174話 アイスワーム戦 氷点下三度。店員は笑う
モール、経営管理室。
本来は静かな会議室のはずだった場所に、今は十人近くが詰め込まれていた。
「――というわけで、氷点下三度っす。
制御盤はいじってないのに。
氷の大蛇が《スピリットサーマルネットワーク》の、温度管理能力を上書きしてるっすね。」
アスが手をあげた。
「ちなみに、スピリットサーマルネットワークがなかったら?」
「-100度くらいになるので、もうみんな氷漬けっす。
全員、仲良く氷の彫像っすね。」
「……とりあえず、お客様の避難を優先しませんか?
このままだと氷点下でお客様に危険が。」
「そうね。私と白で時間を稼ぐから、その間に、アス達は避難と、モールの防御結界の維持。
リリは設備の防衛。
ゴルドさんにはもうちょい耐えてもらう。
文句ある人?」
エルディアは周りを見渡してパン、と両手を叩いた。
「じゃあ行くよ。
蛇風情が、誰の縄張りに踏み込んだのか、その身に刻み込んであげよう。」
モール、正面エントランス。
館内放送用のマイクを握ったカトレアの声は、震えながらも、はっきりと通った。
「――お客様にお知らせいたします。
ただいま、施設周辺の気候に異常が発生しております。
安全確保のため、只今より、地下避難区画への誘導を開始いたします。
地下より、転移門にて、順次、王都および近隣の安全区画へお送りいたします――」
言い終わる前に、悲鳴が弾けた。
「避難!!?
やっぱりここ、魔族が攻めてきたんじゃ……!」
「違います! 落ち着いてください。
地下は結界で守られています、必ず安全にお送りしますので――」
「子供が! 子供がまだ二階に!」
「押さないで! 押さないでください、将棋倒しになります!」
人の波が、出口に向かって一気に押し寄せる。
普段は穏やかな買い物客の流れが、今や理性を喪った濁流と化していた。
「はいはーい、皆さーん。落ち着いてくださいねー。
地下に降りれば安全っすよー。
転移門で、ちゃーんとお家の近くまで送ってあげますからねー。」
けだるげな、けれど不思議とよく通る声が響いた。
サキュエラだ。
モップを片手に持ったまま、いつもの調子で、狂乱の人混みの真ん中を平然と歩いていく。
「大丈夫ですよー。慌てなくても、
はい、そこのお客様、こっちの通路空いてますよー。」
その口調のあまりの緩さに、逆に周囲の足が止まった。
――こんなに落ち着いてる店員がいるなら、そこまでヤバくないのかもしれない。
そんな空気が、波紋のように広がっていく。
サキュエラは、笑顔を絶やさず、右へ左へと客をさばいていった。
子供連れの母親には、「はい、こちらの列が早いですよー、お子さんの手、離さないでくださいねー」。
杖をついた老人には、「焦らなくて大丈夫ですからねー、ゆっくりでいいですよー」。
その一瞬だけ、彼女の目が、ちらりと出口の混雑具合を確認する。
表情筋は、笑顔のまま、一切崩れていない。
珍しく戦場を識る者の眼をしていた。
魔骸商業殿、正面外壁。
その場所だけ、既に世界の色が変わっていた。
白。
ただひたすらに、白。
「――さあ、来い。
本体でなかろうが、知ったことか。
このゴルド・バルシャイン。
モールの警備の任、まだはじめたばかりゆえな。」
目の前にいるのは、氷の大蛇――正確には、その「先端」だった。
森の奥から、地を這うようにして伸びてきた、氷の帯。
鎌首をもたげ、蛇の頭部の形を象っているが、本体はまだ見えない。
ここまで伸びてきているのは、いわば指先のようなものだろう。
放たれる、氷の奔流。
ゴルドは、両腕を交差させ、その全てを、正面から受け止めた。
轟音とともに視界が、純白に灼かれた。
――いくら削られようとも、ここは、決して通さぬ。
戦場の外れ、崩れたモールの瓦礫の上。
遠く離れたその場所から、静かな声が響いた。
そこには黒いコートを纏った青年が片膝をつき、両手を奇妙な形の砲台のような魔道具に添えていた。
「なんとか開発がおいついたな。
《商売繁盛砲》……
ねらい打つぜ。」
彼はカイゼリオン。
エルディアの友人。
ベルクの遺産は、ロマン砲として日の目を見ようとしていた。




