18話 リリ
リリ・ヴァルフェリア。
その瞳は静かだった。
紫を基調とした紅の色彩は、感情の揺らぎを映さない湖面のよう。
迷子になった子供を無言で森の出口まで導くような、見守っている瞳。
今回については、生徒達が危ない場所に行ってしまう時は、必ず先回りしないとなと思っていた。
だってここダンジョンだし。
危ないし。
そしてその湖面のような紫の瞳は、彼の姿を映していた。
──アルト・ウィンドリィ。
ウインドリィ家の嫡男。
風魔術の名家に生まれ、同世代の中では確かな実力を持つとされる少年。
だが本来ならリリという存在の前では、同じ土俵にいること自体が成立しないほどの隔たりがある。
彼女は気怠げに椅子へと腰を下ろし、脚を組んだまま机に肘をついていた。
その所作すら美しい。
思わず目を逸らすことを忘れてしまうほどに。
彼は危険を見つけたようだ。
というか、彼女自身が危険であると気づかれた。
──面倒。
「何かしら?
仰々しい感じだけど」
「リリ。
あなたは、魔族だ。
それも、相当強力な。」
「やだなー。
リリは、あなた達にボコボコにされた雑魚ちんだもん。」
「エルディアがおかしいだけだ、
俺だけなら殺されていた。
そして本来だったら、この地域一帯は災厄に呑まれていたはずだ。」
「なんで手を貸しているかって?
矮小な人間の、それもカスのような学生なんかに。
わざわざ。この私が。」
「……ああ。」
「思い上がるなよ人間。」
空気が一段沈む。
その愚かさを教えるように。
先ほどまでの軽さを完全に捨てるように。
「貴様ら人間には、魔族の生贄以上の意味などない。
いずれ全ての生命を冒涜し、蹂躙し、その罪深さを魂の奥底まで刻んでやる。
せいぜい噛み締めておくことだな。
その容易に崩れ去る平穏を──」
「リリ!!
アルトをいじめない!!」
「わかってますよ姉御!!
姉御の大事な人ですもんね!!」
「は?
殺すぞ!?」
「ひいい!!」
やがてリリは何事もなかったように視線を戻し、紅茶を一口だけ口にした。
紅茶は人生に似ている。少し冷めたり、少し熱くなったりする。
そして、ぽつり。
「……というわけだ。
なんだその顔は、殺すぞ。」
淡々とした宣告だった。
激情ではない。
確定した未来を読み上げるような、冷たい断言。
だけどさー。
アルトは思った。
今更凄まれてもさー。
「さーせん。解説を。
俺には理解不能すぎる。」
「せっかく姉御に受け入れてもらった下っ端キャラムーブが崩れてしまうから、手を貸しているだけだから!!
他に行くところもないし!!
何よあの化け物!!
まだ痛いのよ!!殴られたところ!!
……は、しまった。
ふふん。
笑うなら笑え。」
ずずずー
紅茶うめー
「いや、色々大変だなあんたも。
あとこれ、エルディアから言われて持ってきたプレゼントなんだけど」
「姉御から?
あ、かわいー
くまさんのぬいぐるみじゃん!!
えへへへ。部屋に飾ろっと
……」
アルトは、もう完全に固まっていた。
さっきまでの“世界を滅ぼす宣告”の残響が、まだ普通に頭の中に残っている。
普通にビビっていた。
リリは、強がりだけは一丁前だが、頬にはまだ赤みが残っている。
軽く手を払った。
「もういけ。
私の気がかわらないうちにな。」
「あ、ああ。
また持ってくるよ。
次のシリーズもあるから。」
「ふ。理解のある男だな。
人間にも話がわかるやつがいたようだ。」
言いながら、ぬいぐるみを愛でていた。
──くまさんでいいんだ。
(ちょれー。)
去り際、アルトはふと思い出したように振り返る。
「なあ、
今度そういうショップにつれてこーか?」
「行く!!!!」
行くんだ。
視線の先では、魔族の大災厄とされる存在が、ぬいぐるみの耳を整えていた。
愛でている。
普通に。
その仕草はあまりに丁寧で、つい先ほどまで周囲に漂っていた殺気や警戒が、そこには一切ない。
その様子を遠目に見る、アルト。
そして隣には、アルトの護衛である、カミラ。
カミラは、女性魔術師。
軽装の魔導ローブの上から、最低限の防護術式が刻まれた装具を身につけている。
『重い防御は必要ない。身を挺するときに間に合わないから』
彼女の人柄がうかがえた。
その彼女は、小さく声を落とす。
ウィンドリィ家は風魔術の名家。
政治的にも軍事的にも国の中核に近い位置にあり、嫡男であるアルトは、将来的にその象徴となる存在。
彼女命より、アルトの命は明確に重い。
「アルト様。
……」
「お前らはリリへの接触はやめとけ。
多分気づかれてる。」
「でも会話は聞いていましたが、あんなふざけた感じで、いつ心変わりするとも思えませんよ!?」
その声には、訓練された護衛としての判断と、本能的な恐怖が混ざった声色があった。
記録や書籍にも裏付けがある。
目の前の存在は、“観測されるべき災厄”だ。
「リリ・ヴァルフェリア。
強大な悪魔です。
奴に滅ぼされた都市は枚挙にいとまがない!!
記録上──いえ、そうでなくとも大魔族です!
ここまで森の汚染が少ないのが奇跡なほどに……
魔力災害がいつ起きてもおかしくない!」
「それでもだ。
絶対に手を出すな。
放置しろ。
一応さっき、領域の境界からの監視の許可はもらったから。」
「ど、どうやって
あの大悪魔から……」
「え?
アクセサリーショップを説明したら。」
あ、アクセサリーショップすか
アクセサリーショップ!?
数日が過ぎた頃、その場所にはある建物が建築された。
木と白石を基調にした、やけに落ち着いた外観のカフェ。
そのカフェの中では、アルト・ウィンドリィが普通にカウンターに立っていた。
やがて。
『彼女』が着替えを終え、姿を現す。
人を守り、戦い、冷静。
そんな彼女が“普通に店で働くための服”を着ていた。
「ぼっちゃま……
あの?
これは?」
護衛役カミラは、ショップの店員の格好をしていた。
普段の魔術師ローブではない、フリルのついたエプロンに、髪もきっちり結い直された完全に店員仕様。
「さすがに似合うよな。
お前。
スタイルいーしな。」
「あ、もしかしてこういうの好きなんですか?
言ってもらえればいくらでも
ぼっちゃまのためならー」
カミラが惚気始めた時、そいつが入店した。
「まあ待てカミラ。
客だな。
お、いらっしゃーい。」
「へえ。
まあまあね、
人間にしてはわるくない。」
「なななななーーーー!!!、」
大悪魔リリ・ヴァルフェリアか御来店された。
「ようこそ。」
手早くテーブルに案内する。
「うむ。」
「注文は何に致しますか?」
「クリームソーダ!」
「かしこまりました。」
やがて戻ってくる。
アルト・ウィンドリィの立ち振る舞いは、もはや驚くほど自然だった。
ウィンドリィ家の嫡男であることを忘れさせるほどの、手慣れた接客の響き。
こいつ隠れてバイトやってたろと思えるほど。
「ってことだ。」
「何がっ!?!?」
クリームソーダの準備を手早くはじめる。
カウンター奥から、軽い氷の音が響く。
ソーダの泡が立ち上がり、緑と白がゆっくりと層を作っていく。
そこにアイスクリームが落とされ、甘い香りが空間に広がった。
「監視の条件だよ。
おしゃれなカフェを,こしらえろ。
そこなら領域の境界、なんなら境界内でも構わないってことだ。
だからこしらえた。」
「……」
カミラは一度、言葉を探すのをやめた。
情報量が多すぎる。
リリ・ヴェルフェリアは奥の席で、クリームソーダを待ちながら優雅に足を組んでいる。
その姿だけを切り取れば、ただの常連だった。
──そもそも常連とは?
「ぼっちゃま。
わたくし、ちょっと理解が追いつかないのですが。」
「お前の役目さ、俺のお目付役もそうだが、リリの監視もあるだろ。
今後、コスプレして、ここの店員やれ。」
「まさか、このカフェって……」
「作ったんだよ。
ウインドリィ家の財力で。」
「で。なぜ、わたくしがこの格好を?」
「俺かお前がやらないと人手不足でまわんないからだよ。
今日は違うが、ほぼほぼワンオペだ。
お前、今後この店を回せ、」
「……」
店内を見渡す。
足を組んで優雅に待つ大悪魔。
そして台所。
カウンター。
意外とおしゃれなカフェ。
「えええええ!?!?!?」
「騒がしいな?
問題が?」
「いや,大丈夫だ。
ちょっと店長が給料でごねてるだけだから。
少々お待ちください!
すぐにお持ちいたします!」
「うん。
わかった。
早くせよ。
待ってるから。」
流れるように嘘をつくアルトの機転により、リリは行儀よく注文を待つ少女にしか見えない。
「てことだ。」
「……」
てことだじゃねーよ!!!
なぜこうなった!!!
カミラが、ぎこちなくキッチンを除くと、確かに厨房のシェフなんかは見知った顔だった。
おめー昨日、私に夕飯作ったよな!!
ウインドリィ家の屋敷で!!
「お待たせいたしました。
クリームソーダです。」
「おすすめのケーキは?」
「ケーキでございますか?
チーズケーキが在庫にありますが」
「よろしく。」
「かしこまりました。」
チーズケーキとクリームソーダが並ぶテーブル。
リリ・ヴァルフェリアは、特に疑う様子もなくそれを受け取る。
帰りに、おまけのグッズを渡したら、すごく喜ばれた。
「あの……代金が……普通に払って帰っていきましたけど……
あの魔族……」
「魔道具くれるってさ。
アーティファクト級だってよ。」
そして、数日後。
ウインドリィ家から正式な通達が降りた。
――ここ一帯を「特別保護区」として認定する。
魔力災害級個体の常在、及び魔族存在の観測。
すなわち、魔族の大災厄が普通に来店するカフェ付きの保護区として。




