182話 二度と来ないでもらえますかね
「あなたは、それでいいのかしら。
174。」
白は、答えなかった。
「あの冬は、一回目だった。」
175の視線が、蒸気の彼方に横たわる**亡骸**を捉える。
崩れ落ちたヒュドラ。九つの首。
そして、凍てついたまま時を止めた、あの空。
「アイスワームは、あなたの、私たちの村を、奪った冬。
ループの中で、幾度も殺された。
幾度も、幾度も、同じ雪の下に埋まった。
倒したから、何?
砕けたダイヤが、何を返してくれるというの?」
175の拳が、震えていた。
同じ顔が、吐息の触れる距離で睨み合う。
「奇跡など、起きない。」
「違うよ。一七五。
奇跡は、起きるべくして、起こる。」
「……結果は、結果として受け止める。
無限のループの中で、いずれそれは再現される。
千回目か、万回目か。
試行を重ねれば、いつかは同じ乱数を引く。
私は、それまで続ける。
何度でも、観測と、設計を。」
「やっぱりそうなのね。
あなた……ゼフィラと……」
「ふふ。
――じゃあね。」
淡々とした別れだった。
足元に、青白い術式が広がっていく。
輪郭が、氷の粒子に溶けはじめた。
「まちなさい!!!!」
エルディアの声がその場を貫いた。
「ぜーぜー。
つ、疲れた。
走ってきたから。」
エルディアは膝に手をついて、肩で息をする。
「あなたには言わないとならないことがある。
それを聞いてからかえって!!!!」
175の足元では、術式の青白い光が、さっきから消えかけの蛍のように明滅している。
その上で175は腕を組んだまま、わずかに首を傾げた。
「何かしら。
これでも忙しいのよ。5秒でいいかしら。」
「構わない!!
ゼーゼー。
ただちょっとたんま。
腹が……横っ腹が痛い……
すーすーはー
すーすーはー」
エルディアは右手を前に突き出して「待て」の形を作り、左手で脇腹を押さえた。
腰を折り、肩を上下させ、ひゅう、ひゅう、と情けない音で息を継ぐ。
「まずあんただけど、今後は『黒』と呼称する。
白エルディアが『白』だから丁度いいでしょ。」
「どうぞ。もう5秒立ってるけど。」
「損害賠償よ」
「……?」
「あんたには損害賠償を請求する!!!!」
「……なにそれ。」
「いっておくけど、私には魔王様の事務総括、ゾルグがついている。
175回ループしようが2000回ループしようが、無慈悲なる事務総括の前には何の意味もないんだから!!!
逃げられるとは思わないことね!!」
エルディアは、ようやく息を整えて背筋を伸ばし、そして人差し指を、ぴしりと黒の鼻先に突きつけていた。
黒が目をぱちぱちしていった。
「……ゾルグって誰?」
「魔王城の良心を知らないとは、一七五回が聞いてあきれるわね!!!!
書類はオメガ粒子より強し!!!」
「誰よ。だから。
まあ……次に会うときまでに、覚えておくわ。
ゾルグ、とやらの名前を。
実際知らないし。」
「そうしろ。」
黒は、背を向けかけると、首だけで振り返った。
その目からは、さっきまでの戸惑いが、きれいに消えていた。
「じゃあ、私からも忠告しておいてあげる。
エルディア。
リリは私の指示であなたと一緒にいる。
じゃあね。」
青白い術式が、ひときわ強く瞬いた。
輪郭が氷の粒子にほどけ、蒸気の中へ、音もなく消えていく。
帰ったのだろう。
エルディアは、しばらくその場所を睨んでいた。
それから、ふん、と鼻を鳴らして、腰に手を当てた。
「よし。リリ聞こえる?塩もってきて!!
老害め。
二度とくんな!!」
通信の向こうで、少しの沈黙があった。
リリの声は、いつもの軽さを保とうとして、わずかに乾いていた。
『姉御……あの人のいう通り、うち、スパイっすよ?』
「大丈夫。あなたとは、雇用契約を結んでるから」
『あれ?そんなの結んでましたっけ。』
「そんなのはこれからに決まってるじゃない!!!!
あなたは法という名の鎖でがんじがらめにして、私から一切に逃げ出さないようにしてやる!!!」
『……ひど。』
そして後日。
ゾルグが訪れた。




