90話 準々決勝 聖フィリア学院
聖フィリア学院、控えの間
石造りの控室は静かだった。
祈祷用の香が薄く漂う中、生徒たちは無駄口を叩かず、それぞれ祈りの姿勢で座っている。
一人の生徒が、扉の外から戻ってきて、静かに口を開いた。
「……外、ずいぶん騒がしいですね。」
「アーカムの噂か。」
「死霊術師とか。アンデッドを従えたとか。」
「聞きました。ミノタウロス・オメガを、だそうです。」
控室の空気が、僅かに揺れる。動揺というより、静かな困惑に近かった。
「……あの、今日の試合、その死霊術師は出ないそうです。」
「アーカムというと。
今日、あちらの中衛には……セラフィナ様の、昔のご友人が。」
「――リシェルのことですね。
誰が出ようと、わたし達のすることは変わりません。
祈り、鎮め、粛々と務めを果たすだけです。」
セラフィナは静かに頷き、席を立った。
控室を出たセラフィナは、誰もいない長椅子に一人腰掛けた。
窓から差し込む光の中、胸元から護符を取り出す。子供の手で結ばれた、不格好な組紐のついた護符だった。
『セラ、これあげる。』
幼い声が、記憶の中で蘇る。
『リシェル……これ、あんたの家の……』
『いいの。セラがいつも、誰も見捨てないから。だから、セラも誰かに見捨てられませんように、って。』
あの頃は、家も、進む道も、まだ何も分かたれていなかった。
護符を握りしめたところへ、家紋の入った外套を纏った男。
父だ。
「セラフィナ。
聞いたぞ。次の相手、噂の死霊術師とやらは出ないそうだな。」
「……父上。
はい。先ほど。」
「残念だな。
あの化け物と当たって無傷で済めば、話題性としては悪くなかった。だが……代わりに、あちらにはお前の昔の友人がいるそうじゃないか。」
セラフィナは、答えなかった。
「勝ち負けはどちらでもいい。だが、見苦しい姿だけは見せるな。旧交を理由に手心を加えるなど、以ての外だ。それだけが――我が家の評判に関わる。」
「……承知しています。」
父はそれだけ言うと、満足げに去っていった。
一人残されたセラフィナは、手のひらの護符を、もう一度そっと握り直す。
「誰も見捨てない、か。」
自嘲でも、誇りでもない、その中間のような声だった。
「――あなたのことは、まだ見捨てていないつもりなんだけどね、リシェル。」
そう言うと、彼女はいつも通りの、揺るがない足取りで祈祷堂を出て歩き出す。
控室の先では、先鋒の生徒たちが、既に静かに祈りの姿勢を整え始めていた。
観客の噂話
「見たか、あの死霊術師……」
「見たも何も、目の前で見せつけられたわ」
「ミノタウロス・オメガって、あれ、アンデッド化してても実質S級だろ」
「予選も見た? 36万点て、聞いた時笑ったもん。二桁間違えてんじゃないかって」
「間違ってなかったんだよなあ、それが」
競技場の外、屋台の並ぶ通りでも、話題は一つだった。
「アーカムの生徒、次は誰と当たるんだ」
「まだ分からん。だが……相手、可哀想だな」
饗宴の跡のような血臭が、まだ濃く漂う祭壇の前にエルディアはいた。
円環の外側には、まだ原形を留めない"何か"の残骸達。
──バカよね。大会も。
私に時間を与えたらそりゃこうなるっての。
ぶも……
エルディアの前にミノタウロス・オメガが膝まづいていた。
オメガの前には、エルディアの獣達が並ぶ。
ポチ。
リッチ。
戦闘力でいえば、その下にオメガという所だろう。
序列は明確だった。まるで格付けされた芸を持つ一座のように、今日もまた「新入り」が一匹、加わったに過ぎない。
「姉御。ひどいっす。
なんで私の分を残してくれないっすか。
絶対食いすぎっす。」
「いや、ノリで。ポチとかシェイドにも上げたら、なんか。
それに太るよ。そんなお肉ばっかり食べると。リリ。」
「ぶーぶー」
「ごめんって。」
「私も食べたかったっす。」
軽口をたたきながら、リリは術式を立ち上げる。
「オズワルド氏と共同で作りあげたネクロマンス術の最高傑作っす。
『これ』は、さすがに申し訳ないですが、相手に同情するっす。」
「ちなみに肝心のオズワルドは?この術式、オズワルドが開発したのよね。」
「魔力枯渇で、宿でダウンしてるっす」。
「……あとで余ったお肉もっていってあげよっと。
生きてる?」
「さあ?」
「……」
さあ?じゃねーから。
変なところで魔族基準になんじゃねーよてめー!!
私のクラスメイトだぞ!!
つーか、私も王城だの新聞だの知らんし。誰の管理下でもないっつーの。
エルディアがジト目をしていると、それに気づいたリリが言い訳を始めた。
「ちょっと褒めてあげたら、我が人生に一点の悔いなしでござるって言ってたっす。」
「……じゃあいいか。」
――噂も、注目も、評判も。
そんなもの、知ったこっちゃない。
エルディアは誰の家にも、どこの派閥にも属していない。見られていることにさえ、まるで無自覚だった。
アーカム控え室。
「今日は、俺が先鋒です」
「よろしくお願いしますね。カイル。」
そのリシェルの一言に、カイルが少しだけ肩の力を抜いた。1回戦、出番すらなく終わった悔しさを、彼はまだ胸に抱えていた。
ディオンが頷き、リシェルとリリアも、それぞれ静かに戦意を整えていく。
決勝トーナメント、準々決勝。
相手は、聖フィリア学院。
アーカム魔術学院の、新たな戦いが始まろうとしていた。
そして先鋒戦、カイルは負けた。




