46 天職と笑顔
「渇然。久遠の枯渇。焦土。もはや焼け野原なりや、我が胸のうち」
その日のうちに豚はやってきた。
生きているのが不思議なほどに肥え太ったオス豚で、滝のように滴り落ちる汗でおびただしい数の宝飾品をテラテラと輝かせている。
3人用高級ソファーが重みに耐えかねてミシリ、と音を立てる。
団長執務室には豚舎みたいな臭いが立ち込めていた。
ベギアード中爵は今日もポエマーだ。
「私は業火に焼かれている。ゆえに、渇く。無限の渇望。癒えることなきこの渇きを誰か潤してはくれないか」
「でしたら、紅茶をどうぞ」
向かいに座るトルネライトがおもむろに立ち上がった。
手にしたティーカップをひっくり返す。
べちゃ、びちゃあ……。
ちなみに、淹れ立てアチアチだ。
頭から熱湯を食らったベギアード中爵が、それでも、眉をひそめただけなのは、厚い脂肪の層で守られているからだろう。
知らんけど。
「して、我が108番目の愛妾トルネライトよ。問おう。私を呼びつけた、そのわけを」
何事もなかったように、そう切り出す。
熱くもないし、最初から汗だく、ぐしょぐしょ。
実際、何事もなかったのだろう。
大した奴だ。
「これを」
トルネライトは1枚の紙を差し出した。
世にも醜い肉ダルマな手が紙をぐしゃりと握る。
「私が肩代わりしたフーヴェント家の借金、その返済に関する書類であるな。大金貨で30万枚分の借金を抱えていたはずだが……ぶ、完済?」
しばらく、ベギアード中爵は醜悪な石像みたいに固まっていた。
宝物殿で得た財宝を借金返済に充て、国の予算じみた額を一括返済してしまったわけで、そりゃ豚も石化するわな。
ちなみに、俺がこの場に居合わせているのは、対豚貴族用の便利スキルをたくさん持っているからだ。
《しゃっくりが出るスキル》とか、《鼻水が止まらなくなるスキル》とかな。
要するに、団長の用心棒。
用心棒と呼ぶには貫禄がないということで、宝物殿にあった黄金の兜をかぶっているが、おそらく猫に小判といった有り様だろう。
さもなくば、兜を置くための台座だ。
さて、借金を返すにも礼儀というものがあるわけで、没落貴族の元令嬢にこんな紙切れ1枚で三行半を突き付けられるのは、中級貴族たるベギアード中爵からすれば侮辱そのもの。
激怒のあまり茹で上がり、勝手に調理済みになるのではないか、と俺は戦々恐々としていた。
トルネライトの隣ではガーファスが顔面を蒼白にしている。
……が、ベギアード中爵の反応は怒りとは程遠いものだった。
肉厚の頬が暖炉に突っ込まれたチーズみたいに溶け落ちる。
好々爺みたいにニッコリし、
「ブヒィ!」
と、ひと鳴き。
ベギアード中爵は恐るべき速さで全裸になっていた。
そして、なぜか踊り出す。
前掛けみたいに垂れた腹の肉が、踊り子が着るフリフリのスカートみたいに揺れていた。
「愉快愉快! 私は愉快! 愉快は私! んんんん、ほっ! 愉快・愉悦・愉楽・愉極・愉の神、降臨! ゆゆゆゆゆっ! ――ブヒィ!」
「……」
「………………」
「…………」
「KA! WA! KI! 渇き! KA! WA! KI! ううッ! KA! WA! KI! 渇き! KA! WA! KI! アア! にゅうううううカーワーキーがーミター! ミタミタ! ミタミタミタミタ満たされウううう! にょにょ! ほんほんツァ!」
「………………」
「……」
「…………」
紙面をべろんちょ、と。
上から下まで丹念に舐めながら、ベギアード中爵はニンンマアアアアと笑った。
やば。
これ、どこの階層主?
「しゅヴぁらしい! すば! しゅヴぁらッしいいいいいい! ほぉい!」
「……」
「これほどのォ! 国家予算じみた財を私という一人分の器に注ぎ込むとは、ッオワア! はち切れんばかりの潤い! オイ! 私の渇きがブルルル、ホオオオオオオ!」
意味不明だ。
解読不能。
まあ、なんだ。
これで借金は綺麗さっぱり解消された。
晴れてトルネライトは自由の身。
愛妾関係も、このギルドが豚の手に渡る地獄のシナリオも、どちらも白紙撤回されたわけだ。
めでたしめでたし。
「――どうだね、君!」
次の瞬間には、ベギアード中爵はトルネライトの手を握りしめていた。
速い。
あまりにも速すぎる動きで、俺どころかガーファスでさえ目で追えていなかった。
たらこみたいな唇を濡れた紅芋のような舌がぐるりと一周する。
のしかかられたテーブルが嫌な音を立てて軋む。
「ええ? 私のさらなる渇きを満たしてみようとは思わないか? 私がその気になれば、フーヴェント家を再び貴族の座に押し上げることも容易であろう。トルネライトよ、私の正妻となれ」
ガーファスの眼鏡がピキッ、と言った。
レンズは割れていない。
なら、青筋が切れた音かな。
そういう顔をしている。
トルネライトは皮膚に噛みついた血吸いヒルを引っぺがす感じで、肉厚の手を振りほどいた。
「いえ。私はもう誰かに借りを作るのは懲り懲りです。それに爵位に未練はない。私は冒険者をしているとき、一番満たされている。天職というものでしょう」
うんうん、とガーファス。
「ぐぬぬ! ずるい! じゅるい! ぞるい土塁じゅるいじゅるいッ! ブウウウヴ! 私も天職見つけヴ! 天職欲満たす!」
ベギアード中爵は夢に向かう少年のような目で立ち上がった。
ずしんずしんと思いのほか確かな足取りで出て行こうとするが、
「お待ちを、ベギアード中爵」
その背中をトルネライトが呼び止めた。
「この世の欲をあまねく味わわんとする美食家の貴殿のことです。たまには、趣向を変えた欲を感じてみてはいかがですかな」
「ブホお!? この世にまだ私がこの舌の上で転がしたことのない美味なる欲材があると申すか!」
「ええ。白の塔・第4層の宝物殿で入手したこちらの品を使うのですが」
こちらの品とは、金の延べ棒だった。
星の紋様が刻印されている以外、これといって特別な品ではない。
それこそ山と積まれていたもののひとつだ。
「これをこう使うのですよ」
トルネライトはツカツカと詰め寄ると、ワクテカしているベギアード中爵の肉団子みたいな鼻に、その金塊をぶち込んだ。
ガツン。
豚がうめき声を上げてぶっ倒れる。
顔をベロベロ舐められたお返しか。
一発くらい殴らないと、そりゃ気がすまないわな。
「ぶぎゃア!?」
一発くらい……では終わらなかった。
トルネライトはぶっ飛んだ豚をチーターのように追いかけて馬乗りになり、顔面をボコボコ殴り続けている。
「冒険者をしていると、つくづく思うのです。この世で一等大切なものは命だと」
「ぶぎゃヒ!?」
「真なる欲に迫りたいのならば、まず死に近づくことだ。最も死に近き場所から見上げた生こそ、最高の欲となるでしょう。死ね!」
その2文字がトルネライト団長の口から飛び出した事実が「ヒャッハー」以上に意外だった。
ちなみに、君主を諫めるべき側近ガーファスは、
「やれ! そこだ! 今のは入った! 入りましたよ! さっすが団長!」
などと熱烈なファンに成り下がっている。
「ぶ、ぶひ……」
数分後、ベギアード中爵はすっかり虫の息になっていた。
「満た、さえウ……ぐフフ……」
驚いたことに満足そうな顔で笑っている。
こんなボコボコの笑顔、俺は初めて見たよ。
女王様に金塊でしばかれるという新しい欲の形に目覚めた、ということなのか?
もう理屈ではない気がする。
ベギアード中爵もよくよく底の見えない御仁だ。
トルネライトの報復は奴に新しい愉悦を与えただけな気もするが、
「気がすんだ」
とうの団長殿は積年の恨みと決別できたようだった。
返り血と汗を拭う精悍な顔がいつになくイケメンだ。
「しかし、申し訳ない思いだ。我が家の私的な返済のために、ギルドの財を使い込むなど」
「なんの問題もありません。もともと団長あっての『星風の団』です。情けない話、団長なしでこのギルドを維持するのは不可能かと」
ガーファスは迷わずそう言い切った。
本当に情けない副団長だ。
「そうか。ならば、私は君たちの理想の団長でいられるように努めねばな。それが最高の恩返しになると信じて」
トルネライトが、――笑った。
いや、普段からちょくちょく笑うが、その笑顔は格別だった。
ガーファスが一瞬で恋する少年モードになっているからガチだ。
すべての暗雲が今、晴れたんだな、と俺もしみじみと思った。
「トルネ姉さんの本当の笑顔、久しぶりに見た気がしますっ!」
扉の隙間から様子をうかがっていたらしいシエがホッとした顔で入ってきた。
「そうか。それは……照れるな」
「照れる団長も最高です! おい、貴様! 真王国最高の絵師を呼べ! 団長のハニカミ顔を精巧に模写させろ! 殺すぞ!」
「うるせえ眼鏡だな……」
シエと執務室を後にする。
「わたし、治癒魔法の練習、もっともっと頑張りますっ!」
空色の瞳から決意の光があふれている。
シエの才能は特級品だ。
冒険者屈指の治癒術師になるポテンシャルがある。
俺も負けていられない。
《スキル・バースト/百神与砲》をものにできればコンプレックスの火力不足も解消できる。
砲身が使い捨てなのは、いろんな意味で痛すぎるが、それも練度いかんで解決できるかもしれない。
右手から砲弾をぶっ放って大型魔物を屠る、俺。
……かっこいい!
『ゴミ山』の蔑称を克服する日も近い。
そうと決まれば、
「とりあえず、走るか、シエ!」
体力作りはすべての基本だ。
それに、青春とか夢追い人ってだいたい走っているイメージがある。
「はいっ! トラッシュハルトさん!」
天使の笑顔が煌めき、そういうわけで、俺たちは走り出したのだった。
これにて完結です。
最後まで読んでいただきありがとうございました。




