80話 予選終わり
「もう食えないわ。
うっぷ。
おいしすぎるっていうのも問題だよね。」
「ダンジョンから出てきての台詞がさ、完全の完全に焼肉屋の後の感想なんだけど。」
「リリア先輩。お土産。
クラスのみんなにあげといて。」
「こんなとこで肉を出すな。」
リリアはエルディアの肩を軽く小突きながら、何やら楽しそうに笑っている。
あれだけの死闘を、あれだけの絶望を、あれだけの対立を経てきたとは思えないほど、自然な距離感だった。
リシェルが、少し離れた場所でまだ肉の話で盛り上がっている二人を眺めながら、ぽつりと呟く。
「なんかすごく仲良くなってません?
リリアとエルディア」
「おそらくエルディアは、リリアの『ほっとけない枠』に入ったんだろう。」
その一言に、リシェルがふと遠い目をした。
「……悪い男に、騙される未来が見えるんですが。」
「それは俺も同意見だ。
面倒見が良すぎるのも問題だな。」
ほんわかとした――そして、どこか気の抜けた空気を纏いながら、四人は迷宮の出口へと続く光の中へ、足を踏み入れていく。
時間は、ギリギリだった。
だが、確かに間に合った。
地上へと繋がる大扉が静かに開かれ、差し込む陽光が四人の姿を優しく照らし出した。
――アーカム魔術学院。
迷宮戦。生還。
その報告と共に、これまで誰にも見られていなかった、地道で、無謀で、それでいて確かな絆を積み重ねた三時間の記録が、ようやく地上の光の下に姿を現そうとしていた。
「あっぶな……。」
エルディアは討伐証明用の魔石だけを抱えたまま、管理局の査定受付へ駆け込んだ。
受付の監査官が顔を上げた。
「探索記録の提出ですね。」
「はい。討伐証明と、共鳴刻印ログです。」
エルディアは左手首を差し出す。
そこには、競技前に刻まれた、幾何学的な紋様が幾重にも絡み合った 共鳴刻印術式 。
迷宮内で接触した魔力反応、戦闘記録、移動経路、中継石との同期履歴――すべてを自動的に記録する、探索者用の標準術式。
監査官は小型の転写盤を机上へ置いた。
「刻印を同期します。手を。」
受付の監査官が刻印魔術の転写を受け取る。
監査官の表情が、わずかに固まった。
「……こちらで査定します。」
「お願いしまーす。」
エルディアは軽く頭を下げると、そのまま立ち去った。
「間に合った。」
「ギリギリだな。規定時間まで、あと三分ってところか。」
ディオンが時計を見る。
背後で、リシェルが、崩れ落ちるように、その場に座り込んだ。
「もう二度と、こんな綱渡り御免です……」
「よく頑張ったな、みんな」
ディオンが、珍しく労いの言葉を口にする。
窓の外を見れば、いつの間にか――太陽は、遠い山の稜線に沈みかけ、競技場全体が茜色に染まり始めていた。
朝から続いた、長い長い一日。
その終わりを告げるように、空に浮かぶ巨大な魔導映像板に、実況の声が静かに戻ってくる。
やがて。
迷宮全域へ、競技終了を告げる鐘が鳴り響いた。
ゴォォォォォン――。
長く、重い音色。
迷宮探索戦、終了。
その頃。
地上の大競技場では、実況席が最後の盛り上がりを迎えていた。
「各学院、続々と帰還しています!
今年も多くの名勝負が生まれました!」
巨大な魔導映像板には、生還した学院の光点が次々と点灯していく。
「こちら、《王立グランディア魔術学院》!
エース・アステル選手、本日だけで大型魔獣100体を討伐!
驚異的な得点を記録しています!」
観客席から歓声が湧き上がる。
「《王立第一魔術学院》も安定した探索を見せました! 討伐数、救助数ともに高水準!」
「《北方要塞学院》は第五区画侵入による減点が痛いですが、それでも討伐数では上位を維持しています!」
魔導板には、各学院の速報値が次々と映し出される。
一位、グランディア。
二位、第一魔術学院。
三位、北方要塞学院。
……
その片隅。
小さく表示された一行。
アーカム魔術学院 監査中
「おや?」
実況者が首を傾げる。
「アーカムだけ、まだ査定が終わっていませんね。」
「未踏区域の報告や特殊案件がある場合は、管理局による個別査定になる。点数が確定するまで順位には反映されない。」
「なるほど!ではアーカムの最終順位は、このあと発表ということですね!」
観客のほとんどは気にも留めなかった。
だが、監査院の奥では、一枚の報告書を見た査定官が、静かに手を止めていた。
──競技運営部、集計室。
競技場の熱狂が嘘のように、そこには、静かな灯りと、羊皮紙の擦れる音だけが満ちていた。
各競技から上がってくる膨大な採点データを、一つ一つ、査定官たちが手作業で確認していく。
「――迷宮探索戦、アーカム魔術学院の分、こちらです。」
若い査定官が、書類の束を、上司の机に置いた。
「はい、ご苦労さん」
初老の査定官は、書類を受け取ると、機械的にペンを走らせ始める。
区画到達点。討伐点。資源回収点。
流れ作業のように、数字を電卓代わりの魔導具へ打ち込んでいく。
――減点、区域外侵入。
――減点、禁止区域突入。
その数字を見た瞬間、ペンの動きが、一瞬、止まった。
「……大きいな」
「ええ。かなりの減点です。
おそらく、この時点で失格圏内かと」
「だろうな。にしても五千と五万か。豪快にやったもんだ。」
初老の査定官は、苦笑しながら、次の項目へと目を移す。
――加点、特別功績。
「――ん?」
ペンが、また止まった。
彼は、書類に記された内訳をもう一度上から下までじっくりと読み直す。
「……おい」
「はい?」
「これ、本当か? ミノタウロス・オメガの討伐報告、"Sクラス討伐扱い"になってるが」
「確認済みです。討伐証明提出と、刻印による記録、両方揃っています。魔力痕跡に従い算出されるので、事実かと。」
「一万点だぞ、これ」
「はい」
「しかも、下に……"封鎖指定区域における災害拡大の阻止"、これも該当扱いになってるじゃないか」
「これも記録により証明済です。魔力暴走の兆候があった個体を、未然に討伐したという扱いで。」
初老の査定官は、計算用の魔道具を、もう一度、最初から叩き直した。
――減点合計。
――加点合計。
出てきた数字を見て、彼は、思わずペンを取り落としそうになった。
「……もう一度、計算してくれ。」
「もうしましたが」
「頼む、もう一度だ」
若い査定官も、その様子に、さすがに眉をひそめる。
二度目の計算結果も、変わらなかった。
「……本当に、これで合ってるのか」
「合ってます……」
「ありうるのか。こんなことが……大幅な、黒字だぞ、これ」
その一言に、室内の空気が、わずかに変わった。
近くで別の書類を確認していた別の査定官が、思わず顔を上げる。
「どうかしましたか?」
「いや……」
初老の査定官は、書類を見つめたまま、しばらく、言葉を選びかねていた。
「今日一番、目立っていない学院の点数を見ていたんだが」
「目立っていない? どこですか」
「アーカム魔術学院だ。」
その名前に、若い査定官が、記憶をたどるように首を傾げる。
「……ああ、実況でほとんど触れられていなかった、あの?」
「そうだ」
初老の査定官は、机の上に広げられた書類を、指先で軽く叩いた。
「触れられていない理由が、よく分かった。地味すぎて、誰も注目していなかっただけだ」
「点数、そんなに?」
「明日の総合発表を見てみろ。……ちょっとした、事件になるかもしれん」
その呟きは、深夜の集計室の中で、誰に届くこともなく、静かに消えていった。
だが、その小さな違和感は、確かに、次の朝への"予兆"として、静かに積み重なり始めていた。




