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第8話 隅にいました

初依頼を終えたヒロ。


ギルドに戻ると、待っているはずのフィーネの姿が……。


 いたよ……。


 普通にいた。


 ギルド併設の酒場の奥。


 大きな柱の影。


 壁際の、ちょうど人目につきにくい席。


 そこに、フィーネがいた。


 なぜか誰にも気付かれずに座っている。


 そして、その片手には。


 とても大きなジョッキが握られていた。


「……」


 俺は無言でその場に立ち尽くした。


 やっぱり。


 嫌な予感は当たった。


 当たらなくていい予感ほどよく当たる。


 ただし、なぜか周囲の反応はない。


 酒場では冒険者たちが笑い、皿が鳴り、店員が行き来している。


 だが、誰もフィーネを見ていない。


 誰も気にしていない。


 まるで、最初からそこにいないものとして扱われている。


「……便利すぎるだろ、そのスキル……」


 俺は小さく呟いた。


 フィーネは、ここにはいない。


 少なくとも、この場の連中にとってはそうなのだろう。


 だったら俺も、胃を守るために動くしかない。


 俺は誰もいないと扱われている酒場の奥へ向かう。


 誰にも見えていない、非常に面倒なエルフを回収するために。


「……フィーネ」


「んん……?」


 いないはずのエルフが、ゆっくり顔を上げた。


 頬がほんのり赤い。


 目がとろんとしている。


 さっきまで高貴なエルフみたいな顔で送り出してくれた女と、とても同一人物とは思えない。


「あ!」


 フィーネは俺を見つけると、ふにゃりと笑った。


「ヒロぉ~~」


「はい」


「おかえりなさぁい」


「ただいま」


 ちょっと前の凛としたイメージとは想像できないくらいの笑顔を向けられ、思わず普通に返してしまった。


 違う。


 そうじゃない。ひよってはいけない。


「お前、何してるんだ」


「ヒロを待ってましたぁ!」


「じゃあその手に持ってるものは?」


「待つために必要なものです」


「違うと思う」


「長く待つには、必要なのですよ?」


「絶対違うと思う」


 フィーネは大事そうに、愛おしそうにジョッキを両手で包んだ。


 包むな。


 それは守るものじゃない。


「用事は?」


「済ませましたぁ」


「本当に?」


「本当ですぅ」


「じゃあなんでここにいる」


「待ってましたぁ」


「それを飲みながら?」


「はいっ」


「堂々と認めるな」


 駄目だ。


 もう仕上がっている。


 いや、仕上がりきっている。


 顔は赤い。


 声は溶けている。


 姿勢も、まっすぐ座っているようで微妙に揺れている。


 本人だけが、まだちゃんとしているつもりなのだろう。


 それが一番面倒だった。


「でもぉ」


 フィーネは、ふと思い出したように顔を上げた。


「ヒロの分も、頼んでありますよぉ」


「俺の分?」


「はい。カウンターで、私の名前を言えば出してくれます」


「何が」


「お料理と、お酒です」


「酒はいらん」


「初依頼のお祝いですからぁ」


「なら俺のいないところで始めるなって」


「ちゃんと待ってましたぁ……よぉ~」


「ジョッキ持ちながら言うな」


 フィーネはにこにこと笑いながら、近くの盆を指差した。


 そこには、皿に盛られた料理。


 俺のものらしい小さめの杯。


 さらに。


 同じ盆の上に、フィーネ用と思われる大きなジョッキが複数個、当然のように並んでいた。


「バランスおかしいだろ……」


「ヒロがどれだけ飲めるかまだわかりませんのっでえ……」


「にしたってお前の量がひどすぎる……」


「えへへ……嬉しいけど……ちょっと恥ずかしいな……」


「いや褒めてねえから!」


「ふふっ」


 フィーネは満足そうに笑った。


 ダメだ。


 どう見てもダメなのに。


 変なところで気遣いがある。


 やめてほしい。


 怒りづらくなる。


「初依頼、終わったんですねぇ」


 フィーネが俺の腰あたりを見る。


 冒険者証を見たのだろうか。


 それとも、手に持った袋を見たのだろうか。


 よく分からないが、妙に嬉しそうだった。


「ああ。薬草採ってきた」


「すごいですねぇ」


「薬草だぞ」


「でも、初めてでしょう?」


「……まあ」


「初めてを、ちゃんと終わらせたんです。えらいです。すごいです。とても、すごい!」


「急にめちゃくちゃ褒めるな」


「だってぇ」


 フィーネはへにゃりと笑った。


「ヒロ、がんばりましたからぁ」


「……」


 変なところで、ちゃんとしている。


 いや、ちゃんとしているのかは分からない。


 頬は赤い。


 目はとろんとしている。


 声も完全に溶けている。


 それでも、その言葉は少し嬉しかった。


「報酬ももらった」


「えらいですねぇ」


「子供扱いされてる気がする」


「子供じゃないんですかぁ?」


「中身は三十八歳だ」


「私から見たら、どっちもかわいいですよぉ?」


 フィーネはそのまま、ふわりと俺を抱きしめてきた。


「かわいいかわいい」


 やわらかい。


 近い。


 そして、酒くさい。


「雑に包むな」


「かわいいですねぇ」


「やめろ」


 フィーネは楽しそうに笑った。


 その笑い方だけなら可愛い。


 その笑い方だけなら。


「ところで」


「はいぃ?」


「俺が来るまでに、どれくらい飲んだんだ」


「どれくらい……」


 フィーネはジョッキを見た。


 テーブルを見た。


 盆の上を見た。


 そして、俺を見た。


「ちょっぴりです」


「嘘だろ」


「ほんの少しですぅ」


「具体的には?」


「具体的にはぁ……」


 フィーネはゆっくり首を傾げた。


 長い耳が少し揺れる。


「楽しいくらいです」


「量で答えろ」


「ほどよくです」


「ほどよく酔ってる奴の目じゃない」


「いいえ!こうして~~ちゃんとしてます!」


「ちゃんとしてる奴はスキルを使いながら酒におぼれない」


「おぼれてませんよぉ、ヒロを待ってただけですぅ」


「酒を飲みながらか?」


「ただ待つのは、さみしくてたいへんなので」


「だから飲んだと」


「はいっ!!」


「堂々とするな」


 周囲の冒険者たちは、まだ誰も気付いていない。


 俺の目の前には、しっかりフィーネがいる。


 ジョッキもある。


 盆の上にもある。


 顔も赤い。


 声も完全にゆるい。


 なのに、周囲の誰もこちらを見ない。


 誰も、この状況を気にしていない。


 改めて考えると、かなり怖い。


「というか、なんで誰も気付かないんだよ」


「んー……」


 フィーネは首を傾げた。


「スキルとか魔法とか、もろもろですかねぇ」


 楽しそうに指をくるくると回しながらフィーネは答える。


「素直にすごいとは思うが……お酒で酩酊するために使うもんじゃないだろ」


「でも便利ですよぉ?」


「その便利の行き先が終わってるんだよな……」


「でもっ!!人には迷惑をかけてませんよお!」


「いや、モロ俺にかかってる」


「ヒロには見つかってしまいますねぇ、しかたないですねぇ」


 フィーネは不思議そうに俺を見た。


「すごいです」


「すごくない。胃が痛いだけだ」


「胃?」


「お前が困った状態になると、たぶん胃が痛む」


「まあ」


 フィーネは目を丸くした。


「それは素敵ですねぇ」


「便利じゃない」


「私がどこにいても見つけてくれるんだ……」


「言い方を変えるな。俺は捜索犬じゃない」


「では、ヒロ犬?」


「やめろ」


「ヒロわんっ!」


「やめろ」


「ふふっ」


 駄目だ。


 完全に駄目だ。


 だが、ひとつ分かったことがある。


 俺の加護は、どうやら本当に面倒な相手に反応するらしい。


 しかも、本人が困っていると自覚していなくても反応する。


 つまり、目の前のエルフは今、困った状態ということだ。


 本人はとても楽しそうだが。


 それから少しの間、俺はフィーネが用意してくれていた料理を食べた。


 お酒もまあ、頼まれたものは飲んだ。


 料理も酒も、前世とは少し毛色が違うが、普通にうまかった。


 腹が落ち着いたところで、俺は席を立つ。


「採取で疲れたしもう帰るぞ」


「えぇー」


 フィーネが露骨に不満そうな顔をした。


 それから、ジョッキを胸元に抱え込む。


 だから守るな。


「まだ、待ってますぅ」


「俺はもう戻ってきた」


「じゃあ、もう一回行ってきてください」


「なんでだよ」


「待てるのでぇ」


「むしろ飲みたいだけだろ……」


「待ちながら、飲みました」


「最悪の同時進行」


「ヒロの、お祝いですぅ!」


「だったら俺の祝いなら俺がいないところで始めるな」


「先に、お迎えの準備を」


「準備で泥酔するな」


「こんなのぜんぜん泥酔じゃないです!」


「じゃあ立ってみろ」


「……」


「おい」


「立てます」


「立てよ」


「でもいまは、座る気分です」


「立てないんだな?」


「座る気分ですぅ」


 駄目だ。


 完全に駄目だ。


 目がとろんとしている。


 口調もふにゃふにゃだ。


 しかも本人だけは、まだ大丈夫だと思っている。


 一番面倒な状態だった。


「とにかく帰るぞ」


「やです」


「帰るぞ」


「もう少しだけぇ」


「帰るぞ」


「ヒロは、冷たいです」


「お前が温まりすぎなんだよ」


「ぽかぽかです」


「聞いてない」


「ヒロも、ぽかぽかしますか?」


「しない」


「では」


 フィーネは少し考えるように首を傾げた。


 考えている顔ではなかった。


 ただ揺れているだけだった。


 そして、ふわりと両手を伸ばしてきた。


「……なんだ」


「だっこ」


「お前、昨日も似たようなこと言ってたな」


「今日は、お祝いなので」


「理由になってない」


「だっこ」


「帰るのが先だ」


「じゃあだっこで帰りましょう」


「譲歩じゃないんですが?」


「だっこぉ!」


「歩け」


「では、おんぶ……」


「だから譲歩したみたいに言うな?」


「おんぶぅ」


 駄目だ。


 これはもう、説得してどうにかなる状態ではない。


 フィーネは両手を伸ばしたまま、にこにこと笑っている。


 周囲の冒険者たちは、まだ誰も気付いていない。


 スキルや魔法が効いてない状態じゃなければ、だいぶ危ない。


 いやまあ今は客観的に見えていないから問題ないのか。


 問題ない……のか?


「……冒険者って、こういう仕事だったか?」


 誰も答えてはくれなかった。


 俺は深くため息をつく。


 初依頼は無事に終わった。


 報酬ももらった。


 少しだけ、自分でもやれそうだと思えた。


 そして今。


 俺は、酒場の隅で仕上がったエルフを連れて帰ろうとしている。


「んじゃあ帰るぞ、フィーネ嬢」


「はぁい!」


 返事だけは素直だった。


 返事だけは。


 依然としてフィーネは両手を伸ばしたまま、当然のように俺を見上げている。


「……本気か?」


「だっこ」


「せめて頑張って自分で歩け」


「では、おんぶ」


「だから譲歩したみたいに言うな」


「じゃあ抱っこおおおおぉ……」


 駄目だ。


 これはもう、説得してどうにかなる状態ではない。


 俺は諦めて、フィーネの前に背中を向けた。


「今回だけだからな?」


「今日はそういうことにしておきましょぉ」


「いや今回だけだから!」


 背中に、ふわりと重みが乗る。


 長い髪が肩に触れる。


 酒の匂いがした。


 それから、妙に甘い香りもした。


 たぶん酒だ。


 そういうことにしておく。


 そして、フィーネは俺の背中で満足そうに笑った。


「ヒロは、優しいですねぇ」


「冗談じゃない……加護のせいだ」


「ふふ」


「本当だからな」


「はいはい」


 信じていない声だった。


 俺はもう一度ため息をついた。


 こうして俺は、初依頼の報酬を懐にしまったまま。


 誰にも見えていない酒カスエルフを背負って、ギルドを出ることになった。


待っていただけです。


待ちながら、飲んでいただけです。

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