153話 王都Sランクダンジョン『大厳冬《フィンブルヴェトル》』
「気温、下がってきてるっすね」
ダンジョン入ってすぐ、リリが自分の腕をさすりながら呟いた。
「ダンジョン入った瞬間に、オメガ粒子の濃度が高まってるからね。
計測魔術作ったから。」
「……?」
エルディアの言葉にリリは固まった。
エルディアの指先には魔法陣が回転しており、光が明滅していた。
「……え?」
「リリの領域魔術が、オメガ粒子への影響力があると分かったからね。
局所的な領域を展開して、ファンシーショッピングモールの機構だけを抽出した魔術を作っといた。
オメガ粒子は、冬と密接な関係がある。
観測データ自体によっては世界の意味が逆転するかもしれないし……
というか、多分逆転してるとすでに捉えたほうがいい。」
「いや……いつ作ったんすか?
ずっと私ら一緒にいましたよね。」
「移動中。」
「……エルディア
一つだけ、聞いておきたい」
ゴルドは無言でその荷馬車の傍を通り過ぎながら、大剣の柄を握る手に力を込めていた。
「何?」
「本当に、事前調査もなしに突っ込むつもりか。
ここは王都直轄の『Sランク認定』ダンジョンだ。魔王城の壁とはわけが違う」
「リリはこのダンジョンの元管理者だし、事前に魔王様からダンジョンの構造はもらってる。はいこれ。」
「う、うむ。」
投げられた地図をゴルドはわたわたと、受け取る。
そして複雑すぎてわからなかった。
霜をまとった魔物が、天井からずるりと落ちてくる。
「姉御。
前、前!
魔物っす!」
「うん。え。トイレ?。」
エルディアは羊皮紙から目を離さず、しかとを決め込んでいた。
霜をまとった魔物が着地と同時に、氷の爪を振りかぶる。
「――はっ!」
ゴルドの反応は速かった。大剣を抜く動作すら省略し、鞘ごと魔物の顎を跳ね上げる。
「オオオオオオ!」
がら空きになった胴体へ、返す刀で一閃。
魔物の絶叫が通路に反響した。
振り返ったゴルドの目に映ったのは、相変わらず羊皮紙に視線を落としたままのエルディアだった。
指先の魔法陣はまだ回転している。
「……死ぬぞ。エルディア……」
「ゴルドさん、聞くだけ無駄っすよ。」
「……いつもこんななのか?
ダンジョンの中なのだが……」
「大体姉御は、表向きの目的と本当の目的が一致してないっす。」
「……はぁ。
せめて、先頭は俺が行かせてもらう」
「構わないっす。
そのためについてきてもらったので。」
「ここが今いる場所で、こっちが……
あ、左っすね」
「右」
エルディアも短く言って、すたすたと歩き出した。羊皮紙から目は離していない。
「姉御、右で合ってるっすか?」
「うん。
サンプルを回収する。」
エルディアは、右へ曲がらなかった。
正確には、曲がる直前に何かを感じ取り、そのまま直進した。
ごん。
壁だった。
「……」
「……」
ゴルドとリリが固まる中、エルディアは額を赤くしたまま、平然と壁に両手を当てた。
ゴルドが大剣に手をかけたまま、複雑な顔をする。
エルディアは魔法陣の明滅を見つめ、満足そうに頷いた。
「いい反応。この先は通路ね。」
「いや、壁っす。」
エルディアが顔を上げると、唇は完全に紫色だった。
歯もかすかに鳴っている。
だが、目だけが、子供のようにきらきらしていた。
りりは無言でマントを外し、エルディアの頭からかぶせた。
ゴルドは地図を広げ、眉間に深い皺を寄せていた。
「……ゴルドさん、それ上下逆っす」
「逆でも分からん」
「それは正直でいいっす」
エルディアが横から覗き込み、指で線をなぞる。
「わかるわ。
そうよね。
逆にするとさらにわかりやすい。
王都ダンジョンの深部構造は、ヴァーナル・プロトコルと酷似した同心円構造をしているのよ。
リリが管理が放棄して、ダンジョンが暴走してるにも関わらず、その構造には規則性がある。
私はこのダンジョンを、塔の"外部端末"だと睨んでいる。
というか、本体すらありうる……」
エルディアは足を止め、びっしりと書き込まれた羊皮紙をくるくるしながら、ぶつぶつやりはじめた。
リリが「あー、また始まった」という顔でゴルドの肩を軽く叩いた。
◆
瓦礫を割って現れたのは、三メートル近い体躯を持つ岩肌の巨人。
「――遅い」
次の瞬間、鋼と岩がぶつかり合う重い音が一度だけ響き、ゴーレムの巨体が縦に両断される。
ゴルドは血振りするように大剣を一閃させると、何事もなかったかのように鞘へ納めた。
「ふむ。王都で購入した数打ちであるが、悪くはないな。
人間どももいい仕事をする。」
「――このあたりから、ちょっと空気変わるっす」
リリの声のトーンが、わずかに落ちた。
「三十年くらい前。
Aランクパーティが一つ、まるごとこの先で消えたことがあるんすよ。
『暁の剣』って名前、聞いたことあります?」
「……人間の英雄だな。儂も戦場で矛を交わした事がある。
そうか……ここで死んでいたか……」
ゴルドの声が低くなった。
「敵ながら、気持ちの奴らだった。
最後に何を追っていた。」
「私もそこそこ付き合いがあったっす。
私も彼らと敵対していて、私の部下が彼らを殺したっす。」
しん、と水音だけが響く沈黙が落ちた。
「――部下?」
エルディアの目つきが、それまでの好奇心とは違う色を帯びた。
「ダンジョンに取り込まれて、暴走したっすね。
管理者エリアは汚染されているから、まだいるかもしれないっす。
30年たってるっすが。」
リリに案内されるように続く階段を下りきると、そこには思いのほか広い空間が広がっていた。
「――お、汚染されている割には、意外と整備されてんじゃん。」
エルディアが、物珍しそうに壁を撫でた。
「ダンジョン内の自己修復機能っすね。
地脈の魔力循環を利用して、ある程度は自立運用するように設計したっすから。」
「そのへんはさすがよね。
普段は、単なるクソガキなのに。」
「姉御は私をなんだと思ってるっすか。」
「拗らせたババア。」
「ひど。」
三人が最初の分かれ道に差し掛かったところで、通路の中央に、古い石の扉が立ちはだかった。
扉には、三つの窪みと、その上に刻まれた文字。
『――正しき問いに、正しき答えを。』
「うわ、来た。
これ絶対、ダンジョンによくある答えないと開かない系のやつだ。」
「待て、小娘。
下手に触ると、罠が発動する類のものではないのか。」
ゴルドが慎重に扉を観察するが、エルディアはすでに窪みに手をかけていた。
「問題文は……
『我、常に前を見るが、決して振り返らぬもの、何ぞ』か。
うーん、矢?」
「エルディア。待てと言っておるだろうが。」
「あ。私わかるっす。この問題設定したのうち──」
「大丈夫大丈夫、こういうのって直感で――」
ガコンッ。
エルディアが適当に窪みへ石を押し込んだ瞬間、扉の上部から、勢いよく水が噴き出した。
そして足元の床が開いた。
「――ぎゃあああ!!」
「言わんこっちゃない!!」
「姉御、答えは『時計の針』だったんすよ!!見りゃわかるじゃないっすか!!」
「知らんし!
だってヒントが少ないし!!」
三人は流されていった。
エルディアは大広間の床に横向きに倒れたまま、しばらく動かなかった。
魔導着の裾が水を吸ってべったりと足に張り付き、乱れた髪から水滴がぽたぽたと石畳に落ちている。
「ひでえめにあった……
さびーし。」
「まさかあんな問題を間違える奴がいるのかって問題に設定しといたんですけどね!!!!」
「むずすぎるでしょ!!!」
通路はやがて開けた大広間に繋がっていた。
天井まで届く巨大な石柱が等間隔に並び、中央には涸れた噴水の跡らしきものがある。
だが、目を引いたのはそこではなかった。




