181話 永久凍土 冬の終わり
『――カインさんっすか……!?どうしてここに……!!?』
「リリちゃんのピンチには、俺が駆けつける。
聞こえたからな。
リリちゃんの声が。」
『カインさんっ……!!』
リリの悲鳴にも似た声。
エルディアが振り返った。
──あいつら、ここにきていちゃついてるんだけど!!
(さすが変態。
だけど何あの術式。
白でも溶かせなかった、氷の動きが止まってる……)
カインは右腕と一体化した剣の切っ先を、静かに地へ突き立てていた。
足元から白い紋様が奔り、セカンダリーシールドの縁で再生を続けていた氷を「縫い留めている」。
「……冬を、律した。
氷が氷であることを、今だけは俺が決める。
だが、長くは保たない。
刻限は数秒だ。
その間に──貫け!!!!」
エルディアは、唇の端を吊り上げた。
「カイゼリオン!!
商売繁盛砲の制限を解除して!!!
魔力全ツッパだ!!!!!
白さんは中和!!
リッチ、案山子は鍬を一斉に!
粒子の塊を、今のうちにぜんぶほぐす!!
《千蝕魔角鹿》、ありったけ魔力を流し込め!!」
「言われなくても!!」
白の焔が、再び天を焦がした。
◆
カイゼリオンは、両手を胸元でクロスさせ、そして《紅蓮狙撃杖》を砲へ押し込んだ。
「……大詰めだな!!!
制限解除。
いくぜ。DPモジュール接続。
魔力タービン、全開!!
95……
100……
105……!
110……!!
目覚めよ、《紅蓮狙撃杖》!!
商売繁盛砲、発射――この一撃、外しはしねえ!!!!」
かくして、運命の矢は放たれた。
◆
放たれた火矢は綺麗な直線を描いて再度シールドを貫いた。
その瞬間、アイスワームが咆哮した。
九つの首が、狂ったように暴れ回る。
生まれて初めて知る「痛み」に、のたうち回るように。
氷牙が大地を穿ち、尾が薙ぎ払われ、砕けた氷塊が終末の雨のように降り注ぐ
「下がって! 巻き込まれる!」
白が叫ぶ。
『暴れすぎっす! これじゃアス氏の熱が、届かないっす!』
リリの声が悲鳴に近い。
熱を叩き込むには、動きを止めなければならない。
だが、止める術がない。
その時だった。
ショッピングモールでバタンキューしていたサキュエラの瞳が、かっと見開かれた。
眠れる獅子である彼女は目覚めた。
いや、夢うつつであった。
「…………剥かれて、いる。
絶対の護りを、剥がされて……
無防備に、なって……
あんなに、暴れて、恥じらって……
ああ……いい……
影を背負う男が、鎧を剥ぎ取られる、この背徳……!」
──領域展開。
──『桃色盤外戦術』。
万年思春期と称されるサキュエラのリピドーにも似た力強い迸りが、夢と現実の狭間の彼女を明確に突き動かしていた。
桃色の霧が、モールを中心にぶわっと爆ぜた。
先ほどまでの比ではない。
術式の花が、氷の大地を埋め尽くすように咲き乱れる。
九つの首が、ぴたりと止まった。
暴れていた巨躯が、桃色の霧の中で、金縛りにあったように固まる。
時を奪われたように
『これはサキュエラの領域魔術!?
まさか復活してるっすか!?
いや……寝てるっすね……
とにかく動きが止まったっす!!
今っす、アス氏!! 今しかないっす!!』
アスは、頷いた。
何も言わず、両手を前に突き出した。
「──精霊たちよ、我が呼び声に集え!
《循環型温熱結界》!!!!!」
アスの両手の先で、空気が歪んだ。
叫んだ瞬間、モール全体が唸りを上げる。
壁を這う魔術回路が、血のように赤く灯った。
冷暖房のために張り巡らされた術式が、モールの内から逆流を始め、外界への干渉を開始する。
『《循環型温熱結界》、全出力。
方向、暖房――最大。
作用点、調整するっす!』
熱が、走った。
見えない奔流が、モールから戦場へ。
凍てついた大地の氷が、ぱきぱきと悲鳴を上げて剥がれていく。
吹雪が蒸気に変わり、視界が白く煙った。
『干渉開始。
アイスワーム。温度、上昇中確認!
五百……千……まだ上がるっす!』
リリの声が、上ずる。
アスが、歯を食いしばった。
「千数百度なんて、通過点。
千数百度なんて、通過点。
千数百度なんて、通過点………」
額から汗が噴き出し、そのそばから蒸発していく。
熱の束が、剥き出しのヒュドラの巨躯の中で膨れ上がっていく。
氷が、膨張する。
逃げ場を失った力が、体内へ、内側へと押し潰していく。
オメガ粒子ごと、圧縮されていく。
『圧力、上昇っす! 五万気圧……まだ、まだ来るっす!』
九つの首が、桃色の霧の中で、身動きひとつできずに震えた。
「ごめん!! エルディア……!
持たない……かも!
やっぱむりー!!!!」
アスの腕が、震えていた。
リミッターを外した魔術は、術者すら焼く。
「大丈夫。」
エルディアが、彼女に手を重ねた。
「アス、一人じゃないから!!!!」
その言葉に、アスは、目を見開いた。
それから、笑った。
「……そうだね。」
──限界稼働。
熱が、さらに跳ね上がった。
ヒュドラの胸の奥で、何かが、きらりと光った。
透明な、硬い、小さな光。
『ダイヤモンド……生成開始確認っす……!
ヒュドラの核が、内側から、結晶化していくっす!!』
リリの声が、震える。
◆
『冬』が、終焉を迎える。
白は『それ』を見届ける。
崩れ落ちていくヒュドラの残骸から、蒸気が立ち昇り、ダイヤの粉が、陽の射さない空に散っていく。
白はそれを、確かめるように見ていた。
幾度も挑み、幾度も殺された。
殺された果てに世界は冬に閉ざされ、また、はじまりが始まった。
二枚の絶対障壁。
オメガ粒子の限界濃度。
世界の崩壊そのものの密度は、絶望と等しい質量で白の前に常に立ちはだかっていた。
サキュエラの変態性
ゴルドの矜持
カインの復活
そして、商売繁盛砲。
『《循環型温熱結界》』
『千蝕魔角鹿』
そしてエルディア……
どれか一つでもピースが欠けていれば──
(……違うのか。
欠けていても、きっと『あなた』ならなんとかしたんでしょうね。エルディア。
運命ごとねじ伏せていた。)
白の頬を、氷の欠片が掠めた。
儚く融けていく。
◆
「くだらない。」
175は、吐き捨てた。
崩れ落ちたアイスワームの残骸を背に、氷の刃のような眼差しで、白を見ている。
蒸気の向こうで、砕けたダイヤの粉が、まだ舞っていた。
「再現性のない奇跡が、たまたま重なっただけ。
こんなもので、世界の理を超えたなどと言えるはずがない。
もう一度やれば、同じ結果にはならない。
サキュエラの魅了も、ゴルドの斧も、カインの適合も。
全て、偶然の産物よ。
偶然という名の残滓に過ぎないわ。」
白は、黙って聞いていた。
それから、ゆっくりと口を開いた。
「そうかもね。
次は、同じにはならない。
たぶん、あなたの言う通り。」
175の眉が、わずかに動いた。
「……」
「百七十四回も、百七十五回も、ないんだ。
本当は、誰にも、そんなのはわからないんだ……
人生って、一回なんだよ。
……私は、『私たち』は、それを百七十三回分、忘れていただけなんだ。」




