86話 辺境自治学院2
「さあ。」
エルディアは笑う。
「お披露目といきますか。」
杖を地面へ。
コツン。
魔法陣が、静かに展開していく。
会場が、静まり返った。
「死霊術式。」
その一言だけが、静かに響いた。
実況官の声が、これまでの動揺とは一転、淡々とした解説口調に切り替わる。
「――魔法陣ですね。
紋様が確認できました。
あれは死霊術式、いわゆるネクロマンシー系統です。
闇属性魔術の中でも、扱える者が極めて少ない特殊分野です。」
観客席がどよめく。
「死霊術式は、対象を死者として再定義し、使役下に置く術式体系です。
討伐した魔物をアンデッド化し、戦力として運用する――予選での報告にもあった戦績の正体の一部は、これだったようですね!!」
魔法陣の中心から、ゆっくりと何かが立ち上がる気配があった。
「通常、この系統の術式は制御難度が非常に高く、王国内でも専門の教育機関でしか扱いを許されていない。
……独学でこの域に達しているというのは、正直、驚きを禁じ得ない。
これだけで、学生の領域を明らかに越えている。」
ガルドは、静かに杖を握り直した。表情から、先ほどまでの余裕が消えていく。
四百七十一体の魔物と渡り合ってきた経験。
だが、目の前で展開されているものは、これまで対峙してきたどの敵とも、種類が違う気がした。
(――何が出てくる。)
「《死者再演》。」
エルディアが静かに詠唱を終えると、足元に描かれた漆黒の魔法陣が、静かに、そして際限なく広がり始める。
競技場を覆うほどの巨大な魔法陣に、観客席からざわめきが消える。
やがてゆっくりと、一本の黒く禍々しく湾曲した巨大な角が姿を現した。
続いて、もう一本。
二本の角だけで、あまりにおぞましい魔力が闘技場を覆っている。
「……まさか。」
誰かが呟いたが、その声は最後まで続かなかった。
――ぶおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!
咆哮は音ではなく衝撃。
大気が弾け、競技場全体が激しく震動する。
観客席の防御結界が一斉に明滅し、その衝撃の大きさを告げている。
鋼鉄を削り出したかのような筋肉。
死してなお砕けぬ、漆黒の骨格。
腐敗した肉体の隙間からは、紫黒の魔力が炎のように噴き出し、その双眸に宿るのは、生者への憎悪。
死してなお消えぬ、王者の威圧。
迷宮第十五区画。
《ミノタウロス・オメガ》。
アンデッドとなったミノタウロス・オメガは、静かにエルディアへとかしづく。
主に忠誠を誓う騎士のように。
全身を縛るように刻まれた、無数の漆黒の刻印。
主への絶対服従を示す死霊術式。
競技場にいた誰一人として、その光景から目を逸らすことができなかった。
完全に凍りついていた。
「……え、S級……」
実況が震える声で呟いた。それが引き金になったように、ざわめきが一気に広がっていく。
「S級って……あの、討伐に軍が動くレベルの……」
「いや、それより……これ、一年生の召喚獣だぞ……?」
解説の声も、明らかに上ずっていた。
「信じられん……ミノタウロス・オメガ、S級指定だぞ。
討伐記録によれば、過去、単独部隊による討伐成功例は……確認できていない。
通常は、複数の上級騎士、師団規模による連携討伐が必須とされる、規格外の脅威。
それを……使役するだと!?!?」
競技場の空気が、一段階、重く沈んだ。
悲鳴。
歓声。
絶叫。
誰も席から立てない。
目が離せない中で、辺境自治学院、先鋒ガルド。
足が動かない。。
本能が叫ぶ。これは逃げろと。
人間が戦う相手じゃない。
四百七十一体。
その数字を積み上げてきた自負が、今や目の前の一体によって静かに揺らいでいた。
相手にしてきたのは、あくまで人が対処可能な範囲の脅威だった。
だが、これは違う。
存在の格そのものが、これまでの経験則の外にある。
――逃げろ。
一瞬、頭をよぎった選択肢を、ガルドはすぐに握りつぶした。
北部で杖を取った日から、恐怖に背を向けたことは一度もない。
四百七十一体、
そのどれもが命懸けだった。
格が違うというなら、それでも尚、立ち向かう理由がここにある。
「……上等だ」
ガルドは静かに構えを取り直した。
目の前の絶望的な質量に、初めて真正面から向き合う覚悟を固めながら。
エルディアは、まるで忘れ物を思い出したような軽さで、ミノタウロス・オメガと向き合い、首を傾げていた。
「ふむふむ。太陽がまぶしいです?
はあ?
甘えんな。てめえもう死んでんだろうが。
死ぬ気で克服しろ。」
ガルドは戦慄していた。
(この女。
死してなお仕えるアンデッドにパワハラを課しているだと!?!?)
ともかくも試合ははじまった。




