180話 永久凍土 あと、薄皮一枚
炎の巨人が、剣を振り上げた。
あらゆる迷いを切り裂く不冬の白炎の剣がチリチリとあたりを焦がした。
もう一段階ギアを上げた熱量が、周囲の氷を急速に溶かしていく。
白の指輪が、赤く灼けていた。
唇に、鉄の味が滲みながら、白は、右手を前へ突き出した。
「――薙げ、スルト。」
巨人の剣が、落ちた。
音が消え、色も消える。
ただ、白い閃光の中を、千の冬が溶けていく。
氷原が、大気が、ヒュドラの九つの首が、一つの大きな灼熱に呑まれていく。
◆
ゴルドは戦斧を振りかぶっていた。
灼熱の白が、視界を塗り潰しているが、それでも、目は閉じない。
見るべき場所は、もう決まっている。
(全てを灰塵に帰す白い業火。
魔王様より賜ったこの鎧がなければとうに消し炭になっておったわ!!)
──使用者の命すら食い尽くす、闇の鎧。
「哭け。その呪いで全て染め上げろ!!」
(ゾルグの奴め。この死線を予期しておったな。
エルディアは見極めろとお主は言った。
見極めるも何もない。
奴の運命は、命を賭して食らいつかねば容易く飲み込まれる巨大な台風よ!!!)
あの大戦。血で血を洗う、三度の世界大戦。
命をそのままベットする熱量こそが最低条件。
──そんな死地など、二度とないと思っておった!!!!
「儂は魔王城の門を、三十年守った。
人間どもの英雄が来た日も、魔族どもが牙をむいた日も、ただ斧を握って、立っておった。
そのくだらない矜持に、儂は命をかけた!!!
生半可な覚悟で倒せると思わぬことだ!!!」
名を呼ばれることも、称えられることもなかった歳月。
ただ自分の信じる者の為に、決して引かないという、ただそれだけの矜持。
牙を見せて、ゴルドは笑う。
「合わせろ白いの!!!」
◆
ゴルドは白炎の中で踏み込んだ。
足場なき虚空を、鹿の背を、炎の熱風を蹴って、緑の巨躯が光の只中へ跳ぶ。
「死ぬわよ!!
下がって!!」
「こんなぬるま湯で死ぬものか!!
歯を食いしばれ!!
貴様の炎はそんなものではあるまい!!」
「いってくれるじゃない!!
天照回路解放──
死んでも恨まないで、ゴルド!!
因果の果てまで焼き尽くしてやる!!!」
戦斧が、白炎を伴い振り下ろされた。
束ねられた力は、細い槍となって、シールドの一点を貫いた。
ぴし、と。
小さな音だった。
けれど、その音は、戦場のどの轟音よりも澄んで響いた。
亀裂が、蜘蛛の巣のように走る。
セカンダリーシールドが、内側から光を漏らし――
閃光と轟音。
アイスワームの第二障壁が、悲鳴のように軋む。
『いけ……いけ、いけっす……!』
リリの声が、祈りに変わっていた。
ひびが走り、蜘蛛の巣のように、広がっていく。
けれど。
『……足りない、っす……。』
光が収まる。
シールドは、傷だらけになりながら、それでも氷の大蛇を守る。
ゴルドが、膝をついた。
白の術式の光も、揺らいでいる。
あと一枚。
あとほんの、薄皮一枚。
◆
エルディアにより召喚されたリッチが、クワを地面に突き立てた。
「領域展開。
──《戦術迷宮・冥府耕作結界》!!!!」
骨の体にボロボロの布をまとい、無数の案山子が列をなして姿を表し、虚ろな眼窩を向けた。
「空間湾曲効果で、障壁をこじ開ける!!!
ここで決める!!
あんたにターンは渡なさい!!!」
バサリと羽音が響くと、骨だけの鴉の群れが上空を旋回し始めた。
耳障りな金属を擦り合わせるような乾いた声を繰り返す。
だが。
──再生が早い!!空間湾曲効果と魔力吸収効果の阻害が間に合わない!!
──まずい!!
案山子の鍬が氷に噛まれて止まり、上空の鴉たちが霜に囚われ墜落する。
そこからぱきぱきと氷が生え、無数の氷の触手となって鎌首をもたげ、透き通った氷の先端が、獲物を選ぶように揺れた。
ぶおおおおおおおおおッ!!!!
千触魔角鹿が、天を仰いで吠えていた。
それは獣の咆哮ではなかった。
数万年ぶんの森が、一度に息を吐き出したような、低く、深く、大地の底から響く声。
大気の震えとともに、足元の氷を割って何かが芽吹いた。
若葉だ。
ぽつり、ぽつりと、ひび割れた氷原を押し上げて、苔が、蔦が、根が這い出してくる。
氷の触手が、ぴたりと止まる。
『森そのものが、こっちに流れ込んでるっす!!』
リリの声が裏返る。
アスは千触魔角鹿の上から叫んだ。
「エルディア!!!私が!!」
「アスは待機!!
あなたが動いたらとどめが刺せなくなる!!!」
エルディアの目が揺れる。
──どうする!?!?
戦線の拮抗は、シールドの回復を意味する。
その時、商売繁盛砲の光が、第二障壁を貫いた。
しかし貫いた光は、その向こうでふっと掻き消えた。
『オメガ粒子、急上昇っす!
穴の内側に、すごい密度で集まってるっす!!』
リリの報告に、エルディアの目が見開かれる。
(オメガ粒子……!
オメガ粒子のエントロピー強制平衡効果だ。
ぶつけた力が、片っ端から均されて、ゼロになってる!!
押し込めば押し込むほど、圧力は倍々で増す。指数関数的に!!
これじゃ、シールドの内側に、もう一枚シールドがあるのと同義……!)
「私の炎で粒子を中和する!!
もう一度!!!!
エルディア!!!なんとかしてくれるんでしょ!!!!」
白が叫んでいた。
◆
(……終わりね。)
175は見ていた。
プライマリーも、セカンダリーも、砕かれたそばから復活する。
勢いよく割っても、すぐさま本体を叩かなければ、そのたびに蓄積されたオメガ粒子が高速再生を続ける。
必要なのは、押し込む力ではないのだ。
その積分をどうにかしない限り、勝ち目はない。
(予想以上ではあったけど、面白い実験以上の結果は出なかったわ。
こんなものね。)
アイスワーム内に内包されたオメガ粒子は、すでに限界に近い。
ここでまごまごしていれば、封じられた分が一気に流出する。
そうなれば、終わりは一瞬だ。
──次の周回の脚本を、演算し始めましょう。
最適解へと至る、最善手への演算を。
◆
「――任せろ。」
声がした。
氷塊の陰、包帯だらけの男が、ほうほうの体でそこに訪れていた。
右袖が風に揺れており、それは腕がない事を意味する。
カイン・エルスワース
彼は右腕と一体化した剣を掲げると告げた。
「領域魔術。
──《冬律術式》」




