177話 永久凍土 最善手を打ち続けろ
氷の大蛇の首はぶち折れて宙に舞った。
当然だが、その首は、地に伏したまま動かなかった。
瞳に死を映すその首の前に一七五はいた。
『……まだこれからよ。起きなさい。
眠るには、些か早すぎる。
あなたには、役目があるでしょう。』
175の掌から、青白い奔流が注がれる。
オメガ粒子。
終わりを意味する、冬を宿す慈悲無き破滅の力。
大蛇の巨躯が、痙攣した。
断面が、ぶくりと泡立つ。
一本、芽吹いた。
二本、三本。
──九本。
九つの頭が、同時に天を仰いだ。
声なき咆哮が、氷の大地を割る。
◆
九つの首が天を仰いだその瞬間に、白の呼吸が世界から切り離されたように止まった。
カチカチと歯が鳴る。
口元を強く押さえ、瞳は空を映したまま逸らせない。
吐く息だけが、来たるべき季節を先取りするように、白かった。
(冬が、来る。
『あの冬』が、また。)
ループは本意ではなかったが、ループしたならループは白を対決へと向かわせた。
一度目は、何も分からなかった。
二度目は、運命から逃げた。
三度目は、抗い、戦った。
その後の数は、もう覚えていない。
ただ、九度を超えたくらいから身体が覚えていた。
九つの首が天を仰ぐとき、空気は歯車が止まるようにあらゆるものが凍りつく。
(……あれには勝てない。
あれは起こしてはならない。このループは詰みだ。)
いつからか、彼女はそう悟っていた。
九つの首は、終末と同義。
──もう、起きている。このループは終わりね。
イレギュラーであるエルディアと出会ったり、今までとの差異も多くて興味深い周回だった。
白は一度だけ遥か後方、ショッピングモールの凍りかけた輪郭を振り返った。
(……アルトの大きくなった姿を初めて見た。私がずっと見たかったもの。
見せてあげたかったもの。
……手に入れたかったもの。手放すの?
終末が現れたから?)
白は、両の手を地に突いた。
手は震える。
奥歯の震えが止まらない。
それでも決められた手順に則って右手は地に残したまま、左手が地から離れ胸の前へ。
「──領域魔術。
《不冬律術式》。
百七十三回分の絶望を、食らいつくせ。」
白炎が周囲に広がる中で、白はあの冬を睨み据えていた。
九つの首を天にもたげる、氷のヒュドラ。
『あの冬』を。
避ける事しかできないその絶望を。
一度足りとも越えられなかった百七十三回を。
今ここで、超えてみせろ。
◆
耳元で、ノイズが弾けた。
『――姉御!!白さん!聞こえてるっすか!
オメガ粒子の濃度、さらに高まってるっす!
氷点下だった気温も、また下がり始めたっす!』
モールからの通信。
リリの声だ。
「オッケイ。分かった。」
答えたのは、白の隣にいたエルディアだった。
不敵な顔での口の端を上げる。
「白、聞いた?
よし。
前の時と同じでいい!?
同じ布陣でいいよね!?!?」
「……前の時?」
白は、目を瞬いていた。
「ほら。
前のヤバい時に絶体絶命を乗り越えたじゃない。
あれと同じよ。
あなたが前衛。
私が、後ろでちょろちょろして突拍子もない手段でなんとかするってやつ。
あれでいこう!!」
「……突拍子もない、手段。」
「そう。
突拍子もない、手段。
大体さ、あの白い大蛇が出てきてから、あなた、思い詰めすぎだよ。白。」
「あいつはやばいの。
あいつだけはわたしが1人でなんとかする。」
エルディアはとうとう肩をすくめた。
「だめ、2人でいくの。」
「……」
「いいんだよ、失敗しても。
白は私達を駒にしてぶち殺してもでも、最適な未来に辿り着くんでしょ。
次のループで。
なら変数と試行回数を増やした方がいいでしょ。
とゆーか、私ならそうするし、白もきっとそうすべきなんだ。」
「……は?
何言ってるかわかってるの?
自分が死んでもいいって言ってるのよ!?」
あっけらかんと笑って、エルディアは肩をすくめていた。
「死なないよ。」
「なぜ!?」
「だって白が導いてくれるから。」
「責任は自分でもつんじゃなかったの?
矛盾してるわよあなた!!」
「できるよ。白なら。
絶対できる。」
「……っ!?」
ちくしょう。
こいつは、こう言っているんだ。
一七三回一度も勝てなかった相手に対して、ここにいる全員生かした上で、なおかつ誰も不幸にならない上で、その上でハッピーエンドに導いて見せろ。
百七十三回もやったんだろ。
最善手を打ち続けろって。
ちくしょう。
それが無理だったからループしてんのに!!
悪口が止まらなかった。
こいつ。めちゃくちゃだ。
なんて無責任な。
失敗を前提に、尻拭いを未来の自分に丸投げするなんて。
パワハラもいいとこなんだけど!!
自分へのパワハラなんだけど!!!
エルディアは、力強く頷いていた。
胸を張って。
一片の迷いもなく。
クソみたいな事を言っているのに、一切悪びれず。
「んじゃ、よろしく。」
「よろしくじゃない!!」
ヒュドラの首の一本が、ゆっくりと鎌首をもたげる。
空気が軋み、足元の霜が、一斉に白とエルディアへと伸びた。
白は、地を蹴った。
すでに声は聞こえなかったが、最後エルディアは何か言っていた。
(任せて。なんとかする。何とかしてみせるよ。
……あたりかな。
……一人じゃない……か。)
自分の事だから、それくらいはそれでもわかる。
それは、百七十三回、誰にも言えなかった言葉。
悪口の果てにそれはあった。
いつからか失くしていたけど、確かに私の中で燻っていたもの。
みっともなくて、ボロボロになって、それでも最後に残った一つをかき集めて叫んで見せろ。
死ぬなら、今死ね。
そして答えを、見つけて見せろと、彼女は言ってるんだ。
氷の大地を裂いて、ヒュドラの懐へ。
九つの首が、一斉にこちらを向く。
吐息が凍る。
いや、吐息だけではなく、事実世界が凍っているのだろう。
全力だ。
全て焼き尽くす。
最中に声が届いた。
「――あなたじゃ、無理よ。」
ヒュドラの足元。
砕けた氷の上に、いつの間にか『彼女』は立っていた。
飼い主のように。
175。
大人の姿をした彼女が、白を冷たい目で見ている。
同じ顔。
同じ声。
違いは髪の色くらいだ。
ただ、その瞳の奥だけが、虚無を宿していた。
(一七五……
観察者……)
「あなたじゃ、無理よ。あなたは私の一七四回目。
一体、何度繰り返したと思っているの?
悪あがきが過ぎるのよ。
何度手を変え、何度趣向を凝らそうとあなたでは越えられなかった。
あなたでは越えられない。」
白は、足を止めなかった。
「……かもしれない。
あなたの見立ては、完璧だと思う。一七五。
私自身、心のどこかではきっとそう思ってる。」
九つの首が、頭上で唸る。
氷の牙が降る。
白は、術式の環で受け流しながら、なお前へ。
「けど、一回目の私が言うんだ。」
胸の奥に、遠い声があった。
まだ何も知らなかった、最初の自分の声。
――なんとかなる。
――なんとかしてみせる。
「なんて泥臭い。
成功する見込みなんてない。
無謀で、無茶で、無鉄砲で……
人を優しい言葉で無責任に焚きつけて……」
白は、拳を握った。
燻った何かを、燃やし尽くすように。
「ループそのものが、泥臭さの象徴なのにね。
だったら私は、その泥臭いやり方を、もう一度信じる。
ハッピーエンドは諦めていたけど、もう一度信じてみる。」
175の唇がわずかに動き、何かを言いかけて、閉じた。
「さあ、175。
今度は私が、観測してあげるよ。
あのエルディアはハチャメチャでめちゃくちゃだ。
ノリで世界を崩壊させようとする。」
きみに受け止められるかな?
◆
エルディアは、駆けていた。
白が前線でヒュドラを引きつけている間に、別の場所へ。
《スピリットサーマルネットワーク》を制御するショッピングモールの広場。
そこに、彼女はいた。
「アス!!
力を貸して!!」
仲間の名を呼ぶ。
息が白く弾けた。
アスは、顔を上げた。
彼女は、遥か向こうにそびえる九つの首を見て、言葉を失っていた。
「エルディア。力を貸すって言っても……
こんなの……」
すでに氷点下を大きく下回っている。
視線の先で、ヒュドラが咆哮する。
大地が震え、砕けた氷が降り注いだ。
「いや、倒すだけなら余裕!!
だけど、被害拡大を抑えるためにはやっぱアスじゃないとだめっぽい!!
急ぐよ!!」
「なんで?」
「そこはアスの、ほら。自己犠牲精神に期待してるから!!!」
「……自己犠牲……精神……」
アスは思った。
あ、こいつ。
私にまた無理させる気だ。




