている。

 では由起彦のことはどうだろうか。

 幼馴染みとしては大切に思っている。それこそ『野乃屋』と同じくらい。

 でも好きって奴はどうなんだろう。

 ほんの二週間前に発見された好きって奴。

 私のこの感情は、それほど大きくないのかもしれない。

 由起彦がヘタレても、まぁ、仕方ないかと諦める程度。その程度。

 うーん。

 そんなことを考えているうちに卒業証書を受け取る順番がやってきた。

 私は生まれながらの商売人。他人の前で緊張するなんてことはない。

 恵はずっと鼻をすすりながらだったし、由起彦なんかはガチガチに緊張していたが、私はそんなこともなく、普通に校長先生から卒業証書を受け取った。

 そうして教室で最後のホームルームが終わる。クラス委員長の綾小路さんが主導してみんなで書いた寄せ書きを先生に渡す。先生ちょっと目が潤んでた。




 校門前は卒業生たちで人だかりができていた。

 実知と合流して三人で教科を担当してくれていた先生にあいさつをして回る。他のクラスの仲の良かった子たちにも。

 と、恵の前に男子が立ち塞がった。五人もいるぞ。


「桜宮さん! 連絡先交換して下さい!」


 深々と頭を下げる男子たち。

 うーん、どうやら恵狙いのようだ。でも告白はしないのか。まずはお友達というやつだ。

 恵は困ったような顔を私と実知に向けた。その目はさっきから泣き通しで腫れぼったくなっている。

 ただでさえ気が弱いのに、今はさらに気弱になっている。恵がこの人数を相手に断るのは難しかろう。

 よーし、ここは。


「あんたら何よ、急に出てきて」

「いいだろ、このままお別れなんてさみしいだろ」

「今まで寄ってこないで最後になって来るとか何考えてるんだよ」


 と実知。


「今まではその、勇気が……。でも、最後だから、これで後悔するのは嫌だから、だから勇気を振り絞ったんだ!」


 男子の一人が熱く語る。

 でもなぁ、どう考えても手遅れでしょ?

 これから別々の高校へ行って、つながりは電話だけ、しかも今まで碌に話したこともない、さらに言えば恵は引っ込み思案なのだ。

 どう考えても始めから終わってる。


「あんたら今さらよ。今来た勇気は認めるけど、全て手遅れ。残念ね、諦めなさい」

「お前は関係ないだろ、野宮。俺たちは桜宮さんに言ってるんだ」

「数を頼んでメグに襲いかかってくる不埒者を撃退するのが私とミチの使命なのよ。素直に諦めなさい」

「ううっ」

「メグだって迷惑がってるだろ、さっさと失せろ」

「ううっ」


 しょんぼりと肩を落として男子たちが去っていった。


「ちょっとかわいそうだったかな?」


 今のですら泣きのツボらしく、目頭を押さえて恵が言う。


「隙を見せては駄目よ、メグ。時には非情にならないと」




「カーッカッカッカッ」

「誰!」


 私が振り返るとそこにいたのは夏生。

 両手を腰に当てて威張っている。


「なんなのよ、あんた」

「今さら近付こう思ても手遅れや」

「その通りよ」

「でもウチは違う。前から好きって伝えてるんや」


 イヤーな予感がする。


「でも水野はみこが好きなんだぞ。ナッツンも聞いてたろ」

「だから、どないやっちゅうねん。最後のウチのささやかな願いくらい、叶えてくれるはずや」

「願いって何よ」

「キスやっ!」


 そのまま走って人混みに消えてしまった。


「はぁ? あいつ何言ってんの?」


 脱力する実知。

 いや、これはヤバイぞ。


「みこ、追いかけなきゃ!」

「分かった、行ってくる!」


 私も人混みの中に飛び込んでいく。




 いや、でも由起彦はどこにいるんだ?

 キョロキョロしていると後ろから声をかけられた。


「よう、野宮」


 高瀬と柳本だ。


「何? 忙しいのよ、私は。あ、由起彦どこよ」

「思えばお前とも長いような短いような付き合いだったなぁ」


 いきなり述懐を始める高瀬。


「今それどころじゃないんだって。由起彦はどこ?」

「野宮にしてみれば、俺たちは野宮と水野の仲を冷やかすだけの存在に思えたかもしれない」

「実際そうじゃない。あーもー、いいわよ、自分で探すわ」

「まぁまぁ、落ち着けよ。俺たちの話を聞いてけって」


 柳本が私の腕を掴みやがった。


「何すんだ!」

「俺たちの冷やかしはお前たちの仲を祝福するものだったんだよ」

「そのことを知っていて欲しかったんだ」

「嘘付け。ていうか、離せ!」


 蹴りを入れようとするが、うすらでかい柳本のリーチの方が長い。簡単にかわされてしまう。

 あーもー、何なの、こいつら。


「私、めちゃくちゃ急いでるんだけど。ナッツンがとんでもないことやらかそうとしてるのよ」

「いいだろ、キスくらい」

「え? なんで知ってるの?」

「あ、馬鹿、柳本。自爆するな」

「そういうことか! あんたら買収されたな?」


 夏生もこいつらも何やってんだ。


「仕方なかったんだ。ナッツンの愛はあまりに強大なのだ」

「何で買収されたの?」

「一万円」

「一万! 一万円の何?」

「一万円の現金」

「現金! 本物の買収じゃない」

「ナッツンの愛はあまりに強大なんだよ」


 とんでもないことをやらかすな、夏生の奴。

 どうしょうか。幸いにして私はお小遣いが豊富すぎるほどある女。買収し直すのは簡単だが……。しかし現金は倫理的にどうなんだ?


「響さん」

「響さんが何?」

「高瀬は響さんに憧れてるのよね」

「あ、うんまぁな」

「柳本は巨乳派よね。そして響さんは巨乳」

「そ、そのとおりだな」

「二人、響さんとお食事するセッティングをしたげるわ。憧れの、巨乳の、お姉さんとお食事よ? こんなチャンス、二度とないわよ?」


 にたりと私は笑みを向ける。


「よし、ナッツンと水野は体育館裏だ!」

「健闘を祈る!」


 馬鹿二人の見送りを受け、私は走り出す。




 ちょうど進行方向に担任の泉先生がいた。これじゃあ、先生の方へ駆け寄ったみたいである。

 しかも向こうもこっちに気付いてしまった。仕方なしに足を止める。


「おお、野宮か」

「先生、今までありがとうございました」


 とりあえず深々と頭を下げる。


「野宮も面白い生徒だったな」

「そうですかね」


 私のお父さんとそう変わらない年をした、頼りなさげな先生が目を細める。

 私としては早く話を切り上げたいのだが。


「野宮みたいに将来のことをしっかりと見定めている生徒はなかなかいないからな」

「まぁ、家業ですんで」

「そういうところは先生なんかよりよっぽどしっかりしてたな。どうだ、学校は退屈じゃなかったか?」

「え?」


 どうだろ。まぁ、勉強は特に好きじゃなかったし、部活もしていない。すごく面白いというところではなかったかもしれない。

 でも退屈ってほどでもなかったろう。


「退屈ってわけじゃないですよ。友達とお喋りしたりは楽しかったですし」

「そうか、友達か。桜宮は別の小学校だったな。元町とは小学校では嫌い合ってたんだろ?」

「よく知ってますね」

「担任だからな。そうやって普通なら仲良くならなかった子とも仲良くなれるのが学校の面白いところなんだよ。実家を継ぐ野宮にしてみれば、高校へ行くのも回り道に思えるかもしれないけど、学校でしかできない体験もあるんだ。そういうのをこれからも楽しんで欲しいんだ」


 そう言って、優しい笑みを浮かべてくれた。


「中学も楽しかったですよ。勉強も時々面白い時がありましたし、行事なんて学校でしかできないのがいっぱいありましたよね。先生がしてくれた大学生時代の話も面白かったですよ。オールナイトで映画館でホラー見るとか、私もやってみたいかも」

「そう言ってくれるとうれしいかな」


 そう、面白かった。体育祭では、クラスのそんなに親しくない男子とも一緒に声を張り上げた。

 遠足は大抵小学校と同じところ。でもそのつど新しいエピソードが生まれた。

 試験勉強は最低だったけど、結果を友達と競い合って勝ったり負けたり。

 私の全ては『野乃屋』だと思っていたけれど、学校だってそう捨てたものじゃなかった。いっぱい思い出がある。そういう思い出が今頃になって蘇ってくる。


「先生、今までありがとうございました」


 自然に浮かんだ涙をこらえながらそう言えた。


「次は高校だからな。高校はもっと楽しいぞ」


 先生が私の頭を軽く叩いてくれる。


「楽しみにしてます。まずもって、合格してるかどうかですが」

「じゃあ、また報告に来てくれよ」

「はい、いい結果を持ってきます!」


 手を振って先生と別れる。




 体育館に近づいていくと、向こうから夏生が一人で歩いてきた。

 ヤバイ。時間を取られすぎた。全ては終わったのか?

 でも夏生はうなだれている。


「ナッツン、最後までやらかしてくれたわね」


 顔を上げた夏生の頬は濡れていた。


「うっさいなぁ。なんであんたらキスもまだなん?」


 どうやら私のことを怒っているようだ。でもこれって逆恨み以外の何ものでもない。


「うるさいわね。私たちには私たちのペースがあるのよ」

「二回目やったらオッケーしてくれるはずやってんて。せやのにファーストキスもまだとかなんなん、それ?」


 二回目だったらオッケーとも限らない気もするが……。


「どっちにせよ、余計なお世話よ。素直に諦めなさいよ」

「そんな簡単に諦めれたら世話ないわ。それに、あんたら中途半端やん。よけい諦め付かんわ」

「まー、そう言われるとアレだけど。でもあんたのために事を急ぐのもなんか違わない?」

「好きなんやったら、どこまでもまっしぐらなんちゃうんか!」


 怒鳴り声を上げる夏生。私を睨み付けている。


「ど、どこまでってどこよ」

「どこまでもや! ……いや、やっぱりあんまオトナっぽいのはどうかと思うけど」


 そう言って顔を赤らめる。だったら言うなよ。


「せやかて、キスくらいしろや! 今からとか遅いんや!」


 ほとんど自棄のように叫ぶ夏生。でもこいつにとやかく言われるのもシャクにさわるな。

 え? 今からって言った?


「今からって何よ」

「水野は今日、あんたとキスする気や」

「マジで!」


 初耳なんですが。


「喜ぶなや。でもどうやろ、ウチには無理っぽく見える」

「うーん」


 思わず腕組みをして考えてしまう。


「もう諦めた方がええんちゃうかなー」

「なんでよ」

「二人、これ以上前には進まれへんて。水野は大人しゅう、ウチに渡してや」

「嫌よ。あんたには絶対渡さない」

「でもキスとか無理やろ?」

「うーん」

「これは友達として言うけどな、今日なんもなかったら、もう一生なんもない思た方がええで」

「う、うーん」


 確かにその通りかもしれない。この卒業式という区切りの日。その日にキスする気でいるのに結局できずじまい。

 確かに何もなくこのままズルズルいきそうだ。


「それがみこちゃんらのお望みやったらしゃーないけど、ウチはそんなんやったら諦め付かへんし。ずっと付きまとうで」

「うーん」

「ほな、水野はまだ向こうにおるし、キスしたかったらしたらええわ」


 夏生が私の横を通っていく。


「できるんやったらな!」


 意地悪げな顔を横から突き出してきた。

 睨んでやると顔を引っ込めて向こうへ消えていった。

 勝手なことばっかり言いやがって。




 でもキスか。

 頬へのキスとかはあったけど、口同士のは今までなしでここまできた。

 二人好き同士と分かった後も、ずっとなんにもなしだ。

 いや、がっつくわけじゃないけれど、キスは憧れではあるんですよ。

 中学の卒業記念にキス。いいかもしんない。

 でもなー、どうなんだろうなー。あいつヘタレだからなー。

 そうして角を曲がって体育館の裏に入ると、向こう側を由起彦が逃げていくところだった。




 もういいや、あいつのことは放っておこう。

 恵と実知のところへ戻り、とりあえず状況を説明する。


「キャーッ、ついにキスだね」

「そうかな? なんか無理っぽいぞ」

「私もそう思う」


 実知の言葉にため息が出る。


「大丈夫だよ。今ちょっとヘタレてても、最後にはやり遂げてくれるよ」

「だったらいいんだけどねぇ」


 どうにも自信が湧いてこない。

 そのうち卒業生の数が減ってきた。


「じゃあ、私たちもそろそろ帰ろうか」


 私はそう言って、今まで通ってきた中学校を見渡した。

 ここともさよならだ。

 いきなり恵がしゃくり上げ始めた。


「まだ泣くのかよ、メグ」

「だって、だって、もうお別れなんだよ?」

「私たち、いつだって会えるよ」

「でも今までみたいにはもう会えない。同じクラスで毎日顔を合せたり、お勉強したり、お弁当食べたり。もうできないんだよ?」


 そうなのだ。恵だけは違う高校へ行く。合格発表はまだだけど、受けた高校が違う。今まで考えたくなかったことだけど、確かにそうなのだ。

 恵とは中学で初めて知り合った。同じクラスの一番可愛い娘。

 一人だけぽつんと座っていた。

 小学六年の時に引っ越してきた恵は、小学校からの友達がほとんどいなかった。引っ込み思案だし、他の子が気後れするくらい可愛すぎた。

 最初に声をかけたのはやはり同じクラスの実知だった。可愛い女子が好きだとか、後で微妙なことを言っていた。

 実知が恵ばかり構うので、最初私は彼女のことをほんの少し邪険に扱っていた。

 あの頃はとんがっていた小学時代を引きずっていたのだし、仕方なかった。今思うと恥ずかしいけれど。

 当時の私から見ると、恵はおどおどした女子だった。でも本当は違った。とても優しくて、私を含めて周りのことをよく気にかけてくれる少女だった。

 ある日、私と実知がちょっとしたことで喧嘩した時、恵は間に入って必死に仲直りさせようとしてくれた。

 それでも意地を張り合っていた私たちを、最後には怒鳴り付けてきたのだった。

 いつも大人しい恵の豹変に毒気を抜かれて私たちは仲直りしたが、恵は怒鳴ったことを気に病んでずっと謝っていた。

 謝るのは私の方だった。真剣に怒ってくれた恵がうれしくて、それからずっと親友で今日まできた。

 それはこれからだって変わらない。


「大丈夫だよ、メグ。私たちは大丈夫」


 恵の華奢な肩に触れる。


「そうなの?」

「そうだって。私たちはずっと友達。それでいいじゃん。それで十分だって」


 実知も恵の肩を揺する。

 そう、私たちはずっと友達。これから違う学校へ行くけれどそれは変わらない。

 そこから先、恵が大学へ行っても変わらない。みんな仕事に就いて、結婚して、それでもきっと、変わらない。

 会う回数は減るだろう。他に新しい友達もいっぱいできるだろう。でも、会えば昔どおりの友達。愚痴を言い合ったり恋バナしたり昔話したり、いつまでも仲の良い三人なのだ。


「そうなんだ。そうだよね。ありがとう、ミチ、みこ」


 恵が涙を拭って、はにかんだような晴れ晴れとしたような笑顔を見せてくれた。

 女の私でも惹き込まれそうになる笑顔だった。




 この後、いったん家で着替えてから同級生たちで集まってカラオケをした。

 男子も入れての大人数だ。

 その中には由起彦もいた。こっちを見ようともしやがらねぇ。


「あいかわらず動きがないね」


 どうにか涙をこぼすことのなくなった恵が、由起彦を見ながら言ってくる。


「もう一生このままかもしんない」


 なんかもういいやって気になっている。

 あいつはどうしようもないヘタレだ。私たちの関係に未来はない。


「あんまり悲観しないでよ」

「もういいよ、私は仕事に生きる。『野乃屋』が私の恋人ですから」

「でも四代目を作らないといけないんだぞ」

「養子を取るよ。それか弟子」

「はぁー、やさぐれてるなぁ」


 そのうち私の番が来たので、激しく歌って胸のもやもやを発散させる。

 由起彦が視界に入ったが、むこうを向いて馬鹿話に興じていた。もう知るか。


「でもまだまだチャンスはあるよ」

「そうかな?」

「『野乃屋』さんで仕掛けてくるのかも。毎日来てるんでしょ?」

「まぁ、そうだけど」

「ああ、確かにあそこならいつも二人っきりだよな」

「いや、お店の奥に家族いるんだけどね」


 忘れがちだけど。


「とにかく水野君的にはあそこがチャンスなんだよ」

「いつも何時に来るんだ?」

「後一時間くらい?」

「これももうすぐ終わるし、タイミング的にバッチリじゃない」

「だな。決まったな」


 そうなのかな? そうかもしれない。

 そして解散。みんなで手を振り合って明るく別れる。




 駅前のカラオケ店なので、このまま普通に帰ったら由起彦と同じ道になる。

 どうしたものかと思ったら、後ろから声をかけられた。


「卒業おめでとう、みこちゃん」

「あ、咲乃さん、ありがとうございます」


 学校帰りらしい咲乃さんだった。


「ねぇ、ちょっと今日の話を聞かせてよ」

「はぁ、まぁ、大した話はないですけど」


 みんなと別れて咲乃さんと駅前のカフェに入った。

 しばらくして響さんまでやってきた。


「いやいや、今日こそお二人さんの仲に進展があるかと思って、楽しみにしてたのよ」

「なんか、自分が幸せになったからって余裕たっぷりですよね」

「あれ、やさぐれてるね。うまくいかなかった?」

「最低最悪ですよ」


 とりあえず一通り報告する。


「でも、ナッツンとのキスは拒否したんじゃない」

「それも単なるヘタレじゃないですかね」

「そんなことないって、大事なファーストキスはみこちゃんに残しといたのよ」


 響さんがにやにやと見てくる。


「はぁ、もう待つのに疲れましたよー」


 ぐでーっとテーブルの上にうつ伏せる。


「じゃあ、みこちゃんから行けばいいじゃない」

「私からですか?」


 顔だけ上げる。


「みこちゃんからキスしたげるんだよ。女子の方からしちゃ駄目なんて法律はないからね」

「水野君は自分からしたいんじゃないかな? そういう男の子っぽいところあるように見えるわ」

「でも結局今までヘタレてるんですからねぇ。ヘタレって奴はホント、碌でもないですよ。もう一人知ってますけど」

「そんなことないわ。ヘタレじゃなくてちょっぴり繊細なだけなのよ。そのもう一人もそうだわ」


 なんか、私を置いて大人二人で盛り上がっている。

 うーん、今って何時なんだろ。あ、携帯バッテリー切れてる。時計も着けてない。まぁいいや。


「とにかくみこちゃんから押してみるんだよ」

「押してみるっていうか、ちょっとしたムード作りはありかもしれないわね」

「ムード作りっていうと?」


 身体を起こして二人と向かい合う。


「そうだねぇ。やっぱ修羅場発生かな? 坂上君て今どうしてる?」

「ああ、奴の存在なんてすっかり忘れてましたよ。大学は通ったみたいですよ。東京なんで、もう向こうらしいですけど」


 元バイトで、私のことが好きだなんだと言って付きまとっていた奴の話だ。


「ちっ、役に立たない奴め。他に具合のいい男子はいないかな?」

「サキちゃん、そういうのやめなって。毎回碌でもないことになるんだから」

「でも結果オーライでうまくいくじゃないですか」

「やられる方は心臓に悪いんだから。ホントやめとこうよ」

「じゃあ、どうすんですか?」

「いつもと違うみこちゃん作戦よ。お化粧してみようよ」

「あ、それ面白いですね」

「今年二十九才バツイチ彼氏持ちのお化粧テクを見せる時が来たわ」

「ねぇ、二人とも、私のことおもちゃにしてません?」


 きゃっきゃと騒いでる大人二人をジトーッと見る。


「みこちゃん、ホントやさぐれてるよ」

「でもですねぇ。私には一生レベルが今日にかかってる気がするんですよ」

「まぁ、そうかもね。わざわざ卒業式を選んだのになんにもなしじゃ、これからどうしようもなくなるよね」

「そんなことないわ。チャンスはいつだってどこにだって転がってるものよ。今日が駄目でも次があるわ」

「それはヘタレの発想ですって。次があるってことにして、勇気を出さずに今日ヘタレるんですよ」

「そう言われるとグゥの音も出ないわね」


 またわいわい騒ぎ出した。

 はぁ、なんかこの二人は役に立たないっぽい。そろそろ帰ろうかな。


「今って何時ですか?」


 咲乃さんが自分の腕時計を見る。


「六時前だよ。どした?」

「六時! もう過ぎてるじゃないですか!」

「え? 何が?」

「由起彦ですよ! 由起彦がお店に来る時間、思いっ切り過ぎてるじゃないですか!」

「え? それってヤバくない?」

「終わった、私の人生終わった」


 ぐったりとテーブルに倒れ伏す私。


「ヤバイヤバイ、どうしよ」

「私たちの責任になっちゃうわ」


 大人二人が慌てふためいている。

 はー、もう終わりだ。

 『野乃屋』で由起彦と会って、そこで……。

 そんな展開を期待した時期もありました。

 どうしよ、由起彦は明日もやってくる。でももう何もしてこない。

 タイミングを逃した不器用なあいつは、これからずっと何もできないままでいるんだ。

 清く正しいお付き合い。

 いいや違う。お付き合いすらしていない。ただ単に好きだって分かり合っただけの関係。

 何それ? 幼馴染みと何が違うの?

 はぁぁぁぁぁ……。

 と、着信音。


「サキちゃん、電話」

「あーもー、こんな時に。おお?」


 咲乃さんがこんな時なのに電話に出ている。店内でのお電話はマナー違反ですよー。


「うん分かった。ううん、そっちに行かせるから」


 電話を終える。


「みこちゃん!」


 咲乃さんの興奮した顔がすぐそばまで近寄ってくる。

 整った顔だが、今では忌々しい顔にしか見えない。


「なんですか?」

「水野君だよ! いつもの児童公園、ダッシュで行け!」

「分かりました!」


 跳ね起きた私はお店を飛び出した。




 私は駆ける。商店街の中を突っ切っていく。

 あの小物屋さん。あそこであいつは万引き犯を捕まえてくれた。

 美容室。あいつは髪型を変えた私に気付かなかった。

 猫喫茶。通い詰めすぎた私を心配してくれた。

 八百屋さん。ちょっと手伝いに行ったら毎日通ってくれた。

 ラーメン屋さん。あれは私が助けてやったんだ。

 写真屋さん。モデルをするって言ったらあいつは焦りまくった。

 他にもいろいろな思い出がある。あふれている。

 そして『野乃屋』。

 毎日お祖母さんのお遣いで来るあいつ。いい常連客。

 毎日毎日話は尽きない。

 いつまでもこうしていたい。そんな時間。

 喧嘩をした時もあった。でも最後には仲直り。

 私が暴走してもあいつは止めてくれる。受け止めてくれる。

 あいつなしではいられない。ほんの少しの間でもいられない。

 だって私はあいつが好きなんだから。どうしようもなく好きなんだから。




 児童公園には由起彦が一人突っ立っていた。

 幼稚園の時、由起彦はここで私にプロポーズしてきた。そういう思い出の場所。

 もう薄暗くなり始めていた。子供の姿はどこにもない。二人きり。


「よー、探したぞー」

「用があるなら、もっと前にすましとくべきじゃないかな?」


 由起彦は横を向いて頬をかいた。

 でもすぐに前を向く。


「お前にはいろいろと謝らないといけないと思う」


 由起彦は真っ直ぐに私を見ていた。

 私はゆっくりと由起彦の方へ近付いていく。向かい合う。


「聞きたくないって言ったら?」

「いいや、聞いてくれ。俺がお前のことを好きだって言った日。俺はテンパって付き合うのはなしなんて言っちまった」

「そうね。とんでもないヘタレだ」

「改めて言う」


 由起彦は唾を飲み、下を向き、顔上げ、下を向いた。

 私は待った。目の前の男の勇気を見定めたかった。今日が駄目ならもう終わり。私は本気でそう思っていた。

 由起彦が顔を上げる。


「みこ、俺と付き合ってくれ。ただの幼馴染みじゃない。これからは恋人として新しい関係を築いていこう」


 言ってくれた。この二週間、いやもっと前から待ち望んでいたセリフだ。


「怖くないの? もう十年以上幼馴染みをやってるのよ。今から新しい関係なんて、怖くないの? 私は怖い。全部が台無しになるかもしれないんだよ。私は怖い」


 うなだれてしまう。

 そう、本当は怖かった。私たちの今の関係。ずっと育んできたものが確かにあった。それが壊れてしまうのは怖かった。


「大丈夫だ。俺が台無しになんてさせない。俺たちは今以上の関係になるんだ」

「ヘタレのくせに、言うことはご立派だ」

「悪い。覚悟を決めるのに時間がかかってしまって。お前には余計な我慢をさせちまった」


 由起彦はどこまでも真摯な目を私から外そうとしなかった。


「本当に今さらだよね」

「答えを、聞かせてくれ」


 答えか。そんなの決まり切っていた。


「いいわ、お付き合いしたげる。前へ進みましょう。私たちならきっとなんだって乗り越えていけるわ」


 笑顔を浮かべる。

 うまく笑えたかな? 本当は足が震えて止まらない。

 こいつは気安い幼馴染みのはずなのに、私は緊張をどうしても振り払えなかった。

 由起彦が前へ踏み出す。一歩二歩。

 私の頬へ優しく手を添えてくれた。

 ハンドボールで鍛えたごつごつした大きな、温かい手。

 それだけで、心の強ばりは溶けてなくなった。


「目、閉じてくれないか?」

「ちょっと調子に乗ってない?」


 口の片端を上げてやる。


「え? そうかな?」


 目に見えて焦りを顔に浮かべた。


「なんでもかんでも許すと思ってるの?」

「え? そうなの?」


 汗まで浮かべていやがる。


「嘘だよ。もう私は由起彦のものだから」


 静かに目を閉じる。

 もう不安なんてなかった。私たちは今までずっと幼馴染み。これからはそこへ新しい関係が加わる。さらにその先も? 

 でも大丈夫。

 私と由起彦なら、どこへだって行ける。その先に何があろうとも、きっといつまでも離れない。

 由起彦の唇が触れた時、私はそう確信した。




 県立高校の合否発表があった。

 私、実知、由起彦は上葛城高校。

 恵と夏生は城山高校。

 全員無事に合格した。

 長かった受験戦争に終止符が打たれた。




 そんな日でも私はいつものように店番。

 そろそろあいつが来る頃だ。お祖母さんのお茶菓子を買いにくるのだ。

 ああ、来た来た。


「ちわーっす」

「いらっしゃい」


 いつものあいさつ。なんだか安心できる。


「まぁ、さっきまで打ち上げしてたんだけどなー」

「気分の問題よ。とにかくこれでようやく肩の荷が下りたわ」

「入学式まで遊び回ろうぜー」

「何言ってるの、私はお菓子作りの特訓するんだから」

「はあ?」


 声が裏返って情けない顔。


「いやいやいや、俺たち付き合いだしたんだろ?」

「そうね」

「なのにデートもしないのか?」

「私にとって和菓子は何よりも優先するのよ」


 傲然と胸を張ってやる。


「俺よりも?」

「当然」

「はぁ~」


 ショーケースの上に倒れ込む由起彦。

 いや、そんなの当たり前じゃない。


「あんたの予定も決まってるわよ」

「え? そうなの?」

「由起彦、あんた今日からここのバイトだから」


 エプロンをぽいと放り投げてやる。


「勝手に決めるなよなー」


 受け取って文句を垂れる、眠そうな顔をしたバイト。


「ちゃっちゃと仕事、覚えてもらうわよ!」


 びしっと指さす。


「本当、みこは店のことになると活き活きするよなー」

「当たり前じゃない」


 両手を腰に、大きく胸を張る。


「私は『野乃屋』の看板娘なんだから」




おしまい


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