84話 その点数なので2 決勝トーナメント前
《監査院執務室 ― 非公式聴取》
執務室の主は分厚い書類の束をテーブルに置いた。
「査問会議では、不正の有無を確認した。
残されたのは――理論的説明不能性だ」
三人は、固まった。
……。
……………。
リシェルが、隣のリリアを、そっと肘でつついた。リリアは、ディオンを見た。ディオンは、書棚の方を見ていた。
(やっべ。むっず。)
誰の内心とも言わず、その空気だけが、部屋に満ちた。
先に折れたのは、やはりリリアだった。
「……えーっと。単刀直入に聞きますけど、エルディアが何か反則をしたって疑ってるんですか?」
「今、そうではないと言ったばかりだが」
「いや、そうなんですけど、そこからいきなり『理論的説明不可能性』とか言われても……」
「反則の話は、不正がないという結論でもう終わっている。
そして不正がない、という結論そのものは、次の疑問を生む。
不正がないとして、ならなぜそれだけの結果が出せるのか――その理屈は、何だ。」
監査院長の声は、そこで、わずかに――熱を帯びた。
「刻印の密度も、魔力伝導率も、討伐効率も、既存の理論値では説明できない。
私は、これまで、数えきれないほどの"規格外"を見てきた。だが、その全てには、必ず理屈があった。血統、加護、禁術、契約――何かしらの、種がある。
今回は、それがない。」
「……あの」
「これは、監査院としての職務をはるかに超えている。
分かっている。
だが、これを未解明のまま放置することを、私は看過できない。」
三人は、しばらく黙っていた。
やがて、リシェルが、そっとリリアに耳打ちした。
「……ねえ、これ。」
「うん。」
「もしかして、この人。」
「うん。」
「不正がどうとか、大会の権威がどうとか、建前で……」
「――純粋に、気になって仕方ないだけだよね、これ。」
ディオンだけが、腕を組んだまま、深く、頷いた。
「俺も同様の結論だ。俺たちは今、監査院長の、個人的な知的好奇心につき合わされている。」
「「――ですよね」」
三人の声が、珍しく、綺麗に揃った。
リシェルが、控えめに、しかし、はっきりと、手を上げた。
「あのー。
監査院長。 私ら、忙しいんですけど。」
「――なら、君たちは、説明できると?
仲間のことを、説明できない。 それは仲間として不誠実だと私は思うが?」
「……いいでしょう、監査院長。」
リリアは、テーブルに両手をゆっくりと置いた。
その笑顔は、いつもより五割増しで綺麗だった。
「いい機会です。 擦り合わせましょうか。」
「……リリア?
……は。
まさか!?」
リシェルは気づいた。
監査院長の簡単な挑発にイラついて、リリアの『スイッチ』が入った。
監査院長は、初めて、わずかに、目を細めた。 ――何かを、面白がるように。
「……擦り合わせ、とは?」
「監査院長が知りたいのは、"エルディアがどういう理屈で規格外なのか"、ですよね。 そして刻印がどうとか、戦闘理論がどうとか。エルディアをそういう物差しで測ろうとしますよね。
でも、あの子が規格外なのは多分そこじゃない。」
リリアの声が、少し、低くなった。
「――怯まないんですよ、あの子。
ミノタウロス・オメガに、突っ込んでいく時も。 焼肉の火加減を、調整する時も。 ……全部、同じなんです。
迷いが、ないんです。 死ぬかもしれない場面でも、肉が焦げるかもしれない場面でも、あの子の中では、多分、同じ重さで判断してる。
一瞬の迷いもなく、最適な選択を、選び続けるだけ。
――まるで肉を、ひっくり返すみたいに。」
会議室に、また妙な沈黙が落ちた。
監査院長は、懐からもう一冊別の資料を取り出した。
「これは、監査院の予算ではなく、私個人の裁量予算で、追加で組んだ調査だ。
「ちょっと待って。
それってつまり、仕事じゃなくてあなたの趣味じゃないですか。」
「趣味と呼ぶには、いささか予算規模が大きいがな。」
「開き直った!!」
「限界刻印数だ。」
監査院長は、資料の一点を、指で示した。
「それが、最もおかしい。
通常、術者が制御できる限界刻印数は、せいぜい十を超える程度。達人と呼ばれる領域でも、二十が、ほぼ上限とされている。」
「それが?」
「彼女は――千だ。」
「……は?」
リシェルの声が、また、裏返った。
「いや、千って。」
リリアが、思わず、笑った。
「そんなに人間って皮膚、ないですから。 どこに、そんな刻印刻む場所あるんですか、人間の体に。」
「その通りだ。
物理的に、不可能だ。 成人の可用皮膚面積で、通常サイズの刻印を千個刻もうとすれば、皮膚は、とうに機能を失う。」
「じゃあ、その千って数字――」
「おそらく、ここからは、推論だが。」
監査院長の声が、わずかに、低くなった。
「彼女は、刻印を、極限まで、小さく圧縮している。
本来、一つの刻印が持つべき情報を、通常の何十分の一という密度に、圧縮して、刻み込んでいる。 ――そうしなければ、千という数の刻印を、あの体に収めることは、物理的にできない。」
沈黙が、落ちた。
「……それって、」
ディオンが、掠れた声で、言った。
「密度じゃない……精度の問題だ。」
「そうだ。 密度の問題ではない。 密度を上げるために要求される精度そのものが、既存の理論限界値を、振り切っている。
――彼女は、"千の刻印を持つ"ために、"理論限界を超えた精度"を、前提条件として、要求されていたことになる。」
リリアの表情から、さっきまでの余裕が、消えていた。
「数を千にするって最初に決めて、それを実現するために精度を後から追いつかせた、みたいな……」
「――君は、いいところに気づいたな。
その通り、順序が逆なんだ。 彼女は最初から"千の刻印を刻むための必要な精度"を知っていた。」
監査院長は、リリアをまっすぐに見た。
「あえて断言する。彼女は未来から来た。」
三人は、しばらく、何も言えなかった。
「これが、私がお前たちを呼んだ本当の理由だ。
不正の追及でも、処分のためでもない。
――彼女が、この世界の理屈の"外側"にいるのだとしたら、それを知っているのは、監査院でも、専門家でもなく。 一番近くで、彼女を見ているお前たちだけかもしれないと思ったからだ。」
「未来。」
リリアは、その言葉を、小さく、繰り返した。
話が、飛んだ。飛びすぎている。
だけど――確かに、そうでもなければ、説明がつかない。 千の刻印も、理論限界を超えた精度も、順序が逆転した"結果ありき"の異常性も。
(もし、本当にそうなら……)
リリアは、そこまで考えて、一度、目を閉じた。
そして、静かに、首を横に振った。
「私は、エルディアを、見ててあげないといけないと思う。
――だってあの子は、誰よりも真剣だから。
自分の命をかけるくらい、本気で。
それが、未来から来たからなのか、生まれつきなのか、知らないけど――理由が何であれ、あの本気さを、放っておいちゃいけない気がする。」
会議室に、静かな沈黙が落ちた。
やがて、聞きたいことは聞けたという言葉共に、その話し合いは終了した。
部屋から出たあとも沈黙。
その沈黙をリシェルがそっと破った。
「ねえリリア。あなた、エルディアに入れ込みすぎじゃないですか?」
リリアは、一瞬、きょとんとした顔をしたがすぐにいつもの調子に戻った。
「入れ込みすぎ? 別に、普通でしょ。仲間を庇うのは。」
「普通、ですか。未来ですよ……?
ちょっとリリアらしくない、というか。」
リシェルの声には、非難というより戸惑いが滲んでいた。 リリアはしばらく黙り、
「確かにそうかもね。
でも……誰かがちゃんと見ててあげないと、あの子、本当に誰にも止められないところまで行っちゃう気がするの。」
リシェルは何も言わなかった。
ただ少しだけ、リリアの隣を歩く歩幅を合わせた。
「――全選手、闘技場へ。決勝トーナメント第一試合、まもなく開始します!」
実況官の声が、朝の澄んだ空気に、高らかに響く。
「第一試合、《アーカム魔術学院》対 《辺境自治学院》!!」




