188話 学園長
学院長室の前。
「……リシェル本当に大丈夫?
お腹。」
「だ、大丈夫です。
先ほどアイスワームの香草蒸しは、確かに食べすぎましたが、それとこれとは別です。」
「美味しかったのね。」
「全然っ!!!!」
リシェルの頬は、うっすらと艶があった。
エルディアが「前菜ね」と言って出したアイスワームの一皿で、リシェルは二度目の陥落を遂げている。
ほろほろと崩れる白身。
氷の魔力を含んだ、ひんやりとした脂。
彼女は食べ終えたあと、「これは天上の供物です」と呟いてしばらく天井を見ていた。
「あの、言っておきますけど、わたし、胃袋を掴まれたのではないんです。
あくまで、友達の頼みを断らなかっただけ。
それに学園を真に思えばこそで……」
「はいはい。
わかってる、わかってる。」
リリアが背中をぽん、と押す。
リシェルは、ひとつ息を吸い、制服の裾を整え、扉に手をかけた。
「…………参ります。」
その背後にて。
「私も食べたけど、実際なんなの?あれ」
「ん?魔の森で襲ってきた魔物だよ。
全長一〇〇m級に同じサイズの首が九本ついてる。
世界崩壊級だって。すげえ強かった。」
「……へー。」
リリアは突っ込むのをやめた。
「ところで私たち、同席はするけど基本は黙ってるんだよね?」
「エルディア。
あんたは特に、一言も喋らないで。」
「はーい。」
エルディアは、にこにこしたまま、口の前で指をばってんにした。
扉が開く。
「おや、リシェルさん。
今日は礼拝のあとに、とお聞きしていましたが……
――おや、シルヴァ家のお嬢さんと、そちらは。」
視線が、エルディアに止まった。
重厚な机の向こうで、アーカム魔術学院の学院長が、書類から顔を上げた。
白髪を後ろに撫でつけた老人。
その目は、柔和でありながら、リリアの背筋を無意識に正させる深さがあった。
「本日は、『学院の将来を案じる一人の生徒』として、お願いがあって参りました。」
「ほう。」
学院長は、手を組んだ。
「お聞きしましょう。」
「――世界魔術連盟が、近く、この学院に、監査に入る見込みです。」
「ふむ。
シルヴァ家のお嬢さん。
あなたもこの件に関わっておいでですか。」
「はい。」
その時ノックの音が、二度なった。
「おっと。
来客のようだ。
どうぞ。」
学院長が答えた直後、扉が開いた。
現れたのは、漆黒の礼装を纏った長身の影。
──頭上には、二本の角
「初にお目にかかる。
私は、魔王城、事務総括、ゾルグ。
約定なき来訪、無礼を詫びよう。」
男は、きっちり三歩――まるで魔法陣の円周を踏むように進み、足を止め、一礼した。
場が、固まった。
◆
(ちょっとエルディア!!!
だれ!?!?)
リリアは、ゆっくりと、隣を見た。
エルディアは、にこにこしている。
口の前の指は、ばってんのままだ。
「いや、まだ口閉じてたのあなた……
もういいでしょ……」
ゾルグは、鞄から一通の書類を取り出し、静かに留め金を閉じた。
「……そちらのかわいらしい方々は、先客ですかな。」
「ええ。
こちらの生徒たちが、学院のことで相談があるそうで。
ですが、お急ぎでしたら、そちらを先に伺いましょう。」
ゾルグが手にしていたのは、黒い封蝋の書類だった。
彼はそれを、学院長の机の上へ、すっと滑らせる。
「世界魔術連盟の、監査の件。
その件で、我が主より言伝を預かっている。
横流しの書類になるな。」
「……」
学院長は一目見るなり、深いため息をついた。
「明朝、円卓会議を、開きましょう。」
「……あ、あの学院長。
円卓会議を開くとは?」
「彼の用件は、君たちの用件と重なるものだ。
魔王領は世界魔術連盟の一柱。
つまり、書類を見る限り、監査は事実だ。」
疲れたように学院長は言った。
「やれやれ、私のいないところで勝手に認可がおきているな。
どう処理してくれようか。」
──あ、これ怒ってる。
リリアは思った。
ともかくも、その場の目的は達した。
──学食。
「すんなり終わったね。
もうちょっと揉めると思ったけど。」
「……決められなかったから、生徒の総意に委ねたのよ。
……でもタイミングが良すぎる。どうしてこのタイミングで?」
「私の仕込みだからね。
まあ、学院長が準備を止めなかった以上、事実上の許可みたいなものでしょ。」
「ちょっと待ってもらえる?エルディア。
仕込みって……?」
「政治的な情勢。
今、魔族は私を切るという選択はないからね。」
「……もう突っ込まないからね。私。」
「ねえ。リリア。
これ、私もう、帰りたいです。」
「私もよ。リシェル。」
エルディアは気づいたように懐から肉を出した。
「リシェル先輩。
アイスワームの肉。はい。」
「わあ、おいしい。
…はっ、しまった。
自分が憎い!!
人参をぶら下げた馬みたいになってしまう自分があまりに憎い!!!」
──翌朝、円卓の間。
円形の大卓に、二四の椅子。
上座には学院長。
生徒の代表が十二名、教授会から三名、生徒会長、各寮の代表。
そして学院に出資する後見人たちは、理事会として一角を占めていた。
学院長は、全員が着席するのを待って、口を開いた。
「前置きは省く。
連盟の監査が入る可能性がある。
名目は、学院の管理責任だ。
その備えとして、ランキング制度を見直す。ここにある要求書が、その叩き台だ」
要求書の筆頭には、ランキング制度の白紙化とあった。
「……ひとつ、よろしいか。
連盟の監査というものは、そう簡単に入るものではない。
私の記憶では、前回は三十年前だ。それも、死者が出た事故の後だった」
理事会の一人からの言葉に、「ええ」と学院長は短く答えた。
「ならば、なぜ今なのかね。
この数年、学院に目立った不祥事はなかったはずだ。
誰かが、連盟に働きかけたとしか思えんのだが」
「同感です。」と、出資家の後見人が続く。
そのまま反対の波が、卓をひとめぐりした。
卓の空気が、もう一段、冷えていく。
──やっぱり反対ばかり。
(これは厳しい。
ランキング是正。既得権益を真っ向から崩す行為だ。
議論の土俵にすら、到底たどり着ける気がしない。)
リリアは、膝の上の拳に力を込めた。
その時、エルディアの声が、あまりにもさらりと響いた。
天気の話でもするように。
エルディアは手をあげた。
「発言してもいいですか?
学院長。」
「どうぞ。」
「なんで、この学院に監査が来るのかって話ですけど、そりゃ私がごたついたからに決まってるでしょ。
世界魔術連盟と。」
一同は思った。
──お前のせいじゃん!!
「結局、お前のせいではないか!!!!!」
学年二位であり生徒会長であるレオンハルトが、卓に手を叩きつけていた。
黒檀が、鈍く鳴る。
家紋の指輪が、がちりと音を立てた。
「貴様はランキング四五〇位のビリの平民だったな。
監査を呼び込んで!
学院を危機に晒して!
今ごろ、制度の是正だと!?
白紙に戻せだと!?
恥を知れ!!」
円卓が、ざわついた。
理事会席の多くの人間が、「そうだ」と頷く。
エルディアは、ほんの少しだけ、視線を泳がせた。
それから、いつもの顔に戻って、肩をすくめた。
「ほら、でもそこは、あれだから。」
「……あれ、とは」
「学院長の不在時に、勝手に監査の許可を出したのは理事会だから。」
空気が凍った。
「むしろ私は尻拭いだよ。」
理事会の一人が目を逸らした。




