第7話 初依頼
冒険者登録を終えたヒロ。
今回は、初めての依頼です。
地味ですが、大事な一歩です。
「それでは、これでヒロ様の登録は完了です」
受付嬢はそう言って、簡素な木札を差し出した。
「こちらが冒険者証になります」
「おお……」
冒険者証。
ついに来た。
異世界っぽい。
かなり異世界っぽい。
普通判定だったことは、一旦忘れることにした。
「紛失されますと再発行に手数料がかかりますので、ご注意ください」
「お金さえかかれば再発行できると?」
「特にペナルティなどはありませんので、不携帯のほうがむしろ」
「それはそう」
俺は冒険者証を受け取った。
木札には、俺の名前らしきものが刻まれている。
ヒロ。
姓なし。
出身地不明。
得意なこと特になし。
怪しい。
自分で見てもなかなか怪しい。
「じゃあもうこれからは依頼を受けられるんですか?」
「はい。ただし、最初は認定クエストを受けていただきます」
「認定クエスト?」
「はい。正式に依頼を受ける前に、最低限の判断力や帰還能力があるかを確認するためのものですね」
「なるほど……」
要するに、チュートリアルか。
異世界にもチュートリアルはあるらしい。
「内容は簡単です。街の外れにある森の入口で、指定された薬草を採取してきてください」
「薬草」
「はい。こちらが見本です」
受付嬢は小さな木箱を開けた。
中には、細長い葉の草が数本入っている。
見た目は普通の草だった。
とても普通の草だった。
「これを採ってくればいいんですか?」
「はい。ただし、似た草が多いので注意してください」
「似た草」
「間違えると、薬にならないどころか、お腹を壊すこともあります」
「急に嫌だな」
「なので、見本とよく見比べてください」
「分かりました」
地味だ。
かなり地味だ。
だが、大事なのは分かる。
前世でも、地味な確認作業ほど失敗すると後が面倒だった。
領収書の数字とか。
振込先の口座番号とか。
請求書の日付とか、前株か後株かとか。
そういうやつだ。
異世界に来ても、結局確認作業は重要ということだ。
「フィーネはどうするんだ?」
俺は隣を見る。
フィーネはいつものように、落ち着いた笑みを浮かべていた。
「私は少し、ギルドで用事を済ませてきます」
「用事?」
「ええ。ここに顔を出すのは久しぶりですから。報告や確認がいくつかありまして」
「ああ、なるほど」
普通だった。
普通にまともな理由だった。
ちゃんとした大人の女性みたいだった。
酒瓶で家を封鎖していた女とは思えない。
「終わったら、またギルドに戻ってきてください」
「分かった」
「初めての依頼ですから、無理はしないように」
「お前に言われると不思議な気分だな」
「どういう意味ですか?」
「ここでいうのははばかられる」
「ふふ、ヒロなら大丈夫ですよ」
「急に俺の話」
「ふふっ」
フィーネは微笑みながら、そっと俺の肩に手を添えた。
その仕草だけなら、物語に出てくる高貴なエルフそのものだった。
だが中身入りの瓶については忘れない。
俺は絶対に忘れない。
「では、いってらっしゃいヒロ」
「ああ、行ってくる」
こうして俺は、冒険者としての初依頼へ向かうことになった。
内容は薬草採取。
地味だ。
だが、悪くない。
いきなりドラゴン退治とか言われても困る。
俺は普通判定の男なのだ。
普通には普通の仕事が似合う。
街の外へ出ると、空気が少し変わった。
石畳の道が土の道になり、建物の数が減っていく。
遠くには森が見えた。
高い木々。
揺れる葉。
草の匂い。
どこか湿った空気。
「……本当に異世界なんだよな」
今さらのように呟いた。
昨日から色々ありすぎて、感動する暇もなかった。
転生。
女神。
加護。
酒カスエルフ。
酒瓶ハウス。
酒瓶掃除。
ギルド登録。
普通判定。
情報量が多すぎる。
異世界に来て最初にやったことが、酒瓶の片付けだったのは、たぶん俺くらいだと思う。
森の入口に着く。
受付嬢から聞いた通り、危険な雰囲気はあまりない。
鳥の声がする。
風が吹く。
草が揺れる。
平和だ。
とても平和だ。
「で、薬草は……」
俺は見本を取り出した。
細長い葉。
少し丸みのある先端。
葉脈が薄く青い。
なるほど。
分からん。
「いや、草だろこれ」
周囲を見る。
草。
草。
草。
全部草。
異世界の自然は、初心者に厳しかった。
俺はしゃがみ込み、見本と周囲の草を見比べる。
「これ……いや違うな」
似ているが、葉の先が尖っている。
「これは……色が違う」
少し黄色い。
「こっちは……虫がいる」
虫がいるから違う、というわけではないと思う。
だが触りたくない。
しばらく地味な作業が続いた。
草を見る。
見本を見る。
首を傾げる。
また草を見る。
完全に地味だった。
だが、不思議と嫌ではなかった。
こういう確認作業は、わりと得意だ。
派手なことは苦手だが、地味な作業ならまだやれる。
前世の俺は、資料のミスを探すのだけは妙に得意だった。
褒められたことはほとんどない。
ミスがないのが当然だったからだ。
つらい。
「……あ」
一本、見本によく似た草を見つけた。
葉の形。
色。
根元の細さ。
うん、たぶんこれだ。
俺は慎重に抜いた。
土が少しついている。
薬草っぽい。
かなり薬草っぽい。
いや、薬草っぽさってなんだ。
「一つ目」
少し嬉しかった。
たかが草だ。
だが、初めて自分の手で見つけた異世界の仕事だ。
それだけで、少しだけ嬉しかった。
その後も、俺は地道に薬草を探した。
思ったより順調だった。
一つ見つかると、目が慣れる。
似た形の草を見つけやすくなる。
探す。
抜く。
確認する。
支給された袋に入れる。
地味。
だが、これぞ生命の営みって感じだ。
これくらいでいい。
これくらいがいい。
俺は平穏に暮らしたいのだ。
酒瓶ダンジョンの片付けより、薬草採取の方がよほど冒険者らしい。
しばらくして、指定された数の薬草が集まった。
「よし」
俺は立ち上がる。
腰が痛い。
だが三十八歳の時より、よっぽどダメージが少ない。
やはり結構な年齢で若返ってるのかもしれない。
地味にうれしい発見だった。
森から戻る途中、道の脇で小さな動物が茂みに入っていくのが見えた。
魔物かと思って少し身構えたが、ただの小動物らしい。
たぶん。
たぶんで済ませていいのかは分からない。
だが襲ってこないなら、今はそれでいい。
無事に街へ戻る。
門番に軽く冒険者証を見せると、すんなり通してもらえた。
冒険者証、便利だ。
紛失したら手数料がかかるらしいが。
現実的すぎる。
ギルドへ戻ると、さっきより少し賑わっていた。
依頼から帰ってきた冒険者。
酒場で笑う男たち。
受付に並ぶ人々。
先ほどの妙な緊張感は、少し薄れている。
フィーネの姿は見えなかった。
まあ、用事があると言っていたし、奥にでもいるのだろう。
「お帰りなさいませ、ヒロ様」
受付嬢が俺に気づいて微笑んだ。
「ただいま戻りました」
「薬草は採れましたか?」
「たぶん」
「たぶん……」
「いやすみません、確認お願いします」
俺は袋を差し出した。
受付嬢は中身を取り出し、一つ一つ確認していく。
その手つきは慣れていた。
さすが受付嬢。
薬草鑑定もできるらしい。
「はい。問題ありません」
「よかった」
「指定数も満たしています。おめでとうございます、初依頼達成ですね」
「おお」
達成。
その言葉が、思ったより嬉しかった。
ただの薬草採取だ。
だが、この世界で初めて、自分の力で終わらせた仕事でもある。
「こちらが報酬になります」
受付嬢が小さな硬貨をいくつか差し出した。
俺はそれを受け取る。
重みがあった。
少しだけだが、確かに重みがあった。
「初収入……」
「ふふ、おめでとうございます」
「あ、ありがとうございます!」
なんだろう。
普通に嬉しい。
前世で給料をもらった時より嬉しいかもしれない。
いや、あれはもらった瞬間に家賃とか税金で消えていたからな。
まずは思い出すのはやめよう。
「これで認定クエストは完了です。今後は銅級冒険者として、通常の依頼を受けることができます」
「なるほど」
俺は冒険者証を見る。
少しだけ、胸を張りたい気分だった。
普通判定。
姓なし。
出身地不明。
得意なこと特になし。
それでも、初依頼は達成した。
悪くない。
「ところで、フィーネは?」
「ああ、フィーネ様でしたら……」
受付嬢は少し考えるように視線を動かした。
「先ほどまで奥でお話をされていたのですが」
「はい」
「その後は、少し席を外されました」
「席を外した?」
「その後、どちらへ向かわれたかまでは……」
「なるほど」
用事が長引いているのだろうか。
久しぶりに顔を出したと言っていたし、報告や確認もあるのだろう。
フィーネは俺が思っているより、ずっと有名人らしい。
俺はギルドの中を見回した。
受付。
依頼掲示板。
飲食のできるスペース。
冒険者たち。
ぱっと見える範囲に、フィーネはいない。
まあ、いないなら仕方ない。
先に帰ったのかもしれない。
一旦は俺もフィーネの家に帰ろうか。
「じゃあ、俺も一回戻るか」
そう言って、ギルドの出口へ向かおうとした。
「……っ?」
俺は思わず腹を押さえる。
「ヒロ様?」
「いや、大丈夫です」
大丈夫。
たぶん大丈夫。
違和感は一瞬だった。
だが。
嫌な感じがした。
ものすごく嫌な感じがした。
「……」
もう一度、俺はギルドの中を見回した。
受付。
依頼掲示板。
酒場スペース。
冒険者たち。
見える範囲に、どう見てもフィーネはいない。
いないはずだ。
ギルドを出ようとする。
だが。
ズキッ。
胃が痛んだ。
「……まさかな」
俺は腹を押さえたまま、ゆっくり息を吐く。
腹部に意識を集中し、今度はよく観察してみる。
酒場スペースの奥。
大きな柱の影。
壁際の、ちょうど人目につきにくい席。
そこに。
いた。
いた……。
普通にいた。
誰にも気付かれず、静かに座っているエルフがいた。
そして、その片手には。
とても大きなジョッキが握られていた。
普通判定の男、初仕事達成。
そして、待機していたはずのエルフは通常運転でした。




