152話 通知
そして、同時期。
魔の森、ショッピングモール。
一通の通達が、静かに、エルディアのもとへと届けられた。
エルディアがいなかったので、アルトは封蝋を割り、中の文書に目を通した。
差出人は――世界魔術連盟。
「……やべえな……これ。」
「あ、アルト様、なんかありました? あー疲れた。」
カミラは魔の森のショッピングモールで、簡単に、おいしく、安く提供するため、料理メニューの開発に奮闘していた。
「最初は肉だけ詰めてたんですけど、脂っこすぎるって不評で……野菜を混ぜてみたら、逆に旨味が増して。
あと生地、普通の小麦粉だと硬くなりすぎるから、森でとれる根菜の粉を混ぜて――
……あの、アルト様?
試食、してくださいよ。
将来のあなたの第二夫人の料理の味を。」
少しだけ頬を赤らめながら説明を続けようとしたカミラだったが、ふとアルトの様子がおかしいことに気づいた。
手元の文書を睨んだまま、眉間に深い皺を刻んでいる。
カミラが願望を駄々漏れにしているのには、理由があった。
働き過ぎて、心がとっくに病んでいたのだ。
──このショッピングモールの食堂も、どうせまた私が回すんでしょ。
もはやカトレアやアスといったエルディア一味からは、料理番としてしか見られていない。
いいもん。
私だけが分かってればいいもん。
アルト様の護衛だもん。私。
皿を持つ手に、少しだけ力がこもる。
湯気の立つパイの匂いだけが、その場に漂っていた。
「手紙……? 世界魔術連盟? むちゃくちゃすごいとこじゃないですか。」
それを読んだカミラの表情からも、軽さが、すっと消えていく。
──エルディア殿
貴殿が冬季生存対策として独自に開発、特許登録された術式――
『精霊熱力循環術式』
これに関し、当連盟技術審議会より、以下の提言および勧告を通達する。
一、特許登録の即時棄却。
二、当該術式の、いかなる形での実用化・展開も、当面凍結すること。
至急の対応を求む。
世界魔術連盟 技術審議会。
◆
魔の森、ダンジョン管理室にほど近い、資材庫の裏手。
「……で、これがリリ・ヴァルフェリアの言ってた奴、ですか。」
カミラは天井裏を見上げながら、うんざりした声を出した。
手には、リリが出発前に残していった一枚のメモ。
『天井裏、蜘蛛型。
泳がせ中。
触るな。
方向Aのデータはこれ見よがしにおいてある。減らすな増やすな、そのまま。
何かあれば方向性だけ守って調整する。』
「……代わりに研究しろと……
私、料理担当のほかに、アルト様の護衛もあるんですけど……
そこにさらにタスクを加えろと……」
「リリらしいっちゃ、リリらしいけどな。」
「付き合いも、もう長いですからね。信頼されてますね。」
カミラは腕を組んで、天井の隅にじっと張り付く小さな魔導具を見上げた。
蜘蛛のような形をしたそれは、今日も律儀に、動く様子もなく張り付いている。
脚の一本一本の先端が、かすかに発光する何かの結晶に触れ、資材庫の中に張り巡らされた魔力の流れを、そっとなぞっていた。
データを送っているのだろう。
脚先が結晶の表面をなぞるたびに、結晶の内部で光の筋がちらちらと明滅する。
数字らしき光の羅列が、静かに、しかし着実に積み上がっていく。
エルディアとリリが魔王城へ発ってから、もう三日。
世界魔術連盟からの通達を受け取ったあの日、アルトは正直、頭を抱えた。
棄却、凍結、至急の対応――どれも穏やかではない単語ばかりが並んでいたからだ。
だが、リリが残したメモを見つけてから、話は少し変わった。
アルトはメモの一文を指でなぞる。
これは、ただの妨害じゃない。
向こうは既に「泳がされている」。
いや、世界魔術連盟を泳がすってどういうことなんだって話ではあるのだが。
アルトが棚の三段目、偽の研究データが収められた箱にそっと目をやる。
「つまり……このダミーの情報を、それっぽく“育てて”やればいいんだよな。」
「腹の探り合い。そういうことですね。
そのまま置いとくだけだと不自然ですけど、研究って進むもんだから、進んでる風の変化をつけてやらないと、向こうも怪しむ。
うわ、めんどくさ……」
カミラは顔をしかめた。
ただ口ではそう言いながらも、すでに頭の中では算段を立て始めていた。
仕事ができすぎて、護衛をやりながらショッピングモールの食堂の料理長もやって、ウィンドリィ家との調整役までこなしているスーパーウーマン。
カミラ。
カミラは言いながら、資料箱の中から別のメモを取り出し、さらさらとペンを走らせる。
その合間に、厨房のほうから漂ってくる匂いにふと鼻を動かし、
「……あ、パイ、そろそろ焼き上がる時間だ」
呟いて、腰の道具袋から取り出した小さな砂時計をひっくり返す。
アルトは感心したように、カミラの手元を眺めていた。
──すげえ……相変わらず……
「世界魔術連盟だと、世界のフロントラインの魔術師が相手ってことですよね……
……長期間はごまかすの無理じゃない?」
「リリが泳がせるって決めたんだ。
多分、勝算はあるんだろ。俺らがやるのは、その勝算を潰さないことだけだ。」
アルトは肩をすくめた。
「……まあ、いいですけど。
失敗したらリリ・ヴァルフェリアを処分できる口実にできますし。」
「実力行使でできるといーな。無理だろ……」
正直な物言いに、カミラは思わず小さく笑った。
「……でも、これ、改めて見るとすごい術式ですね。
精霊力の循環効率、こんなに高くできるんだ……
冬季生存対策どころか、これ普通に商業利用しても化けるやつじゃないですか。
というか、設定を変えれば普通に人を殺せる……」
カミラの指先が、資料の余白をなぞる。
目の奥に、いつもの軽さとは違う光が灯っていた。
資料を閉じるのをためらうほどに、その術式は完成されていた。
アルトは、それにすぐ答えなかった。
資料の一点を見つめたまま、しばらく黙り込む。
「軍事転用のリスクは、すでに指摘されてるな。」
「いやー天才だったんですねえ。エルディアちゃん。
子供の頃から見てたけど、ただのキチガイじゃなかったんだ。」
「……怒られるぞ、お前。
お前も大概だからな……」
「私はただの護衛ですよ。料理番で、護衛。それだけです。
あ、パイ焦げる。」
「分かってりゃいいんだよ。」
短い声とともに、カミラが厨房へ駆けていく。
砂時計の砂が、最後の一粒を静かに落とした。
資材庫には、アルトと、脚先の結晶を静かに明滅させ続ける蜘蛛型だけが残された。
◆
エルディアとリリとゴルドが鉄門をくぐった先。
石畳の道が奥へと続き、その両脇には管理局の資材倉庫や、休憩用のベンチ。
その先で、景色は唐突に断ち切られていた。
ごつごつとした岩肌が途切れ、不自然なまでに滑らかな曲面へと変貌している。
そこに穿たれているのは、あらゆる光を呑み込む、漆黒の門にも似た大穴。
エルディアは足を止め見上げた。
「……これが王都のSランクダンジョン」
『大厳冬』




